5分でわかるトラファルガーの海戦
トラファルガーの海戦
フランス帝国・スペイン王国(ヴィルヌーヴ:三十三隻・うちフランス18隻・スペイン15隻)VS
大ブリテン=アイルランド連合王国(ネルソン:二十七隻)
背景 マレンゴの勝利によって第二次対仏大同盟を潰したナポレオンは圧倒的人気により1802年に 国民投票によっては終身総領となった。 フランスとイギリスは1802年にアミアンの和約を結んだが、それは両国にとって実質上一時的な中 休みに過ぎず、翌年フランス船舶がイギリス海軍により捕獲されたのを機にフランスはイギリスに宣 戦した。 一方1804年にナポレオンは国民投票によりフランス皇帝ナポレオン1世となった。かねてよ りナポレオンを危険視していたヨーロッパ諸国は即位を認めず、イギリス首相ピットの呼びかけで1805年八月九日に第三回対仏大同盟が形成され、ロシア、ポルトガル、オスマン 帝国、オーストリアなどが加わった。スペインは南米より帰国する艦隊をイギリスに沈められた ことにより、フランス側についた。 ナポレオンの対イギリス戦のプランは、制海権を握っているイギリス艦隊をフランス艦隊がハイ チあたりまでひきつけ、その隙にイギリスの抑圧を受けていたアイルランドの反乱を誘導し、戦力を分 散させたイギリスに対し本土上陸を決行する、と言うものであった。 そして1805年三月二十九日、ナポレオンはヴィルヌーヴ提督にイギリス艦隊の陽動作戦を命じ、ヴィ ルヌーヴ麾下のフランス艦隊はトゥーロン港を出発した。そして、イギリスのネルソン提督はそれを追 跡した。ネルソンをまいたヴィルヌーヴは七月二十二日にスペイン近海に戻り、スペインのカディスに 戻った。しかし、ネルソンは予想より早く帰ってきた上に、ヴィルヌーヴ麾下のフランス・スペイン連 合艦隊はフィニステーレ岬沖でコールダー中将麾下のイギリス艦隊と戦って二隻を失う。 この敗北に志望したナポレオンは八月二十七日に作戦を放棄し、ヴィルヌーヴの更迭を決めた。 更迭を知ったヴィルヌーヴは手柄を立てて汚名を雪がんとイギリス艦隊との決戦を決断する。 経過 その後 |