大東亜戦争について熱く語るスレ
SF作品なので、歴史板で論ずる対象ではない。
だが、作中で称主人公が述懐する所の「史実を調べて行くと、曖昧模糊として判然とせず、脈絡が無い記述の資料に遭遇する」と言う意味の感想は(←「」内の表現は私の言い方によるもので作中のそれとは異なるが)小松左京氏がリアルに大東亜戦争を調べた本音なのだと思う。
実際、「大東亜戦争」の史実間相互の因果関係は分かりづらい。
と言う事で、世界史板の住人各位の胸中にかつて、去来した疑問点の数々をここで挙げて頂き、今一度、同戦争を洗い直してみたい。語れ。
南満州鉄道諸権益に内在される所の如何にもロシア風な虎狼の精神によってシステマナイズされた侵略的能動性を日本は国策に移植させちまったんだ。
なにやら熱い論戦になってきましたね
大東亜戦争、どうすればよかったか?で言い始めるとどこまでも遡ってしまいきりがなくなってしまうのですが、
ルーズベルトが日本を潰すまで戦争をやる意思がある限りその国力、戦力からみて太平洋の個別の戦闘で史実以上に勝利を収めたとしても
敗戦の時期が多少ずれ込むだけで総合的な結果は変わらなかったと考察します。
そういった意味で、朝鮮併合せずという選択肢は私も同感です。
朝鮮半島が併合とはいえ直接日本の領土となったためにロシアと日本が陸続きとなり防共の緩衝地帯として満州の維持が必要となった点を
考えると、いっそのこと朝鮮を併合せず防共のフロントラインを日本海まで下げて朝鮮併合によるインフラ整備に使った持ち出し分を
1907年の帝国国防方針で計画した八八艦隊へでも予算つけて速攻作ったほうがその後の対英、対米、対露への抑止になったのではないかと思います。
ワシントン海軍軍縮条約よりはるか前に。(大和級戦艦15隻はいいですね、さぞ壮観でしょう。模型メーカー大儲けですね)
ちなみに2015年現在米軍が朝鮮半島から兵力を減らしつつあり朝鮮戦争の国連軍司令部も横田基地へ後退させ、対共のフロントラインを日本海に移しつつある点をみても戦略的に意義ありと思います
そうなると当然、半島には露、独、仏、米、など他国の進出があるはずだが軍備拡大した日本に海を越えての上陸侵攻をするとも思えず、半島や満州をめぐる
この後の外圧もだいぶ様相が変わってくるのではないかと思います。(だってないんだから)
もっとも日清、日露で莫大な苦労をして手に入れた半島利権、国内の反対も強いとは思うけど。
そうなると後はだいぶ史実と変わってくるはずだが、とにかくアメリカを戦争に首突っ込ませない方向で持っていくしかないと思います。
アメリカは他国の戦争に関与しないとした「モンロードクトリン(1823)」を目一杯逆手に取り、 義和団の乱、WW1,シベリア出兵など多額の戦費と
人命を掛けて何も得られなかった過去をアメリカ世論にアピールしてルーズベルトの支持を揺さぶる方法をとりつつ、日独連携してとにかくイギリスを先に潰す。
これしかない。
アメリカに助けを求める間も無く潰す。
ドイツはロシアに気を移さず体力のあるうちにイギリス本土へ猛攻上陸。
日本もマレー、ビルマ、インドとアメリカをスルーしつつとにかく英、(蘭、仏は本国もう占領されてるけど)、インパール作戦でインド独立に火をつけるのももっと早いほうがいい。
主さんの広げたい方向と違うかもしれませんが。こういう方向しかないかと考察します。
ミッドウェー島占領やガ島奪回できたくらいではとてもとても…
個々の戦術的勝利は、大戦略の勝利には結びつかないと言う主張には同意です。
日露戦争に勝利した日本は、国際社会に徹底的に訴えて、
『朝鮮半島をスイスのような永世中立国としてほしい』
と働きかければ良かったのではないかと考えます。
まず、当時の「日の沈まない国」イギリスが日本の同盟国ですから、一も二も無く同意するでしょうし、
日露戦争で敗退したロシアもまた、朝鮮半島が日本との緩衝地帯となるなら…と大歓迎するでしょう。
1899年から1900年に渡って、アメリカはジョン=ヘイ国務長官が、「門戸開放」「機会均等」を訴える、いわゆる「門戸開放宣言」を行っていますから、
『朝鮮半島を諸外国の緩衝地帯とし、門戸開放・機会均等の理想の地としましょう』
と呼びかければ、アメリカとて「NO」とは言えなかったのではないでしょうか?
だって、自分で言った事なのですから。
朝鮮は独立国家ではありますが、本来なら植民地にされても文句が言えない立場なので、
日本提案による、『諸外国の緩衝地帯』『東アジアの永世中立国』という提案は、案外多くの国々の賛同を得られると思われます。
それでもロシアの捲土重来が心配ならば、関東州と満鉄付属地は、ポーツマス条約で日本の物と決められたのですから、
徹底的に関東州と満鉄付属地を要塞化、駐屯している関東軍も徹底的に近代化した上で、ロシアの南下に備えれば良いのです。
当然、ノモンハンも張鼓峰も国境を接していないので、もしもこれでロシアないしソ連と衝突するような事件が有れば、
それは日本の侵略ではなく、間違いなくロシア(ソ連)の侵略によるものです。
国際的にも大義名分が立ちます。
先述の通り、第一次五カ年計画を成功させ、第二次五カ年計画に踏み切った1935年~36年の辺りまで、
極東方面のロシア(ソ連)軍の戦力なんぞタカの知れた程度でした。
関東軍が関東州と満鉄付属地をソ連の侵略から守っている間に、帝国海軍がウラジオストクやハバロフスク、北樺太、カムチャッカ半島を占領してしまっていたでしょう。
ソ連が国際条約を守らず、朝鮮半島に侵入したらどうか?
これまた、国際条約違反を責め立てて、米英仏にも協力を仰いだ上で、ソ連征伐に乗り出す事が可能だったでしょう。
朝鮮半島は大陸との「緩衝地帯」に留めておくのが最良だったと言えます。
>>231の開戦前の国内石油備蓄量の件以下のサイトに詳細が出ていますのでご参考にどうぞ。
戦争と石油
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/662/200603_071a.pdf
かいつまんでいうと、開戦前の国内石油備蓄は陸海軍に民間備蓄をあわせて計およそ800万キロリットル。これは禁輸前に仮想敵国から購入して確保した分。
対して戦時の国内消費量がおよそ600万キロリットル。なので単純計算で1年と4ヶ月分のストックがあったことになります。
一方開戦後占領した南方油田での石油産出量は日本国内の1年分を十分にまかなえる量(昭和18年・788万キロリットル)を終戦時まで維持し続けました。
(連合軍もこの油田施設は自分たちの資産でもあるので空襲による破壊は行いません。終戦後すぐに稼働させます)
日本軍の制空、制海権の後退と共に国内への輸送量も激減し(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万リットル)、南方油田で大量の備蓄を抱えつつ
国内に持ち込めず、なおかつ空襲による国内精油施設の被害により持ち込んだ石油の精製もできず最後は国内在庫が底をつき行動不能という結果になりました。
本スレ>>12はこの状況を簡潔に表現しています。
猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」にでてくる擬似内閣と軍をつくり日米戦のシュミレーションを行い敗戦を予測した総力戦研究所でも、
当時の国内在庫量は正確な数字がつかめなかったということです。それが >>231の内輪の不正確な数字の由来だと考察しますが、
もし仮に開戦時の備蓄が2年分(12000キロリットル)あったとしても戦局の推移に大きな影響はなかったと思います。
占領した南方油田の管轄は、
陸軍が占領した油田(全体の85%)の石油は陸軍の物、海軍の占領した油田(15%)の石油は海軍の物
という区分で政府は不介入というのも問題あり。一応融通するための連絡協議会はあったらしいが。
これじゃ軍艦動かんわ…
正(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万キロリットル)
ちなみに昭和20年には途絶した模様。
「何故、我が大日本帝国はマレー作戦完了後、生産拠点をボルネオに移転させなかったのか?」
1942年4-5月の2ヶ月で、プログラムの設計ーーー構想の青写真と具体的手順を作成し、6月に現地調査兼人員、建設機械等の輸送、7月着工ーーー2年後の44年6月には相当の進展が見込めるだろう。
トラック環礁にはボルネオからの方が呉や横須賀、佐世保よりも近いはずだ。
朝鮮半島併合初期の様なライフラインの整備から始めないと立ち上がらないんじゃないかと。
もっとも英仏蘭の進出があったので朝鮮半島よりは条件がいいとは思うが。
生産拠点を前線に近いところに置くのは危険。あくまでサービスデポ程度が適当じゃないでしょうか
なるほど、ボルネオには現地のゲリラ等がいて、戦闘地域であり、生産どころの話ではなかった、と言う事ですか。
残念ですな。
(それも大変だけど2014年でやっと製鉄所できたのに)各地に物流、生産の拠点を広げていくのは現実的なプランだ。
しかし戦時の真っ只中で新規に外地に鉄鋼、造船、航空、ほかマテリアルの生産工場建設と稼働はしたくても無理と思います
石油とアルミニウムのある東南アジアに帝国は生産拠点を移すべきではなかろうか?
「太平洋戦争の関ヶ原」、マリアナ沖海戦は44年の7月だ。マレー作戦完了は42年初頭であるから、同年3月から起算しても丸2年プラス4ヵ月ある。
パイロットの訓練飛行に消費されるガソリンも訓練飛行場がボルネオなら、湯水の如く、使えるはずだ。
輸送は駆逐艦艦隊で防御出来るはずだ。
人員輸送は97式飛行艇、2式大艇で実行、一式陸攻と入れ替わる旧型の攻撃機、96式陸攻も人員輸送に転用させる。
ガソリンはボルネオが拠点なら無尽蔵のはず。
実際に昭和19年6月のサイパン島をめぐる海空戦であるあ号作戦直前には海軍機動部隊や
航空部隊は燃料豊富なブルネイで訓練と戦力の集結を行っています。現在においても東南アジア各国間の物資輸送の主力は海上交通であり
その船の大動脈シーレーンが確保できないことには生産拠点の移転もままならないと思います。
現地ゲリラは防諜面で問題あるものの大した障害ではなく、米軍の潜水艦に我が方の水雷戦隊が手も足も出ない上に輸送船もないというのが問題だ。
それであれば機数も少ないうえに搭載能力も少ない九七式飛行艇や二式大艇を輸送に使うよりは戦前の1926年に理論が確立されていた
八木アンテナの研究を進めて実用化し機上レーダーを飛行艇に搭載し早期警戒機として管制迎撃網を
整えた方が有効だと思います。あとだしの理想論ですが
ガダルカナルなんざ、湯水の如く、陸上攻撃機で空爆しておけば、米軍を殲滅出来たのでは?それが出来なかったのはガソリンのみならず、爆薬の製造も全然、前線の需要と乖離していたと思われる。
支那大陸用の軍事物資を回す以外にニューギニアの戦線を維持する方法は無かったとすれば、それを実行すべきだった。
ソロモン航空戦に初動対応した海軍三沢航空隊(1式陸上攻撃機)の定数が24機
一回の出撃での損耗率が40パーセント。3回の出撃で全滅という戦況で湯水のごとく空爆は無理です
むしろ湯水のごとく空爆してきたのは米軍機です。
その陸攻機ですが、山本司令長官の遭難時の搭乗機もその機種だったそうですな。
あ号作戦もそうですが、山本司令長官はよほど、海軍陸攻機に信を置いていたのでしょう。
航続距離に惚れておられたのかな。
当時の海軍には旧式の96陸攻と主力の1式陸攻の二択しかないうえにラバウルには1式陸攻しかなかったので仕方ありません。
ソロモン航空戦のときはまだ月光の前身の2式陸上偵察機の状態でしたね。
このラバウルの夜間空襲の戦訓から生まれたのが後の月光なので登場までもう少し待たないとですね。
「南方資源も確保、我が帝国は難攻不落の自給自足の生産体制を築く事に成功せり」と随分、威勢がよかった。
あれは(当時の)国民向けのジョークだった訳ですな。
銀行口座に100万ドル預金があっても凍結されてたらないのと一緒ですね
これはわかるし賢明な選択だと思う
大体、こんな流れ↑だろう。
奥地(重慶)に逃げ込んだ蒋介石へのビルマ、雲南方面からの英米の援助。
英領マレーを攻略する理由は援蒋ルートの遮蔽が一つ。
後の理由は、オランダ領ボルネオの石油基地を接収する為に軍事的障害となるマレー半島のイギリス軍を無力化させなければならなかった。
所が、ボルネオの石油は即効性のある資源とも言えなかった訳ですな。
矛盾してるよね。
使え無い資源(ボルネオ)の為に真珠湾の米軍の横っ面を張り倒したんじゃよね?
アホ過ぎませんか?大日本帝国。
蘭印パレンバン精油施設など東南アジアの油田地帯をほぼ無傷で占拠したものの国内への輸送は
あまり具体的な計画はなかったようですね。
最後は外地の豊富な油田地帯を確保したまま物資不足で終戦ですから。
>蒋介石の国民党政府との戦争→長期化→戦争経済(GDPだけは高度成長)→政府財政は逼迫→輸入増大&世界経済のブロック化で外貨獲得手段(輸出)困難→じり貧
なんか、スレ主の歴史認識は順序がデタラメだぞ?
まず、満州事変が起こる一年前、すなわち1930年には、アメリカで【ホーレー・スムート法】(関税法)が制定されている。
「万里の長城」と揶揄されたこの高関税の山のせいで、日本はアメリカ市場を失った。
日本の農村の作っていた絹織物、生糸などは、アメリカが最大の顧客だったがために、
農村はとてつもない損害を受けた。
515事件や226事件などの原因は、この疲弊した農村の救済も目的として在った。
つまり、日本の大陸進出なんぞ関係なしに、すでにアメリカは日本に対して門戸を閉ざしていた。
自分たちは日本に対して「満州の門戸を開け」「支那の門戸を開け」などと要求していたくせに。
ついで、満州事変の1年後、とは言っても、日本が未だ国際連盟を脱退していない1932年には、
大英帝国が「オタワ会議」を開催、イギリス本国と植民地とのみだけ貿易するという、
いわゆる「ブロック経済」に移行した。フランスもすぐにそれに続いた。
加えて、海外植民地無しで世界最大の面積を誇っていたソ連は市場閉鎖措置を取っており、日本の輸出品が売れるはずもなかった。
まして、ソ連は日本の天皇制を32年テーゼで全否定し、「天皇制を打倒せよ」などという指示を与えている。
いくら経済のためとはいえ、ソ連などと仲良くしたら、日本の国体がどうなるか解らない。
アメリカ市場には輸出できない、英仏とその植民地にも輸出できない……
ソ連も市場を閉鎖している……
控えめに見ても「全世界の半分」が、いや「4分の3」が、日本に対して門戸を閉ざしていたのである。
何度も言うが、これは「支那事変」は関係ないし、「満州事変」も関係ない。
このままでは農村は死ぬしか無いし、都市の工場労働者も大量にクビ切りされて、路頭に迷うほかに無い。
何せ、米英仏ソの四大国と言えば、どれもこれも日本以上の工業大国であり、品質の良い商品を大量に作って、世界中に輸出出来る国々なのだから。
当時はまだ粗悪品だった日本製品と、米英仏ソの国々の商品と、どっちを買うかと言われれば、日本製品は選ばれなかったであろう。
物が売れなければ企業は倒産する、倒産しなくても大量にクビ切りされる。
労働基準法も、労働組合法も存在しない時代であるのだからなおさらだ。
アメリカ市場以外、また英仏とその植民地以外の地域に平和的に輸出しようとしても、
米英仏ソもまた、日本と同じ考えであった以上、衝突するほかに無かった。
米英仏ソの四大国たちは、自分たちがブロック経済で外国の商品を買わない代わりに、
輸出を自粛しようなどという殊勝な考えなんぞ持っていなかった。
ブロック経済で自分たちの利益は確保した上で、さらに自分たちのテリトリーではない地域にまで手を伸ばそうと企んでいたわけだ。
ガチニキ登場や
詳しい解説ありがとうやで
2です。
黒船以来の太平洋をめぐる日米100年戦争のことは承知しています。
だが、現状日本自力のみでの国土防衛は厳しいかと。将来的にはそうありたいですが。
外国軍を当てにするの国防が他力本願なのは承知してます。
犬のように従えばいいとも思ってませんのでそのへんは理解していますが、
あなたがというのではなく離間を狙う勢力もあるのでそこはかれらの思うツボにならないようにしないといけないと思います。
冷静な返信ありがとうございます。
すぐに喧嘩腰になる人と比べれば、貴方のような立派な人は希有と呼べるでしょう。
(お世辞ではありません)
しかしながら、最低でも【戦前の】アメリカは、【ろくでもない国】であった事は確かです。
映画『42~世界を変えた男~』や、『バンクーバーの朝日』を見れば解りますが、
1960年代の「公民権運動」が起こるまでのアメリカは、
【ナチスドイツに勝るとも劣らない超・差別国家】
であった事を忘れて貰っては困ります。
そもそもナチスドイツの人種理論や反ユダヤ主義理論の多くは、
【アメリカ人】のマディソン・グラントや、
ヘンリー・フォードなどがネタを提供した物である事も忘れてはなりません。
ヒトラーはフォードの肖像画をフリードリヒ大王に並べて掲げていたとか。
『日本人の大脳の灰白質は、白色人種よりも白い。深い思考能力が出来ず、発明能力や学習能力は劣る』
当時のアメリカの人種学者の「日本人」の説明と言えば、このような物でした。
『ヒトラーのテーブルトーク』という本の中には、
『日本人は、三半規管がイカレてるから飛行機の操縦は出来ない』
という当時の白色人種間で広まっていた噂話が出てきます。
ヒトラーの邪推では、日本人がわざと白色人種の差別意識に便乗して、この俗説を補強して垂れ流した、
『素晴らしい謀略活動』
であった事になるのですが、日本人にそんな高等テクニックの謀略は出来ないでしょうから、単なるヒトラーの「邪推」でしょう。
でも実際に、真珠湾攻撃を聞いたアメリカ人の多くは、
『日本人如きに航空機の操縦など出来るはずがない!これは日本人に協力していたドイツ人が敢行したのだ!』
と真っ先に広まったのを見ても、アメリカ人による日本人差別は、病膏肓に入っている水準だった事が解ります。
私は【戦後の】「GHQ改革」や「年次改革要望書」、
「TPP」などを押しつけてくるアメリカも大嫌いですが、
【戦前の】アメリカは、もっと嫌いです。
あんな国が相手では、遅かれ早かれ戦争は避けられなかったでしょう。
他国の戦争に不介入という公約で当選しておいて、それでも利権理由に日独との戦争に参加したいあまりに、
自国民を欺いてまで戦争へと日本を誘い込んだルーズベルトなどその嫌悪の最たるものでしょう。
戦後、アメリカが行ったWGIPによる自虐史観の植え付けなどで気付かぬうちに洗脳されている人もまだまだ多いですので、
戦前・戦中・戦後のアメリカによる闇の部分も周知していかないといけませんね。これは同感です。
国家安康・臣君豊来の鐘のときの徳川と開戦前の対日禁輸とハルノートのアメリカは似たような状態で、
譲歩なんてものが意味なさなかったのでしょうね。
アメリカの「闇の部分」を指摘すると、
『日米離間だ!』
『中国・韓国のスパイだ!』
と言い出す人が多いので、本当に嫌になります。
日本を戦争に追い込んだのもアメリカなら、
敗戦後、GHQ改革で日本を滅茶苦茶に破壊したのもアメリカでしょうに。
こんな事、例えば大日本帝国憲法を作り替えるなどとは、ポツダム宣言にすら書いていない事な上、戦時国際法に違反しています。
おまけに、仰る通り、WGIP、
【劣った劣等民族の日本と日本人が全て悪うございました】
と洗脳したのだから、もう許し難い暴挙です。
先の「安倍談話」も、
・アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった
などとふざけた嘘八百を並べ立て、
・ケネディ「観光大使」のような外交のド素人を日本に送り込んできたオバマ政権に対して、聞いてて恥ずかしくなるような
『民主主義のチャンピオンを送ってくださった』
などとベタ褒めし、
・日露戦争まではまともだったのに、その後は魔法にかかったかのように狂って、慢心して駄目になった。
そして敗戦の結果、アメリカ様のお陰で、日本は何とかまともな国に立ち返る事が出来ました
めでたしめでたし
こんな歴史観を、「保守政党」の「タカ派」の「一国を代表する総理」が得々と披露するような状況になってしまった……
全く酷いもんですよ。
ニューギニア戦線の初期には配備されていなかった。開発完成が間に合わなかったのだろう。
惜しまれる。
一方、海軍には「月光」、「紫電改」と言う爆装可能な陸上戦闘機がある。
陸軍と海軍が別々に開発する事は問題だった。生産ラインの乱造。アルミとニッケルの無駄使いではなかったか?
陸海軍で用途が違うものもあるので一概には言えないが、同じような目的の兵器はなるべく共通の方が生産・補給面で有利ですね。
陸海軍で同じ20ミリ口径の機銃弾でも規格が違って共用できない日本よりもアメリカのように陸海空及び海兵隊全軍共通弾薬としたほうが
合理的ですね。
中島飛行機製作所、小泉・半田工場増設
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima-saito/saito2/naka40-41.html
輸出先のほとんどを失った日本は大陸進出を決行、ドイツではナチス政権が成立してソ連と東欧諸国への進出を決行。
元々「イギリスのスパイ」と政敵から非難されていたムッソリーニのイタリアですらも、
海外市場を開拓しようとして、イギリスと対立してまでもエチオピア戦争を行っている。
ちなみにムッソリーニ政権は、最初は外交的に英仏の市場に食い込む事を目指しており、日独よりも2年も長く堪え忍んだ。
つまり、エチオピア戦争は1935年に始まったが、ムッソリーニ政権は世界大恐慌からの5年間の間に、失業者のほとんどを吸収する事には一応成功していた。
公共事業の大幅な促進と、企業の国営化をセットにした統制経済の断行によるものであったが。
従って、エチオピア戦争は、失業者救済がメインというよりも、エチオピアの資源目当て、
それと話し合いに応じない無礼なエチオピアを『膺懲する』のがメインであった。
【排日移民法】(1924年)
これも重大な問題だからね?
輸出も出来ない、移民も出来ない、
そんな日本人が生きていくためには、中国大陸に進出していくしかなかった
中国大陸がほぼ唯一の日本の生命線だった
中南米諸国は「アメリカの裏庭」みたいなもので、
アメリカが圧力をかければ容易に日本人移民の受け入れを拒絶させることができた時代だし
いわゆる、1929年10月のブラック・サーズデー(米ウォール街)の翌月、濱口内閣は大蔵省令で金本位(輸出解禁)を公布し、実施日を1930年1月としたが、これはタイミング的に最悪であり、国内経済大デフレを招き、倒産の嵐となった。間に満州事変の若槻礼二内閣を挟み、結局、犬養
木堂の政友会内閣が成立すると、蔵相、高橋是清によって、1931年、再び、金解禁から離脱となった。
世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これもおかしいと思う。
1932年のオタワ会議開催時点では、日本の景気は回復していない。
首相である浜口雄幸こそは暗殺されたものの、
蔵相は当然、万死に値する無能の井上準之助のままである。
高橋是清が登板したのは、政友会の犬養内閣が成立してからであり、
その高橋積極財政の効果が出始めたのは1934年辺りからだ。
現に、イギリス領インドへの綿製品輸出を巡って、イギリスとこの頃から対立が始まっている。
かつては日英同盟を結んでいた間柄だった日英が、なにゆえ対立関係となり、最後には戦争に至ったか?
それは、ワシントンや海軍の軍縮条約も勿論原因の一つとして有るが、
1934年辺りからのインドへの綿製品輸出問題が発端となっていると言っても過言ではない。
浜口雄幸と井上準之助にもし唯一評価すべき点が一つでも有ったとしたら、
不良品を作ってる不良企業を軒並み倒産、もしくは合併させて、優良商品を作れる企業に生まれ変わらせた事だけであろう。
(と言っても、それを実際に行ったのは民間の経営努力であり、
井上準之助たちの行動は「怪我の功名」「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな物でしかなかったのだが)
1930年の頃の日本企業と、1934年の頃の日本企業とでは、わずか4年とは言っても全然その中身は違っていた。
これは高度経済成長時代を連想すれば解りやすいだろう。
高度経済成長時代と言えば、わずか4年でも、企業が全然まるで異なるくらいに収益を挙げており、給料も大幅に増額されていた時代だった。
1930年の日本企業と1934年の日本企業とでは、
高度経済成長時代のように収益や給料が上がったかどうかは別にして、全く別の、
米英仏ソと争っても優位に立てるくらい、企業が見違えるように改善されていた。
井上準之助の唯一の功績だろう。
しかし、「経済の神様」高橋是清が、ここで大チョンボを始める。
「インフレを懸念したため」という理由で、1935年には早くも積極財政に歯止めをかけ始めたのだ。
真っ先にやり玉に挙げられたのが軍事費である。
これが226事件で、高橋是清が暗殺された原因である。
満州事変の軍需景気と、高橋積極財政によって、確かに都市部の景気は良くなった。
しかし、農村部にまでは、その好景気は波及していなかった。
陸軍の兵隊たちは、その農村部から送られた次男、三男以下の男たちを主軸としている。
軍事費の一部として、彼らに支払われる「給料」「人件費」は、
農村への「仕送り」として、慢性不況に苦しむ農村の唯一の資金源であった。
高橋是清は、その農村にとっての唯一の資金源を止めた。
兵隊たちの事を我が子、弟のように見なしていた青年将校たちが激怒したのは言うまでも無い。
226事件で決起した青年将校たちは、例外なく兵隊たちの故郷の窮状に心を痛め、農村を救わんがために決起したのだ。
高橋是清の死後、高橋が心配していたインフレ懸念など全く存在しなかった事が判明している。
高橋是清は「経済の神様」だったかも知らんが、絶対に間違いを犯さない全知全能ではなかったという事だ。
プア・ホワイトが叫んでいたのだろう。貧しい白人=後発移民。
アイルランド系が中心だったのではないかな。
富裕層が日系移民と競合する職種分野は無い訳で、ブルーカラー職となると、後発移民のアイルランドと言う事になる。
大帝陛下の独白録に移民排斥は言及があった。
ちなみに、オレゴン州と言えば、今、ポテトチップスに使われているジャガイモのほとんどがオレゴン産であり、
また、対米強硬外交を主張した、松岡洋右の故郷でもある。
松岡洋右の持論では、
『アメリカ人というのは、徹底的に殴り合わなければ、日本人の価値を認めない』
と言うのがあった。
もっと詳しく言うと、
たとえば、畑のあぜ道、人が一人通れれば良いような狭いあぜ道が有ったとする。
そこに日本人が一人、向こうからはアメリカ人が一人歩いてきた。
当然、譲り合うスペースは存在しない。
そんな場合どうするかというのが松岡洋右の謎かけである。
アメリカ体験者、松岡の答えは至極簡単、
『不意打ちでも良いから殴りかかれ』
というものだった。
『もしも日本人が臆して、または配慮を効かせて、あぜ道から落っこちるくらい道を寄せたとしても、
アメリカ人は感謝するどころか、より一層日本人の事を小馬鹿にするだけだからである』
松岡洋右の事を戦争狂とあざ笑うなかれ。
戦後の日米関係を見れば、日本がどんなにアメリカに譲歩しようとも、
アメリカ人にとっては、「そんな事は当たり前」であり、感謝のかの字も無い。
そして要求はますますエスカレートしている一方である。
松岡洋右の主張は、何も戦争狂のタワゴトでも何でもなく、アメリカ人の生態を鋭く突いて洞察した慧眼であったのだ。
支那事変が勃発している。
当然ながら軍事費はうなぎ登りに上がったが、高橋是清の心配していた、制御不可能なインフレなど起こっていない。
日本で、高橋是清が心配していた「制御不可能なほどのインフレ」が発生したのは、
敗戦時の焼け野原状態の時、大蔵省や企画庁、軍需省、特高警察などの統制が効かなくなってからである。
昭和20年の敗戦の年まで、日本の統制経済はうまく行っており、農村の経済状況も見違えるほど改善されていた。
農村地主の経済力も奪われ、小作人の多くが地主以上に儲かるように仕組みを変えられたのも、
実に戦時中の農林省による統制経済の賜物である。
「農地解放」と言えば、GHQの戦後改革の目玉の一つだが、
すでにその路線は、戦時下の日本によってあらかじめ準備、お膳立てされていたものであった。
むしろ、1935年からの高橋是清による軍事費削減は馬鹿げた政策であり、
226事件で彼が殺されなかったとしたら、
ルーズベルトのニューディール政策と同じく失敗に終わっていたであろう。
慢性不況に苦しむ農村を無視して、真の景気回復など不可能だからだ。
また、先ほども言ったように、226事件の一年半後には支那事変が勃発している。
支那兵が便衣兵とか卑怯な戦法を多様していた事は百も承知だが、
支那兵如きに苦戦する日本軍では困る。
「支那大陸は広い」と言うが、モンゴル民族や満州民族など、
日本軍より少ない人数で支那を支配した民族も歴史上には存在したのだ。
彼らに出来て、日本軍に出来ないはずがなかった。
歴史の後知恵となる事は百も承知だが、高橋是清がやるべき事は、軍事費の大幅な増額と、
都市部の好景気の恩恵がなかなか回ってこない農村の救済であったろう。
しかし、統制経済反対、自由経済万歳の高橋是清には、どだい無理だったと言える。
ワシントン海軍軍縮条約は当時天井知らずになっていたお互いの軍事費を抑止するための物なので理解できる。
しかし1930年代に日本が行った軍事費大幅削減期間は艦船や航空機など特に予算を食う海軍にとっては少数精鋭にせざるを得ず、その層の薄さはのちの太平洋の戦局にも尾を引く結果になったのでやはり時代を読み違えたと思います。
ことが起こってから慌てて増やしても間に合わないのは戦局が証明している。
ワシントン海軍軍縮条約が有ったからこそ、
ロンドンの海軍軍縮条約が有ったような物だし、
『前回譲歩したんだから、今回も譲歩したって良いだろ』
と米英にツッコミを与える要因となった。
その意味で悪しき前例を与えたと言える。
また、ワシントン海軍軍縮条約の際には、アメリカの太平洋艦隊なんぞタカが知れた程度しか存在しておらず、
ほとんどのアメリカ海軍は大西洋方面に集中していた。
ワシントン海軍軍縮条約は、アメリカの太平洋艦隊を強化させたという結果論では最悪の愚手だった。
もしも当時の人間にナチスドイツの台頭や、ファシスト=イタリアの興隆が解っていたら、
ワシントン海軍軍縮条約で、
「全加盟国を対等な条件(10:10:10:10:10)とするか、もしくは0にするか、二つに一つ、どっちか選べ」
と日本側は声を大にして主張出来たであろう。
恐らく米英の世論にも訴えかければ、0を選択するのが分かり切ってるので、
ドイツのUボート攻勢や、ロンドン海軍軍縮条約に加盟しなかったイタリア海軍の攻勢にイギリスが耐えきれるわけが無かったからだ。
仰る通り、ロンドン海軍軍縮条約の頃は、日本があんな物を受諾したせいで、
国内的には「統帥権干犯問題」を惹起し、
対外的には「層の薄さ」を路程、たった一度のミッドウェーの敗戦で、ベテランパイロットの多くを喪失し、
以降敗戦続きという結果を招来するに至ったので大失敗の政策だったと思われる。
片翼帰還の樫村機やな
ロンドン海軍軍縮条約(日本側補助艦艇、対米比0・69)
どっちも日本海軍の意向というよりも軍部の台頭や軍事費を抑えたいという
政治・財政面での考えで先導された面はありましたね。
もっとも同一比率にして保有し切れたかは別だけど。
当時、新天地への進出は周囲に有無を言わさぬ軍事力があってのもの。
それを削ったら二匹目のドジョウねらいの勢力に付け込まれるのは当然だわな。
>これもおかしいと
え?
私の文章の何処にも嘘は書いていない。
金の輸出再禁止は1931年の12月だ。
その意味は文字通り、金の兌換紙幣を止める布告、通達があった言う事で、その部分のセンテンス内の節としての内容はそれ以上でもそれ以下でも無い。
引用された拙文の何処をどう解釈しても、31年12月頃に景気が回復した、などとの主張を私がしている、などとの文章解釈にはならないはずだ。
私の主旨は欧米の囲い混み(ブロック)経済圏移行政策の標的は日本の輸出工業品目にあった、と言う事だ。
もう一度引用しておくよ?
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター ・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これはおかしい。
高橋蔵相の登板も、日本の景気回復も輸出攻勢もほとんど無関係に、
アメリカもイギリスもブロック経済化しているではないか。
それを指摘している。
私は是清翁じゃないのだよ。
何故なら、私はブロック化の原因は全て、日本の輸出にある、などと主張していない。
あなたは、私が主張していない事実を以て、おかしい、と仰せだ。
私も繰り返そう。私はブロック化の原因が、悉く、日本の輸出にある、などとは一言も申していない。
米英仏のブロック経済化は、日本の輸出攻勢への、
『カウンターアタック』(予防措置)
だったはずではないのだろうか?
(しかも、1932年時点では蔵相ではなかったし、未だ景気回復もしていなかったし、輸出攻勢も始まっていなかったのに「高橋是清」の名前まで持ち出して)
『ブロック化の原因は日本の輸出攻勢にことごとくあると書いたわけではない』
と仰るが、上記の文章ではそうとしか読めないし、
それ以前に高橋是清とか日本の輸出攻勢は、時期的にほぼ「全く無関係」の話であろう。
イギリスがオタワ会議を開催してブロック経済化を図ったのは、1932年の7月~8月である。
高橋是清が大蔵大臣に就任したのは1931年の12月だが、
まさかたった半年で高橋財政が奏功し、慌ててイギリスがブロック経済化に走ったわけではあるまい。
アメリカの関税法に至っては、高橋是清は大蔵大臣でも何でもなかった。
そもそも与党議員ですらなかった。
アメリカやイギリスは、日本の満州事変も国際連盟脱退も関係なく、
(むろん、高橋是清も日本の輸出攻勢も全く関係なく)
自分勝手にブロック化して、日本やドイツを苦しめて、「軍国化させた」としか言えないはずであろう。
スレ立て人としては、穏やかに進行させたいのだが、論争がお好きなのですかな。
k2Tニキの解説はアホなワイにもわかりやすくて良いと思うで。
主さん、あの戦争で他に疑問に思ってるところは?
別に論争の意思は無い。
ただ、米英仏のブロック経済化は、日本の情勢なんぞ全く無関係に行われた、言わば「既定路線」だったと思うだけだ。
満州事変ですら、イギリスのオタワ会議に全く影響を与えていないのに、
高橋是清が大蔵大臣になって輸出攻勢が始まったから『カウンターアタック(予防措置)』としてブロック経済化を行ったなどと書くのは、
あまりに日本という国を過大評価し過ぎていると感じる。
過小評価するのも問題だが、世界は日本中心に回っていたとする歴史観も問題があるのではないかと感じるだけだ。
しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
私は(陸軍首脳の)本土決戦の真意を知りたい。
と、申しても、私は阿南大臣を批判している訳ではない。心情的には陸軍に傾いている。
だから、余計に知りたい。
>しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
そもそもこの頃イタリアはすでに連合国に降伏していたのだが、
連合国はイタリアとの降伏条件を破っており、イタリアは内戦状態に陥っていた。
北部に設置されたドイツに味方する、ムッソリーニのイタリア社会共和国と、
南部に避難した、連合国の属国としてのイタリア王国の二つである。
イタリアは降伏するに当たって様々な条件を付したのだが、連合国がその条件を守ることはなかった。
結果、イタリア半島の多くはドイツ軍が支配する所となっている。
阿南陸軍大臣が強調したのは、イタリアが約束違反されて酷い目に遭っているという点だった。
連合軍は、戦争犯罪人の処罰、日本軍の武装解除、保障占領までも要求していたのだが、
特に受け入れがたかったのが、「武装解除」の問題であった。
また、天皇の身の安全、地位の保障が一字一句書いていない事も、阿南陸軍大臣の不安を誘う要因であった。
「天皇も戦争犯罪人である」とされて処罰されてしまっては、あの世で天皇陛下のためにと亡くなった将兵たちに会わせる顔がなかったろう。
そのためにも、天皇の身の安全と地位の保障、「国体護持」が確証できるまで、武装は解除できないと言うのが阿南陸軍大臣の主張だった。
『もしも武装解除してしまったあと、連合軍が無茶苦茶なことをやり始めたら、
それでは約束が違うといくら口先で抗議しても全く無力である。
イタリアの先例もあるゆえ、その轍を踏んではいけない』
これが阿南陸相の主張だった。
そして、実際に阿南陸軍大臣の懸念は大当たりに当たったと言える。
戦後、日本に進駐してきたGHQは、憲法から教育勅語から民法・刑法の改革、
そして治安維持法の廃止や共産党員の出獄、特高警察の廃止、農地解放、財閥解体などなど、
好き勝手に日本の弱体化政策を推し進めた。
こんなこと、ポツダム宣言にすら書いていなかったことである。
阿南陸軍大臣の心配は杞憂どころか、大いに当たったことになるし、
GHQのこの改革のせいで、21世紀の今になっても日本は苦しめられているとも言える。
阿南陸相は実はソ連シンパであり、戦争を長引かせる事によってソ連による日本占領を成功させたかったという説が有るのだとか
阿南陸相に限らず、当時の陸軍や高級官僚の間では、ソ連シンパはかなり多かった
自身社会主義者であった近衛文麿ですら、右翼とか革新官僚と呼ばれる連中の中にすら極左のソ連シンパが紛れ込んでいた事を指摘していた
これが成立したのは南ベトナムの国境は当然ながら、北ベトナムに接しており、ハノイのホー・チ・ミン政権からの後詰めが期待出来たからだ。
そうして、ベトコン・ゲリラの実質オーナーであるハノイの北ベトナム政府にはソ連と共産党・中国の支援があった。
だから、米軍はサイゴン政権を支え切る事が出来なかった。
或いは朝鮮動乱に於ける北朝鮮の後詰めにも中国とソ連が控えていた。
ところが、1945年8月15日の我が大日本帝國には誰もいないのである。
どんな、目標でゲリラ戦を続けるつもりだったのだろう?
日本の綿製品の競争力が動機の根底に無かった、とは立証出来ない。
よく、調べてみなさい。
もちろん、「無かった」とは言えない。
が、ほとんど考慮の対象外であり、イギリスは、今の日本が25年間不景気であるのと同じように、
第一次世界大戦が終わってから、大蔵大臣に適任者を得ず、ずっと不景気続きだったのだ。
ちなみに、20年代には、「戦争狂」チャーチルも大蔵大臣を勤めて、大々的な軍縮に取り組んでいる。
第二次大戦でイギリスがドイツに苦戦を強いられたのは、チャーチルの軍縮のせいである。
経済学者のケインズが、チャーチル”大蔵大臣”の無能さを批判したのは有名。
つまり、イギリスは日本の事を云々言う以前に、世界大恐慌以前からずっと不況が続いていた。
それを考慮に入れておかねばならない。
インドではなく、インドネシアの間違いではなかろうか?
また『1932年』の話ではなく、『1933年』の話では?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog486.html
詳しくはここに書いてある。
え?
ありがとー。
初見ですな。
1933でした。同年、日印通商条約の破棄を通告されている。
申し訳ない。1932にダンピング云々の指摘があり、インドが動いたのが33年。
だが、ここは大東亜戦争を論じるスレである。
文章の主語に仮に、擬人化された「日本」とか「日本政府」と言う文言が使われる場合、主観的叙述になる場合もある。
だからといって、日本を中心に世界が回っている、と考えている訳ではない。
あれ(20年代の投資熱)はバブルだったの?
バブルですね。
しかも商工業だけの。
アメリカの農村は、すでに1920年代の後半から不況が見え隠れしていましたから。
当時輸出を伸ばしつつあった日本が割を食った状態になり大打撃をうけた。
特に当時イギリスに代わり伸びの多かった綿製品が打撃をうけた。
そして日本は対ソの防波堤として整えつつあった満州から中国にその伸び代を求めた。
という理解でOK?
大東亜(太平洋)戦争の開戦理由を探求するとき、いきなり南仏印進駐とハルノートから話が始まる方が多いなか
世界恐慌後の経済政策から順序立てて考察するこのスレは評価します。
その理解が正しいと思います。
日本の満州事変も支那事変も関係なく、すでに日本は世界市場を失っていました。
アメリカもイギリスもフランスもソ連も保護貿易、市場閉鎖に走っており、日本は輸出先を失っていたのです。
ドイツもヒトラー政権の成立関係無しに、同じく世界との貿易市場を失っていました。
結果、日本は満州や中国市場に進出していくようになり、ドイツは東欧諸国とソ連に生存権を求めたという訳です。
戦後、これらの反省を踏まえて、ケインズやホワイト(ハルノートの本物の生みの親)が作ったのが「GATT」です。
GATT体制により、日本は心配なく海外と輸出入できるようになったのです。
もしもGATT体制が1929年の世界大恐慌の頃に存在していたら、日本の大陸進出も、ナチスドイツの成立も、第二次大戦も起こらなかったかも知れません。
「ああ見せて実は講話派だった」
「いややはり徹底抗戦派だった」など諸説色々で実際のところは本人自決の為分からないままなのですが、
どう考えても昭和20年夏の時点の戦局が本土決戦で巻き返せるようなものではないことは当然理解していたでしょう。
現在の感覚からするとサイパン島が維持できなかった時点でもう講話をしないと手遅れだろ、と私ならおもうのですが
日清、日露、WW1と勝って来た当時の日本軍でなかなかそうはできなかったのだろうと思います。
ソ連を仲介役に講話をという動きも日本側にはあったようですが、情勢が見えてなかったんでしょうね。
この会談でルーズベルト大統領は「無条件降伏」に固執して、チャーチルを困らせた。
この会談のせいで、ヒトラーやドイツ軍参謀たちは絶望、反ヒトラーの将軍たちも絶望し、
俄然ドイツ軍の抵抗が強まって、連合軍の被害者が増えたことを、のちに大統領にもなったアイゼンハワーが批判している。
日本側もカサブランカ会談の結果には失望し、抵抗が強まったことは、長年駐日大使を勤めていたグルーが批判している。
「無条件降伏」なんて受諾したら、国民の全てが奴隷となっても文句が言えない。
そんな条件を受諾出来るはずがない。
はっきり言って、ルーズベルトは狂人だった。
しかもスターリンに恋する乙女の。
日独を叩き潰すことによって、彼は世界中に共産主義思想をまき散らすことに貢献した。
ルーズベルト政権の周囲には、共産主義者ばっかりだったことは、のちのマッカーシーの赤狩りの際に判明している。
ルーズベルト自身も、スターリンに心酔し、スターリンの五カ年計画に影響を受けてニューディール政策を行うほどのスターリン狂だった。
そんな狂人がアメリカ大統領を勤めていたのが、人類史上の不幸と言って良い。
ルーズベルトが死んでトルーマンが新アメリカ大統領になったときを好機として
講話に利用できなかったんでしょうか?
まず、ルーズベルトが生きている間のトルーマンと言えば、
非常に「陰の薄い人」で、「近所の薬局屋のオヤジ」と陰口を叩かれていたような人物でした。
そもそもルーズベルトはトルーマンに大して強い期待を持ってなかったようで、
マンハッタン計画(原爆開発計画)ですらも、トルーマンには内緒にしていたそうです。
そんなトルーマンは、
『俺様は薬局屋のオヤジなんかじゃない!』
『俺様は強いオトコなんだ!』
と是が非でも示さなければならず、
「原爆投下するまで、日本を降伏させるな」
と指示を下したくらいです。
元々あなたが仰った通り、サイパン島が落ちて「絶対国防圏」が破られた時点で日本の敗戦は確定的であり、
駐日大使を長く勤めたグルーなどは、
『天皇の身の安全と地位の保証をすれば、日本は一も二も無くすぐ降伏するだろう』
と再三再四警告していました。
「無条件降伏」に固執していたルーズベルトには受け入れられませんでしたし、
ポツダム宣言の草案の中にはグルーの忠告通り天皇の身の安全と地位の保証が盛り込まれていたのですが、
トルーマンは原爆投下を敢行するために敢えて削除したと言います。
『高い金を払って作った原爆を、人体実験もしないで戦争を終わらせるのはもったいない』
『ついでに、俺様は薬局屋のつまらないオヤジじゃない!強いオトコなのだ!』
この二つの意図があって、ウラン製とプルトニウム製両方の原爆投下が終了するまで、
日本の降伏を受諾するつもりは毛頭無かったと
詳しい解説ありがとうございます。
チャイナをうまいこと使って日本を疲弊する戦争に誘い込み太平洋ミクロネシア以北の
権益を手に入れたアメリカがそんなに甘いわけないですね。
仮に原爆投下前にポツダム宣言受諾していても黙殺されたかもしれませんね。
国連憲章の53条の1項、敵国条項はチャイナが悪用しようとしているようですね。
ちなみに原爆投下命令は、ポツダム宣言発表の一日前に下されています。
ポツダム宣言を無視したから原爆投下されたのではなく、元々原爆投下は既定路線だったのです。
「条件闘争」のつもりで戦争に臨んでいた。
条件が折り合えば講和も当然有り得た。
現にヒトラーは何度もイギリスに講和の打診をしている。
日本もシンガポールの陥落以降から、スイスやスウェーデンなどを介して和平工作は何度か試みている。
対中国の蒋介石政権相手には、大小合わせて300回もの和平提案を行ったことが、蒋介石の回顧録に書いてある。
これは蒋介石が把握している限りの数字であり、現地軍同士での手打ちや一時的停戦協定などを加えればもっと数が増すだろう。
その「条件闘争」の可能性を奪い去ったのが、1943年のカサブランカ会談だった。
日本とドイツにとっては、カサブランカ会談とルーズベルトは、憎んでも憎み足りないほどである。
で言及されている枢軸国側からの講話への動きがほとんど知らされることなく、
「暴走した枢軸国軍部は無謀な戦いへと突き進んだ」的に語られる報道には違和感を感じます。
戦勝国の歴史観では、日独は「永遠の巨悪」じゃないとならないので……
自分たちが追い詰めに追い詰めた結果だったと解ってしまったら、自分たちの正義が揺らぎます
国際連合が、常任理事国を見ても戦勝国クラブであるように、戦後の世界秩序は、
「連合国=善」「枢軸国=悪」
というものですので
未だに国際連合には「敗戦国条項」というのがあって、日独は差別されています
そもそも「国際連合」という訳語が大間違いの誤訳と言っても良いくらいです
国際連合の英訳はUnited Nationsですが、実はこれ、
第二次世界大戦中の「連合国」を指す言葉なのです
元々枢軸国だったはずの日本が「連合国に加盟します」じゃ体裁が悪かったのか、
外務省が「国際連合」などという「誤訳」をして今に至るというわけです
外務省は、ちょくちょくこういう「誤訳」をしてみせます
日本の歴史教科書では国際連盟と国際連合と言うように表記を区別して別組織として指導していますが、
英文表記ではどちらも同じUnited Nationsなのですか?それとも組織自体同じものという扱いなのですか?
国際連盟と国際連合は組織自体違いますよ。
国際連盟の英語訳はLeague of Nations。
国際連合の英語訳はUnited Nations。
で、このUnited Nationsという表記は、第二次世界大戦の時には「連合国」の意味合いで用いられていました。
常任理事国の五大国を見ても、第二次世界大戦の戦勝国がズラリ並んでおります。
おまけに「敗戦国条項」の存在です。
そういえばそうですね。
じぶんでも国連憲章のこと言っときながら失礼しました。
戦後の世界秩序を担う戦勝5大国でしたね
「大東亜共栄圏」構想と言うが、その真実は「東洋制覇」であると思う。
だって、多国間秩序を維持するには、戦国大名の領国経営と同じで、支城(国境ボーダーの砦)と大名居城(後詰め支援の供給元)のような安全保障のシステムの確立が不可欠だ。
抵抗する諸勢力を排除し、ユーラシアの一画に複数の民族、国家群を包含する政治・経済・軍事の共同体を構築するとは、ユーラシアに於けるその地域の制覇業に他ならない。
これは紛れも無く「征服事業」である。
良い事か悪い事かは、別にして、だよ。
ブラックホールと申すか、巨大な低気圧の渦の中心と言うか、ユーラシアに於けるその一画の力の空洞は、隣接する我が国の帝国主義(高気圧)によって、埋められ、不均衡が相殺されるのは自然科学的、物理学的法則性に適合する現象であったと思う。
チンギス・ハーンやヌルハチに率いられた遊牧民が歴史上、支那の力の空洞を埋めたのと同じ必然性があった、言う謂いだよ。
しかし、ユーラシア鳥瞰的見地に立てば、日本の東洋制覇業に対する排他主義に他ならない。
民族の坩堝内で渦巻く葛藤の様こそが支那の常態ではあるまいか?
現状の支那の世論形成は20世紀特有の時代精神(国民国家のナショナリズムの熱狂)によって拡大鏡を当てられ、等身大以上に存在権を主張する流行トレンドとなったのであり、歴史俯瞰的に思い返せば、伝統的な支那の感受性とは思われないのである。
日本が莫大な資金を費やして対共の緩衝地帯として満州国を整え維持していたのを第二次大戦終結によって中国に組み込んだ結果、
それまで日本が北東アジアで担っていたロシアへの防波堤役を現在に至るまでアメリカ自ら朝鮮半島で行なうあり様になったわけですが、
こうなることをあのしたたかなアメリカが予見できなかったのでしょうか?
第二次大戦中も中露には散々武器支援等していたのにそれが後々自分に向かってくる様は、
反政府ゲリラに武器支援してたら巡り巡ってアメリカに攻撃してくるようになった現在の状態にも似ていますね。
よろしくお願いします
予見できたアメリカ人も当然いましたが、
国家権力を握っていたアメリカ人、
例えばルーズベルト(大統領)とか、
コーデル・ハル(国務長官)
ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)
ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)
などなどの権力者たちが、こぞって予見出来ない人間ばかりだったのです。
例えば、ルーズベルトの前の大統領、フーバー元大統領などはこう言っています。
『もしもアメリカが、イギリスの口車に乗せられて日独を叩き潰してしまったら、ソ連の共産主義が世界中に波及する羽目となるであろう』
(ちなみに、フーバーは経済面以外では、戦前のアメリカ歴代大統領の中ではかなりマトモで先見性のある政治家でした。
とりたてて反日という訳でもありませんでしたし)
結果的に、フーバーの予言通り、共産主義の防波堤を叩き壊してしまった結果、
世界中にソ連の共産主義を広める結果となります。
満州事変の頃、中国に滞在していたジョン・マクマリーも、満州事変の原因を完璧に洞察して、アメリカ本国に報告しています。
つまり、満州事変は『中国が悪い』のであり、
日本に対する、あまりにもしつこい、そしてポーツマス条約違反の排日・侮日・抗日運動に対して、関東軍が立ち上がったのが満州事変であったと。
そして、排日・侮日・抗日運動に参加している中国人以外の人々にとっては、
関東軍のこの決起は拍手喝采で迎えられたことであるということもマクマリーは報告しています。
元々満州には分離独立を望む勢力が強く存在しており、
また、中国大陸の内乱に巻き込まれたくないと考える勢力も強く居りました。
さらに、中国人の軍閥は重税に次ぐ重税を課してくるのに対して、
日本の治める関東州と満鉄付属地だけは、税金は安く、一年に一度だけ納めれば良く、
治安も安定していて、戦乱続きの中国大陸の中では桃源郷の如く安定していたことも記載してあります。
元々中国人は、万里の長城の北側に位置する満州など無視して顧みていなかったにも関わらず、
日本の努力によって近代化し始めると、途端に条約を破って『満州を返せ』と言い出したことも書いてあります。
結局マクマリーの結論としては、
「日本の行動は侵略ではない」
「中国人が自ら求めた災いだ」
「アメリカは日本に経済制裁を科したりして追い詰めてはいけない」
「むしろ、日本の目を永遠に北に向けさせ続け、ソ連と衝突するように工夫しなければならない」
そういう物でした。
当然のように、アメリカ本国の国務省は聞く耳を持たなかったのですが。
読みやすくてわかりやすいので参考になります。
ところで
もし桂ハリマン覚書が締結されてアメリカ資本が満州に入っていたらその後の大陸での動きや後々の戦争などどうなったとみますか?
多分、日米の資本力・工業力の差から言って、
強引に日本は利権を奪われていたと思われます。
小村寿太郎が危惧した通りですね。
現に、アメリカには危惧させる要素が山ほど有りました。
アメリカはこの頃、コロンビア領土のパナマ地峡を強引に切り離し独立宣言させました(1903年)
そしてそこに運河を建設し、パナマ政府から租借するという形で強引に奪ってしまったのです(1914年完成、パナマ政府に返還されたのは1999年!)
米西戦争(1898年)も、スペインがアメリカの強要に屈して、妥協しようとしたのですが、
アメリカは強引に戦争に持って行き、キューバやフィリピンなどのスペイン植民地を奪ってしまいました。
小村寿太郎の心配は、決して杞憂ではなかったのです。
また、この当時のアメリカは、イギリスを嫌っており、日英同盟を結んでいる日本も、
「敵の片割れ」くらいの扱いでした。
だからこそ、「オレンジ計画」みたいな対日本戦略プランを立てられたのですね。
当時の日本に、アメリカを敵に回せる国力など無かったのですけどね。
大陸での史実程日本が勢力を拡大出来ないという方向で幸か不幸か後々の日中戦争からの大東亜戦争も発生しないかもしれませんが、代わりに大陸内で米、露、日本の紛争が起きたかもしれませんね。
WW1のアジア戦線にも米軍が参加してドイツと戦ったらアジア太平洋の日本の権益は史実程伸びなかったでしょうね。
昭和の初頭の首相を勤めた、陸軍出身の田中義一総理が、昭和天皇に対して上奏したという体裁で、
『世界征服こそが明治天皇の遺訓であり、世界征服の手始めとして支那大陸征服があり、その前段階として満州征服がある』
とかいう内容の文書です。
すでに亡くなっている「山縣有朋」の名前が、さも生きているかのように出てきたり、
存命中の人物であっても役職が違っていたり、そもそも日本にそんな名前の役職が存在しなかったり、
日本人が読めば一瞬で「偽書」と判定できる内容の与太話なのですが、
世界の人々は、この恐らく中国人が適当にでっち上げた与太話を信じました。
中でも堅く信じ込んだのが、アメリカ大統領のフランクリン=ルーズベルトだったというのですから、人類史上の不幸としか言いようが有りません。
アメリカのマスコミ、特に、マスコミ王と呼ばれたウィリアム=ハーストもまた、この与太話を真剣に信じ込み、
連日のように、「田中上奏文」を流し、日本人が世界征服を狙っていると大宣伝しました。
そもそもハーストは最低のゲス男で、
『新聞の売り上げ向上のためだったら国家を戦争にだって導く』
と言い放った人物なのですが、ハースト系新聞社がアメリカ人に与えた影響力は甚大でした。
田中上奏文は、ユダヤ人を迫害するために、ロシアの憲兵か何かがでっち上げたという、
『シオン長老の議定書』と同じくらい、日本人に害悪を与えた文書です。
ひどいですね、支那大陸制覇ですか。
日中戦争時の日本軍を中国全土侵略への止まらぬ暴走のようにに評する方もおられますが、当時の軍部が自国の国力を鑑みた時に、大陸内全土を支配地域として掌握するのは無理だということは理解出来ていたと思います。
なればこその早期南京攻略、停戦交渉だったとおもいますが。
その辺を歪曲されて報道されているおかげでかなり無謀なイメージを持たれていますね。
日独が無条件降伏するまで徹底的に戦うと米英で取り決めたとのことですが、
もともとの国力の大きい上に戦争による軍需物資の好景気やレンドリース法による貸与売却益で巨額の利益が出るアメリカは良いとしても、
すでに斜陽となっていたイギリスやすでに国土を占領されているフランス、オランダなどは戦争が長引けば長引くほど仮に勝利したとしても
経済的には疲弊してしまうのではないでしょうか?
それともイギリスをおとしめて結果、大戦の一人勝ちこそがアメリカの狙いでもあったのでしょうか?
そもそも、イギリスのチャーチルは「アホだった」事をご理解頂かねばなりません。
チャーチルと言えば、大戦回顧録でノーベル文学賞を受賞した人物ですが、政治家としては「無能」です。
ハッキリ言えば「売国奴」であり、ただの「戦争狂」です。
「政治は結果責任」ということわざが有りますね?
その結果責任という言葉が正しければ、チャーチルの評価はそのように最低の物としかなりません。
続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
ナチスドイツを叩き潰すために「悪魔=ソ連」と手を結んだくらいですから。
ルーズベルトの提案に反対するはずも有りません。
チャーチルは反共産主義で、ソ連やレーニン、スターリンも大嫌いでしたが、
ナチスドイツとヒトラーはそれ以上に大嫌いでした。
少なくとも、ヒトラーからの和平提案を何十回も拒絶するほどには。
そして、アメリカですが、ルーズベルト一個人はただの阿呆なのでそこまで深謀遠慮を働かせていたかは疑問なのですが、
(何せ、ルーズベルトは
「スターリンの望む物を与え、こちらから何も要求しなければ、彼はこちらの思い通りになるだろう」
とか考えてた、共産主義に対する無警戒人間だったので)
「大戦の一人勝ち」を狙っていたのは確かです。
前の大戦、すなわち第一次世界大戦の時、
アメリカのウィルソン大統領は、ただ口綺麗な理想をぶち上げただけで、
何の領土の切れ端も、植民地も獲得出来ませんでした。
死傷者を出しただけで何らの国益も手に出来なかった事にアメリカ人は激怒し、
以降「ヨーロッパの揉め事に口を出すな」という孤立主義が盛んになったのは有名な話です。
ルーズベルト政権の閣僚たちはウィルソンの失敗をよく知ってます(同じアメリカ民主党)から、
ウィルソンの失敗の轍を踏まないように、アメリカ一人勝ちの戦略を練ったというわけです。
しかし、政権はともかくとして、ルーズベルトが根本的に共産主義贔屓で馬鹿だったので、
結局「一人勝ち」したのは、アメリカではなく、東欧と中国を共産化したソ連でした。
チャーチルの阿呆さと売国奴っぷりは、この本に詳しいです。
日本人がよく知らない、【アメリカから見た欧州大戦】の視点を与えてくれます。
筆者はパトリック・ブキャナン。
共和党の大統領候補にもなりかけた、アメリカを代表する「保守派」の論客です。
そしてイラク戦争を主導したネオコンを痛烈に批判。
ネオコンとは、neo conservative(新保守主義)の意味を持ちますが、
真のアメリカの保守を自認するブキャナンから見れば、ネオコンとはトロツキーの世界同時革命の焼き直しにしか見えなかったのですね。
「中東民主化ドミノ理論」とか、トロツキーの世界同時革命の焼き直しに過ぎません。
そして、そんなネオコンが賛美するのがチャーチルだったので、必然的にチャーチル批判の書に仕上がっています。
図書館に置いてあると思いますので御一読をお勧めします。
>続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
>「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater Dead %
Africa 16.066 0,3 ←アフリカ戦線ww
Balkans 103.693 1,9
North 30.165 0,6
West 339.957 6,4
Italy 150.660 2,8
Eastern Front
(- Dec 1944) 2.742.909 51,6 ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045 23,1 ←頼もしいよなぁ♪
Various 245.561 4,6
Total 4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
ソビエト赤軍の死傷者が突出しているのは、
何もソ連軍が勇猛果敢な戦いぶりを見せたからじゃないですから。
冬戦争や独ソ戦初期の頃は、スターリンの無茶苦茶な戦略指導によって大勢の捕虜や裏切り者を出し、
後半も後半で、大事な局面に限って余計な口を挟みまくったお陰で、
勝てる戦いを逸した事が何度有った事か……
そもそも、イギリス軍やアメリカ軍による「レンド・リース」が無ければ、戦争の続行すら出来なかったスターリンとソ連には、
偉そうな口を叩く資格は無いですね。
第一次大戦後、日本が中華民国に対して提示した「対華21か条要求」(1914年)というのがありますが、
第1から第4項は戦勝国として認められたものの、
これの第五項「中華民国内の官権、軍、産業の中枢に日本人顧問を据えさせ兵器等は日本から購入」は
直接の交戦国ではない中華民国に対していささか強気に過ぎ、かえって欧米の日本に対する警戒感を引き上げてしまう結果になり
勇み足だったと思うのですが、この点どのように考察されますか?
第一次大戦後 ×
欧州ではまだ戦争継続中でしたね(WW1・1914~1918)失礼しました
第五項目はまず「希望条項」であり、拒絶されても日本としては別に困る内容でなかったことをご理解頂かねばなりません。
第一条から第四条までの「要求条項」とは異なるのです。
実際、第五項目は後に日本政府自身によって、公式に撤回されています。
次に、この対華二十一箇条要求(以下「要求」で統一します)そのものについて、です。
この「要求」ですが、実は日本政府から希望した物ではなく、袁世凱政府が希望した物であることが最近の研究で解っています。
まず、袁世凱は清国皇帝に取って代わって、支那大陸の「皇帝」になりたかった野心を抱いていました。
その為にも、己の即位を邪魔されないように、諸外国に媚びを売っておく必要が有ったのです。
対華二十一箇条要求も、日本に対する媚びへつらいみたいな物です。
そして「要求」という表現。
これまた、日本側がそのような文言にしたのではなく、袁世凱の側が「そうしてください」と頼んだというのが実態のようです。
『私は反対したのだが、日本側に力によって詰め寄られたので仕方なく締結した』
という体裁にしたかったのですね。
日本側は、それを中国側が望むのならという理由で易々と「要求」という文言に取り替えてしまったようです。
こんな日本に不利な物に易々と日本側が同意してしまったのは、大金が動いて賄賂が贈られたからだとも言われます。
一方で、袁世凱政府は、中国国内、及び世界中に向かって、
『日本が侵略欲、帝国主義の野望をむき出しにして我が国をイジメている!』
と大宣伝したと。
袁世凱謀略説に基づく考察はこちら
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100929/1285712786
一方、孫文黒幕説もあります。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1911-20/1915_taika_21.html
孫文と言うと、日本人はなぜか立派で素晴らしい人間かのように思いがちですが、
実際には、共産主義に警戒感のない「口先詐欺師」でした。
対華二十一箇条要求の内、実に16カ条の「要求」は、孫文が案を起草しています。
まず、孫文と袁世凱は対立しており、
袁世凱政府がいくら困ろうとも、孫文としては痛くもかゆくもなかったこと。
次いで、孫文は中華民国の首都北京に居らず、
当然ながら満州も北京周辺も支配していないので、
いくら北京周辺や満州を切り売りしても、これまた孫文の懐は一切痛まないわけです。
山縣有朋や頭山満、北一輝などが、
「孫文は詐欺師だ」と警戒し、支援を打ち切ったのも、もっともな話です。
あまりに「空手形」を濫発しまくったせいで日本人の支援と信頼を失った孫文は、
成立したばかりのソ連と中国共産党に抱きつくというとんでもない暴挙に出ます。
孫文とは、革命さえできれば誰とでも組むし、どんな空手形も濫発するし、
どんな売国的なことを行っても一向に構わなかった最低の節操なしの男だったと言えます。
いつもながら丁寧な解説ありがとうございます。
おっしゃる様に日本側もこの第5項は流石に盛り込みすぎというのを承知していて、
欧米との事前すり合わせにも出していなかった様ですね。中華民国側にバラされてしまいますが。
取り下げになったとはいえ、やはり日本に大陸進出の明確な意思ありと諸外国に思わせるには
十分な内容だったと思います。
己が支配のために外敵である日本をも利用するところなどさすが中国4千年、謀略と粛清の国という感ありますね。
傀儡のスカスカ国家になってしまうのに分からないんでしょうね。
戦後70年、黒船来航から162年。
太平洋をめぐる日米の戦いは形こそ違えど現在も継続中だということを忘れてはいけませんね。
軍事的には同盟国ですが、経済面での攻防など気は抜けません。
軍事的にも、アメリカは信用できるかどうか……
何せ、
『在日米軍は日本を守るために存在しているのではない。日本が再び軍事大国化しないために”瓶の蓋”として存在しているのだ』
とアメリカ側は言っているくらいですから。
沖縄の海兵隊司令官だったヘンリー・スタックポールとか、キッシンジャー元国務長官とか。
1999年にアメリカでアンケートが行われたそうですが、
「日米安保の存在意義」について、実にアメリカ人の49%が、
【日本封じ込めのため】
と答えています。
「日本防衛」と答えたのは【12%】という時点で、アメリカ人の本音が解ります。
1999年と言えば、すでに中国が軍事力増強に力を入れ始めて、毎年二桁増の軍事費を繰り返していた頃なのですが、
中国よりも、すでに十年近く不景気に苦しんでいた日本の方が、警戒に値すると考えられていたのでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%A8%E3%A2%E3%A1%E3%AA%E3%AB%E5%88%E8%A1%E5%9B%BD%E3%A8%E3%AE%E9%93%E3%AE%E7%9B%B8%E4%BA%E5%8D%E5%8A%9B%E5%8F%8A%E3%B3%E5%AE%E5%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84
そう言えば今日、安倍晋三が「安倍談話」を出しましたね?
あんなに破棄を期待されていたのに、河野談話と村山談話の踏襲をしたような談話でした。
なぜか?
http://toyokeizai.net/articles/-/12157
答えは2年半ほど前の安倍政権成立の時、すでにアメリカのマイケル・グリーンが語っています。
マイケル・グリーンとは、前のブッシュJr政権で「日本・朝鮮部長」を勤めた知日派アメリカ人です。
その彼が言うには、
・尖閣諸島への自衛隊配備
・河野談話の見直し
・(前二者よりは優先順位は下がるが)靖国神社参拝
この三つを行うと、日本は中国や韓国の信頼を失い、仲が悪くなるのは当然として、
【アメリカやオーストラリアとの仲も悪化する】
とマイケル・グリーンは述べています。
そして、安倍政権の行動は、マイケル・グリーンの忠告(恫喝?)を忠実に守っています。
つまり日本は、尖閣諸島を守るために自衛隊を配備することも許されていないし、
河野談話の見直しや、靖国神社で英霊の方々の顕彰や奉献を行うことも許されていないのですね。
「同盟国」という名前で、がんじがらめに日本を縛りつけているのがアメリカと言えます。
アメリカの腹心、当然いろいろあるとは思いますが現状日本の敵対勢力への強力な抑止力でもあり、
はしご外されない様に注意しつつやっていくしかないかと思います。
ところで主さん、そろそろあったまってきたところでこのスレの方向性というか運営の舵取りみたいなのを提示して欲しいのですが。
例えば
① 大東亜戦争こうすれば勝てた
② 大東亜戦争どうしてこうなった
③ 大東亜戦争こいつがわるかった
など、どんな方向でやっていきたいのかまだ定まってないので。
ココは主さんのスレなのでなるべく意向に沿った方向で進めようかと思います。
①②③全てオーケーです。
敢えて、数レス前に私は③に該当するカキコを連レスしましたが、>>95–>>103は少し、過激なもの言いだったと反省しています。
①②③どの角度からでも、御自由に議論なさって下さい。私は個人的には①が好きなんですが、それに特に拘泥するつもりはありません。
ついでに君はこれを書いた同一人物かね?
歴史板で政治に触れるのは「板違い」で「スレ違い」だと言うのなら、これをも批判しなければ辻褄が合わないぞ?
ついでに俺は、この君の書き込みに全面的な賛意を示したそのスレの>>94でもある。
歴史問題と政治の問題とは切っても切り離せない関係に在る。
日本国憲法成立の歴史について触れれば、
必然的に現憲法批判か、現憲法擁護のどっちかにしかならないのを見れば自明ではないか。
これはGHQの統治時代や、南京大虐殺問題を語るに当たって、
「法律や条約について語るのは板違い」
などと言い出してるのと同じなのだが。
戦時国際法や、ポツダム宣言などの国家間条約を根拠にしなければGHQの統治を肯定も否定も出来ないし、
南京大虐殺論争についても肯定も否定も出来ないではないか。
これはもう富岡製糸工場あたりから考察しないとなのか?
あかん、スレタイからどんどん遠くなっていく…
大東亜戦争を考察するには、
実際『ペリーの黒船』から考察しなければ、見えてきませんからねぇ。
「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長、西尾幹二などは、
【日米百年戦争】
という言葉を用いています。
ペリーは、日本にやってきた際、江戸幕府の役人が、
「長崎に回航してくれ」
と要求したのを無視。
悠々と江戸湾に侵入した上、幕府の役人に、
『戦うつもりなら相手になってやる』
と発言、そして白旗を差し出して、
『もし戦う意欲を無くしたらコイツを振れば砲撃を止めてやる』
と語ったという話が有ります。
アメリカは、日本との出会いの最初から高圧的だったと。
安倍晋三が、アメリカの議会で、
『民主主義のチャンピオン』だの、
『アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった』だの、
好き勝手放題言ってましたけど、あんなの嘘ですよ。
日本はペリーと出会った事で、否応なしに「帝国主義」の火の中に放り込まれたのです。
だから正確に言うなら、
『アメリカとの出会いは、帝国主義と侵略主義との出会いでした』
と言わねばならないはずですね。
ともに客観的な視座の政府の自己総括がなされていない、と言う点も共通している。
為政者と申すものは敗戦を客観的に分析し、公に言質を与えた場合、統治力の源泉が致命的に毀損される、と言う事が本能的に分かるのだろうね。
人口に膾炙している如くの「戦争責任」ではなく、「敗北に関する責任」である。
誰に対してか?勿論、國民だ。
極東軍事法廷は右の「敗北責任」の「仮想・國民法廷」とは全く、原告と罪状が異なる。
國家公務員を裁く模擬・國民裁判と言う思考実験、シミュレーションである。
主に被告は海軍であろうか?
或いは外務省であろうか?
私は後者が相当に罪が重いように思う。
『敗戦に至った結果への責任論』
と言えば、昭和天皇はどうなの?
1931年の満州事変から、1945年の終戦まで、
一貫して続いていた権力者と言えば、昭和天皇しか存在しないのだけど。
大日本帝国憲法では、全ての権力は、または権力の源泉は天皇に在るかのように定められていた。
大きく二分して、統治権も統帥権も天皇が握っていることになっていた。
昭和天皇の戦争責任、敗戦に導いた責任は、決して小さい物ではないのでは?
次いで、その統治権と統帥権の双方を握っているはずの昭和天皇に、
イギリス式の、
「君臨すれども統治せず」
の統治方法をレクチャーした、元老の西園寺公望。
西園寺公望は軍人上がりの元老ではない。
従って統帥権の理解に対して浅い、浅薄な所が有ったのではないか?
「統治権」の遂行者としての【天皇陛下】としてならば、
「君臨すれども統治せず」
は正しいかも知れない。
しかし、「統帥権」の遂行者としての【大元帥陛下】としては、
「君臨すれども統治せず」
は間違いだったのではないか?
少なくとも、統帥権の源泉である昭和天皇が軍部を叱り飛ばさないで、
一体日本人の中で誰が軍部を抑制出来たと言うのだろう?
もし仮に現在の自衛隊が自衛戦争で戦い負けたとしても天皇の戦争責任は無くて当然と思いますが、大日本帝国憲法下においては
これは日本国ならびに日本軍のトップですからその責任を問う問わぬは別として戦争責任はあると思います。
それはおかしい。
大臣、総長、総監の人事的三長官合意を陛下が覆(くつがえ)すのは、余程の例外的干渉であって、恣意的に介入出来るなら、陛下の御心痛もどれ程、緩和された事だろう。
御在位中、一度あるか無いかの危急存亡の御親政の実例を以て、もっとやらんか、とはあまりにも畏れ多い言い草じゃよ。
その非常の大権は抜かざるの伝家の宝刀であればこそ、立憲君主制が維持出来るし、組織としての軍も機能出来る。
乱発されたら、組織人事は壊滅的混乱に陥る。
例えは乱暴だが
「これ通したら会社潰すなあー。でも専務やみんながせっかくやってくれたんだから社長決済可にしとこ」
これはあかんでしょ
御上「成算はあるのか?」
重臣「あります」(キリッ)
御上「(なんか、法螺臭いのう)」
重臣「さ、さ、御決済を」
クーデターの気運さえ漂う興奮状態。ヴェトーを行使する余地は無かったと思われる。
「部下の虚偽報告が原因で、私はそうとはしらなかった。責任はない。」
は通じない。
もっとも昭和天皇がそういうことをおっしゃる方ではないということは理解しています。
そもそも現実の天皇陛下・大元帥陛下の意向を無視して、
都合が悪ければ、226事件や宮城事件のようなクーデターを起こしても良いんだという発想こそが問題なのではないだろうか?
元を糺せば、この思想、「皇国史観」が原因と言えるし、
もっとさかのぼれば「南朝正統論」が原因と言えるし(現皇室は北朝系なので)、
さらにさかのぼれば「後期水戸学」の問題とも言える。
長州藩が、平然と躊躇い無く禁門の変で大砲を京都御所にぶっ放したように、
「ぼくのかんがえたてんのう」と異なるようなら、ぶっ殺しても構わないんだという発想に至ったのは、明らかに後期水戸学の悪影響だろう。
平泉澄の皇国史観は、後期水戸学の影響がかなり強いので、当然同じ結論に至る。
宮城事件で、昭和天皇の終戦の思し召しを無視して宮内省や宮城に殴り込んだ青年将校の多くは、平泉澄の門下生であった。
「統治権の遂行者、源泉であった天皇陛下」と、
「統帥権の遂行者、源泉であった大元帥陛下」とでは、
自ずから立ち居振る舞いが違ってきても当然なのでは?
例えば「満州某重大事件」(張作霖爆殺事件)の河本大作や、
「満州事変」の板垣征四郎、石原莞爾を、自主的に処罰出来なかったという事が、
結果的に、
【国の為を想ってやったと言えば何でも許される!】
【軍部の仲間、同志たちも弁護してくれる!】
と軍部全体に勘違いを与えたのは否定しようの無い事実でしょう?
無論、最近になって、満州某重大事件の真犯人はソ連工作員だったとか、張学良だったという新説が出てきているのは知っているし、
(ソ連工作員説はともかく、張学良黒幕説は私はかなりその可能性は強いと思っているが)
満州事変は、ポーツマス条約も守らずに、排日・抗日・侮日運動を繰り返していた中国側に大きな責任が有り、
「自衛戦争だった」と言える側面も有った事は確かな事実。
だが、時の政府は「不拡大方針」であり、
また、天皇陛下の大御心としても戦争を望んでおらず、平和的解決を始終お望みであったはずだ。
ならば、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾が、
そのまま野放しで何の処罰も与えられなかったに等しいのは問題が有るのではないか?
まず、当時の大日本帝国憲法の規定から言って、内閣総理大臣に
「河本大作を処罰せよ」
と命令出来る権限は無い。
そんな事をしたら、
「統帥権の独立を何と心得るか!」
などと猛反発を買うのが必定。
ならば天皇陛下、否、ここでは「統帥権の源泉である大元帥陛下」が、
「河本大作を処罰せよ」
「板垣・石原を処罰せよ」
と命令するしか無かったのではないか?
ちなみに、明治天皇は大日本帝国憲法制定前も、以後も、結構政治や軍政に口出しをしまくっていた。
無論それには、統治権を補佐する元老として、
伊藤博文、松方正義、井上馨などが存在していた事が大きいし、
一方、統帥権を補佐する元老としては、西郷従道や山縣有朋、桂太郎などの軍人上がりの元老が存在した事が大きいかも知れない。
(伊藤や松方、井上馨自身、幕末の頃は武士であり、白刃の下をくぐり抜けてきた軍人的素養を持った連中であった)
しかし、いざ統治権と統帥権とが対立した時は、
伊藤博文と山縣有朋との「俺・お前会談」で、大抵が蹴りがついたし、
それでも両者相譲らなかった場合、明治天皇が己の意思を表明して決断した事が一度ならず何度も存在した。
例えば、明治天皇は晩年に至っても立憲君主とは程遠く、
一例として挙げれば朝鮮合併に反対で、
『朝鮮合併の御詔勅』に御名御璽を捺印する事を拒絶しようとした事さえ在った。
御名御璽の存在しない「御詔勅」など有り得ないから、
このまま軍部が朝鮮合併を強行すれば、それは「不忠の臣」、「逆賊」という事になってしまう。
明治天皇が朝鮮合併に難色を示した理由は、
それが【日本の国益】と全く関係が無かったからである。
まず当時の国際情勢を振り返れば、
世界一の植民地大国のイギリスとは「同盟国」、
ロシアについては、日露戦争で叩き潰した結果、以降30年ほどは、ロシアは極東方面の戦力を回復出来なかった。
ロシア=ソ連が軍事力を復活させて、再び日本の脅威として立ちはだかったのは、
実に第一次五カ年計画を成功させて、第二次五カ年計画を開始した1935~1936年頃になってからである。
(そういう意味でも、この年から軍事費を削減し始めた高橋是清大蔵大臣は無能、見る目が無かったとしか言いようがない)
今さら、故人を叩いてもせんない事だ。
しかし、組織は別だ。同じ体質の公務員組織は健在だ。
当時、官界、財界、報道機関のベテラン、老人たちがパージされているが、それらの組織全体から申せば、蜥蜴の尻尾切りに過ぎない。
組織論的に責任を追及するべきであろう。
これら不逞の役員(国家公務員上級職)たちは株主=國民に對し、゛損失゛を計上した詳細な理由を説明する義務がある。
だが、私には右の「」内の部分は見事に欠落してゐるやうに思はれる。
戦後は特にさうだ。
『昭和動乱の原因はいくつか挙げられるが、一つには西園寺元老の教えた統治学が、イギリス流立憲君主を念頭に置いたものであったことが原因である。
”君臨すれども統治せず”は、理念としては立派であるが、イギリスと違って民主主義の歴史が浅い日本では、イギリス流立憲君主制度は適さなかったのではないか。
第二に、西園寺元老は軍部出身の元老ではないことであり、その統治権に対する教えはともかく、統帥権に対する教えについては現実に即していなかったことである。
(河本大作や板垣征四郎、石原莞爾のような問題児が現れた時)”君臨すれども統治せず”のやり方では、到底厳しい処分を望むことは難しいのであって、
実際、彼らに厳しい処分が与えられることは無く、国のためと称せば何でも許される状態になり果ててしまった。
統帥権を握っているのは、大日本帝国憲法下では、ただ一人、天皇陛下のみであったにも関わらず、その天皇陛下が統帥権を発動する事無く、”君臨すれども統治せず”の姿勢に凝り固まっていたことは、
まるで強盗や火付け強盗に、警察や消防の仕事を任せるに等しい行為であり、厳しい処分など出来得るはずもなかったのである。
第三に、天皇機関説論争から始まる天皇の神格化の問題である。
それ以前は比較的自由に陛下は御自身の意見を周囲に漏らされたりされていたようではあるが、
天皇機関説問題とその後の国体明徴運動の結果、天皇は憲法上も実際上も祭り上げられて発言権を無くしてしまった。
統治権と統帥権の源泉である天皇陛下を黙らせることが出来れば、日本を好き勝手な方向に動かしたい野心家にとっては都合の良い解釈で日本を動かすことができ、
天皇は神格化されたとは言いながら、実際政治に何らの影響力も持たない存在となってしまったのである。
これは憲法の死文化の問題である』
云々と。
ちょっと順番は違うかも知れないが、大体このような事を重光葵は述べている。
「敗戦に導いた責任」という意味では、
どうしても昭和天皇と西園寺公望は除けないのではないだろうか?
【ロシアの脅威】もしくは【諸外国の脅威】などとは書いていない。
http://www.geocities.jp/kunitama2664/heigou_syoutyoku.html
>(朝鮮の)公共の安寧を維持し、(朝鮮)民衆の福利を増進
させるために併合したとハッキリと理由が書いてある。
要するに、
「朝鮮人は旧態依然たる劣等民族であり、自力で近代化できる能力がないから、優秀民族である日本人が代わって近代化してやろう」
というお節介な話なのである。
明治天皇が、こんな理由で朝鮮併合されてはたまったものじゃないとばかりに、
御名御璽の捺印を拒絶しようとしたのも当然であろう。
天皇陛下は、まず何をさておいても【日本人の天皇】【日本民族の天皇】でなければならない。
異民族に押しつけるべき代物ではないのだ。
また、なにゆえ、「劣等民族」朝鮮人に成り代わって、「優秀民族」日本人が朝鮮の近代化を「代行」してやらねばならないのか?
しかも「日本人の税金」で。
日本人の税金で朝鮮を近代化させる事に、一体どのような「国益」が存在すると言うのか?
明治天皇ならずとも、冷静に考えれば誰しも疑問に思う事であろう。
例えば、政治家にして歴史学者、日本史国定教科書が策定されるまで教科書代わりに使用されていた『日本二千五百年史』を著した竹越與三郎は、
「朝鮮よりもドレッドノオト艦を要す。」というタイトルで1909年10月に論文を執筆している。
『朝鮮を併合しやうと云う空名のために四、五億の金を、朝鮮に注ぐと云うことは決して国家に忠なる政治家のするべきことではない。もしこの余裕があるならば余は十艘十五艘の大軍艦を造りたいと思ふ。
『当局の政治家もし真に日本帝国の安危存亡をもってその念慮とするならばよろしく朝鮮併合するの愚案を捨てて、我が国家の安全を守る大艦を造ることに力を注がねばならぬ。』
竹越の見通しにもし間違いが有ったとすれば、
朝鮮統治には『4~5億の金』で済まなかったということ、
35年間、毎年大赤字であったということ、
大艦を作るよりも、陸軍の大幅な強化と近代化こそが必要であったと主張すべきであったこと、
この三つくらいであったろう。
少なくとも、艦隊は維持費が馬鹿にならないが陸軍はそうではないし、
いくら便衣兵のような卑怯な戦法を多用する軍隊相手であったからって、支那兵如きに苦戦する陸軍では困る。
ちなみに、戦艦大和の建造費は約137,802,000円(1億3780万2千円)だったと言う。
日本の35年間の統治で朝鮮半島に投下された資金は、約15億~20億だったと言うから、大和級戦艦が15隻建造できた計算となる。
もしも大和型戦艦が15隻も有ったなら、日本は日米戦争に「圧勝した」とは言わないが、戦艦大和を温存して、空母の500キロ後方に逃げているような醜態は見せなかったのではないか?
他でやってくれ。
どこがスレ違いよ?
大東亜戦争に勝つには「朝鮮併合は必要なかった」と言うのも充分スレに関係する話だろ?
朝鮮併合35年間に支払った分を、日本の近代化、日本陸軍の近代化に充てておけば、
日米戦争でもうちょっとはやりようは有ったのではなかったか?
それを指摘しているのだが。
「ボルネオで飛行訓練していれば良かった」と言うのは許されて、
「朝鮮併合の代わりに大和型戦艦を15隻作っておけば良かった」と言うのは許せないとか意味不明な事を言い出して顰蹙買ったんじゃなかったっけ?
結局、ペリーの黒船来航の辺りから洗い直さなければならない。
そもそも【明治維新は必要だったのか】という問いも成り立つ。
江戸幕府とて、他の諸藩とて、ボーッとして惚けていたわけではなく、近代化への道を模索していた。
蘭学や京都中央情勢に遅れていたと言われがちな奥州諸藩ですらも、
実は蘭学研究は盛んであった。
ならば、戊辰戦争は必要だったのかという疑問が当然出てくる。
戊辰戦争で、少なからざる優秀な人材が殺されている。
彼らを活かして活用していれば、日本の近代化にどれだけ貢献したか計り知れない。
このように、明治維新と戊辰戦争は必要だったのかという事も、大東亜戦争を洗い直すには必要だと思うのだが。
牽強付会
[名](スル)道理に合わないことを、自分に都合のよいように無理にこじつけること。
本能寺の変の無いIFの世界、織田政権で国姓爺合戦の時代に大陸に容喙しておれば、とか。
面白い思考実験である事は認める。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-124-270×220.png
これは、どう逆立ちしても否定しようのないことだよね?
これは”昭和天皇一個人の好き嫌い”には関係がない
昭和天皇一個人が好きであれ嫌いであれ、
昭和天皇に敗戦責任が有るのは事実で否定できないでしょ
・ボルネオに生産拠点を移して現地生産
どちらもIFだと思いますが、どう違うの?
コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
大東亜スレでコリア問題をカキコしても意味ない。
↑
>>126にね。
追加。ボルネオは大東亜戦争の占領目標の一つだった。
>コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
冗談言ってもらっちゃ困る。
満州事変の原因の一つに、「万宝山事件」が関係してないわけないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(あくまでも「原因の一つ」だからな?)
日本が朝鮮を併合して、朝鮮人を「日本人」としていなければ、
そもそも万宝山事件など起こっていない
もしも朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件が起こったとしても、日本は何の関わりも持たなくていい
結果的に、「万宝山事件」もまた、満州事変勃発の一つの原因を占めている
そして、満州事変によって日本は満州国を建国した
塘沽停戦協定によって、中国は非公式ながらも満州国を黙認した
蒋介石は、万里の長城の北側の満州なんぞより、
共産党征伐や、同じ国民党同士の粛清、内乱の方が大事だったのだ
しかし、塘沽停戦協定の精神はたった3年で踏みにじられる
満・支国境地帯では、塘沽停戦協定締結後もいつまで待っても反日・反満運動が止まらないし、勝手に満州国に侵入したりするので、
冀東防共自治政府を作って、満州と支那の間に緩衝地帯を作ったりも試みている
これは関東軍の侵略と言うより、塘沽停戦協定や、
梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定を守らなかった支那側に原因があろう
そして色々在った末に支那事変、そして日米戦争となる
万宝山事件だけが満州事変の原因ではないが、
確実に原因の一端を占めていることだけは確かである
朝鮮併合も、長い目で見れば、支那事変や日米戦争に繋がっているのだ
>あくまでも原因の一つ
と自分で申しているのだから、私から付け加える必要は無いね。
歴史というのは、何が幸いするか災いするか解らないので、
”朝鮮を併合しなかったら”というifは十分成り立つし、現実的に有り得たと思う。
少なくとも万宝山事件は避け得たのだし、それが幸いして満州事変自体が起きなかったかも知れない。
何せ、朝鮮にかけていた分のお金を、全額日本のために使用できるのであるから、
東北地方の農村も、根本的に救われたかどうかは解らないが多少は救われていたであろう。
とすれば、3月事件や10月事件、515事件、226事件も起こったかどうか怪しくなる。
これらの事件は、『貧しい農民を救う』という大義を掲げていたはずだからだ。
なるほど。
一理ありますな。
大いに、その線で考察を深められ、ご指摘頂きたい。
勉強になります。
ただ、目下、私が(個人的ですが)追及しているのは満州事変前後以降のIF分岐。
すなわち、1931年より後ですな。
しかし、それは私の分析方針であって、貴君は貴君の歴史観に忠実で宜しいでしょう。
(当スレに於いても)どんどん、主張して下さい。
人それぞれ、立場がある。それでいいのでは?
それぞれの人間の精神の問題だから。
理解できてないっぽいのでもう一度聞くよ?
大日本帝国憲法の下で、
「統治権」を代表する、または統治権の「源泉」であった「天皇陛下」と、
「統帥権」を代表する、または統帥権の「源泉」であった「大元帥陛下」とは、
たとえ「同一人物」であっても、責任問題は「別」でしょ?
『敗戦に導いた責任』は、
「君臨すれども統治せず」の統治者である「天皇陛下」には無くても、
軍部を唯一取り締まる事が出来た存在であった「大元帥陛下」には有ったでしょ?
というか、大元帥陛下が軍部を取り締まろうとしなければ、
当時の日本で誰が軍部を取り締まって、ちゃんとした重罰を与えられたと言うのよ?
陸軍出身の田中義一でさえ、出身母体の陸軍と、及び政友会の猛反対に遭って、
河本大作高級参謀の処分を見送らざるを得なかったわけじゃん
陸軍出身首相ですら陸軍に厳しい処分を与えられない状況下、
大元帥陛下としての昭和天皇にしか、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾を厳罰に処することは不可能だったんだよ
1936年を境に「陸相は現役武官制」に戻った。山本権兵衛内閣以降、形式的にもせよ現役に復帰すれば、予備役でも陸相に就任可能となっていたが、元の現役武官制に復帰した訳だ。
これは事実上、陸軍の総意が無ければ、何人も陸相を任命出来ない、と言う事だ。その根拠が明治憲法の「天皇ハ陸海軍を統帥ス」の文言にある。
満州某重大事件の河本大作も、
満州事変の板垣征四郎や石原莞爾も、
軍部大臣現役武官制度復活の【前】の出来事ですが。
天皇が罰しようと思い、強力に命令すれば出来ないことはなかったはずですが。
それに現役武官制が有ったとしても、
米内光政が、首相になるために一旦予備役になり、
小磯内閣の時に現役復帰して海軍大臣になったような手法も取れたと思いますけどね。
>>135
その場合、天皇が、否、大元帥陛下が一喝して、陸軍大臣の統制に服するよう勅命を発する事も出来たはずですが。
大元帥陛下の権力を舐めてるんですか?
軍人勅諭にも書いてありますが、大元帥陛下は、直接軍に命令を下したって良いんですよ?
実際、226事件の時には、
『朕の馬を引け!近衛兵を率いて賊徒を討伐せん!』
と命令した事は有名ですよね?
その手法を多用しまくっていたのが桂太郎で、
『玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代え』
と、尾崎行雄が批判していましたよね?
ああいう批判は有りましたが、別にあれ以降、天皇の軍への命令が禁止になったわけではありません。
実際、田中義一内閣総辞職の際、西園寺公望は昭和天皇に対して、
『内閣総理大臣を、天皇陛下が直接叱責するのは良くない』
とは言いましたが、統帥権に関する軍部に関しては触れていなかったはずです。
え?
河本?
現在でも異説が提唱される事で、確たる証拠も無しに治罰出来ますか?
全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
少なくとも、当時はソ連の文献が公表されていなかったので、
田中義一総理も昭和天皇も西園寺公望も、
『関東軍の河本大作の仕業に間違いない』
と例外なしに断定していたのですが。
貴方、時代の前後、後先って解ってますか?
ソ連陰謀説が出てきたのは、ソ連が崩壊して機密資料が出てきてからですよ?
それに、河本大作自身、口が軽い、その上自慢話大好き男だったようで、
『張作霖は俺が殺ったんだ』
と酒の席などの自慢話で語っていたという情報も有りますが。
いずれにせよ、当時の人間が知るはずの無い知識をひけらかすのは勘弁ですね。
田中首相はともかく、陛下が断定していたとか、あり得ないわ。
しかし、陛下は実質、田中義一に切腹させた。
後悔されたと思う。西園寺公の諫言だけでなく、御自身、衝撃を受けられたのだ。
「有り得ない」と考えるのは、貴方の勝手な妄想。
昭和天皇は、侍従長や侍従武官、宮内大臣を使って、既に満州某重大事件の詳しい経緯も、
関東軍の河本大作が犯人らしい事も知っていた。
だから
「どうも残念ながら関東軍の者らしいです。厳しい処分を与えます」
そう言っていた田中義一首相を叱責して、結果的に内閣総辞職に追いやったのだ。
『厳しく処分します』と言っていた割には、
田中義一は陸軍や政友会の大反対に遭って河本大作を処罰できず、
単なる書類上の裁断で済ませようとしたからだ。
事情を詳しく聞いていた、報告を受けていた、と言う事と、どう判断されておられたかは別問題。
>>145で私は田中首相に実質的詰め腹を切らせた、とカキコしているが、限り無く黒に近い黒、とお考えだったのだろう。
しかし、毫一筋の留保の余地を残されておられたはずだ。
昭和天皇がソ連の陰謀説を疑っていたのであれば、その文献的証拠が必要になりますが?
実際には、田中義一を叱責して内閣総辞職に追いやったように、
一切疑う事無く、出身母体の陸軍も統制できない陸軍出身総理に腹を立てて叱責したというのが実状でしょう。
>>152
満州事変の評価ですが、確かに当時の世界情勢、そして日本の国内情勢から言って、
また、ポーツマス条約を無視した支那の、度を越えた抗日、反日、侮日運動の酷さから言って、
弁護の余地はいくらでも有ります。
し か し な が ら
昭和天皇も、当時の若槻内閣総理大臣も、幣原外務大臣も、南次郎陸軍大臣も、
【不拡大方針】であり、「満鉄付属地にすぐ帰るように」と命令している。
世界に向かっても、日本は満州に領土的野心は無いし、関東軍は満鉄付属地に引き上げつつあると発表している。
(その後に石原莞爾の錦州爆撃が起こるわけだが)
大元帥である天皇陛下の大御心も、
内閣の方針も、
陸軍中央の命令も無視して【独走した】のは否定できないでしょう?
しかも、この成功の結果、
『国を想うという純真な心さえ有れば何をやっても構わない』
と軍人たちに勘違いさせ、515事件や226事件の原因となり、
支那事変やノモンハン事件での「暴走」の前例となったのも事実でしょう?
支那事変に反対の陸軍作戦部長の石原莞爾が、
支那事変に大賛成の武藤章作戦課長を厳しく叱りつけた時、
『石原さん、貴方は何を怒ってるのですか?我々は満州事変での貴方のやり方を見習っただけですよ?』
とふてぶてしく言い放ち、天才、石原莞爾ですら一言も反論出来なかったという逸話も有りますね。
『現代でも異説が出てくる』んじゃないんですよ。
『ソ連の崩壊した現代 だ か ら こ そ 異説が出てくる』と正しく理解しなさい。
>全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
誰も『全てが天皇の責任だ』などとは言っていませんが?
軍部を統率する「大元帥陛下」として、ちょっと「怠慢」が過ぎたんじゃないですかと指摘しているのですが。
貴方はこちらの質問に一切答えていませんが、
「大元帥陛下」たる天皇陛下を抜きにして、
誰が「軍部」を抑えられたと言うのですか?
さっさと↑この↑重要重大な質問に答えてください。
陸軍出身の田中義一ですら抑えられなかったし、
国会議員の斎藤隆夫が「反軍演説」を行ったら、逆に国会議員を除名されたという時代です。
満州事変やノモンハン事件は、陸軍大臣や参謀総長、
つまり陸軍中央が大反対、不拡大方針を掲げていたというのに、
石原莞爾や辻政信はお構いなしに決行したではありませんか。
もう一度訊ねます。
【”大元帥陛下”たる昭和天皇以外に、一体誰ならば軍部の独走、暴走を抑えられたのですか?】
河本大佐を軍法会議にかけられなかった、真の理由が其処にあったと私は思うね。
ソ連と共謀だったのか、真相は闇の中だが、表に出せない何かがあったのだろう。
単純に「陸軍のメンツ」の問題でしょう。
河本大作の独走も止められなかった無能な組織と思われたくないので、軍法会議に反対した……
立憲政友会は、民政党の若槻内閣を倒すためだったら何でも利用するというとんでもない政党だったので、
統帥権干犯問題で軍部におもねったように、
この時も関東軍と陸軍におもねった……
そういう、日本人特有の反省すべき点が多々凝縮されているのが「張作霖爆殺事件」と、その後の河本大作の扱いでしょうね。
戦前の戦争を反省すると言うならば、戦後の日本人の態度にも通じるこの河本大作の扱いは、
なかなか示唆に富んだ話だと思いますが。
仮に、就任したとしても、組織的サボタージュとイジメで何も仕事が出来ないだろう。
心情的には荒しであると感じざるを得ないし、不愉快だが、公開掲示板だ。好きにせいや。
nOAさんが荒らしとか
このスレのpvの伸びはnOAさんのレスのおかげと思いますが。
昨日は「荒し」云々と言論封殺的に高圧的カキコをして申し訳ありません。
どうか、各位、存分に自説を主張なすって下さい。
>>131
いい事言ってくれましたね。
この動画の作者さんも述べているが、
日米戦争は1941年の時点ではもう「不可避」。
絶対に避けようが無かった状態であったと述べています。
この人の説では、日本の大失敗は次の四点に絞られます。
①「国民政府を相手とせず」声明(1938/1/15)
②日独伊三国同盟への参加(1940/9/27)
③南部仏印進駐(南進)決定(1941/6/25)
④真珠湾攻撃(1941/12/8)
特に④。
これさえ無ければ、①②③の失敗があっても挽回出来たのではないかというのが、
東方昭和伝作者の説ですね。
私は必ずしも同意していませんが。
1924年の排日移民法、1930年の関税法、1932年のオタワ会議、
この三つによって、日本が移民も輸出も出来なくて困り果てた結果が大陸進出だったのでしょうから。
1941の8月の時点では、(日米開戦は)不可避だと思いますね。
昭和の戦争の原因を【軍部の暴走】だけで説明するのは短絡的に過ぎるのは重々理解していますが、
実際に『軍部の暴走』と言えなくもない事件が、日本で多々起こっていた事は確かです。
大元帥陛下以外の、一体【誰】なら軍部の暴走を抑止出来たと言うのですか?
東方というゲームに興味が無くとも、
少なくとも歴史を語るなら、このシリーズだけは見ていただきたい。
昭和天皇は間違いなく張作霖爆殺事件について知っていたし、
関東軍の河本大作の仕業である事も知っていた。
その上で田中義一首相に「厳しく処分せよ」と仰せになってもいる。
(前述の田中義一総理の「厳しく処分します」という言葉に答えたもの)
以下のどれかが当てはまるだけで矛盾しないのですが。
1、河本大作はソ連のスパイだった可能性
(実際、河本の謀略に協力していた中国人や河本のよく止まっていた旅館の中国人は、ソ連との二重スパイを疑われている)
2、爆破事件は関東軍とソ連諜報機関によるものの二回有り、
(実際、爆破事件は二回起こっている)
直接張作霖を死に追いやったのはソ連側の方の爆破であるが、
河本大作は「失敗した無能な男」と思われたくなかったので『俺様が成功させた』と吹聴して歩いていた可能性
3、ソ連にとっても関東軍にとっても張作霖は邪魔だったので、お互いに手を組んだ可能性
暴走であっても、事後承諾の範疇の作戦である。
このスレの主旨から申せば、問題は以後の国際情勢、及び、対支政策の漂流にある。
満州事変、昭和6年(1931)の背景には、予算のパイを巡る軋轢があったと思う。アメリカにとって、1920年代(の少なくも前中盤迄)は経済の黄金時代だったのかも知れないが、我が国の20年代は不幸続きだった。
結果(挫折)に至った分岐点の考察である。
確かに、満州事変をこの考察から外す事は出来ない。
だが、支那事変の勃発1937とは6年の開きがある。
1936年12月の西安事件の半年後が盧溝橋事件である事実は、外国勢力の策動を示している。
同事件は分岐点の一つだと思う。
遅かれ早かれ、ドイツはソ連に目を転じるべきだったのは確かでは有ります。
何せ、ドイツに不足している資源の宝庫だったのですから。
むしろ、独ソ戦にこそ、ドイツ軍は真剣に作戦を検討した上で、長期戦になっても勝てる万全の体勢で臨んでほしかったものです。
独ソ戦に勝利すれば、インドを西からドイツが襲えますし、
1943年まで頑張っていた北アフリカ軍を、カフカス方面からイギリス軍の後方を突いて支援出来た事も確かです。
ついでに、大日本帝国海軍は、全力でインド洋の制海権を奪取する事に傾注し、
インド洋を行き交う連合軍船舶は、片っ端から沈めてくれていれば、
アメリカからのレンドリースを受け取れなくなったソ連軍は確実に敗北したでしょう。
独ソ戦に日本が参戦しなくとも、帝国海軍の9割をインド洋方面にぶち当てて、インド洋の制海権を維持しておくだけで良かったのです。
ロンメル将軍が苦戦したイギリスのシャーマン戦車だって、インド洋経由で輸送された物ですから、日本海軍がボッコボッコ、インド洋でイギリス海軍を沈めていれば、
到着するはずのなかった代物だったのですね。
日本もそうですがドイツも元々手持ちが少ないのにあちこち分散してそれぞれが個別に
戦争してたとこに問題があったと思います。
バトルオブブリテンも途中の焦りもあって中途半端な戦略変更などで結果なし得ずでしたからね。
この時にマレーとインドに戦火があったらイギリスもだいぶ事情が違ったと思います
ロンドン占領でなくても枢軸側優勢での対英講話でも戦略的勝利とおもいます。
元々ドイツはポーランド戦で「欧州大戦になる」なんて考えていませんでしたからねぇ。
ポーランド戦で英仏が宣戦布告してきたのは、ヒトラーにとっては大誤算で、ムッソリーニのイタリアが調停に乗り出すと、即座にその提案に同意しています。
ムッソリーニは第二のミュンヘン会議を開催を提案して、ドイツ、ポーランドの当事国はもちろん、フランスの同意まで取り付けたのですが、
肝心のイギリスが拒否ったので、外交による解決が実る事は有りませんでした。
こうして考えると、1939年の時点で、戦争したくてしたくてたまらなかったのはイギリスであって、ドイツではありません。
ドイツはいつでも退く用意が有ったのですから。
ポーランド戦自体、ポーランドが後先考えない無能を外務大臣に据えていたり、
徹底的にドイツを挑発したり、色々やらかしてましたからねぇ。
「欧州戦線は大東亜戦争とは無関係」って言われそうな流れね。
第二次”世界”大戦と言うように
それに、ただでさえ国力が乏しい国同士の連合である枢軸国は、
お互いに力を合わせて団結して戦わない限り、
圧倒的な物量を誇る米英ソには勝てない
日独の緻密な連携が取れてれば良かったんだが、
当時も今も、ドイツなんかと手を結んだのは日本の恥と考えるアホ日本人が居たからなぁ……
山本五十六とか米内光政、井上成美、そして昭和天皇も含めて……
米英が日本を拒否っている上に、
どんなに国際条約や国際法を律儀に遵守しようと、
日本人差別が止まらない米英の世界秩序に於いては、日本の生きる道など無かった
ヴェルサイユ条約に不満を抱えているドイツと組むしか無かったのが実状だ
ならば組むなら早ければ早いほど良かったし、
作戦の打ち合わせなども早い内に行っておくべきだった
結局、それすら出来なかったんだもんなぁ
全く同意
日独vs英
日独vs露
対米は介入させないかもしくは日露戦争式勝利ではなく、ベトナム戦争式勝利に持ち込むしかないかと思います。
革命中とはいえシベリア出兵時にはバイカル湖の東まで進んだ日本と第二次大戦時スターリングラードまで進んだドイツ。(カツカツだったけど)
これがもし東西同時であればロシアとて余裕なかったはず。
日独防共協定それ自体は間違ってなかったが、その後の連携がとれてなかったのが惜しかった。
独ソ戦に日本が直接介入する必要は無かったと思いますが?
それに瀬島龍三だったか、服部卓四郎だったか忘れましたが、
独ソ戦のドサクサに乗じて東から陸軍が攻撃を開始しても、
「バイカル湖到達は不可能」
と言っていたはずです
意外とそんなに独ソ戦の勃発によって、極東ソ連軍は減らなかったと
ならば、陸軍は全力を挙げて蒋介石政権と毛沢東政権を叩き潰す事を目指しておけば良かったと思うのですが
敗北間近の「大陸打通作戦」ですら、中国相手には連戦連勝の破竹の勢いで、
千キロも進んでしまった部隊も有ったくらいですから
関特演に動員した全ての部隊を延安と重慶にぶつけていたら、
蒋介石政権も毛沢東政権も呆気なく倒れたでしょう
さらに加えて、
先に述べた通り、海軍はインド洋の制海権維持を頑張っておけば、
援蒋ルートも遮断できますし、
北アフリカ戦線でロンメルの仇役を務めたモントゴメリーの補給路を奪う事だって可能だったはずです
さらに、アメリカによる、ソ連へのレンドリースも途絶えますから、
陸軍が直接バイカル湖に攻め込むよりも、よっぽど楽勝で、
しかもドイツ軍の勝利に貢献が出来る……
ドイツに対しては、
・歴史的日本の固有領土であった北樺太、カムチャッカの割譲
・ウラジオストクやハバロフスクなどを含む、外満州の満州国への割譲
・外蒙古は日本の属国である内蒙古自治政権と合併させること
この3点だけに絞っておけば、ドイツ軍も嫌とは言えないでしょう
インド洋を帝国海軍が完全封鎖してくれる代償としては安い物です
ミッドウェイで二段索敵で米空母を早期発見出来ていたら?
ガ島飛行場砲撃に霧島、比叡、大和で参加していたら?
など全てこちら有利に作用したとしても、ここで対米講和が結べなければ、昭和18年以降エセックス級空母と搭載機で米機動部隊が再編されて以降はもう覆しようがないでしょう。残念だが。
ロマンはあるけどもう架空戦記の中だけですね。
ミッドウェーでは、敵空母の所在を早くから把握していたんじゃないの?
空母の後方500キロ彼方の戦艦大和ですら、その情報を掴み、
「前線の南雲中将に回しましょうか?」
と訊ねられた際、
「いや、その必要は無かろう」
などと言って悠々と将棋を指していたのが、山本五十六
「空母の後方500キロ彼方の戦艦大和に情報が入るくらいなら、前線ではとっくに把握してると思ってた」
「無線封止を破って、敵にこちらの所在地を教えるのが嫌だった」
こういう意味不明な陳述を、山本五十六に成り代わって黒島亀人参謀が述べているが、
空母の後方500キロ彼方の戦艦の位置が割れたとて、敵に何が出来たと言うのか理解に苦しむ
当時のアメリカ軍のヨタヨタした爆撃機の遅さじゃ、
仮に爆撃しに来たとしても、戦艦や巡洋艦の対空砲の単なる的でしかなかったろう
そもそも500キロ彼方の戦艦大和に攻撃を仕掛けている間に、
自慢の南雲機動艦隊が、所在地を教えられたアメリカの空母を叩き潰していたはずなのだが
少なくとも南雲機動部隊では米空母の所在は把握していませんでした。
発見が遅れたのでもし米空母を発見した時用に艦船攻撃用の兵装で待機させていた二航戦の空母二隻の搭載機をミッドウェイ島攻撃用の陸用兵装に積み替えたところで米空母発見。同時にミッドウェイ島への第一次攻撃隊の収容。米陸上機の攻撃などなど。
そのまま陸用兵装でもイイから攻撃すればよかったのにここで艦船攻撃用にまた戻すという時間の浪費。
攻撃隊発艦準備整ったとこで米空母からの攻撃という
ガバガバ戦闘でした。
もし仮に島を占領して積んで行った6空のゼロ戦が展開したとしても、その後は維持しきれなかったでしょう。
そもそも昭和18年=1943年と言えば、
「カサブランカ会談」の年でも有りますね
(1943年1月)
ルーズベルトは強硬に「無条件降伏」を主張、
何とかして条件闘争の範囲に収めたかった日本もドイツも絶望に追いやり、
俄然抵抗を強めるに至った悪魔の国際条約です
のちに、欧州戦線を指揮していたアイゼンハワーが、
『カサブランカ会談の内容が発表されると、ヒトラーもドイツ軍首脳も怒り、憤激し、そして絶望した。
その後、彼らの抵抗は俄然強くなり、連合軍に多大な戦死者を出す羽目に陥った。
ルーズベルトがもっと寛大な和平案を提案する用意が有るとでも発表しておけば、
例えば第一次大戦の時のウィルソン案のような提案を行っておけば、ドイツ軍の抵抗は弱まり、もしかしたらヒトラー打倒のクーデターが起こっていたかも知れない』
とか言って批判してましたし、
日本は日本で、駐日大使を8年か9年勤めたグルーがカサブランカ会談を批判
『天皇の身の安全、地位の保証さえ認めれば、日本軍は今やハルノートの線までをも譲る用意が有ったであろう』
と述べていた
恐らく満州や朝鮮半島をも手放すことに同意していただろうとも
オーストリアの皇太子の暗殺が原因で日本が青島のドイツ軍を爆撃とか、もはや戦争目的不明だし。
同盟があるのに枢軸国が個別の戦争で消耗して各個に破れるのはやり方間違ってる。
対ソ戦、対英戦がなければ対中全力で良いとおもいます。
日ソ間には日ソ中立条約が有ったじゃないですか?
あれを平然と簡単に破っていたら、今時、ロシアやソ連の如く、
『日本は信用のならない国だ』
とさぞかし非難された事でしょう
元々、三国軍事同盟をドイツと結んだ時点で、
ドイツは日ソ間の調停をすら申し出ていたのです
日ソ間の同盟をけしかけたのは他ならぬドイツなのですから、
日本が、勝手に始められた独ソ戦に参戦する義務も謂われも有りません
しかしながら、アメリカやイギリスによる、ソ連支援のレンドリースをインド洋で食い止めるだけでも、
ドイツ軍の勝利に大きく貢献できますし、
ソ連に直接喧嘩を売っているわけではないので、何とでも言い逃れが出来るでしょう?
『我々はただ援蒋ルートを封鎖するためだけに、インド洋に艦隊を展開しているだけである』
『米英からの支援を望むのならば、北海ーームルマンスク経由でお願いしたい』
などとソ連の抗議にも応答出来ます
当然、北海とかノルウェー近海と言えば、ドイツ軍Uボートの餌食ですから、
無理を承知の言い逃れなのですが
『直接的にソ連に対する敵対行動に出ているのではなく、
あくまでも援蒋ルート封鎖が目的である』
と大義名分を掲げていれば、ソ連も文句の付けようが無いという訳です
英領マレー、ミャンマーに対しても1941年12月まで引っ張らずに前倒しでドイツと足並み揃えて同時にという考えですが、流石に対ソ、対英、対中を同時には日本の国力からして無理なので、そこは枢軸国内でまとめてから、という考えですが。
ドイツは東欧の資源が欲しいし、日本は東南アジアの油田が欲しいし、調整は難しそうですが。
ノモンハン事件で「大敗した」と日本政府当局や軍部が思いこんでしまったのが、
ドイツと手を組んで対ソ戦という戦略にストップをかけた要因でしょうね
あれでソ連軍を過大に評価、見積もるようになってしまった、と
元大本営参謀の言葉として瀬島龍三の、
『独ソ戦の隙に乗じても、日本軍はバイカル湖に到達できない』
という言葉を出しましたが、
瀬島は大本営参謀の時代から「ソ連のスパイ」という説も残る男なので、
その彼の証言は話半分に聞いておいた方が良いかも知れません
やらなきゃやられるとなればこうするしかないか?
という苦肉の索で書いてるのをご承知下さい。
個人的には、あの戦争は「運命だった」「避けようの無い戦争だった」と思っています
誰かが、白人至上主義の暴挙に対して立ち上がらねばならなかったのです
最近封切られた映画の『バンクーバーの朝日』『42~世界を変えた男~』、
どちらも野球映画ですが、如何に有色人種差別が酷かったか、これでもかとえぐり出してくれます
『42』の話の舞台は1947年、つまり戦後から始まるのですが、
それでも、アメリカでの有色人種差別がどれだけ酷かったかが解ります
日本が望まなくとも、近代化を達成した以上は、日本が有色人種代表として立ち上がるの他に無かったと考えます
言うなれば、幕末のペリーの来航以来、日本は日米百年戦争を戦っていたと捉えるべきではないでしょうか?
同意
仮に黒船にのってペリーが来なかったとしても、帝国主義の渦に日本は巻き込まれていたでしょう。
もしその出発が明治維新よりはるかのちであったなら日露戦争後の清のように欧米の食い物にされていたでしょうね。
アジア太平洋をめぐる日米100年戦争、最初の頃このスレで話した内容に戻ってしまいましたね。
加えて、白人たちには、被害妄想としか言いようの無い「黄禍論」が有りましたからね……
世界中に災いをもたらしているのは、欧米諸国の植民地化、帝国主義に在ったにも関わらず、
己の全責任を棚上げして、黄色人種差別に走った挙げ句、
日露戦争勝利後の日本に焦点を当てて勝手に脅えた挙げ句の果てに、
日本を追い詰めて戦争ですよ
本当に白人たち、または白人諸国たちの身勝手さには腹が立ちます
>>179
日本の情報戦略の弱さは、戦前も戦後も何も変わっていないという事ですね
張作霖爆殺事件でここのスレ主と議論になりましたが、
張作霖爆殺事件の真犯人はソ連の工作員だったかも知れないという情報を日本は掴めませんでした
昭和天皇、田中義一、西園寺公望などなど、
例外なしに、
『関東軍の河本大作高級参謀が犯人だ』
と信じて疑ってすらいなかった状態です
その頃から十年経っても、なお日本の情報戦略の乏しさは悲しいほどに惨めな水準だったわけですね
ちなみに、日本陸軍は、「西安事件」についても内情をよく掴めなかったとか
日本軍が蒋介石との講和に未練を残しまくっていたのも、
西安事件前の反共の蒋介石のイメージが強くて、
まさか中国共産党に逆らえない傀儡政権化していた事実を遂に掴めなかったからだとも言います
「支那通」と呼ばれる軍人や学者は、戦前から何人も何十人も、何百人も存在したのですが、
揃いも揃ってボンクラ揃いであったと言えます
もし、西安事件の詳細が日本に伝わっていたなら、蒋介石は絶対に日本と手を組む状況に無い事は悟ったはずで、
あんなに未練タラタラに和平提案を繰り返さず、
本腰を入れて、徹底的に蒋介石政権を叩き潰す手段を選んだはずです
こんな情報戦略であっても『外務省や海軍よりはマシ』と言えてしまうのが、日本の悲しい所です
外務省も海軍も、情報戦略という概念そのものが欠如しているのかと疑いたくなるほど杜撰でしたから
山本五十六が待ち伏せされて殺された時点で、
『暗号が読解されているのではないか?』
と海軍は疑っても良さそうなものでした
実際、陸軍は大本営政府連絡会議だったか、軍務局長間の会議にて、海軍にそういう忠告をしています
海軍側が、
『余計なお世話だ、海軍の暗号は完璧である』
とはねつけたのですが、実際には陸軍の指摘通りに、海軍暗号文は読解されていた、と
海軍甲事件(山本五十六の死亡事件)も失態なら、
海軍乙事件も失態としか言いようが無く、
福留繁は処罰した上で、海軍は暗号と作戦案を切り替える必要性が有ったはずなのですが、
構わず続行させてレイテ沖海戦の大敗に繋がったと言うのですから、
海軍には「情報戦略」とか「情報戦術」という概念が有ったのかどうかすら疑問です
敵性英語は使うべからず
と
敵を知るために積極的に日本語を研究
の差で考えの深さがわかりますね。
敵性語禁止運動は、日本国内が勝手に盛り上がっていただけで、
陸軍という組織として大々的に行った事は無かったのでは?
元々、米英ともに陸軍の眼中に無かったので、英語を選択する者が少なかったのは確かですが
日ソ不可侵条約にドイツが水を向けたのは独ソの関係緩和の意味があったようですが、その後の独ソ開戦に至った後はかえって裏目に出てますね。
それは「関東軍特殊演習」程度のことでも構わないのですか?
その程度ならば史実でも行いましたが、結局、
『バイカル湖にも到達できない』
と言わしめる程度にしか、ソ連に効果を与えていないようですが
『スターリンは関特演に脅威を感じており、ゾルゲは関特演で本当に日本はソ連に攻め込むつもりが有るのか否かを調べるために必死に諜報活動に精を出していた』
という説も有るには有りますが……
いえ、脅しではなくて侵攻と駐留です。
居座るのです。
あの段階で生半可な脅しは通じないとおもいます。
ありがとうございます。
とすると、日ソ中立条約がネックですね。
やはり、日ソ中立条約締結前に、いや、独ソ不可侵条約の締結前に、日本が決心を決めておくべきでした
ドイツは唐突に日本も裏切って独ソ不可侵条約を結んだわけではありません
大島浩駐ドイツ大使を通じて、何度も何度も独ソ不可侵条約締結の可能性を匂わせていました
駐イタリア大使の白鳥敏夫も、
『独ソ接近の可能性大』
と連絡しているのですが、
それらを「外交上のブラフに過ぎない」と切って捨てたのは、時の外務省の上層部です
当たり前ですが、見通しを間違った外務省上層部の役人は誰一人責任を取っていませんが
当時の日本は、まだまだアメリカとの和平、友好に未練を残していましたし、
イギリスとは将来的に戦争になるとしても、
『出来ればやりたくない』
と昭和天皇が思われるほど、未練を残していました
蒋介石相手にも未練タラタラだったのを見ても、
全然全く腰が据わっていなかった、覚悟が決まっていなかったとしか言いようがありません
最も悪いのは、どっちつかずの曖昧な態度で、どっちにも良い顔をしようとした歴代政権と外務省の無能に有ると思います
過小評価されがちな大島浩や松岡洋右の方こそが、無能とか売国奴ではなく、
早い内から日本の在るべき姿、外交戦略を打ち立てていた有能な人物だった事になります
現在の私たちの仕事においても決断の重要性は重要であり、さらに刻々と変化する情勢に先んじるスピードも重要ですが、これは当時の国政、軍部とて同じだったはずですが、責任負うのを避けるためか決めきれなかったため時期をのがした感あります。
ところでインド洋での日本海軍による通商破壊作戦、
かなり効果あったようですが、ソロモン戦以降、潜水艦での物資輸送などという不本意な使い方にて消耗してしまったのは残念です。
潜水艦での日本の通商破壊戦の参考はこちら
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-3_3.pdf
そうですね。
日本は1931年の満州事変から、1945年の敗戦までの間に、
若槻、犬養、斎藤、岡田、広田、林、近衛、平沼、阿部、米内、近衛(第二次・第三次)、東條、小磯、鈴木
14人もの首相が入れ替わり立ち替わり組閣しています。
1931~45年の期間が14年間ですから、
『一年に一度』内閣が変わっている計算となります。
(平均の話です)
これでは、到底「統一戦略」など打ち立てられませんね。
この14年の間、一貫して権力の地位に在ったのは昭和天皇だけですから、
【昭和天皇の戦争責任】を問う声が絶えないのだと思います。
インド洋での通商破壊戦ですが、
もっと積極的に行っていれば、1942年の内に、日本はインド洋の制海権を獲得し終わっていたでしょう。
ミッドウェーの敗戦も起こっていないので、空母4隻も保持したままですし。
当時のイギリスには、最早あれ以上軍艦をアジア方面につっこんでくる余裕など有りませんでしたから、
コロンボ空襲が成功裏に終わった時点で、後はワンサイドゲームになったはずだったのですね。
アメリカの工業力がフル活用されて週刊護衛空母と化してくるのは、1944年以降からですから、
それまでの間にソ連をまずレンドリースを完封して叩き潰しておき、
北方の脅威を除去した上で、援蒋ルートを断ち切られた蒋介石政権を倒し、
毛沢東政権も倒し、
制海権を持っているので、海軍護衛の下でインド上陸やセイロン上陸を行っておけば、
インパール作戦なんて大仰な上に、輸送も出来ない作戦に頼るよりも、
確実に安全に作戦を展開出来ます。
インド人の間で名高かったチャンドラ=ボースをインドに上陸させれば、
もうそれだけで何千万というインド人が味方に付いてイギリス軍を追い出したでしょう。
インドを失陥したイギリスは、さすがに斜陽を覆い隠す事も出来なくなります。
イイですね、
当然ドイツにもそれに呼応する形で動いてもらいます。
ABCD包囲陣や対日禁輸、ハルノートまでズルズル先送りにして後がなくなってから打ってでた有様は、大阪城の外堀を埋められてから戦を決意して敗れた豊臣秀頼を思い起こさせます。
そうなる前に腹くくって決断すべきこそが国のトップだとおもいます。
ついでに、アメリカは1941年=つまり日本が真珠湾攻撃を行った年まで、ドイツと交流が有りました。
サムナー=ウェルズ国務次官を団長とする、特別外交団が、この年の1月~2月にかけてドイツに送り込まれていたくらいです。
(この時点で明らかに有色人種相手の場合と、白人相手の場合と、扱いが違うのが解るのですが)
※サムナー=ウェルズWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B5%E3%A0%E3%8A%E3%BC%E3%BB%E3%A6%E3%A7%E3%AB%E3%BA
ナチスドイツの人種理論、反ユダヤ理論の多くは、アメリカ人の人種理論家のマディソン=グラントや、
同じくアメリカ人のヘンリー=フォードの『国際ユダヤ人』などに多くを負っています。
そもそもフォードやリンドバーグ、フーバーなどは、ナチス党に資金援助していたり、積極的に支持を煽っていた事すら指摘されています。
アメリカは決して最初からイギリス一辺倒だったわけではないし、
ドイツを嫌っていた訳でもありません。
だからこそ、当時の日本人は、アメリカ人の対応を読み間違えたのでしょう。
つまり、有色人種である自分たちにも同様の対応をしてくれるはずだと。
イギリスとアメリカは分けて捉える事が可能であり、
イギリスだけを敵にして、アメリカは敵に回さないで好意的中立を維持させる事が可能だと。
しかし、それは日本人の淡い期待でしかなく、
ドイツ相手には寛大だったアメリカですが、日本相手には冷淡極まる物でしかありませんでした。
例えば天津のイギリス租界で、親日派の中国人要人が暗殺されました。
日本は当然犯人の引き渡し要求を行いますが、イギリスは拒絶します。
ならばという糊塗で日本は報復措置として、天津のイギリス租界を封鎖するという挙に出たのですが、待っていたのは、
【日米通商航海条約の破棄】
という、アメリカからの通告でした。
つまりアメリカは、ドイツに対しては、
「英米可分論」(イギリスとアメリカとは分けて考える事が出来る)と装い、
日本に対しては、
「英米不可分論」(イギリスとアメリカの利害は一体である)
と装っていたのです。
当時の日本の外交官や軍部が、最後の最後までアメリカの行動パターンを読み切れず、
最後には、ハルノートにまで至ったのも、ドイツに対する友好姿勢のアメリカを見ていたからという部分も有ります。
原爆開発が現実味を増したのちの使用候補地選定の段階でもドイツに対して使用する考えは全くなかったようですね。
間に合わなかったというのではなく計画段階で欧州戦線は候補に入ってない。
そんなところからも日本とドイツの扱いの違いは大きかったとおもいます
シベリアの天然ガスも1940年代ではまだ知られてないから気でも狂ったかと言われそうですがあくまで牽制程度にて。です
エンジン=発動機
点火プラグ=発火栓
レバー=握柄
こんなことで勝ち負け関係ないのに。
海軍は生まれがイギリスなんで元々英語の装備品が多いのでそこまでなかったようですね。
先ほどの潜水艦資料、長いのですがザックリ言うとおっしゃる通りの内容です。
インド洋での通商破壊作戦にて援蒋ルートの妨害とアフリカ戦線の英軍へのレンドリースの妨害の有効性です。
【統帥権】の面から見た「大元帥陛下」としての側面からは、「責任は有る」と考えます。
ここのスレ主に何度質問しても答えてもらえませんでしたが、
大元帥陛下が統帥権をフル活用して、
河本大作や石原莞爾、牟田口廉也、富永恭次、石川信吾などの「問題児」たちを処罰しなければ、
一体誰ならば、彼らを処罰出来たと言うのでしょう?
陸軍出身の総理でも駄目、
陸軍大臣や参謀総長でも駄目、
自浄作用が存在しない組織に於いては、
大元帥陛下の権能に頼るしか無かったはずです。
『立憲君主の枠を越えた越権行為』
ではないでしょう。
イギリスなど、つい最近まで内閣の閣僚人事にすら口出ししていたような国です。
日本と同盟を結んでいたイタリアは王国でしたが、統帥権は当然イタリア国王、ヴィットリオ=エマヌエーレ3世に有りました。
(ムッソリーニが握っていたわけではない)
エマヌエーレ3世は、結構国政にも軍政にも口出しする人物であり、
ムッソリーニの方が国王に引きずられて戦争になったという面も有るわけです。
そういう他の王国の事を考えると、
さすがに、「君臨すれども統治せず」は許されますが、
「君臨すれども”統帥”せず」では困りますし、
それは大日本帝国憲法違反です。
『第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス』
返す返すも残念なのが、西園寺公望がデタラメな帝王学を残して世を去った事です。
つまり、
『日本は天皇が何でも好き勝手に振る舞える専制君主国家ではない。
天皇でさえ憲法の条規には従ってもらわないと困る。
内閣が一致して奏上した案件に関しては、如何に内心不満であっても裁可する。
”君臨すれども統治せず”が理想的な君主像である』
田中義一を叱責して倒閣に追いやった時、西園寺公望は、大略このように昭和天皇を諫めていますが、
西園寺公望が述べているのは、あくまでも「統治権」の部分だけに過ぎません。
昭和天皇は、どうもこれを「統帥権も含まれる」と勘違いしていたようなのですが、
どう考えても、大元帥陛下である昭和天皇を除いて、軍部を抑制出来る人間は日本に存在しませんでした。
西園寺の言葉は統帥権には関係なかったのではないか?
はたまた、西園寺が統帥権についても統治権と同様に準じると考えていたならば、それは西園寺こそが間違いだったのではないか?
それを強く感じますね。
全部「後世の知識」が有るから言える事であって、
当時の人間が知るはずないんだよな……
恐らく1941年の1月とかの時点で、
『今年中に米英と戦争になる!』
などと予言したら、馬鹿かキチガイ扱いされて、
警察に「人心を惑わす」とか言われて逮捕されて怒られるだろう。
1941年1月の時点でも、まだ、本格的な戦争準備を行わず、
実りの無い、進展の無い日米交渉に無駄に時間を費やしていたのがその証拠。
東條内閣成立も、世論の期待とは裏腹に、
「日米戦争を回避するために」
「陸軍を、他ならぬ陸軍大臣の東條英機自身に抑えさせるために」
出来上がったようなもんだし。
ただ、東條英機自身はそれなりに立派で、実務家としては優秀だったかも知れないが、
その人を見る目があまりにも曇り過ぎてたのが……
「三奸四愚」然り、富永恭次や牟田口廉也、佐藤賢良、服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三なんかを抜擢する、
揃いも揃って問題のある人物ばっかり……
まぁそれも、「後知恵」が有るから言える事なんだけど。
日露戦争の直後に、清国を恫喝して、関東州や満鉄付属地のみならず、
「満州全土」を要求して没収しておけば良かった。
と言うのは、清国は日露戦争では密かにロシア側に味方していたからだ(露清密約 1896年)
国際法上では「準敵国」に当たり、ロシアが負けた以上「準敗戦国」とも言える。
日本ではなくロシアに賭けた清国に、とやかく口を挟む権利など無いのだ。
日本の諜報機関が「露清密約」を探知していれば……と思うと残念でならない。
この時点で満州の地を制圧していたならば、満州事変も必要なかったし、
日米戦争(1941年)まで、35年もの猶予期間が有ったのだから、充分過ぎるほどに満州の開発を進められたかも知れない。
そして開発を進めていたならば、もしかしたら満州の地の油田、大慶油田を発見していたかも知れない。
石油さえ有れば、アメリカとの戦争など覚悟しなくても済んだのだ。
遅くとも、シベリア出兵(1918~1922)の頃までには、満州全土を制圧しておく必要が、
地政学的にも、純軍事的にも有った。
またこの頃までに満州を制圧しておけば、
「パリ不戦条約」や「九ヶ国条約」の締結前なので、
日本の行動は「既成事実」として認められたはずだった。
このように後知恵で考えると、色々思いつくが、当時の人間が全く思いつきもしなかったことが惜しまれる。
現在の目線で見ると9カ国条約はソ連が入ってない時点で日本にとって大きな足かせになってしまいましたね。
あれで好き勝手やられてしまった。失敗
理由をつけてシベリア出兵時での満州掌握に同意です
タイミング的にはWW1時の対華21カ条要求での山東省権益獲得を米英の懸念に応じ削除。
バーターで反対意見のなかった満州に関する条項を拡充して国際社会の承認を経て、満州を日本の勢力地帯とするべきだったかとおもいます。
譲歩 ??
山東省は後からでもなんとでもできるが満州の防共拠点としての整えには時間かかるので、そちら優先です
そんなあなたに映画「トラトラトラ」おすすめ。
要は反復攻撃をせずに帰還したことについて。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-206-490×200.png
併合されて半年はねーだろ
東郷平八郎がまだ若手船乗りだった頃に、
リリウオカラニ女王に対するクーデターが発生しているのだから
荒らしにマトモにとりあっちゃだめ。
それはそうとハワイ併合(1898)の話が出たのでいい機会なのでそのはなしを。
独立国だったハワイ王国をアメリカが併合するまでの手順が
土地の買い占め
↓
政治中枢への親米派の送り込み
↓
貧困層から選挙権剥奪
↓
親米派が新政府樹立
↓
アメリカが承認
明らかな内部侵略行為だった。
これじゃ日本のアジア侵略とか言わないわな。
いくら旧軍の悪口を言い立ててみたところで、大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍は消えない。
97式中戦車チハが弱小とのことなら、弱小なる97式中戦車チハでドツキまわされた中国人は更に惨めだ。
これで日本人の中国人に対する優越性は、確固たるものになった。中国人は日本人に劣っている、
徹底的に劣っている。優秀な日本人と劣等な中国人、これを証明したのが大陸打通作戦だった。
対独戦と比べて対日戦はマイナーという主張も聞いているが、その場合、対日戦オンリーでしかも
連戦連敗だった中国はゴミ扱いとなる。
大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を語り継ぎ、日本人の中国人に対する優越感をかみ締めていこう!
アメリカに日本の行動を「侵略だ」などとほざく資格は無いんだよな
なので東京裁判でも日本のアジアへの植民地支配の罪というのは一切触れておらず
あくまで紛争解決手段としての戦争を禁止したパリ不戦条約違反にあたる平和に対する罪としか訴追していない。
自分に返ってくるからね。
A級戦犯=平和に対する罪(戦争を始めた罪。植民地支配の罪ではない)
パール判事は戦勝国が事後法で敗戦国を一方的な解釈で裁く資格はないという法的見地からの主張。
これが通れば、勝てば正義になってしまうことへの警告だった。
日本に対して、第一次安倍政権の時に「性奴隷決議」を出したのなんか、その典型的な象徴。
日本の慰安婦制度を非難したのだが、
日米戦争の敗戦後、日本に進駐してきたアメリカ軍が真っ先に要求してきたのは「慰安婦」だった。
要するに「RAA」を要求したアメリカ人に、
日本の慰安婦制度を非難出来る資格が有るのか?
安倍晋三は馬鹿だから、こんな無茶苦茶な議決に対して、
【深く謝罪する(deeply sorry)】
などとほざいて、世界中に日本が「性”奴隷”」を持っていた事を認めてしまったのだが。
同じ頃、同じくアメリカの国会によって身勝手な議決を下されながらも、
毅然たる姿勢を取って逆にアメリカに謝罪させた、トルコ政府の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
100年以上前のオスマン・トルコ政府の時代に、アルメニア人大虐殺を行っているが、
その事についてアメリカの国会で、
『現トルコ政府は謝罪して賠償せよ』
などという一方的な議決が飛び出した訳だ。
トルコ政府は大統領も民衆も憤激して激怒。
「トルコ駐留アメリカ軍を追放する」と発表した上、
「お前らだってその頃は、インディアンの土地を奪って国土を広げた侵略者で虐殺魔じゃないか!」
と、アメリカ政府に向かって堂々と批判を行った。
トルコ政府は、すぐ隣が核大国で歴史上何度も相争ってきたロシアなので、
また、イスラエルという、非イスラム教国の核大国も近隣に有る事もあり、
アメリカ軍と「ニュークリア・シェアリング」を結んでいる間柄でもある。
そんなトルコ政府でさえ、言うべき時には毅然とした態度で堂々と自己主張しているのだ。
そして、結果的にアメリカから逆に謝罪と妥協を引き出している。
本当に、弱腰の安倍晋三には、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい態度だわ。
ハワイもフィリピンもプエルトリコも、
全部アメリカの植民地政策の痛ましい犠牲者ですが。
そもそも、つい最近行われたイラク戦争やアフガニスタン戦争も、
【アメリカの植民地政策の現れ】とは言えないの?
特にイラク戦争は、大義名分としていた「大量破壊兵器」は出てこなかった訳じゃん。
冤罪で濡れ衣を着せた上で、石油利権欲しさに侵略戦争したってのが本当の所でしょ。
「未だかつて、アメリカは一度も侵略戦争をした事が無い」
と堅く信じ込んでいる。
フランクリン・ルーズベルトが大統領だった時、
イギリスの大使と会見する事があり、話がたまたま世間話に飛んだ事が有った。
その時ルーズベルトはイギリスの大使に向かってこう言ったと言う。
『私はあまりイギリスに向かって批判がましい事は申したくないのだが、
1842年にイギリスが香港を手に入れられた時、それは平和的な手段で行われたのではなかった』
この会談の時点で、既に100年前近い話を批判されたイギリスの大使は、
呆れかえってこうやり返したと言う。
『大統領…、確か私の記憶が正しければ、その頃貴殿のお国では、”米墨戦争”の真っ最中ではありませんでしたか?』
国連の査察を拒否し続けた真の理由だ。国連査察→米に(機密情報)筒抜け→イスラエル政府にも筒抜け、であろう。
国連査察を受け入れると言う事は、国防に関する機密が丸裸になると言う、個人に喩える所の゛身体検査゛、゛ボディー・チェック゛を施されると同義だ。
゛身体検査゛され、米経由でイスラエル国家に国防機密情報を知り尽くされると言うのは、イスラエル侵攻を祈念していたサダムには受け容れ難い屈辱だったのだろう。
それ以前に、フセインはかなり積極的に国連査察を受け入れていたのだが。
大統領宮殿や別荘まで公開して見せている。
そしたら国連査察団の中にアメリカのスパイが居て、
その後その場所がピンポイントで爆撃を食らう羽目となった。
その後、フセインが国連査察に非協力的になったのは当たり前と言えば当たり前過ぎる話だ。
故に、アメリカの悪を数えるのは、大いに結構だし、止めないが、湾岸戦争だけは除外してほしい。
私はフセイン討伐を大いに賞賛する。
イラク戦争だって捨て置く訳にはいかない。
【無理難題を突きつけられて、戦争以外に道が無い所にまで追いやる】
これが、いつものアメリカの姿だからだ。
湾岸戦争だって、実はアメリカは勃発する事を知っていた。
あらかじめフセインから打診されており、
アメリカは、それについて良いとも悪いとも発言しなかった。
イラン・イラク戦争の時は、アメリカはフセイン政権を支持していたのだから、
きっと今回も支持してくれるだろうと、
アメリカの反応を見て確信したフセインが、クウェートにイラク軍を侵入させたのが湾岸戦争の発端だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/april-608e.html
囲碁で申せば、呉清源(大日本帝國)と市井の碁会所のアマチュア(イラク)を比較するような気もするが……
そういう事言ってるんじゃなくて、
日本もイラクも、アメリカに【騙されて】戦争に持ち込まれたと言ってるんだよ
まぁ日米戦争の場合は、ソ連のスターリンによる「雪作戦」の結果かも知れないので、
本当の責任者はソ連、コミンテルン、スターリンかも知れないが。
前に小室直樹氏と日下公人氏の対談を読んでいたら、当時の政府首脳の手元に上がっていた報告データは全然、内輪に見積り過ぎた不正確な数字だったそうで、戦後、判明した本当の量は政府首脳の信じていた数字の倍はあったとか。
これが真(まこと)なら、「あ号作戦」の規模や攻撃回数も全然、変わっていたのでは?
日米離間って……(呆れ)
戦前のアメリカは、果たしてそんな素晴らしい国だったんですかい?
・ワシントン条約
・九ヶ国条約
・排日移民法(有色人種差別)
・ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約
・ホーレー・スムート法(関税法)
・日米通商航海条約破棄
・屑鉄禁輸
・石油禁輸
・ハルノート
こんな事やって来た国と、一体どうやれば戦争しないで仲良く出来たとでも言うのだろうか?
「日米離間」とかアホみたいな事をほざく前に、
【当時のアメリカ】が、一体どのような悪徳国家であったか知っておくのが筋であろう。
(当然ながら、【今のアメリカ】も、ほとんど変わっていない悪徳国家なのだが)
常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
現在の我が国の敵はアメリカではない。国内である。最大のテーマは国内の反日マインドで、その識別子は日本国籍の有無ではない。
>常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
そんな物は存在しない。断言してやる。
【利用価値が有る限りに於いて】
日本に好意的であるかのように見せかけているだけに過ぎない。
実際、北朝鮮の拉致問題を事実上見捨てたのはアメリカだ。
しかも、比較的「親日的」と呼ばれる共和党のブッシュJr政権だったではないか。
「性奴隷決議」だって、ブッシュJr政権の時代の話である。
日本にとって最大最悪の敵である中国政府に、
「テロとの戦い」に共に参加するからという理由だけで、好意的に接した初の大統領もまた、
ブッシュJr政権だったではないか。
故・中川昭一議員が、
「核武装も検討した方が良いかも知れない」
と発言しただけで、
「知日派」と呼ばれるアーミテージやナイが緊急来日。
(どちらも共和党)
「アメリカの”核の傘”を信じろ」
と強要した事も有った。
その後中川昭一氏はローマで「酩酊記者会見」を起こし失脚。
その後急死している。
私は、中川昭一議員はアメリカによって失脚させられた上、暗殺されたのではないかとさえ疑っている。
父親の中川一郎議員もまた、不審な死を遂げている。
中川一郎議員の場合は、自殺という事になっているが、自殺に見せかけた他殺など、テレビドラマや映画の世界だけではない。
繰り返すが、アメリカ政府の、共和党・民主党問わず、まず第一の対日目的は、
【日本が、再びアメリカに逆らわないような弱い国で在り続けること】
である。
中国や韓国と仲違いしていればなおのこと宜しい。
そしてアメリカ政府は、北朝鮮の核武装や中国の核武装については何ら文句を付けなかったくせに、
日本に対してばかり、核武装を議論すらさせない。
西村真悟議員も、核武装を議論せよと発言しただけで失脚に追い込まれた。
結局、アメリカ政府は中国や韓国、北朝鮮、ロシアなんぞより、
かつての敗戦国である日本の方をこそ敵視しているのだ。
しかし、国内のディスカウント・ジャパン勢力に対抗するには、悪魔であるアメリカの中の親日勢力と結託するのも已むを得ぬ。
例え、残地諜者(工作員)として゛彼ら゛、ディスカウント・ジャパン勢力を養成したのが占領当時のアメリカであったにしても、だ。
反米が国内のディスカウント・ジャパン勢力、電通やマスコミに巣食う獅子身中の虫、共同体にとっての悪性新生物を除去するよりも優先するテーマであろうはずがない。
それはおかしい。
日本国内の反日勢力を支援しているのは、ほかならぬアメリカではないか!
アイヌ民族を「先住民族」扱いしたのは、国連の人権委員会か何かだし、
アメリカ下院の「性奴隷決議」のせいで、日本は、「性奴隷」などという恥ずべき存在を持っていた事になってしまった。
一応言っておくが、「slave=奴隷」という単語の意味合いには、
基本的に西洋白人諸国レベルの差別や奴隷制度など、
歴史上に存在しなかった日本人にとって理解できない程、凄まじい悪い意味合いが付随している。
日本は、かつての白人が、黒人奴隷を大量にアメリカ大陸に移入したかのような、
あのような蛮行を働いた事にされてしまったのだ!
あのクソふざけた下院決議のせいで、日本の名誉がどれだけ毀損されたか!
一方、反日勢力が、どれだけ勢い付いたか!
それを少しは考えてから、物をほざいてもらいたい。
(社会問題等々叙述技法の一つである所の)゛擬人化゛の手法中に陥穽し居(お)る罠にかかってはならぬ。
例え、ラスボスがアメリカであったとしても、決戦以前のクォーター・ファイナルで゛四天王゛や゛三人衆゛に不覚をとればゲームオーバーだよ。
国内(迷宮内ダンジョン)の使い魔たちを悉く撃破しなくては、ラビリンスの出口で待っているラスボス、゛赤き龍(たつ)゛に見(まみ)える事すら、叶わない。
ものには順序がある。まずは足元の整備だ。
電通やマスコミ、裁判所事務職、検察庁に巣食う腫瘍を摘出せずして、焉んぞゲーム攻略ならんや?
アメリカは一枚岩ではない。
それはそうだろう。
だが、アメリカ人の政治家の誰一人を取り上げてみても、
【アメリカの国益を損ねてまで、日本の面倒を見てくれる慈善事業家などは存在しない】。
これは別にアメリカ一国に限らず、日本でも中国でも韓国でもロシアでも、世界中どこでもそうだろうが、
自国の国益を無視してまで、外国の為に尽くすようなアホな国は、お人好しでエエカッコシイの日本くらいなものなのだ。
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
日本では「Lotte」と委託販売契約を結んでいる。
ロッテと言えば、言わずと知れた「韓国系企業」である。
果たしてこれは単なる「偶然」であろうか?
何をどう言い逃れしようとも、
アメリカが所謂「反日勢力」の背後に存在する事は否定出来ない事実である。
有名所ではこのdoll社とLotte社の結託以外にも、
尖閣諸島海域での、中国による地下資源吸い上げが例に挙げられる。
日中中間線の向こう側でやっているとは言っても、地下資源の世界には「国境」や「線引き」などは無い。
つまり、由緒正しい日本側の資源すらも、中国によって吸い上げられているのだ。
さて、ここで問題になる事が一つ有る。
中国は日本より技術が遅れた発展途上国のはずではないか。
海底地下資源の掘削、獲得技術と言えば、かなり高度な技術が必要となる。
中国如きが如何にしてその技術を手に入れたのか?
答えから言ってしまえば、
ア メ リ カ の 石 油 マ フ ィ ア が
中国に海底地下資源掘削技術を譲渡してしまったのだ。
これは陰謀論でも何でもない。
少し調べればすぐに誰でも解る話だ。
アメリカは、中国と争っている訳ではない。
日本と中国が争ったとしても、頼みになる同盟国であるかどうかは甚だしく疑問である。
むしろ、ハワイで中国の国家主席が、
「中国とアメリカは、共に手を携えて、日本軍国主義を叩き潰したのだ」
と演説すれば、ヤンヤの喝采を浴びる間柄なのである。
(そもそも、今の中国共産党政府と、第二次大戦中の蒋介石政府とは、全然違う政権である事もアメリカ人の大多数は知らない)
私は゛反米゛には反対だ。私は国内問題を最優先させるべきだと思う。
少なくも、現在、政治エネルギーを反米に湯尽させるべきではない。
例え、アメリカの基本スタイルが「アジアの分割統治」であり、日支を反目させる工作を裏面で進めている事実があるにしても、である。
それでも、尚且つ、我々は、国論を反米に誘導してはならぬ。何故なら、我々の実力は反米を推進させるには程遠いからである。
大日本帝國ですら、一敗地にまみれた相手だ。
ワスプ中の親日勢力と協調する外交はリアリズムそのものだ。
このマターに道徳倫理を介在させる少女趣味的感傷主義の関与可能の余地は毫も存在しない。
国内問題至上主義、残地諜者の殲滅、除去、これの成った時、初めて、我々はリターンマッチの土台を再構築した、と申せるだろう。
この土台なくして、゛政治資源゛(←゛世論圧力゛の謂いの文言)を反米に浪費するのは自殺行為だ。
親日勢力なんて存在が果たして居るのか?
強く疑問に思わざるを得ない。
何度も訊ねるが、
【アメリカにとって利用価値が有る間だけ、親日っぽく演技しているだけ】
ではないのだろうか?
現に、戦後70年、日本は、アメリカに尽くして尽くして尽くして尽くして尽くし続けてきたにも関わらず、
アメリカ人からすれば、
『そんなの当たり前』
と言わんばかりの対応ではないか。
国境線だけ入った世界地図の白地図を用意して、アメリカ人の大多数に、
「日本を指さしてください」
とお願いすると、ほとんどの人がまともに指させないと言う。
中国を指さしたり、韓国を指さしたり、酷いのになると、アフリカのどっかの国を指さしたり……。
所詮、日本にとってどんなにアメリカが大事で重要であっても、
アメリカ人にとっては、その程度の認識であり、扱いでしかないのが【日米関係】ではないか。
>>263
基本的にあなたの認識自体は正しい。
あなたは米のマキャベリズムを指摘している。
私は日本の政治闘争のエネルギーの使い途を論じている。
それぞれのxy方向の←→↑↓の向き以前に空間座標に於けるz軸上のパラメーターが異なる。
共通の認識は我々はCIAの工作を受けている、と言う点だろうね。
あなたはそれを濁流だと見ている。
私は清濁合わせ呑む帆船逆風利用的ジグザク走法を提唱している。
>>262
フリーザと悟空のナメック星でのバトルは核兵器のレベルじゃない。
核兵器は近未来、時代遅れとなるだろう。
カメハメ波とか元気玉はプラズマ火球だと思うよ。
CIAだかFBIだかフリーメーソンだか、
はたまたロックフェラーだか、ロスチャイルドだか知らないが、
日本の所謂「反日勢力」の背後には、確実に【アメリカ】が存在する。
「反日勢力」と戦うに当たって、「アメリカと戦う」事を抜きに物事は語れない。
例えば「九条信者」、「現憲法信者」と呼ばれる人たち。
元はと言えば、GHQが現憲法を押しつけなければ、
御用学者に、
「大日本帝国憲法と違って素晴らしい憲法ですよ~」
などと宣伝させなければ、あんな連中は生まれていなかったはずだ。
集団的自衛権解禁の問題も、日本の軍事力の問題、有事法制の問題もそうだ。
旧日本軍に多大の問題が有ったとは言っても、
GHQが旧日本軍を解体してしまい、軍法や軍律も廃止してしまった事こそが、
今のこの【韓国以下】という惨めな軍事力の根本原因となっている。
また、治安維持法を廃止して、内務省を無くしてしまい、特高警察も廃止した結果、
共産党員が野に放たれ、日本中で大暴れした事も有った。
これまた、元を糺せば、【アメリカの仕業】である。
繰り返しになるが、「反日勢力」と戦うに当たって、【アメリカ】との徹底闘争を抜きには物事は語れない。
少なくとも、アメリカが前非を悔いて、
空襲や原爆投下、捕虜虐待、誤審も甚だしく多かったABC級戦犯裁判、
そしてGHQによる日本破壊工作としか言いようが無い無茶苦茶な【改革】、
これらの過ちを認めない限り、アメリカは【敵】と見なすほかに無い。
そしてRPGを例に出して、アメリカは「ラスボス」だと言うが、
現実世界はゲームのように一直線で進むものではない。
「この順番で攻略していかなければクリア出来ない」
というのが現実世界ではない。
いきなりラスボスが目の前に現れる事だって有るのだ。
皮肉な事に護憲派左翼陣営の方も改憲派復古主義者の背後にアメリカの意志を見る
本来、復古主義者は反米でなければならばいのだが、彼らの世界戦略は明確に米財界の意向に沿ったものに見える
特に湾岸戦争以降だ もし日本が本当に反米になったら世界情勢はひっくり返るだろう
日本が敵に回ったらアメリカにはWASP圏(英加豪NZ)しか味方がなくなるから
今度は彼らが国連を脱退して枢軸国と呼ばれるかもな
当然、今の親米保守だの、親米右翼もまた、アメリカの意向に従っているのは明らかだ
自民党は、結党以来数年間、アメリカのCIAだかから金を受け取っていた事が既に判明している
『分割して統治せよ』
この原則はあなたもご存知だろう?
欧米諸国が、植民地に対して行った政策だ
植民地の現地人たちの間を二つに分け、対立を煽る
現地人たちがお互いに争っている間は、決して結束出来ないし、
その批判の目が、宗主国に向かう事は無い
アメリカも、日本に対して同じ事を仕掛けた訳だ
我々はハンニバル・バルカの轍を踏んではならぬ。今般は失敗は許されないのだ。
勿論、究極の目標はリターンマッチだ。
だが、ボリシェヴィキの如き少数民族に牛耳られた寡頭政権の現出を可能性として保留する今の情勢下でリターンマッチとは片腹痛いとCIAも笑うに違いない。
冗談ではなく、この遊星そのものの存立を脅かすような物理的破壊力を伴う超絶兵器(゛核゛ではない)を擁する二国間の闘争だ。
ま、我が国がその土俵に立つ前にCIAが工作して、日本の国論の分裂を図るだろうがね。
この時、モスクワは陥落寸前にまで追い詰められていた。
冬将軍の到来とシベリア軍の投入で何とかドイツ軍の侵攻を抑え込んだものの、
東から関東軍が攻め込んだら、関東軍がバイカル湖に到達出来たかどうかは別にして、
スターリンとしては卒倒するほどの衝撃だったろう。
スターリングラードの戦いやクルスクの戦いなどでドイツ軍が押し返される事も無かっただろう。
真珠湾攻撃が起こった時、確実にスターリンは喜んだであろう事は忘れてはならない。
脇道に誘導してしまった。
>>267
ナチスのボリシェヴィキへの敵愾心ってのは゛近親憎悪゛だろうね。
その支持者も同様。
この認識の有無がリトマス紙だよ。
大体正しい事を書いてるのに、
『判決を受け入れた』と信じ込んでいるんだな。
そこだけが残念だ。
今更指摘するのも愚かなのだが、
サンフランシスコ講和条約の正文は、
【英語】
【フランス語】
【スペイン語】
この三言語である。
(「日本語」が含まれていない事に注意!)
つまり、何か解釈論争が発生すれば、
英語・フランス語・スペイン語の三つの条文を照らし合わせて解釈するのが筋なのだ。
外務省の公開している「日本語訳」は、仮訳でしかなく、
そもそも「正文」ではないし、
何よりも、外務省という組織自体の問題として【誤訳】があまりにも多すぎる。
外務省は、組織ぐるみで誤訳を量産する為に在る省庁なのかと疑いたくなるくらいだ。
有名な所では、
「国際連合」とは、イコール”United Nations”の訳であり、
United Nationsとは、【第二次大戦の『連合国』】を指す言葉であるという点であるとか。
元々【枢軸国】だった日本が、
『連合国に加盟しました』
ではおかしいと思ったのか、外務省が【国際連合】という珍妙な訳語をひねり出して今に至っている。
サンフランシスコ講和条約の『裁判の判決を受け入れる』云々の話も、それと同じく、
外務省の滅茶苦茶な翻訳に過ぎない。
フランス語・スペイン語の正文を読んでも、
『sentencias』となっており、この言葉は「裁判」を絶対に意味しない。
英語で言う「sentence」と似たような意味で、
「条文」「判決文」とかいう意味程度しか無い。
自虐史観に毒された外務省官僚が、意図的に「誤訳」したのではないかと疑っている。
神仏「え?そんなん、巻き込むなよ。アメリカに引っ越して反米闘争せいや」
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
>ゴミ
って部分、「弱っちい」とか、「弱すぎ」とか、「無茶苦茶、弱い」とか、「アンストッパブルに弱い」に変えられんの?
>>281よ
しかしながら、それは、無理からぬ事ではある。
゛軍゛は゛軍゛であって、国家の統治が任ではない。
元々、付与されていない権限、役割だ。
では、そうした、統治権限を有さぬ゛軍゛が何故に国策に容喙出来たのか?
これこそが大日本帝國の根本的欠陥であったと思われる。
しかし、右の問題に関し、統帥権干犯云々の議論は方向違いであろう。
問題は高等文官が軍と同一の範疇に属していない、文武両頭体制にあるのであって、最初から、武断一頭支配であれば、統帥権問題は発生しなかったのである。
只し、任官に際し、文官職への辞令拝命を受けた゛武人゛は、軍服を脱ぎ、専任すべきであろう。
高等官23歳~46歳の標準的極官を課長=大佐と仮定すると、文武3年(6年)交代周期で一人の高等官は4回転、民政軍政間の人事異動を体験する事となる。
これでキャリア官僚の軍事能力と民政能力の統一が達成出来る。
それだと「軍事の専門家としての質」がガクッと下がらないか?
軍人は「軍事の専門家」として純粋培養させるという帝国陸軍の考えは間違いではなかったと思う。
ただ、日本軍の軍法や軍規、軍律などの中に、
「占領地の民をどう扱えば良いのか」とか、
「軍政統治はどうするべきか」などの規定が全く存在しなかった事が問題なのだと思う。
「戦陣訓」は戦後酷評されまくっているが、
上記の問題点に答えようと回答を示した時点で画期的であった。
むしろ、軍人勅諭などと同時期に制定、公布されるべき代物であったろう。
それは、私も非常に重要な問題だと思う。
陸士5年、海兵3年9ヵ月の教練履修歴の無い武官は考えられないし、法学、行政学の単位を有さぬ文官も同様だ。
しかし、発想は転換されるべきだ。
養成されるべきは全人的武人であって、体育会的猪武者ではない。
また、往古の鉄漿(おはぐろ)、長袖の有職故実専門家、共和政ローマのキケロの如き文弱も却下だ。
試験科目に軍事に関する教科を加え、中学から、カリキュラム化するべき。
専門分野への傾倒は是正されるべきで、将帥キャリアを目指す上でエネルギーの浪費であろう。
勿論、知識は必要だが、専門職(ノンキャリア)を監督、人材活用する立場のキャリアに知識偏重を求める誘惑自体、官僚機構に存する硬直化の陥穽だと思う。
養成すべきはカエサルであり、ハンニバルであり、アレクサンドロスであり、トラヤヌス、ハドリアヌス、カミルスのような将帥の中の将帥であろう。
ドイツ参謀本部みたいのはお呼びでないと?
まあ日本はドイツの参謀本部に範を求めておきながら、
「最低の参謀」しか作り出せなかったわけだが。
近代化が進めば進むほど、
「細分化」「専門家」への傾向は避けられないと思う。
日本軍の根本的な問題点は、
・技術力の向上を軽視して精神主義に傾倒したこと
・ヨーロッパ最新式の軍事学、兵学、兵法を軽視し、日露戦争時代の戦訓のままで戦っていたこと
・特に帝国海軍、その中でも山本五十六と南雲忠一、草鹿龍之介(南雲艦隊の参謀長)たちが、空母の運用方法や空母戦のイロハを知らずに戦争していたこと
などが挙げられるのではないか?
専門家には組織の指導部は勤まらぬと思う。
むしろ「専門家不在」の状況こそが、日本を誤らせ、
戦争指導を誤らせ、結果的に大敗へと導いたと思うのだが。
専門家は必要ないとは申しておらんよ。
海軍には機関学校もあった。それ(専門家集団)を活用出来なかったのは提督たちに原因があったのだろうよ。
ヒトラーの言葉だが、
「指導者は(学校教育などで)作られる物ではない。
そのように生まれつきなってしまう物なのだ」
という言葉がある。
ヒトラーの人種差別理論まで肯定しないが、
この言葉は正しいと思う。
指導者は、元々その素質が無ければ生まれ得ないのではないか?
武断政治を実現するには、当の将軍に文の教養が不可欠だ。
文治政治の果実を真に手に入れるには、当の行政責任者に尚武の精神が必須である。
全人こそが国策を遂行する資格者である、と確信する。
シビリアン・コントロールを機能させるのは、軍服を脱いだ武人だけであろう。
このラインも指導者選出には重要であり、議会の政党は、殆ど、軍歴の無い議員が占めるはずだ。
勿論、退役軍人にも被選挙権はあり、軍キャリアの議員も選出されるだろう。
だが、政党政治家(及び、産業界)からの戦争圧力を兼軍行政官たちは軍事の専門家の見地から、(安易な開戦要求を)却下してくれるはずだし、その権威、説得力は絶大であろう。
「精神主義の陸軍、技術の海軍」と美化されがちな海軍にも、
このように技術軽視の傾向は多分に有った。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/technology/muzan.htm
「炭素原子(C)を含まない水(H2O)から、ガソリンが出来る」と思ってもいた。
「昭和13年(1938)頃には電波探信儀の存在が知られ、研究会も開催されたが、こちらから電波を発するなど闇夜にカンテラ。居場所を知られるだけでなんらメリットなし。でチョン。」
「昭和15年(1940)に海軍技術研究所ではセンチ波に取り組んだが研究中止を命令された。」
このように、海軍の科学音痴にも相当酷い物があった。
だから、制度上、ノンキャリアなのだよ。
>専門家はジャッジメントには不向きだ
それは「既得権益があるから」とか、
「色々としがらみがあるから」とか、
そういう理由で?
視野狭窄に陥り易い。
専門外に関し、弱点が多い。
少なくとも「軍人」に限っては「視野狭窄」であって良いと思う。
むしろ、下手に政治に関心を持って「3月事件」や「10月事件」、
果ては5・15事件やら2・26事件のような大事件まで引き起こすのは困り者である。
軍人は兵法や軍事学、兵器や技術の研究に集中し、外部に目を向けるべきではないであろう。
「文武両道」が、ただ学校の影響も何も無いキャッチフレーズ、標語と化して久しい。
文武両道こそが在るべき人間の理想像という話は理解できる。
だが、時代が進歩すればするほど、物事はやはり細分化を余儀なくされるのではないか?
それと人間には「向き」「不向き」というのが有る。
青白い青瓢箪のインテリが、必死に武道の鍛錬を積んだ所で滑稽だし、
才能や持って生まれたガタイの良い人間に小指一本で打ちのめされるのがオチではないか?
別に青瓢箪は、空手や剣道、合気道などの武道に精通する必要など無いと思う。
その代わりに、自分にとって最も興味の有る分野に於いて、
民を広く救うような大発見をしてもらえば良い。
分業体制こそが、近代社会の特色なのではないか?
民間は、それでよい。
私は国家の指導部構成、官僚機構のあり方を論じている。
例えば財務省であれば、出来る限り「経済の専門家」を集めたい所だし、
文部科学省であれば、出来る限り「教育の専門家」多く集めたい所であろう。
経済産業省は経済界から、農林水産省は農業や林業、漁業の専門家を集めたい省庁である。
軍人の出る幕は無いのではないだろうか?
昔みたいに学校教育で軍事教練をやるとか、
徴兵制度を採用するつもりが有るなら話は別だが。
学校で教練、大賛成だよ。
それならば良いのだが(私も賛成だし、徴兵制も賛成だ)、
一般的な支持を得られないであろう。
それが難しい所だ。
ほとんどの日本人は、
「どうせアメリカ軍が守ってくれるんでしょ?ヘーキヘーキ」
と思い込んで、何ら国防や安全保障の問題について目を向けようとしない。
困ったものである。
帝国海軍の答えを聞きたい。
「日露戦争が大勝ちしすぎた」というのが大きいね。
陸軍も海軍も、あれによって日露戦争時代の戦訓を「金科玉条」とする軍隊になってしまった。
特に東郷平八郎の指揮した「日本海海戦」なんて、
日本側の被害はほぼ無傷。
ロシア側にのみ壊滅的な大打撃を与えたという事で、世界中の海軍軍人の憧れの的になったものだ。
日米戦争で対峙したアメリカのニミッツやハルゼイなんかも、
日本海海戦の夢よまた再びと意気込んで戦っていたようなものだ。
東郷平八郎は、晩年「老害」と化したとはよく言われるが、
「日本海海戦の大勝利」というとんでもない置き土産を残していったものである。
(勿論、あそこで勝たなければ日本は滅んでいたかも知れないので、勝ってくれて良かった事は確かなのだが)
なるほど。
スレ主って、もしかして『失敗の本質』を読んだ事が無い?
この本の中で、
「日本軍は(日露戦争という)環境に過度に適用しすぎた結果、近代戦である日米戦争に通用せず、それでも見直そうと一切せずに敗退した」
と書いてあるのだが。
つまり、昔の恐竜たちと同じで、今の気温から比べれば5度とか10度くらい暑かった環境に適用し過ぎていた恐竜たちは、
氷河期が訪れると絶滅の運命を強いられたのと同じ事が、日本軍という組織体の中で起こっていたわけですな。
有り難う。早速、図書館にgoですな。自分、ビンボーなもんで。
司馬遼太郎も似たような分析をしているみたいだが、武も文も政府自体、思い上がっていたのかも知れん。
まあ、無理も無い。帝国主義ビギナーだったし、無菌、無雑草、無害虫のハウス温室栽培の純血観葉植物の如し、だったからね。
失敗の本質は文庫版の方が完全版なのでそちらをオススメする。
あと思い上がりというのは必ずしも正しくはないと思う。
なるほど。
適切な表現を請います。
現今の主流は゛帝国主義゛自体を否定する風潮が占めている。
A、゛帝国主義゛は゛悪゛である、論。
B、それ(Aの是非)はともかく、保留するとして、大日本帝国の場合は無理ゲーだった、論。
私はA、Bの両方を根本的に否定したい、と言う動機で本スレを立てたのである。
ケツを蹴りとばしてやりたい。
それは仰せの通り。
日本は半人前国家だ。
独立国家ですらない。
まともな軍隊ですら持っていない。
自衛隊が有るじゃないかと言われても、
装備は優秀でも如何せん数がどうしようもなく少なすぎる。
兵器の数も人員も予算も。
もし、ガリア戦争の時、後詰めに全盛期のカルタゴが存在していたとすれば、カエサルは泥沼に嵌まってしまうか、返り討ちにあっていたに違いない。
ピュロス王のエペイロスやバルカ家のカルタゴ領スペイン、プトレマイオス一世統治下のエジプトが同時存在し、有機的連携、包囲する状況下であれば、カエサルのアルプス越えをローマ元老院は許可しなかっただろう。
所が、日露戦争の戦利品で南満州鉄道の経営権並びにその沿線警備目的の駐屯権を手にした日本は欧米列強の衆人環視の現実が目に入らなくなったようである。
対英米戦に於いてですら、である。勝機と申しても、開戦時期を数年遅らせる事も含めて、である。
戦争回避が可能だったかは、議論が分かれるであろう。
当然ながら、日本は回避を望む立場であるが、アングロサクソンの側は、真逆の動機に促され、外交展開して参った訳で、戦争回避は困難だったのではあるまいか。
なぜしなかった?もしくはできなかった?
撃ち殺せばいい落下傘の米兵を殺さなかった?
雷以外にもにも多くの駆逐艦が敵である米兵の船を沈めたあと
きゅうじょしt
ひとたび近代化しちゃった以上、
ガソリンとかのエネルギーや錫、ゴム、棉花、石炭、鉄鉱石などの原料は必要不可欠だろう。
制度は昔に戻せても、生活や文化は昔には戻れないんだよ。
特に公平公正な貿易が保証されないGATT体制の無い時代に鎖国なんか不可能。
それに、日本だけが引きこもっておとなしくしていれば、
欧米列強の植民地化、帝国主義、民族差別の大嵐は自動的に収まったのか?
到底そうは思えない。
ポーツマス条約でそうなったんだ。
これは侵略ではない。何故?だって、満州での権益を維持、管理する上での当然の措置、そのカテゴリーに含まれる行動であるからだ。
常設軍配備権、これは国際的には、実質的領土、って事で、沿線限定区域は日本のものなのだよ。
これを侵そうとした東北軍閥、張作霖の後釜の連中の日本を嘗めきった過信こそが問題。
満州軍閥の日本への背信の責任を放棄している時点で支那の満州領有権は消滅している。
よって、その後の日支事変とは、我が満州権益への蒋介石の侵略の野望を排除する為の自衛戦争だ。
317だけどgattがなん何か勉強不足でわからないけどその協定がないから公正な貿易が担保されてなかったでオケ?
例えばアジア全体で鎖国とか無理だったのかな?と。
少なくとも朝鮮半島とは普通に大日本帝国だし、アジアの開放を歌うなら普通に石油が手に入るしゴムなら生えてた気がするんだけど?
例えば大東亜鎖国圏?な感じでは無理だったのかなぁと。
GATTとは、今はもう無くなってしまったが、
戦前の日本に対して行われた経済封鎖みたいのを絶対に禁止して、
お金さえ出せば、どこの民族でも正当な対価で必要物資が購入出来るとした、国際経済協定。
当然、不労所得で先物市場を吊り上げるだけ吊り上げてボロ儲けするような不届きな輩は、このシステムからは出ない。
(全く存在しないと言うわけではないが、出にくかったのは確か)
日本経済やドイツ経済が焼け野原からあっという間に復興出来たのも、
「勤勉は必ずや報われる」
「もう二度と昔みたいに経済封鎖されない」
というGATT体制の信頼と安心感有ったお陰なんだよね。
ちなみに、GATT体制の産みの親は、経済学者で朝有名なケインズと、
日本を戦争に追いこんだハルノートの実の産みの親、ハリー・デクスター=ホワイト。
で、大東亜戦争開戦前は、アジア諸国のほとんどは欧米列強の植民地だったじゃん
フィリピン=アメリカの植民地
ベトナム・カンボジア・ラオス=フランス
インドネシア=オランダ
マレーシア・シンガポール・ビルマ・インド=イギリス
中国だってまともな独立国家とは言えなかったので、東南アジアで独立していたのは、
日本とタイだけだったんだよ。
タイは単なる英仏が領土を接しないようにするための緩衝地帯、
要するに「お情け」で生かされていただけに過ぎない。
南満州鉄道諸利権の内容についてkwsk
鉄道沿線の延長事業の権利、沿線警備の兵力常設権、競合的平行鉄道建設の禁止、沿線域の指定鉱山採掘権、大連、旅順の領有権、指定合意地域での森林伐採権、沿線域内での日本人居留地設定、etc.etc.
蒋介石は当時、支那の英雄だった。
唯一のカリスマ。国際レベルで認知されていた指導者。
切り札的存在で支那ナショナリズムの象徴になっていた。
毛沢東と争った結果追い出されたと聞いてるが?
おぉ!タイな、知ってるよ。
世界史で習ったぜ!
でもちょっと付け加えるとお情けではないな。
フランスとイギリスで取り合ったあげく緩衝地帯としてにらみ合いの結果、列強同士の遠慮のかたまり的に残っただけだ。
たしかエチオピアだかスーダンだか忘れたけど、アフリカにもそういう地域はあったはずだ。
イギリスの縦の進行とフランスの横の侵略の結果な。
それはおいておいて、結局武力に裏打ちされた経済力の途方もないインフレの結果、果てしない植民地需要が生まれたのは確かだと思われる。
これって今の若者への搾取と構造は一緒だ。
当時、自国の膨張のため西洋諸国がカニバリズム的に武力の劣る異国を食い物にしていったわけだ。
同じ白人国家であるドイツ、イタリアさえも食い物にされていたよな。
「日本軍は20万人の慰安婦を囲っていた」だの、
「いやいや、40万人だったんだ」だの、
もう、日本の国内では完全に論破された、馬鹿馬鹿しい嘘・デマが世界中に広まってしまったな。
そやのうて、「大東亜戦争」を洗い直すんやで。
洗い直しても無駄ってことになってしまったってこと
喝!!
結局、日韓合意は呆気なく韓国人に破棄された訳だが、
安倍晋三はなぜ責任を取らんのだ?
嘘をついて日本人の名誉を毀損したのだから、
加えて、支払う必要の一切無い十億円という大金を差し出すという愚行を行ったのだから、
責任取って今すぐ辞任すべきであろうに。
自動車王、ヘンリー・フォード一世の表現に倣うならば〝国際秘密力〝と定義すべき金融資本、すなわち、グローバル銀行トラストは必然的に〝戦争〝を欲するからな。
その理由は以下の如しや。↓
〝資本の自己増殖〝とは〝銀行複利の幾何級数鼠算的人口爆発〝の別義に他ならない。
通常(平和時の)工場ライン稼働→市場→消費と言うフローチャートに於けるルーチンの繰り返しでは決して達成出来ない。
消費者は満腹(自足)すればそれ以上、購買活動をしないで済むが、工場ライン=産業資本家に資本投下する側、すなわち、銀行の後背地に控える約定的配当受給権利者、すなわち、預金者、転換社債購入者、株主等々のいわゆる、出資者たちは半期決算ごと、元本に比例する利息を要求するからだ。
先進国の経済成長率は3%台なら、出来すぎ君であり、通常なら、1~2%台を刻むのが精一杯だろう。
銀行家は逆鞘とシェア縮小を解消する手段として定期的人為的確信犯的に経済恐慌(バブル誘因、助長→破裂)とカタストロフとしての世界大戦を引き起こし、背任の証拠の隠滅を図らざるを得ないのである。
日本の歴史をねじ曲げて世界中に不名誉な嘘を垂れ流した嘘つき安倍晋三はさっさと退陣しろ!
Mr.斬魔刀「推参也!」
スレ違いなんや。
いや、安倍晋三が結んだ日韓合意ってのは、
日本の歴史をねじ曲げるインチキな内容の代物だよ?
安倍談話だって、村山談話の否定どころか、一層酷い日本悪玉論の内容…
このスレでは何度も指摘されたけど、
「日本だけが悪だった」
では片づけられないほど歴史というのは複雑な理由が絡み合っている
なのに、「日本だけが悪うございました」とか世界に宣言する馬鹿首相を批判するのは当たり前じゃないの?
いくら学術論争で日本の良い点が指摘されても、
「国の公式史観と違う」
という一言で黙らせる、暗黒社会が拡大したんだよ?
1945年8月15日以降の話題は要らん。
スレ穢すな。
スレ違いの異物混入やで。
おいおい、日韓合意の内容は「それ以前」の内容だぞ?
安倍談話についても「先の戦争」についての内容なんだから「無関係」じゃないだろ…
むしろ、ここでどんなに吠えた所で、馬鹿首相の馬鹿な歴史観のせいで無駄になる事を批判してんだよ
旧約聖書のエピソードに喩えるなら、アマレク人の助命を恣意的に図ったサウル王が該当する。
スレ立て人は我が昭和大帝は決してそうではなかったと信じている。
故に、(大東亜戦争の)敗北の原因は我々国民自身に求められるべきだ。
賢明な日本国民はその事を十分に心得ている。
しかしながら、再び申し上げる。如何に善良で賢い日本人民と謂えども、仁弱かつリベラルな啓蒙君主を戴いては共同体を維持する事は極めて困難である。
その理由を求めらく、本来、〝皇帝〝とは、大権、インペラートル、すなわち、大元帥と同義であるからだ。
〝仁弱な〝インペラートルなど矛盾も甚だしい。
〝皇帝大権〝を我らが君民共治の理想境、扶桑聳える敷島の大倭(やまと)の國の不磨の大典(のり)として復活させたい。
「日本は正しかった」
「日本は決して悪の国ではなかった」
と主張したら、
「国の公式史観と違う」
とかいう意味不明な理由でクビにされた
田母神個人が問題発言を繰り返す問題人間であったとしても、言論の自由は有るはずだ
なのに言論の自由を一切認めず国の公定歴史観だけを奉じねばならないというのはおかしいのではないか?
まして総理や政治家は「歴史の専門家」ではないのだ
歴史の専門家でも何でもない、むしろ一介の歴史ファンにすら知識量では劣るであろう無知な人間が、
勝手に歴史解釈を定めて、それに反する歴史観はケシカランと圧殺しようとしているのが今であり、
それが問題だと言っているのだが?
悪意の書き込みにしか見えん。
単なる現政権批判じゃなく、現政権が余計な「歴史認識」を振りまいているから批判の対象となるのだが?
お前は、歴史の専門家でも何でもない政府が、
勝手に韓国や中国の気持ちを「忖度」して歴史をねじ曲げている事について、
「批判するな!」とでも言い出すつもりか?
だったら一体何の為に「大東亜戦争を洗い直す」必要が有るんだ?
お前は歴史なんか一切勉強する事無く、政府がこうと決めた公定歴史観をひたすら奉戴していれば良いではないか。
ここは歴史板やぞ。
板違い、スレ違いを指摘されてる事に対し、屁理屈こねるな。
政府批判ではなく、政府の「歴史観批判」は板違いでもなければスレ違いでも何でもない。
むしろ政治板でこそ板違いなのだが、この馬鹿はそれは何とも思わないらしいw
お前には「大東亜戦争を洗い直す」権利など無い。
政府が中国や韓国に気兼ねした挙げ句に「こうだ」と公認した歴史観だけをひたすら崇め奉っていれば良かろう。
所詮そんな物は「政治的妥協の産物」でしかなく、「真の歴史」とは程遠いくだらない代物でしかないのだが、
「政府の歴史解釈を批判するのは、歴史板では板違い」
などと言い出す馬鹿キチガイは、黙って政府の歴史観をそっくりそのまま受け入れて疑う必要も無かろう。
何で「洗い直す」必要が有ろうか?
「ボルネオ島で飛行訓練してれば良かった」
という歴史ifが許されるのに、
「朝鮮併合などせず、朝鮮併合にかかった全額を大和型戦艦の量産に充てていれば良かった」
というifが許されないのは何でだ?
二つ目。
日本政府のデタラメな公認歴史観への批判を許さないのに、何故、
「疑問点の数々をここで挙げて頂き、今一度、同戦争を洗い直して」
みる必要など在るのだろうか?
「日本政府がこう述べている」というデタラメ歴史を、そっくりそのまんま信奉していれば良いのだから、何らの疑問も存在しないし、洗い直す必要も無いではないか?
三つ目。
政府への批判ではなく、政府のデタラメな「歴史解釈への批判」だと言うのに、なぜこれが「板違い」で「スレ違い」なのか?
「歴史解釈への批判」は「政治板でやるべき」とはどういう事か?
政治板の方が歴史板よりも専門家が集っているとでも言いたいのか?
四つ目。
日本政府のデタラメな、そしてあまりに自国と自国の先人たちを冒涜する歴史観を批判すると、何故、
「中核派」
なのか?
勝手なレッテル貼りではなく、確固とした理論的根拠を教えて頂きたい。
それこそ、安倍晋三が好んで持ち出す文句を引き合いに出すのなら、
「印象操作はやめて頂きたい」
柴山昌彦首相補佐官は、日本人にとって非常に大事な皇室の事について、
「そんなもの」と言い放った。
この柴山議員の不敬極まる言動を批判する事も、
「中核派」で「ただの反安倍主義者」で「板違いでスレ違い」なのであろうか?
日本の歴史と、皇室の歴史や存在とは切っても切り離せない関係に在る。
「そんなもの」呼ばわりなんぞもってのほかであろう。
こんな人間が、安倍総理のお気に入りで「首相補佐官」などという要職に就いている事は厳しく糾弾されなければならない。
当然の事ながら、こんな人間を首相補佐官に任命した安倍晋三の「任命責任」も問われるだろう。
思想的に自分に近いから「首相補佐官」に選んだのであろうし、
皇室について「そんなもの」呼ばわりした柴山議員の姿勢は、安倍晋三の姿勢と同一であると見なしても差し支え無いだろう。
つまり、安倍晋三その人も、皇室の事を「そんなもの」と見下げているのである。
日本人にとって最も重要と言っても過言ではない皇室問題についてすら「そんなもの」呼ばわり出来るのであれば、
大東亜戦争や歴史解釈の問題なんぞ「それ以下」の扱いでしかなかろう。
大東亜戦争は悪だった、侵略だった、日本が永遠に背負い込まなければならない十字架だ
みたいな河野談話、村山談話、安倍談話みたいな、
政治家の勝手な思いこみと、近隣諸国への勝手な配慮と歴史捏造を批判する事もスレ違いなのかね?
重ね重ね指摘する事になるが、
「日本だけが悪だった」
という解釈では歴史という物は理解出来ない。
政治家の発する談話は、そこの所がさっぱり理解出来ていない。
ただ、ただ、近隣諸国との間の摩擦を避けよう、避けようとしているだけで精一杯の、歴史の捏造ではないか。
大東亜戦争を洗い直すのであれば、当然、現行日本政府の政府解釈についても異議申し立てを行わなければならなくなる。
日本だけが一方的に悪だったなどという歴史解釈を、断じて認める訳には行かない。
そもそも、歴史というのはそんな単純バカな物ではない。
片方だけが一方的な悪だったなどという事は、仮説であっても有り得ないのだ。
まして、大東亜戦争の評価については、GHQや近隣諸国が決めるなどというのは言語道断であろう。
そんな存在に「配慮」して、歴史をねじ曲げるなど、先人に対する無礼も甚だしい。
米国は支那大陸の経済的利権と日本に対する警戒心で本来の敵を間違えてしまった。
建国の精神から言えば、資本主義、自由主義が基本の筈。それなのにソ連という共産主義、支那の共産化と戦っていた日本を敵に回してしまった。
むしろ、日本と共に共産主義に立ち向かうべきだった。
しかも朝鮮戦争の中途半端な終わり方で、いま北朝鮮問題で右往左往している状況。
そうすれば、広大な植民地を失うこともなく、今のような貧乏国になることもなかった。
イギリス経済は、ケインズの分析によれば、既に植民地大国であった時点で斜陽に傾いていたようですけどね
何しろ、イギリス経済は、第一次大戦終結から世界大恐慌を挟んで延々ずっと大不況だったらしいので
その間の大蔵大臣に適任者を得なかったのが最大の原因
(中には日本人の大好きなチャーチルも居るが、そのあまりの無能さにケインズはボロクソに批判して一書奉っている)
第一次大戦の復興期である1920年代に用意してしまった事。
チャーチルは日本人が思ってるような「反共の闘士」などではない。
「己の信念」に基づいて「ブレない」政治を行っていた訳でもない。
その場その場の立場に合わせて自分の政治的主張を切り替えてきたカメレオン的人物なのだ。
例えば、第一次大戦で海軍大臣を務めたチャーチルは、第一次大戦終結後に大蔵大臣を拝命した。
世間は当然今までのチャーチルの主張から見て、軍拡を主張するのだと考えていた。
しかし、チャーチルは世論に迎合して大幅に軍備を縮小してしまった。
植民地の防衛はおろか、イギリス本土の防衛すら不可能な程に大鉈を振るった事で世間は拍手喝采したが、
後々このせいで、イギリスはナチスドイツの軍拡に対応出来なくなる。
ボールドウィンやチェンバレンの「融和外交」が酷評されるが、
(しかも、チャーチルその人ですら批判していたが)
その原因を作ったのは、他の誰でもない、チャーチルなのだ。
しかも、戦後復興期で大量に資金需要が有った時に、逆行するかのような資金の流れを止めるデフレ政策を行い、
加えて、ヴィクトリア朝の絶頂期の頃の金本位制に復帰するなどというとんでもない愚行を犯した事で、
イギリスは、1929年の世界大恐慌前から万年不況に喘ぐとんでもない国家になっていた。
チャーチル大蔵大臣の無能さは、まさしく万死に値する。
南満州鉄道諸権益に内在される所の如何にもロシア風な虎狼の精神によってシステマナイズされた侵略的能動性を日本は国策に移植させちまったんだ。
なにやら熱い論戦になってきましたね
大東亜戦争、どうすればよかったか?で言い始めるとどこまでも遡ってしまいきりがなくなってしまうのですが、
ルーズベルトが日本を潰すまで戦争をやる意思がある限りその国力、戦力からみて太平洋の個別の戦闘で史実以上に勝利を収めたとしても
敗戦の時期が多少ずれ込むだけで総合的な結果は変わらなかったと考察します。
そういった意味で、朝鮮併合せずという選択肢は私も同感です。
朝鮮半島が併合とはいえ直接日本の領土となったためにロシアと日本が陸続きとなり防共の緩衝地帯として満州の維持が必要となった点を
考えると、いっそのこと朝鮮を併合せず防共のフロントラインを日本海まで下げて朝鮮併合によるインフラ整備に使った持ち出し分を
1907年の帝国国防方針で計画した八八艦隊へでも予算つけて速攻作ったほうがその後の対英、対米、対露への抑止になったのではないかと思います。
ワシントン海軍軍縮条約よりはるか前に。(大和級戦艦15隻はいいですね、さぞ壮観でしょう。模型メーカー大儲けですね)
ちなみに2015年現在米軍が朝鮮半島から兵力を減らしつつあり朝鮮戦争の国連軍司令部も横田基地へ後退させ、対共のフロントラインを日本海に移しつつある点をみても戦略的に意義ありと思います
そうなると当然、半島には露、独、仏、米、など他国の進出があるはずだが軍備拡大した日本に海を越えての上陸侵攻をするとも思えず、半島や満州をめぐる
この後の外圧もだいぶ様相が変わってくるのではないかと思います。(だってないんだから)
もっとも日清、日露で莫大な苦労をして手に入れた半島利権、国内の反対も強いとは思うけど。
そうなると後はだいぶ史実と変わってくるはずだが、とにかくアメリカを戦争に首突っ込ませない方向で持っていくしかないと思います。
アメリカは他国の戦争に関与しないとした「モンロードクトリン(1823)」を目一杯逆手に取り、 義和団の乱、WW1,シベリア出兵など多額の戦費と
人命を掛けて何も得られなかった過去をアメリカ世論にアピールしてルーズベルトの支持を揺さぶる方法をとりつつ、日独連携してとにかくイギリスを先に潰す。
これしかない。
アメリカに助けを求める間も無く潰す。
ドイツはロシアに気を移さず体力のあるうちにイギリス本土へ猛攻上陸。
日本もマレー、ビルマ、インドとアメリカをスルーしつつとにかく英、(蘭、仏は本国もう占領されてるけど)、インパール作戦でインド独立に火をつけるのももっと早いほうがいい。
主さんの広げたい方向と違うかもしれませんが。こういう方向しかないかと考察します。
ミッドウェー島占領やガ島奪回できたくらいではとてもとても…
個々の戦術的勝利は、大戦略の勝利には結びつかないと言う主張には同意です。
日露戦争に勝利した日本は、国際社会に徹底的に訴えて、
『朝鮮半島をスイスのような永世中立国としてほしい』
と働きかければ良かったのではないかと考えます。
まず、当時の「日の沈まない国」イギリスが日本の同盟国ですから、一も二も無く同意するでしょうし、
日露戦争で敗退したロシアもまた、朝鮮半島が日本との緩衝地帯となるなら…と大歓迎するでしょう。
1899年から1900年に渡って、アメリカはジョン=ヘイ国務長官が、「門戸開放」「機会均等」を訴える、いわゆる「門戸開放宣言」を行っていますから、
『朝鮮半島を諸外国の緩衝地帯とし、門戸開放・機会均等の理想の地としましょう』
と呼びかければ、アメリカとて「NO」とは言えなかったのではないでしょうか?
だって、自分で言った事なのですから。
朝鮮は独立国家ではありますが、本来なら植民地にされても文句が言えない立場なので、
日本提案による、『諸外国の緩衝地帯』『東アジアの永世中立国』という提案は、案外多くの国々の賛同を得られると思われます。
それでもロシアの捲土重来が心配ならば、関東州と満鉄付属地は、ポーツマス条約で日本の物と決められたのですから、
徹底的に関東州と満鉄付属地を要塞化、駐屯している関東軍も徹底的に近代化した上で、ロシアの南下に備えれば良いのです。
当然、ノモンハンも張鼓峰も国境を接していないので、もしもこれでロシアないしソ連と衝突するような事件が有れば、
それは日本の侵略ではなく、間違いなくロシア(ソ連)の侵略によるものです。
国際的にも大義名分が立ちます。
先述の通り、第一次五カ年計画を成功させ、第二次五カ年計画に踏み切った1935年~36年の辺りまで、
極東方面のロシア(ソ連)軍の戦力なんぞタカの知れた程度でした。
関東軍が関東州と満鉄付属地をソ連の侵略から守っている間に、帝国海軍がウラジオストクやハバロフスク、北樺太、カムチャッカ半島を占領してしまっていたでしょう。
ソ連が国際条約を守らず、朝鮮半島に侵入したらどうか?
これまた、国際条約違反を責め立てて、米英仏にも協力を仰いだ上で、ソ連征伐に乗り出す事が可能だったでしょう。
朝鮮半島は大陸との「緩衝地帯」に留めておくのが最良だったと言えます。
>>231の開戦前の国内石油備蓄量の件以下のサイトに詳細が出ていますのでご参考にどうぞ。
戦争と石油
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/662/200603_071a.pdf
かいつまんでいうと、開戦前の国内石油備蓄は陸海軍に民間備蓄をあわせて計およそ800万キロリットル。これは禁輸前に仮想敵国から購入して確保した分。
対して戦時の国内消費量がおよそ600万キロリットル。なので単純計算で1年と4ヶ月分のストックがあったことになります。
一方開戦後占領した南方油田での石油産出量は日本国内の1年分を十分にまかなえる量(昭和18年・788万キロリットル)を終戦時まで維持し続けました。
(連合軍もこの油田施設は自分たちの資産でもあるので空襲による破壊は行いません。終戦後すぐに稼働させます)
日本軍の制空、制海権の後退と共に国内への輸送量も激減し(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万リットル)、南方油田で大量の備蓄を抱えつつ
国内に持ち込めず、なおかつ空襲による国内精油施設の被害により持ち込んだ石油の精製もできず最後は国内在庫が底をつき行動不能という結果になりました。
本スレ>>12はこの状況を簡潔に表現しています。
猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」にでてくる擬似内閣と軍をつくり日米戦のシュミレーションを行い敗戦を予測した総力戦研究所でも、
当時の国内在庫量は正確な数字がつかめなかったということです。それが >>231の内輪の不正確な数字の由来だと考察しますが、
もし仮に開戦時の備蓄が2年分(12000キロリットル)あったとしても戦局の推移に大きな影響はなかったと思います。
占領した南方油田の管轄は、
陸軍が占領した油田(全体の85%)の石油は陸軍の物、海軍の占領した油田(15%)の石油は海軍の物
という区分で政府は不介入というのも問題あり。一応融通するための連絡協議会はあったらしいが。
これじゃ軍艦動かんわ…
正(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万キロリットル)
ちなみに昭和20年には途絶した模様。
「何故、我が大日本帝国はマレー作戦完了後、生産拠点をボルネオに移転させなかったのか?」
1942年4-5月の2ヶ月で、プログラムの設計ーーー構想の青写真と具体的手順を作成し、6月に現地調査兼人員、建設機械等の輸送、7月着工ーーー2年後の44年6月には相当の進展が見込めるだろう。
トラック環礁にはボルネオからの方が呉や横須賀、佐世保よりも近いはずだ。
朝鮮半島併合初期の様なライフラインの整備から始めないと立ち上がらないんじゃないかと。
もっとも英仏蘭の進出があったので朝鮮半島よりは条件がいいとは思うが。
生産拠点を前線に近いところに置くのは危険。あくまでサービスデポ程度が適当じゃないでしょうか
なるほど、ボルネオには現地のゲリラ等がいて、戦闘地域であり、生産どころの話ではなかった、と言う事ですか。
残念ですな。
(それも大変だけど2014年でやっと製鉄所できたのに)各地に物流、生産の拠点を広げていくのは現実的なプランだ。
しかし戦時の真っ只中で新規に外地に鉄鋼、造船、航空、ほかマテリアルの生産工場建設と稼働はしたくても無理と思います
石油とアルミニウムのある東南アジアに帝国は生産拠点を移すべきではなかろうか?
「太平洋戦争の関ヶ原」、マリアナ沖海戦は44年の7月だ。マレー作戦完了は42年初頭であるから、同年3月から起算しても丸2年プラス4ヵ月ある。
パイロットの訓練飛行に消費されるガソリンも訓練飛行場がボルネオなら、湯水の如く、使えるはずだ。
輸送は駆逐艦艦隊で防御出来るはずだ。
人員輸送は97式飛行艇、2式大艇で実行、一式陸攻と入れ替わる旧型の攻撃機、96式陸攻も人員輸送に転用させる。
ガソリンはボルネオが拠点なら無尽蔵のはず。
実際に昭和19年6月のサイパン島をめぐる海空戦であるあ号作戦直前には海軍機動部隊や
航空部隊は燃料豊富なブルネイで訓練と戦力の集結を行っています。現在においても東南アジア各国間の物資輸送の主力は海上交通であり
その船の大動脈シーレーンが確保できないことには生産拠点の移転もままならないと思います。
現地ゲリラは防諜面で問題あるものの大した障害ではなく、米軍の潜水艦に我が方の水雷戦隊が手も足も出ない上に輸送船もないというのが問題だ。
それであれば機数も少ないうえに搭載能力も少ない九七式飛行艇や二式大艇を輸送に使うよりは戦前の1926年に理論が確立されていた
八木アンテナの研究を進めて実用化し機上レーダーを飛行艇に搭載し早期警戒機として管制迎撃網を
整えた方が有効だと思います。あとだしの理想論ですが
ガダルカナルなんざ、湯水の如く、陸上攻撃機で空爆しておけば、米軍を殲滅出来たのでは?それが出来なかったのはガソリンのみならず、爆薬の製造も全然、前線の需要と乖離していたと思われる。
支那大陸用の軍事物資を回す以外にニューギニアの戦線を維持する方法は無かったとすれば、それを実行すべきだった。
ソロモン航空戦に初動対応した海軍三沢航空隊(1式陸上攻撃機)の定数が24機
一回の出撃での損耗率が40パーセント。3回の出撃で全滅という戦況で湯水のごとく空爆は無理です
むしろ湯水のごとく空爆してきたのは米軍機です。
その陸攻機ですが、山本司令長官の遭難時の搭乗機もその機種だったそうですな。
あ号作戦もそうですが、山本司令長官はよほど、海軍陸攻機に信を置いていたのでしょう。
航続距離に惚れておられたのかな。
当時の海軍には旧式の96陸攻と主力の1式陸攻の二択しかないうえにラバウルには1式陸攻しかなかったので仕方ありません。
ソロモン航空戦のときはまだ月光の前身の2式陸上偵察機の状態でしたね。
このラバウルの夜間空襲の戦訓から生まれたのが後の月光なので登場までもう少し待たないとですね。
「南方資源も確保、我が帝国は難攻不落の自給自足の生産体制を築く事に成功せり」と随分、威勢がよかった。
あれは(当時の)国民向けのジョークだった訳ですな。
銀行口座に100万ドル預金があっても凍結されてたらないのと一緒ですね
これはわかるし賢明な選択だと思う
大体、こんな流れ↑だろう。
奥地(重慶)に逃げ込んだ蒋介石へのビルマ、雲南方面からの英米の援助。
英領マレーを攻略する理由は援蒋ルートの遮蔽が一つ。
後の理由は、オランダ領ボルネオの石油基地を接収する為に軍事的障害となるマレー半島のイギリス軍を無力化させなければならなかった。
所が、ボルネオの石油は即効性のある資源とも言えなかった訳ですな。
矛盾してるよね。
使え無い資源(ボルネオ)の為に真珠湾の米軍の横っ面を張り倒したんじゃよね?
アホ過ぎませんか?大日本帝国。
蘭印パレンバン精油施設など東南アジアの油田地帯をほぼ無傷で占拠したものの国内への輸送は
あまり具体的な計画はなかったようですね。
最後は外地の豊富な油田地帯を確保したまま物資不足で終戦ですから。
>蒋介石の国民党政府との戦争→長期化→戦争経済(GDPだけは高度成長)→政府財政は逼迫→輸入増大&世界経済のブロック化で外貨獲得手段(輸出)困難→じり貧
なんか、スレ主の歴史認識は順序がデタラメだぞ?
まず、満州事変が起こる一年前、すなわち1930年には、アメリカで【ホーレー・スムート法】(関税法)が制定されている。
「万里の長城」と揶揄されたこの高関税の山のせいで、日本はアメリカ市場を失った。
日本の農村の作っていた絹織物、生糸などは、アメリカが最大の顧客だったがために、
農村はとてつもない損害を受けた。
515事件や226事件などの原因は、この疲弊した農村の救済も目的として在った。
つまり、日本の大陸進出なんぞ関係なしに、すでにアメリカは日本に対して門戸を閉ざしていた。
自分たちは日本に対して「満州の門戸を開け」「支那の門戸を開け」などと要求していたくせに。
ついで、満州事変の1年後、とは言っても、日本が未だ国際連盟を脱退していない1932年には、
大英帝国が「オタワ会議」を開催、イギリス本国と植民地とのみだけ貿易するという、
いわゆる「ブロック経済」に移行した。フランスもすぐにそれに続いた。
加えて、海外植民地無しで世界最大の面積を誇っていたソ連は市場閉鎖措置を取っており、日本の輸出品が売れるはずもなかった。
まして、ソ連は日本の天皇制を32年テーゼで全否定し、「天皇制を打倒せよ」などという指示を与えている。
いくら経済のためとはいえ、ソ連などと仲良くしたら、日本の国体がどうなるか解らない。
アメリカ市場には輸出できない、英仏とその植民地にも輸出できない……
ソ連も市場を閉鎖している……
控えめに見ても「全世界の半分」が、いや「4分の3」が、日本に対して門戸を閉ざしていたのである。
何度も言うが、これは「支那事変」は関係ないし、「満州事変」も関係ない。
このままでは農村は死ぬしか無いし、都市の工場労働者も大量にクビ切りされて、路頭に迷うほかに無い。
何せ、米英仏ソの四大国と言えば、どれもこれも日本以上の工業大国であり、品質の良い商品を大量に作って、世界中に輸出出来る国々なのだから。
当時はまだ粗悪品だった日本製品と、米英仏ソの国々の商品と、どっちを買うかと言われれば、日本製品は選ばれなかったであろう。
物が売れなければ企業は倒産する、倒産しなくても大量にクビ切りされる。
労働基準法も、労働組合法も存在しない時代であるのだからなおさらだ。
アメリカ市場以外、また英仏とその植民地以外の地域に平和的に輸出しようとしても、
米英仏ソもまた、日本と同じ考えであった以上、衝突するほかに無かった。
米英仏ソの四大国たちは、自分たちがブロック経済で外国の商品を買わない代わりに、
輸出を自粛しようなどという殊勝な考えなんぞ持っていなかった。
ブロック経済で自分たちの利益は確保した上で、さらに自分たちのテリトリーではない地域にまで手を伸ばそうと企んでいたわけだ。
ガチニキ登場や
詳しい解説ありがとうやで
2です。
黒船以来の太平洋をめぐる日米100年戦争のことは承知しています。
だが、現状日本自力のみでの国土防衛は厳しいかと。将来的にはそうありたいですが。
外国軍を当てにするの国防が他力本願なのは承知してます。
犬のように従えばいいとも思ってませんのでそのへんは理解していますが、
あなたがというのではなく離間を狙う勢力もあるのでそこはかれらの思うツボにならないようにしないといけないと思います。
冷静な返信ありがとうございます。
すぐに喧嘩腰になる人と比べれば、貴方のような立派な人は希有と呼べるでしょう。
(お世辞ではありません)
しかしながら、最低でも【戦前の】アメリカは、【ろくでもない国】であった事は確かです。
映画『42~世界を変えた男~』や、『バンクーバーの朝日』を見れば解りますが、
1960年代の「公民権運動」が起こるまでのアメリカは、
【ナチスドイツに勝るとも劣らない超・差別国家】
であった事を忘れて貰っては困ります。
そもそもナチスドイツの人種理論や反ユダヤ主義理論の多くは、
【アメリカ人】のマディソン・グラントや、
ヘンリー・フォードなどがネタを提供した物である事も忘れてはなりません。
ヒトラーはフォードの肖像画をフリードリヒ大王に並べて掲げていたとか。
『日本人の大脳の灰白質は、白色人種よりも白い。深い思考能力が出来ず、発明能力や学習能力は劣る』
当時のアメリカの人種学者の「日本人」の説明と言えば、このような物でした。
『ヒトラーのテーブルトーク』という本の中には、
『日本人は、三半規管がイカレてるから飛行機の操縦は出来ない』
という当時の白色人種間で広まっていた噂話が出てきます。
ヒトラーの邪推では、日本人がわざと白色人種の差別意識に便乗して、この俗説を補強して垂れ流した、
『素晴らしい謀略活動』
であった事になるのですが、日本人にそんな高等テクニックの謀略は出来ないでしょうから、単なるヒトラーの「邪推」でしょう。
でも実際に、真珠湾攻撃を聞いたアメリカ人の多くは、
『日本人如きに航空機の操縦など出来るはずがない!これは日本人に協力していたドイツ人が敢行したのだ!』
と真っ先に広まったのを見ても、アメリカ人による日本人差別は、病膏肓に入っている水準だった事が解ります。
私は【戦後の】「GHQ改革」や「年次改革要望書」、
「TPP」などを押しつけてくるアメリカも大嫌いですが、
【戦前の】アメリカは、もっと嫌いです。
あんな国が相手では、遅かれ早かれ戦争は避けられなかったでしょう。
他国の戦争に不介入という公約で当選しておいて、それでも利権理由に日独との戦争に参加したいあまりに、
自国民を欺いてまで戦争へと日本を誘い込んだルーズベルトなどその嫌悪の最たるものでしょう。
戦後、アメリカが行ったWGIPによる自虐史観の植え付けなどで気付かぬうちに洗脳されている人もまだまだ多いですので、
戦前・戦中・戦後のアメリカによる闇の部分も周知していかないといけませんね。これは同感です。
国家安康・臣君豊来の鐘のときの徳川と開戦前の対日禁輸とハルノートのアメリカは似たような状態で、
譲歩なんてものが意味なさなかったのでしょうね。
アメリカの「闇の部分」を指摘すると、
『日米離間だ!』
『中国・韓国のスパイだ!』
と言い出す人が多いので、本当に嫌になります。
日本を戦争に追い込んだのもアメリカなら、
敗戦後、GHQ改革で日本を滅茶苦茶に破壊したのもアメリカでしょうに。
こんな事、例えば大日本帝国憲法を作り替えるなどとは、ポツダム宣言にすら書いていない事な上、戦時国際法に違反しています。
おまけに、仰る通り、WGIP、
【劣った劣等民族の日本と日本人が全て悪うございました】
と洗脳したのだから、もう許し難い暴挙です。
先の「安倍談話」も、
・アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった
などとふざけた嘘八百を並べ立て、
・ケネディ「観光大使」のような外交のド素人を日本に送り込んできたオバマ政権に対して、聞いてて恥ずかしくなるような
『民主主義のチャンピオンを送ってくださった』
などとベタ褒めし、
・日露戦争まではまともだったのに、その後は魔法にかかったかのように狂って、慢心して駄目になった。
そして敗戦の結果、アメリカ様のお陰で、日本は何とかまともな国に立ち返る事が出来ました
めでたしめでたし
こんな歴史観を、「保守政党」の「タカ派」の「一国を代表する総理」が得々と披露するような状況になってしまった……
全く酷いもんですよ。
ニューギニア戦線の初期には配備されていなかった。開発完成が間に合わなかったのだろう。
惜しまれる。
一方、海軍には「月光」、「紫電改」と言う爆装可能な陸上戦闘機がある。
陸軍と海軍が別々に開発する事は問題だった。生産ラインの乱造。アルミとニッケルの無駄使いではなかったか?
陸海軍で用途が違うものもあるので一概には言えないが、同じような目的の兵器はなるべく共通の方が生産・補給面で有利ですね。
陸海軍で同じ20ミリ口径の機銃弾でも規格が違って共用できない日本よりもアメリカのように陸海空及び海兵隊全軍共通弾薬としたほうが
合理的ですね。
中島飛行機製作所、小泉・半田工場増設
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima-saito/saito2/naka40-41.html
輸出先のほとんどを失った日本は大陸進出を決行、ドイツではナチス政権が成立してソ連と東欧諸国への進出を決行。
元々「イギリスのスパイ」と政敵から非難されていたムッソリーニのイタリアですらも、
海外市場を開拓しようとして、イギリスと対立してまでもエチオピア戦争を行っている。
ちなみにムッソリーニ政権は、最初は外交的に英仏の市場に食い込む事を目指しており、日独よりも2年も長く堪え忍んだ。
つまり、エチオピア戦争は1935年に始まったが、ムッソリーニ政権は世界大恐慌からの5年間の間に、失業者のほとんどを吸収する事には一応成功していた。
公共事業の大幅な促進と、企業の国営化をセットにした統制経済の断行によるものであったが。
従って、エチオピア戦争は、失業者救済がメインというよりも、エチオピアの資源目当て、
それと話し合いに応じない無礼なエチオピアを『膺懲する』のがメインであった。
【排日移民法】(1924年)
これも重大な問題だからね?
輸出も出来ない、移民も出来ない、
そんな日本人が生きていくためには、中国大陸に進出していくしかなかった
中国大陸がほぼ唯一の日本の生命線だった
中南米諸国は「アメリカの裏庭」みたいなもので、
アメリカが圧力をかければ容易に日本人移民の受け入れを拒絶させることができた時代だし
いわゆる、1929年10月のブラック・サーズデー(米ウォール街)の翌月、濱口内閣は大蔵省令で金本位(輸出解禁)を公布し、実施日を1930年1月としたが、これはタイミング的に最悪であり、国内経済大デフレを招き、倒産の嵐となった。間に満州事変の若槻礼二内閣を挟み、結局、犬養
木堂の政友会内閣が成立すると、蔵相、高橋是清によって、1931年、再び、金解禁から離脱となった。
世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これもおかしいと思う。
1932年のオタワ会議開催時点では、日本の景気は回復していない。
首相である浜口雄幸こそは暗殺されたものの、
蔵相は当然、万死に値する無能の井上準之助のままである。
高橋是清が登板したのは、政友会の犬養内閣が成立してからであり、
その高橋積極財政の効果が出始めたのは1934年辺りからだ。
現に、イギリス領インドへの綿製品輸出を巡って、イギリスとこの頃から対立が始まっている。
かつては日英同盟を結んでいた間柄だった日英が、なにゆえ対立関係となり、最後には戦争に至ったか?
それは、ワシントンや海軍の軍縮条約も勿論原因の一つとして有るが、
1934年辺りからのインドへの綿製品輸出問題が発端となっていると言っても過言ではない。
浜口雄幸と井上準之助にもし唯一評価すべき点が一つでも有ったとしたら、
不良品を作ってる不良企業を軒並み倒産、もしくは合併させて、優良商品を作れる企業に生まれ変わらせた事だけであろう。
(と言っても、それを実際に行ったのは民間の経営努力であり、
井上準之助たちの行動は「怪我の功名」「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな物でしかなかったのだが)
1930年の頃の日本企業と、1934年の頃の日本企業とでは、わずか4年とは言っても全然その中身は違っていた。
これは高度経済成長時代を連想すれば解りやすいだろう。
高度経済成長時代と言えば、わずか4年でも、企業が全然まるで異なるくらいに収益を挙げており、給料も大幅に増額されていた時代だった。
1930年の日本企業と1934年の日本企業とでは、
高度経済成長時代のように収益や給料が上がったかどうかは別にして、全く別の、
米英仏ソと争っても優位に立てるくらい、企業が見違えるように改善されていた。
井上準之助の唯一の功績だろう。
しかし、「経済の神様」高橋是清が、ここで大チョンボを始める。
「インフレを懸念したため」という理由で、1935年には早くも積極財政に歯止めをかけ始めたのだ。
真っ先にやり玉に挙げられたのが軍事費である。
これが226事件で、高橋是清が暗殺された原因である。
満州事変の軍需景気と、高橋積極財政によって、確かに都市部の景気は良くなった。
しかし、農村部にまでは、その好景気は波及していなかった。
陸軍の兵隊たちは、その農村部から送られた次男、三男以下の男たちを主軸としている。
軍事費の一部として、彼らに支払われる「給料」「人件費」は、
農村への「仕送り」として、慢性不況に苦しむ農村の唯一の資金源であった。
高橋是清は、その農村にとっての唯一の資金源を止めた。
兵隊たちの事を我が子、弟のように見なしていた青年将校たちが激怒したのは言うまでも無い。
226事件で決起した青年将校たちは、例外なく兵隊たちの故郷の窮状に心を痛め、農村を救わんがために決起したのだ。
高橋是清の死後、高橋が心配していたインフレ懸念など全く存在しなかった事が判明している。
高橋是清は「経済の神様」だったかも知らんが、絶対に間違いを犯さない全知全能ではなかったという事だ。
プア・ホワイトが叫んでいたのだろう。貧しい白人=後発移民。
アイルランド系が中心だったのではないかな。
富裕層が日系移民と競合する職種分野は無い訳で、ブルーカラー職となると、後発移民のアイルランドと言う事になる。
大帝陛下の独白録に移民排斥は言及があった。
ちなみに、オレゴン州と言えば、今、ポテトチップスに使われているジャガイモのほとんどがオレゴン産であり、
また、対米強硬外交を主張した、松岡洋右の故郷でもある。
松岡洋右の持論では、
『アメリカ人というのは、徹底的に殴り合わなければ、日本人の価値を認めない』
と言うのがあった。
もっと詳しく言うと、
たとえば、畑のあぜ道、人が一人通れれば良いような狭いあぜ道が有ったとする。
そこに日本人が一人、向こうからはアメリカ人が一人歩いてきた。
当然、譲り合うスペースは存在しない。
そんな場合どうするかというのが松岡洋右の謎かけである。
アメリカ体験者、松岡の答えは至極簡単、
『不意打ちでも良いから殴りかかれ』
というものだった。
『もしも日本人が臆して、または配慮を効かせて、あぜ道から落っこちるくらい道を寄せたとしても、
アメリカ人は感謝するどころか、より一層日本人の事を小馬鹿にするだけだからである』
松岡洋右の事を戦争狂とあざ笑うなかれ。
戦後の日米関係を見れば、日本がどんなにアメリカに譲歩しようとも、
アメリカ人にとっては、「そんな事は当たり前」であり、感謝のかの字も無い。
そして要求はますますエスカレートしている一方である。
松岡洋右の主張は、何も戦争狂のタワゴトでも何でもなく、アメリカ人の生態を鋭く突いて洞察した慧眼であったのだ。
支那事変が勃発している。
当然ながら軍事費はうなぎ登りに上がったが、高橋是清の心配していた、制御不可能なインフレなど起こっていない。
日本で、高橋是清が心配していた「制御不可能なほどのインフレ」が発生したのは、
敗戦時の焼け野原状態の時、大蔵省や企画庁、軍需省、特高警察などの統制が効かなくなってからである。
昭和20年の敗戦の年まで、日本の統制経済はうまく行っており、農村の経済状況も見違えるほど改善されていた。
農村地主の経済力も奪われ、小作人の多くが地主以上に儲かるように仕組みを変えられたのも、
実に戦時中の農林省による統制経済の賜物である。
「農地解放」と言えば、GHQの戦後改革の目玉の一つだが、
すでにその路線は、戦時下の日本によってあらかじめ準備、お膳立てされていたものであった。
むしろ、1935年からの高橋是清による軍事費削減は馬鹿げた政策であり、
226事件で彼が殺されなかったとしたら、
ルーズベルトのニューディール政策と同じく失敗に終わっていたであろう。
慢性不況に苦しむ農村を無視して、真の景気回復など不可能だからだ。
また、先ほども言ったように、226事件の一年半後には支那事変が勃発している。
支那兵が便衣兵とか卑怯な戦法を多様していた事は百も承知だが、
支那兵如きに苦戦する日本軍では困る。
「支那大陸は広い」と言うが、モンゴル民族や満州民族など、
日本軍より少ない人数で支那を支配した民族も歴史上には存在したのだ。
彼らに出来て、日本軍に出来ないはずがなかった。
歴史の後知恵となる事は百も承知だが、高橋是清がやるべき事は、軍事費の大幅な増額と、
都市部の好景気の恩恵がなかなか回ってこない農村の救済であったろう。
しかし、統制経済反対、自由経済万歳の高橋是清には、どだい無理だったと言える。
ワシントン海軍軍縮条約は当時天井知らずになっていたお互いの軍事費を抑止するための物なので理解できる。
しかし1930年代に日本が行った軍事費大幅削減期間は艦船や航空機など特に予算を食う海軍にとっては少数精鋭にせざるを得ず、その層の薄さはのちの太平洋の戦局にも尾を引く結果になったのでやはり時代を読み違えたと思います。
ことが起こってから慌てて増やしても間に合わないのは戦局が証明している。
ワシントン海軍軍縮条約が有ったからこそ、
ロンドンの海軍軍縮条約が有ったような物だし、
『前回譲歩したんだから、今回も譲歩したって良いだろ』
と米英にツッコミを与える要因となった。
その意味で悪しき前例を与えたと言える。
また、ワシントン海軍軍縮条約の際には、アメリカの太平洋艦隊なんぞタカが知れた程度しか存在しておらず、
ほとんどのアメリカ海軍は大西洋方面に集中していた。
ワシントン海軍軍縮条約は、アメリカの太平洋艦隊を強化させたという結果論では最悪の愚手だった。
もしも当時の人間にナチスドイツの台頭や、ファシスト=イタリアの興隆が解っていたら、
ワシントン海軍軍縮条約で、
「全加盟国を対等な条件(10:10:10:10:10)とするか、もしくは0にするか、二つに一つ、どっちか選べ」
と日本側は声を大にして主張出来たであろう。
恐らく米英の世論にも訴えかければ、0を選択するのが分かり切ってるので、
ドイツのUボート攻勢や、ロンドン海軍軍縮条約に加盟しなかったイタリア海軍の攻勢にイギリスが耐えきれるわけが無かったからだ。
仰る通り、ロンドン海軍軍縮条約の頃は、日本があんな物を受諾したせいで、
国内的には「統帥権干犯問題」を惹起し、
対外的には「層の薄さ」を路程、たった一度のミッドウェーの敗戦で、ベテランパイロットの多くを喪失し、
以降敗戦続きという結果を招来するに至ったので大失敗の政策だったと思われる。
片翼帰還の樫村機やな
ロンドン海軍軍縮条約(日本側補助艦艇、対米比0・69)
どっちも日本海軍の意向というよりも軍部の台頭や軍事費を抑えたいという
政治・財政面での考えで先導された面はありましたね。
もっとも同一比率にして保有し切れたかは別だけど。
当時、新天地への進出は周囲に有無を言わさぬ軍事力があってのもの。
それを削ったら二匹目のドジョウねらいの勢力に付け込まれるのは当然だわな。
>これもおかしいと
え?
私の文章の何処にも嘘は書いていない。
金の輸出再禁止は1931年の12月だ。
その意味は文字通り、金の兌換紙幣を止める布告、通達があった言う事で、その部分のセンテンス内の節としての内容はそれ以上でもそれ以下でも無い。
引用された拙文の何処をどう解釈しても、31年12月頃に景気が回復した、などとの主張を私がしている、などとの文章解釈にはならないはずだ。
私の主旨は欧米の囲い混み(ブロック)経済圏移行政策の標的は日本の輸出工業品目にあった、と言う事だ。
もう一度引用しておくよ?
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター ・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これはおかしい。
高橋蔵相の登板も、日本の景気回復も輸出攻勢もほとんど無関係に、
アメリカもイギリスもブロック経済化しているではないか。
それを指摘している。
私は是清翁じゃないのだよ。
何故なら、私はブロック化の原因は全て、日本の輸出にある、などと主張していない。
あなたは、私が主張していない事実を以て、おかしい、と仰せだ。
私も繰り返そう。私はブロック化の原因が、悉く、日本の輸出にある、などとは一言も申していない。
米英仏のブロック経済化は、日本の輸出攻勢への、
『カウンターアタック』(予防措置)
だったはずではないのだろうか?
(しかも、1932年時点では蔵相ではなかったし、未だ景気回復もしていなかったし、輸出攻勢も始まっていなかったのに「高橋是清」の名前まで持ち出して)
『ブロック化の原因は日本の輸出攻勢にことごとくあると書いたわけではない』
と仰るが、上記の文章ではそうとしか読めないし、
それ以前に高橋是清とか日本の輸出攻勢は、時期的にほぼ「全く無関係」の話であろう。
イギリスがオタワ会議を開催してブロック経済化を図ったのは、1932年の7月~8月である。
高橋是清が大蔵大臣に就任したのは1931年の12月だが、
まさかたった半年で高橋財政が奏功し、慌ててイギリスがブロック経済化に走ったわけではあるまい。
アメリカの関税法に至っては、高橋是清は大蔵大臣でも何でもなかった。
そもそも与党議員ですらなかった。
アメリカやイギリスは、日本の満州事変も国際連盟脱退も関係なく、
(むろん、高橋是清も日本の輸出攻勢も全く関係なく)
自分勝手にブロック化して、日本やドイツを苦しめて、「軍国化させた」としか言えないはずであろう。
スレ立て人としては、穏やかに進行させたいのだが、論争がお好きなのですかな。
k2Tニキの解説はアホなワイにもわかりやすくて良いと思うで。
主さん、あの戦争で他に疑問に思ってるところは?
別に論争の意思は無い。
ただ、米英仏のブロック経済化は、日本の情勢なんぞ全く無関係に行われた、言わば「既定路線」だったと思うだけだ。
満州事変ですら、イギリスのオタワ会議に全く影響を与えていないのに、
高橋是清が大蔵大臣になって輸出攻勢が始まったから『カウンターアタック(予防措置)』としてブロック経済化を行ったなどと書くのは、
あまりに日本という国を過大評価し過ぎていると感じる。
過小評価するのも問題だが、世界は日本中心に回っていたとする歴史観も問題があるのではないかと感じるだけだ。
しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
私は(陸軍首脳の)本土決戦の真意を知りたい。
と、申しても、私は阿南大臣を批判している訳ではない。心情的には陸軍に傾いている。
だから、余計に知りたい。
>しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
そもそもこの頃イタリアはすでに連合国に降伏していたのだが、
連合国はイタリアとの降伏条件を破っており、イタリアは内戦状態に陥っていた。
北部に設置されたドイツに味方する、ムッソリーニのイタリア社会共和国と、
南部に避難した、連合国の属国としてのイタリア王国の二つである。
イタリアは降伏するに当たって様々な条件を付したのだが、連合国がその条件を守ることはなかった。
結果、イタリア半島の多くはドイツ軍が支配する所となっている。
阿南陸軍大臣が強調したのは、イタリアが約束違反されて酷い目に遭っているという点だった。
連合軍は、戦争犯罪人の処罰、日本軍の武装解除、保障占領までも要求していたのだが、
特に受け入れがたかったのが、「武装解除」の問題であった。
また、天皇の身の安全、地位の保障が一字一句書いていない事も、阿南陸軍大臣の不安を誘う要因であった。
「天皇も戦争犯罪人である」とされて処罰されてしまっては、あの世で天皇陛下のためにと亡くなった将兵たちに会わせる顔がなかったろう。
そのためにも、天皇の身の安全と地位の保障、「国体護持」が確証できるまで、武装は解除できないと言うのが阿南陸軍大臣の主張だった。
『もしも武装解除してしまったあと、連合軍が無茶苦茶なことをやり始めたら、
それでは約束が違うといくら口先で抗議しても全く無力である。
イタリアの先例もあるゆえ、その轍を踏んではいけない』
これが阿南陸相の主張だった。
そして、実際に阿南陸軍大臣の懸念は大当たりに当たったと言える。
戦後、日本に進駐してきたGHQは、憲法から教育勅語から民法・刑法の改革、
そして治安維持法の廃止や共産党員の出獄、特高警察の廃止、農地解放、財閥解体などなど、
好き勝手に日本の弱体化政策を推し進めた。
こんなこと、ポツダム宣言にすら書いていなかったことである。
阿南陸軍大臣の心配は杞憂どころか、大いに当たったことになるし、
GHQのこの改革のせいで、21世紀の今になっても日本は苦しめられているとも言える。
阿南陸相は実はソ連シンパであり、戦争を長引かせる事によってソ連による日本占領を成功させたかったという説が有るのだとか
阿南陸相に限らず、当時の陸軍や高級官僚の間では、ソ連シンパはかなり多かった
自身社会主義者であった近衛文麿ですら、右翼とか革新官僚と呼ばれる連中の中にすら極左のソ連シンパが紛れ込んでいた事を指摘していた
これが成立したのは南ベトナムの国境は当然ながら、北ベトナムに接しており、ハノイのホー・チ・ミン政権からの後詰めが期待出来たからだ。
そうして、ベトコン・ゲリラの実質オーナーであるハノイの北ベトナム政府にはソ連と共産党・中国の支援があった。
だから、米軍はサイゴン政権を支え切る事が出来なかった。
或いは朝鮮動乱に於ける北朝鮮の後詰めにも中国とソ連が控えていた。
ところが、1945年8月15日の我が大日本帝國には誰もいないのである。
どんな、目標でゲリラ戦を続けるつもりだったのだろう?
日本の綿製品の競争力が動機の根底に無かった、とは立証出来ない。
よく、調べてみなさい。
もちろん、「無かった」とは言えない。
が、ほとんど考慮の対象外であり、イギリスは、今の日本が25年間不景気であるのと同じように、
第一次世界大戦が終わってから、大蔵大臣に適任者を得ず、ずっと不景気続きだったのだ。
ちなみに、20年代には、「戦争狂」チャーチルも大蔵大臣を勤めて、大々的な軍縮に取り組んでいる。
第二次大戦でイギリスがドイツに苦戦を強いられたのは、チャーチルの軍縮のせいである。
経済学者のケインズが、チャーチル”大蔵大臣”の無能さを批判したのは有名。
つまり、イギリスは日本の事を云々言う以前に、世界大恐慌以前からずっと不況が続いていた。
それを考慮に入れておかねばならない。
インドではなく、インドネシアの間違いではなかろうか?
また『1932年』の話ではなく、『1933年』の話では?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog486.html
詳しくはここに書いてある。
え?
ありがとー。
初見ですな。
1933でした。同年、日印通商条約の破棄を通告されている。
申し訳ない。1932にダンピング云々の指摘があり、インドが動いたのが33年。
だが、ここは大東亜戦争を論じるスレである。
文章の主語に仮に、擬人化された「日本」とか「日本政府」と言う文言が使われる場合、主観的叙述になる場合もある。
だからといって、日本を中心に世界が回っている、と考えている訳ではない。
あれ(20年代の投資熱)はバブルだったの?
バブルですね。
しかも商工業だけの。
アメリカの農村は、すでに1920年代の後半から不況が見え隠れしていましたから。
当時輸出を伸ばしつつあった日本が割を食った状態になり大打撃をうけた。
特に当時イギリスに代わり伸びの多かった綿製品が打撃をうけた。
そして日本は対ソの防波堤として整えつつあった満州から中国にその伸び代を求めた。
という理解でOK?
大東亜(太平洋)戦争の開戦理由を探求するとき、いきなり南仏印進駐とハルノートから話が始まる方が多いなか
世界恐慌後の経済政策から順序立てて考察するこのスレは評価します。
その理解が正しいと思います。
日本の満州事変も支那事変も関係なく、すでに日本は世界市場を失っていました。
アメリカもイギリスもフランスもソ連も保護貿易、市場閉鎖に走っており、日本は輸出先を失っていたのです。
ドイツもヒトラー政権の成立関係無しに、同じく世界との貿易市場を失っていました。
結果、日本は満州や中国市場に進出していくようになり、ドイツは東欧諸国とソ連に生存権を求めたという訳です。
戦後、これらの反省を踏まえて、ケインズやホワイト(ハルノートの本物の生みの親)が作ったのが「GATT」です。
GATT体制により、日本は心配なく海外と輸出入できるようになったのです。
もしもGATT体制が1929年の世界大恐慌の頃に存在していたら、日本の大陸進出も、ナチスドイツの成立も、第二次大戦も起こらなかったかも知れません。
「ああ見せて実は講話派だった」
「いややはり徹底抗戦派だった」など諸説色々で実際のところは本人自決の為分からないままなのですが、
どう考えても昭和20年夏の時点の戦局が本土決戦で巻き返せるようなものではないことは当然理解していたでしょう。
現在の感覚からするとサイパン島が維持できなかった時点でもう講話をしないと手遅れだろ、と私ならおもうのですが
日清、日露、WW1と勝って来た当時の日本軍でなかなかそうはできなかったのだろうと思います。
ソ連を仲介役に講話をという動きも日本側にはあったようですが、情勢が見えてなかったんでしょうね。
この会談でルーズベルト大統領は「無条件降伏」に固執して、チャーチルを困らせた。
この会談のせいで、ヒトラーやドイツ軍参謀たちは絶望、反ヒトラーの将軍たちも絶望し、
俄然ドイツ軍の抵抗が強まって、連合軍の被害者が増えたことを、のちに大統領にもなったアイゼンハワーが批判している。
日本側もカサブランカ会談の結果には失望し、抵抗が強まったことは、長年駐日大使を勤めていたグルーが批判している。
「無条件降伏」なんて受諾したら、国民の全てが奴隷となっても文句が言えない。
そんな条件を受諾出来るはずがない。
はっきり言って、ルーズベルトは狂人だった。
しかもスターリンに恋する乙女の。
日独を叩き潰すことによって、彼は世界中に共産主義思想をまき散らすことに貢献した。
ルーズベルト政権の周囲には、共産主義者ばっかりだったことは、のちのマッカーシーの赤狩りの際に判明している。
ルーズベルト自身も、スターリンに心酔し、スターリンの五カ年計画に影響を受けてニューディール政策を行うほどのスターリン狂だった。
そんな狂人がアメリカ大統領を勤めていたのが、人類史上の不幸と言って良い。
ルーズベルトが死んでトルーマンが新アメリカ大統領になったときを好機として
講話に利用できなかったんでしょうか?
まず、ルーズベルトが生きている間のトルーマンと言えば、
非常に「陰の薄い人」で、「近所の薬局屋のオヤジ」と陰口を叩かれていたような人物でした。
そもそもルーズベルトはトルーマンに大して強い期待を持ってなかったようで、
マンハッタン計画(原爆開発計画)ですらも、トルーマンには内緒にしていたそうです。
そんなトルーマンは、
『俺様は薬局屋のオヤジなんかじゃない!』
『俺様は強いオトコなんだ!』
と是が非でも示さなければならず、
「原爆投下するまで、日本を降伏させるな」
と指示を下したくらいです。
元々あなたが仰った通り、サイパン島が落ちて「絶対国防圏」が破られた時点で日本の敗戦は確定的であり、
駐日大使を長く勤めたグルーなどは、
『天皇の身の安全と地位の保証をすれば、日本は一も二も無くすぐ降伏するだろう』
と再三再四警告していました。
「無条件降伏」に固執していたルーズベルトには受け入れられませんでしたし、
ポツダム宣言の草案の中にはグルーの忠告通り天皇の身の安全と地位の保証が盛り込まれていたのですが、
トルーマンは原爆投下を敢行するために敢えて削除したと言います。
『高い金を払って作った原爆を、人体実験もしないで戦争を終わらせるのはもったいない』
『ついでに、俺様は薬局屋のつまらないオヤジじゃない!強いオトコなのだ!』
この二つの意図があって、ウラン製とプルトニウム製両方の原爆投下が終了するまで、
日本の降伏を受諾するつもりは毛頭無かったと
詳しい解説ありがとうございます。
チャイナをうまいこと使って日本を疲弊する戦争に誘い込み太平洋ミクロネシア以北の
権益を手に入れたアメリカがそんなに甘いわけないですね。
仮に原爆投下前にポツダム宣言受諾していても黙殺されたかもしれませんね。
国連憲章の53条の1項、敵国条項はチャイナが悪用しようとしているようですね。
ちなみに原爆投下命令は、ポツダム宣言発表の一日前に下されています。
ポツダム宣言を無視したから原爆投下されたのではなく、元々原爆投下は既定路線だったのです。
「条件闘争」のつもりで戦争に臨んでいた。
条件が折り合えば講和も当然有り得た。
現にヒトラーは何度もイギリスに講和の打診をしている。
日本もシンガポールの陥落以降から、スイスやスウェーデンなどを介して和平工作は何度か試みている。
対中国の蒋介石政権相手には、大小合わせて300回もの和平提案を行ったことが、蒋介石の回顧録に書いてある。
これは蒋介石が把握している限りの数字であり、現地軍同士での手打ちや一時的停戦協定などを加えればもっと数が増すだろう。
その「条件闘争」の可能性を奪い去ったのが、1943年のカサブランカ会談だった。
日本とドイツにとっては、カサブランカ会談とルーズベルトは、憎んでも憎み足りないほどである。
で言及されている枢軸国側からの講話への動きがほとんど知らされることなく、
「暴走した枢軸国軍部は無謀な戦いへと突き進んだ」的に語られる報道には違和感を感じます。
戦勝国の歴史観では、日独は「永遠の巨悪」じゃないとならないので……
自分たちが追い詰めに追い詰めた結果だったと解ってしまったら、自分たちの正義が揺らぎます
国際連合が、常任理事国を見ても戦勝国クラブであるように、戦後の世界秩序は、
「連合国=善」「枢軸国=悪」
というものですので
未だに国際連合には「敗戦国条項」というのがあって、日独は差別されています
そもそも「国際連合」という訳語が大間違いの誤訳と言っても良いくらいです
国際連合の英訳はUnited Nationsですが、実はこれ、
第二次世界大戦中の「連合国」を指す言葉なのです
元々枢軸国だったはずの日本が「連合国に加盟します」じゃ体裁が悪かったのか、
外務省が「国際連合」などという「誤訳」をして今に至るというわけです
外務省は、ちょくちょくこういう「誤訳」をしてみせます
日本の歴史教科書では国際連盟と国際連合と言うように表記を区別して別組織として指導していますが、
英文表記ではどちらも同じUnited Nationsなのですか?それとも組織自体同じものという扱いなのですか?
国際連盟と国際連合は組織自体違いますよ。
国際連盟の英語訳はLeague of Nations。
国際連合の英語訳はUnited Nations。
で、このUnited Nationsという表記は、第二次世界大戦の時には「連合国」の意味合いで用いられていました。
常任理事国の五大国を見ても、第二次世界大戦の戦勝国がズラリ並んでおります。
おまけに「敗戦国条項」の存在です。
そういえばそうですね。
じぶんでも国連憲章のこと言っときながら失礼しました。
戦後の世界秩序を担う戦勝5大国でしたね
「大東亜共栄圏」構想と言うが、その真実は「東洋制覇」であると思う。
だって、多国間秩序を維持するには、戦国大名の領国経営と同じで、支城(国境ボーダーの砦)と大名居城(後詰め支援の供給元)のような安全保障のシステムの確立が不可欠だ。
抵抗する諸勢力を排除し、ユーラシアの一画に複数の民族、国家群を包含する政治・経済・軍事の共同体を構築するとは、ユーラシアに於けるその地域の制覇業に他ならない。
これは紛れも無く「征服事業」である。
良い事か悪い事かは、別にして、だよ。
ブラックホールと申すか、巨大な低気圧の渦の中心と言うか、ユーラシアに於けるその一画の力の空洞は、隣接する我が国の帝国主義(高気圧)によって、埋められ、不均衡が相殺されるのは自然科学的、物理学的法則性に適合する現象であったと思う。
チンギス・ハーンやヌルハチに率いられた遊牧民が歴史上、支那の力の空洞を埋めたのと同じ必然性があった、言う謂いだよ。
しかし、ユーラシア鳥瞰的見地に立てば、日本の東洋制覇業に対する排他主義に他ならない。
民族の坩堝内で渦巻く葛藤の様こそが支那の常態ではあるまいか?
現状の支那の世論形成は20世紀特有の時代精神(国民国家のナショナリズムの熱狂)によって拡大鏡を当てられ、等身大以上に存在権を主張する流行トレンドとなったのであり、歴史俯瞰的に思い返せば、伝統的な支那の感受性とは思われないのである。
日本が莫大な資金を費やして対共の緩衝地帯として満州国を整え維持していたのを第二次大戦終結によって中国に組み込んだ結果、
それまで日本が北東アジアで担っていたロシアへの防波堤役を現在に至るまでアメリカ自ら朝鮮半島で行なうあり様になったわけですが、
こうなることをあのしたたかなアメリカが予見できなかったのでしょうか?
第二次大戦中も中露には散々武器支援等していたのにそれが後々自分に向かってくる様は、
反政府ゲリラに武器支援してたら巡り巡ってアメリカに攻撃してくるようになった現在の状態にも似ていますね。
よろしくお願いします
予見できたアメリカ人も当然いましたが、
国家権力を握っていたアメリカ人、
例えばルーズベルト(大統領)とか、
コーデル・ハル(国務長官)
ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)
ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)
などなどの権力者たちが、こぞって予見出来ない人間ばかりだったのです。
例えば、ルーズベルトの前の大統領、フーバー元大統領などはこう言っています。
『もしもアメリカが、イギリスの口車に乗せられて日独を叩き潰してしまったら、ソ連の共産主義が世界中に波及する羽目となるであろう』
(ちなみに、フーバーは経済面以外では、戦前のアメリカ歴代大統領の中ではかなりマトモで先見性のある政治家でした。
とりたてて反日という訳でもありませんでしたし)
結果的に、フーバーの予言通り、共産主義の防波堤を叩き壊してしまった結果、
世界中にソ連の共産主義を広める結果となります。
満州事変の頃、中国に滞在していたジョン・マクマリーも、満州事変の原因を完璧に洞察して、アメリカ本国に報告しています。
つまり、満州事変は『中国が悪い』のであり、
日本に対する、あまりにもしつこい、そしてポーツマス条約違反の排日・侮日・抗日運動に対して、関東軍が立ち上がったのが満州事変であったと。
そして、排日・侮日・抗日運動に参加している中国人以外の人々にとっては、
関東軍のこの決起は拍手喝采で迎えられたことであるということもマクマリーは報告しています。
元々満州には分離独立を望む勢力が強く存在しており、
また、中国大陸の内乱に巻き込まれたくないと考える勢力も強く居りました。
さらに、中国人の軍閥は重税に次ぐ重税を課してくるのに対して、
日本の治める関東州と満鉄付属地だけは、税金は安く、一年に一度だけ納めれば良く、
治安も安定していて、戦乱続きの中国大陸の中では桃源郷の如く安定していたことも記載してあります。
元々中国人は、万里の長城の北側に位置する満州など無視して顧みていなかったにも関わらず、
日本の努力によって近代化し始めると、途端に条約を破って『満州を返せ』と言い出したことも書いてあります。
結局マクマリーの結論としては、
「日本の行動は侵略ではない」
「中国人が自ら求めた災いだ」
「アメリカは日本に経済制裁を科したりして追い詰めてはいけない」
「むしろ、日本の目を永遠に北に向けさせ続け、ソ連と衝突するように工夫しなければならない」
そういう物でした。
当然のように、アメリカ本国の国務省は聞く耳を持たなかったのですが。
読みやすくてわかりやすいので参考になります。
ところで
もし桂ハリマン覚書が締結されてアメリカ資本が満州に入っていたらその後の大陸での動きや後々の戦争などどうなったとみますか?
多分、日米の資本力・工業力の差から言って、
強引に日本は利権を奪われていたと思われます。
小村寿太郎が危惧した通りですね。
現に、アメリカには危惧させる要素が山ほど有りました。
アメリカはこの頃、コロンビア領土のパナマ地峡を強引に切り離し独立宣言させました(1903年)
そしてそこに運河を建設し、パナマ政府から租借するという形で強引に奪ってしまったのです(1914年完成、パナマ政府に返還されたのは1999年!)
米西戦争(1898年)も、スペインがアメリカの強要に屈して、妥協しようとしたのですが、
アメリカは強引に戦争に持って行き、キューバやフィリピンなどのスペイン植民地を奪ってしまいました。
小村寿太郎の心配は、決して杞憂ではなかったのです。
また、この当時のアメリカは、イギリスを嫌っており、日英同盟を結んでいる日本も、
「敵の片割れ」くらいの扱いでした。
だからこそ、「オレンジ計画」みたいな対日本戦略プランを立てられたのですね。
当時の日本に、アメリカを敵に回せる国力など無かったのですけどね。
大陸での史実程日本が勢力を拡大出来ないという方向で幸か不幸か後々の日中戦争からの大東亜戦争も発生しないかもしれませんが、代わりに大陸内で米、露、日本の紛争が起きたかもしれませんね。
WW1のアジア戦線にも米軍が参加してドイツと戦ったらアジア太平洋の日本の権益は史実程伸びなかったでしょうね。
昭和の初頭の首相を勤めた、陸軍出身の田中義一総理が、昭和天皇に対して上奏したという体裁で、
『世界征服こそが明治天皇の遺訓であり、世界征服の手始めとして支那大陸征服があり、その前段階として満州征服がある』
とかいう内容の文書です。
すでに亡くなっている「山縣有朋」の名前が、さも生きているかのように出てきたり、
存命中の人物であっても役職が違っていたり、そもそも日本にそんな名前の役職が存在しなかったり、
日本人が読めば一瞬で「偽書」と判定できる内容の与太話なのですが、
世界の人々は、この恐らく中国人が適当にでっち上げた与太話を信じました。
中でも堅く信じ込んだのが、アメリカ大統領のフランクリン=ルーズベルトだったというのですから、人類史上の不幸としか言いようが有りません。
アメリカのマスコミ、特に、マスコミ王と呼ばれたウィリアム=ハーストもまた、この与太話を真剣に信じ込み、
連日のように、「田中上奏文」を流し、日本人が世界征服を狙っていると大宣伝しました。
そもそもハーストは最低のゲス男で、
『新聞の売り上げ向上のためだったら国家を戦争にだって導く』
と言い放った人物なのですが、ハースト系新聞社がアメリカ人に与えた影響力は甚大でした。
田中上奏文は、ユダヤ人を迫害するために、ロシアの憲兵か何かがでっち上げたという、
『シオン長老の議定書』と同じくらい、日本人に害悪を与えた文書です。
ひどいですね、支那大陸制覇ですか。
日中戦争時の日本軍を中国全土侵略への止まらぬ暴走のようにに評する方もおられますが、当時の軍部が自国の国力を鑑みた時に、大陸内全土を支配地域として掌握するのは無理だということは理解出来ていたと思います。
なればこその早期南京攻略、停戦交渉だったとおもいますが。
その辺を歪曲されて報道されているおかげでかなり無謀なイメージを持たれていますね。
日独が無条件降伏するまで徹底的に戦うと米英で取り決めたとのことですが、
もともとの国力の大きい上に戦争による軍需物資の好景気やレンドリース法による貸与売却益で巨額の利益が出るアメリカは良いとしても、
すでに斜陽となっていたイギリスやすでに国土を占領されているフランス、オランダなどは戦争が長引けば長引くほど仮に勝利したとしても
経済的には疲弊してしまうのではないでしょうか?
それともイギリスをおとしめて結果、大戦の一人勝ちこそがアメリカの狙いでもあったのでしょうか?
そもそも、イギリスのチャーチルは「アホだった」事をご理解頂かねばなりません。
チャーチルと言えば、大戦回顧録でノーベル文学賞を受賞した人物ですが、政治家としては「無能」です。
ハッキリ言えば「売国奴」であり、ただの「戦争狂」です。
「政治は結果責任」ということわざが有りますね?
その結果責任という言葉が正しければ、チャーチルの評価はそのように最低の物としかなりません。
続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
ナチスドイツを叩き潰すために「悪魔=ソ連」と手を結んだくらいですから。
ルーズベルトの提案に反対するはずも有りません。
チャーチルは反共産主義で、ソ連やレーニン、スターリンも大嫌いでしたが、
ナチスドイツとヒトラーはそれ以上に大嫌いでした。
少なくとも、ヒトラーからの和平提案を何十回も拒絶するほどには。
そして、アメリカですが、ルーズベルト一個人はただの阿呆なのでそこまで深謀遠慮を働かせていたかは疑問なのですが、
(何せ、ルーズベルトは
「スターリンの望む物を与え、こちらから何も要求しなければ、彼はこちらの思い通りになるだろう」
とか考えてた、共産主義に対する無警戒人間だったので)
「大戦の一人勝ち」を狙っていたのは確かです。
前の大戦、すなわち第一次世界大戦の時、
アメリカのウィルソン大統領は、ただ口綺麗な理想をぶち上げただけで、
何の領土の切れ端も、植民地も獲得出来ませんでした。
死傷者を出しただけで何らの国益も手に出来なかった事にアメリカ人は激怒し、
以降「ヨーロッパの揉め事に口を出すな」という孤立主義が盛んになったのは有名な話です。
ルーズベルト政権の閣僚たちはウィルソンの失敗をよく知ってます(同じアメリカ民主党)から、
ウィルソンの失敗の轍を踏まないように、アメリカ一人勝ちの戦略を練ったというわけです。
しかし、政権はともかくとして、ルーズベルトが根本的に共産主義贔屓で馬鹿だったので、
結局「一人勝ち」したのは、アメリカではなく、東欧と中国を共産化したソ連でした。
チャーチルの阿呆さと売国奴っぷりは、この本に詳しいです。
日本人がよく知らない、【アメリカから見た欧州大戦】の視点を与えてくれます。
筆者はパトリック・ブキャナン。
共和党の大統領候補にもなりかけた、アメリカを代表する「保守派」の論客です。
そしてイラク戦争を主導したネオコンを痛烈に批判。
ネオコンとは、neo conservative(新保守主義)の意味を持ちますが、
真のアメリカの保守を自認するブキャナンから見れば、ネオコンとはトロツキーの世界同時革命の焼き直しにしか見えなかったのですね。
「中東民主化ドミノ理論」とか、トロツキーの世界同時革命の焼き直しに過ぎません。
そして、そんなネオコンが賛美するのがチャーチルだったので、必然的にチャーチル批判の書に仕上がっています。
図書館に置いてあると思いますので御一読をお勧めします。
>続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
>「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater Dead %
Africa 16.066 0,3 ←アフリカ戦線ww
Balkans 103.693 1,9
North 30.165 0,6
West 339.957 6,4
Italy 150.660 2,8
Eastern Front
(- Dec 1944) 2.742.909 51,6 ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045 23,1 ←頼もしいよなぁ♪
Various 245.561 4,6
Total 4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
ソビエト赤軍の死傷者が突出しているのは、
何もソ連軍が勇猛果敢な戦いぶりを見せたからじゃないですから。
冬戦争や独ソ戦初期の頃は、スターリンの無茶苦茶な戦略指導によって大勢の捕虜や裏切り者を出し、
後半も後半で、大事な局面に限って余計な口を挟みまくったお陰で、
勝てる戦いを逸した事が何度有った事か……
そもそも、イギリス軍やアメリカ軍による「レンド・リース」が無ければ、戦争の続行すら出来なかったスターリンとソ連には、
偉そうな口を叩く資格は無いですね。
第一次大戦後、日本が中華民国に対して提示した「対華21か条要求」(1914年)というのがありますが、
第1から第4項は戦勝国として認められたものの、
これの第五項「中華民国内の官権、軍、産業の中枢に日本人顧問を据えさせ兵器等は日本から購入」は
直接の交戦国ではない中華民国に対していささか強気に過ぎ、かえって欧米の日本に対する警戒感を引き上げてしまう結果になり
勇み足だったと思うのですが、この点どのように考察されますか?
第一次大戦後 ×
欧州ではまだ戦争継続中でしたね(WW1・1914~1918)失礼しました
第五項目はまず「希望条項」であり、拒絶されても日本としては別に困る内容でなかったことをご理解頂かねばなりません。
第一条から第四条までの「要求条項」とは異なるのです。
実際、第五項目は後に日本政府自身によって、公式に撤回されています。
次に、この対華二十一箇条要求(以下「要求」で統一します)そのものについて、です。
この「要求」ですが、実は日本政府から希望した物ではなく、袁世凱政府が希望した物であることが最近の研究で解っています。
まず、袁世凱は清国皇帝に取って代わって、支那大陸の「皇帝」になりたかった野心を抱いていました。
その為にも、己の即位を邪魔されないように、諸外国に媚びを売っておく必要が有ったのです。
対華二十一箇条要求も、日本に対する媚びへつらいみたいな物です。
そして「要求」という表現。
これまた、日本側がそのような文言にしたのではなく、袁世凱の側が「そうしてください」と頼んだというのが実態のようです。
『私は反対したのだが、日本側に力によって詰め寄られたので仕方なく締結した』
という体裁にしたかったのですね。
日本側は、それを中国側が望むのならという理由で易々と「要求」という文言に取り替えてしまったようです。
こんな日本に不利な物に易々と日本側が同意してしまったのは、大金が動いて賄賂が贈られたからだとも言われます。
一方で、袁世凱政府は、中国国内、及び世界中に向かって、
『日本が侵略欲、帝国主義の野望をむき出しにして我が国をイジメている!』
と大宣伝したと。
袁世凱謀略説に基づく考察はこちら
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100929/1285712786
一方、孫文黒幕説もあります。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1911-20/1915_taika_21.html
孫文と言うと、日本人はなぜか立派で素晴らしい人間かのように思いがちですが、
実際には、共産主義に警戒感のない「口先詐欺師」でした。
対華二十一箇条要求の内、実に16カ条の「要求」は、孫文が案を起草しています。
まず、孫文と袁世凱は対立しており、
袁世凱政府がいくら困ろうとも、孫文としては痛くもかゆくもなかったこと。
次いで、孫文は中華民国の首都北京に居らず、
当然ながら満州も北京周辺も支配していないので、
いくら北京周辺や満州を切り売りしても、これまた孫文の懐は一切痛まないわけです。
山縣有朋や頭山満、北一輝などが、
「孫文は詐欺師だ」と警戒し、支援を打ち切ったのも、もっともな話です。
あまりに「空手形」を濫発しまくったせいで日本人の支援と信頼を失った孫文は、
成立したばかりのソ連と中国共産党に抱きつくというとんでもない暴挙に出ます。
孫文とは、革命さえできれば誰とでも組むし、どんな空手形も濫発するし、
どんな売国的なことを行っても一向に構わなかった最低の節操なしの男だったと言えます。
いつもながら丁寧な解説ありがとうございます。
おっしゃる様に日本側もこの第5項は流石に盛り込みすぎというのを承知していて、
欧米との事前すり合わせにも出していなかった様ですね。中華民国側にバラされてしまいますが。
取り下げになったとはいえ、やはり日本に大陸進出の明確な意思ありと諸外国に思わせるには
十分な内容だったと思います。
己が支配のために外敵である日本をも利用するところなどさすが中国4千年、謀略と粛清の国という感ありますね。
傀儡のスカスカ国家になってしまうのに分からないんでしょうね。
戦後70年、黒船来航から162年。
太平洋をめぐる日米の戦いは形こそ違えど現在も継続中だということを忘れてはいけませんね。
軍事的には同盟国ですが、経済面での攻防など気は抜けません。
軍事的にも、アメリカは信用できるかどうか……
何せ、
『在日米軍は日本を守るために存在しているのではない。日本が再び軍事大国化しないために”瓶の蓋”として存在しているのだ』
とアメリカ側は言っているくらいですから。
沖縄の海兵隊司令官だったヘンリー・スタックポールとか、キッシンジャー元国務長官とか。
1999年にアメリカでアンケートが行われたそうですが、
「日米安保の存在意義」について、実にアメリカ人の49%が、
【日本封じ込めのため】
と答えています。
「日本防衛」と答えたのは【12%】という時点で、アメリカ人の本音が解ります。
1999年と言えば、すでに中国が軍事力増強に力を入れ始めて、毎年二桁増の軍事費を繰り返していた頃なのですが、
中国よりも、すでに十年近く不景気に苦しんでいた日本の方が、警戒に値すると考えられていたのでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%A8%E3%A2%E3%A1%E3%AA%E3%AB%E5%88%E8%A1%E5%9B%BD%E3%A8%E3%AE%E9%93%E3%AE%E7%9B%B8%E4%BA%E5%8D%E5%8A%9B%E5%8F%8A%E3%B3%E5%AE%E5%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84
そう言えば今日、安倍晋三が「安倍談話」を出しましたね?
あんなに破棄を期待されていたのに、河野談話と村山談話の踏襲をしたような談話でした。
なぜか?
http://toyokeizai.net/articles/-/12157
答えは2年半ほど前の安倍政権成立の時、すでにアメリカのマイケル・グリーンが語っています。
マイケル・グリーンとは、前のブッシュJr政権で「日本・朝鮮部長」を勤めた知日派アメリカ人です。
その彼が言うには、
・尖閣諸島への自衛隊配備
・河野談話の見直し
・(前二者よりは優先順位は下がるが)靖国神社参拝
この三つを行うと、日本は中国や韓国の信頼を失い、仲が悪くなるのは当然として、
【アメリカやオーストラリアとの仲も悪化する】
とマイケル・グリーンは述べています。
そして、安倍政権の行動は、マイケル・グリーンの忠告(恫喝?)を忠実に守っています。
つまり日本は、尖閣諸島を守るために自衛隊を配備することも許されていないし、
河野談話の見直しや、靖国神社で英霊の方々の顕彰や奉献を行うことも許されていないのですね。
「同盟国」という名前で、がんじがらめに日本を縛りつけているのがアメリカと言えます。
アメリカの腹心、当然いろいろあるとは思いますが現状日本の敵対勢力への強力な抑止力でもあり、
はしご外されない様に注意しつつやっていくしかないかと思います。
ところで主さん、そろそろあったまってきたところでこのスレの方向性というか運営の舵取りみたいなのを提示して欲しいのですが。
例えば
① 大東亜戦争こうすれば勝てた
② 大東亜戦争どうしてこうなった
③ 大東亜戦争こいつがわるかった
など、どんな方向でやっていきたいのかまだ定まってないので。
ココは主さんのスレなのでなるべく意向に沿った方向で進めようかと思います。
①②③全てオーケーです。
敢えて、数レス前に私は③に該当するカキコを連レスしましたが、>>95–>>103は少し、過激なもの言いだったと反省しています。
①②③どの角度からでも、御自由に議論なさって下さい。私は個人的には①が好きなんですが、それに特に拘泥するつもりはありません。
ついでに君はこれを書いた同一人物かね?
歴史板で政治に触れるのは「板違い」で「スレ違い」だと言うのなら、これをも批判しなければ辻褄が合わないぞ?
ついでに俺は、この君の書き込みに全面的な賛意を示したそのスレの>>94でもある。
歴史問題と政治の問題とは切っても切り離せない関係に在る。
日本国憲法成立の歴史について触れれば、
必然的に現憲法批判か、現憲法擁護のどっちかにしかならないのを見れば自明ではないか。
これはGHQの統治時代や、南京大虐殺問題を語るに当たって、
「法律や条約について語るのは板違い」
などと言い出してるのと同じなのだが。
戦時国際法や、ポツダム宣言などの国家間条約を根拠にしなければGHQの統治を肯定も否定も出来ないし、
南京大虐殺論争についても肯定も否定も出来ないではないか。
これはもう富岡製糸工場あたりから考察しないとなのか?
あかん、スレタイからどんどん遠くなっていく…
大東亜戦争を考察するには、
実際『ペリーの黒船』から考察しなければ、見えてきませんからねぇ。
「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長、西尾幹二などは、
【日米百年戦争】
という言葉を用いています。
ペリーは、日本にやってきた際、江戸幕府の役人が、
「長崎に回航してくれ」
と要求したのを無視。
悠々と江戸湾に侵入した上、幕府の役人に、
『戦うつもりなら相手になってやる』
と発言、そして白旗を差し出して、
『もし戦う意欲を無くしたらコイツを振れば砲撃を止めてやる』
と語ったという話が有ります。
アメリカは、日本との出会いの最初から高圧的だったと。
安倍晋三が、アメリカの議会で、
『民主主義のチャンピオン』だの、
『アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった』だの、
好き勝手放題言ってましたけど、あんなの嘘ですよ。
日本はペリーと出会った事で、否応なしに「帝国主義」の火の中に放り込まれたのです。
だから正確に言うなら、
『アメリカとの出会いは、帝国主義と侵略主義との出会いでした』
と言わねばならないはずですね。
ともに客観的な視座の政府の自己総括がなされていない、と言う点も共通している。
為政者と申すものは敗戦を客観的に分析し、公に言質を与えた場合、統治力の源泉が致命的に毀損される、と言う事が本能的に分かるのだろうね。
人口に膾炙している如くの「戦争責任」ではなく、「敗北に関する責任」である。
誰に対してか?勿論、國民だ。
極東軍事法廷は右の「敗北責任」の「仮想・國民法廷」とは全く、原告と罪状が異なる。
國家公務員を裁く模擬・國民裁判と言う思考実験、シミュレーションである。
主に被告は海軍であろうか?
或いは外務省であろうか?
私は後者が相当に罪が重いように思う。
『敗戦に至った結果への責任論』
と言えば、昭和天皇はどうなの?
1931年の満州事変から、1945年の終戦まで、
一貫して続いていた権力者と言えば、昭和天皇しか存在しないのだけど。
大日本帝国憲法では、全ての権力は、または権力の源泉は天皇に在るかのように定められていた。
大きく二分して、統治権も統帥権も天皇が握っていることになっていた。
昭和天皇の戦争責任、敗戦に導いた責任は、決して小さい物ではないのでは?
次いで、その統治権と統帥権の双方を握っているはずの昭和天皇に、
イギリス式の、
「君臨すれども統治せず」
の統治方法をレクチャーした、元老の西園寺公望。
西園寺公望は軍人上がりの元老ではない。
従って統帥権の理解に対して浅い、浅薄な所が有ったのではないか?
「統治権」の遂行者としての【天皇陛下】としてならば、
「君臨すれども統治せず」
は正しいかも知れない。
しかし、「統帥権」の遂行者としての【大元帥陛下】としては、
「君臨すれども統治せず」
は間違いだったのではないか?
少なくとも、統帥権の源泉である昭和天皇が軍部を叱り飛ばさないで、
一体日本人の中で誰が軍部を抑制出来たと言うのだろう?
もし仮に現在の自衛隊が自衛戦争で戦い負けたとしても天皇の戦争責任は無くて当然と思いますが、大日本帝国憲法下においては
これは日本国ならびに日本軍のトップですからその責任を問う問わぬは別として戦争責任はあると思います。
それはおかしい。
大臣、総長、総監の人事的三長官合意を陛下が覆(くつがえ)すのは、余程の例外的干渉であって、恣意的に介入出来るなら、陛下の御心痛もどれ程、緩和された事だろう。
御在位中、一度あるか無いかの危急存亡の御親政の実例を以て、もっとやらんか、とはあまりにも畏れ多い言い草じゃよ。
その非常の大権は抜かざるの伝家の宝刀であればこそ、立憲君主制が維持出来るし、組織としての軍も機能出来る。
乱発されたら、組織人事は壊滅的混乱に陥る。
例えは乱暴だが
「これ通したら会社潰すなあー。でも専務やみんながせっかくやってくれたんだから社長決済可にしとこ」
これはあかんでしょ
御上「成算はあるのか?」
重臣「あります」(キリッ)
御上「(なんか、法螺臭いのう)」
重臣「さ、さ、御決済を」
クーデターの気運さえ漂う興奮状態。ヴェトーを行使する余地は無かったと思われる。
「部下の虚偽報告が原因で、私はそうとはしらなかった。責任はない。」
は通じない。
もっとも昭和天皇がそういうことをおっしゃる方ではないということは理解しています。
そもそも現実の天皇陛下・大元帥陛下の意向を無視して、
都合が悪ければ、226事件や宮城事件のようなクーデターを起こしても良いんだという発想こそが問題なのではないだろうか?
元を糺せば、この思想、「皇国史観」が原因と言えるし、
もっとさかのぼれば「南朝正統論」が原因と言えるし(現皇室は北朝系なので)、
さらにさかのぼれば「後期水戸学」の問題とも言える。
長州藩が、平然と躊躇い無く禁門の変で大砲を京都御所にぶっ放したように、
「ぼくのかんがえたてんのう」と異なるようなら、ぶっ殺しても構わないんだという発想に至ったのは、明らかに後期水戸学の悪影響だろう。
平泉澄の皇国史観は、後期水戸学の影響がかなり強いので、当然同じ結論に至る。
宮城事件で、昭和天皇の終戦の思し召しを無視して宮内省や宮城に殴り込んだ青年将校の多くは、平泉澄の門下生であった。
「統治権の遂行者、源泉であった天皇陛下」と、
「統帥権の遂行者、源泉であった大元帥陛下」とでは、
自ずから立ち居振る舞いが違ってきても当然なのでは?
例えば「満州某重大事件」(張作霖爆殺事件)の河本大作や、
「満州事変」の板垣征四郎、石原莞爾を、自主的に処罰出来なかったという事が、
結果的に、
【国の為を想ってやったと言えば何でも許される!】
【軍部の仲間、同志たちも弁護してくれる!】
と軍部全体に勘違いを与えたのは否定しようの無い事実でしょう?
無論、最近になって、満州某重大事件の真犯人はソ連工作員だったとか、張学良だったという新説が出てきているのは知っているし、
(ソ連工作員説はともかく、張学良黒幕説は私はかなりその可能性は強いと思っているが)
満州事変は、ポーツマス条約も守らずに、排日・抗日・侮日運動を繰り返していた中国側に大きな責任が有り、
「自衛戦争だった」と言える側面も有った事は確かな事実。
だが、時の政府は「不拡大方針」であり、
また、天皇陛下の大御心としても戦争を望んでおらず、平和的解決を始終お望みであったはずだ。
ならば、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾が、
そのまま野放しで何の処罰も与えられなかったに等しいのは問題が有るのではないか?
まず、当時の大日本帝国憲法の規定から言って、内閣総理大臣に
「河本大作を処罰せよ」
と命令出来る権限は無い。
そんな事をしたら、
「統帥権の独立を何と心得るか!」
などと猛反発を買うのが必定。
ならば天皇陛下、否、ここでは「統帥権の源泉である大元帥陛下」が、
「河本大作を処罰せよ」
「板垣・石原を処罰せよ」
と命令するしか無かったのではないか?
ちなみに、明治天皇は大日本帝国憲法制定前も、以後も、結構政治や軍政に口出しをしまくっていた。
無論それには、統治権を補佐する元老として、
伊藤博文、松方正義、井上馨などが存在していた事が大きいし、
一方、統帥権を補佐する元老としては、西郷従道や山縣有朋、桂太郎などの軍人上がりの元老が存在した事が大きいかも知れない。
(伊藤や松方、井上馨自身、幕末の頃は武士であり、白刃の下をくぐり抜けてきた軍人的素養を持った連中であった)
しかし、いざ統治権と統帥権とが対立した時は、
伊藤博文と山縣有朋との「俺・お前会談」で、大抵が蹴りがついたし、
それでも両者相譲らなかった場合、明治天皇が己の意思を表明して決断した事が一度ならず何度も存在した。
例えば、明治天皇は晩年に至っても立憲君主とは程遠く、
一例として挙げれば朝鮮合併に反対で、
『朝鮮合併の御詔勅』に御名御璽を捺印する事を拒絶しようとした事さえ在った。
御名御璽の存在しない「御詔勅」など有り得ないから、
このまま軍部が朝鮮合併を強行すれば、それは「不忠の臣」、「逆賊」という事になってしまう。
明治天皇が朝鮮合併に難色を示した理由は、
それが【日本の国益】と全く関係が無かったからである。
まず当時の国際情勢を振り返れば、
世界一の植民地大国のイギリスとは「同盟国」、
ロシアについては、日露戦争で叩き潰した結果、以降30年ほどは、ロシアは極東方面の戦力を回復出来なかった。
ロシア=ソ連が軍事力を復活させて、再び日本の脅威として立ちはだかったのは、
実に第一次五カ年計画を成功させて、第二次五カ年計画を開始した1935~1936年頃になってからである。
(そういう意味でも、この年から軍事費を削減し始めた高橋是清大蔵大臣は無能、見る目が無かったとしか言いようがない)
今さら、故人を叩いてもせんない事だ。
しかし、組織は別だ。同じ体質の公務員組織は健在だ。
当時、官界、財界、報道機関のベテラン、老人たちがパージされているが、それらの組織全体から申せば、蜥蜴の尻尾切りに過ぎない。
組織論的に責任を追及するべきであろう。
これら不逞の役員(国家公務員上級職)たちは株主=國民に對し、゛損失゛を計上した詳細な理由を説明する義務がある。
だが、私には右の「」内の部分は見事に欠落してゐるやうに思はれる。
戦後は特にさうだ。
『昭和動乱の原因はいくつか挙げられるが、一つには西園寺元老の教えた統治学が、イギリス流立憲君主を念頭に置いたものであったことが原因である。
”君臨すれども統治せず”は、理念としては立派であるが、イギリスと違って民主主義の歴史が浅い日本では、イギリス流立憲君主制度は適さなかったのではないか。
第二に、西園寺元老は軍部出身の元老ではないことであり、その統治権に対する教えはともかく、統帥権に対する教えについては現実に即していなかったことである。
(河本大作や板垣征四郎、石原莞爾のような問題児が現れた時)”君臨すれども統治せず”のやり方では、到底厳しい処分を望むことは難しいのであって、
実際、彼らに厳しい処分が与えられることは無く、国のためと称せば何でも許される状態になり果ててしまった。
統帥権を握っているのは、大日本帝国憲法下では、ただ一人、天皇陛下のみであったにも関わらず、その天皇陛下が統帥権を発動する事無く、”君臨すれども統治せず”の姿勢に凝り固まっていたことは、
まるで強盗や火付け強盗に、警察や消防の仕事を任せるに等しい行為であり、厳しい処分など出来得るはずもなかったのである。
第三に、天皇機関説論争から始まる天皇の神格化の問題である。
それ以前は比較的自由に陛下は御自身の意見を周囲に漏らされたりされていたようではあるが、
天皇機関説問題とその後の国体明徴運動の結果、天皇は憲法上も実際上も祭り上げられて発言権を無くしてしまった。
統治権と統帥権の源泉である天皇陛下を黙らせることが出来れば、日本を好き勝手な方向に動かしたい野心家にとっては都合の良い解釈で日本を動かすことができ、
天皇は神格化されたとは言いながら、実際政治に何らの影響力も持たない存在となってしまったのである。
これは憲法の死文化の問題である』
云々と。
ちょっと順番は違うかも知れないが、大体このような事を重光葵は述べている。
「敗戦に導いた責任」という意味では、
どうしても昭和天皇と西園寺公望は除けないのではないだろうか?
【ロシアの脅威】もしくは【諸外国の脅威】などとは書いていない。
http://www.geocities.jp/kunitama2664/heigou_syoutyoku.html
>(朝鮮の)公共の安寧を維持し、(朝鮮)民衆の福利を増進
させるために併合したとハッキリと理由が書いてある。
要するに、
「朝鮮人は旧態依然たる劣等民族であり、自力で近代化できる能力がないから、優秀民族である日本人が代わって近代化してやろう」
というお節介な話なのである。
明治天皇が、こんな理由で朝鮮併合されてはたまったものじゃないとばかりに、
御名御璽の捺印を拒絶しようとしたのも当然であろう。
天皇陛下は、まず何をさておいても【日本人の天皇】【日本民族の天皇】でなければならない。
異民族に押しつけるべき代物ではないのだ。
また、なにゆえ、「劣等民族」朝鮮人に成り代わって、「優秀民族」日本人が朝鮮の近代化を「代行」してやらねばならないのか?
しかも「日本人の税金」で。
日本人の税金で朝鮮を近代化させる事に、一体どのような「国益」が存在すると言うのか?
明治天皇ならずとも、冷静に考えれば誰しも疑問に思う事であろう。
例えば、政治家にして歴史学者、日本史国定教科書が策定されるまで教科書代わりに使用されていた『日本二千五百年史』を著した竹越與三郎は、
「朝鮮よりもドレッドノオト艦を要す。」というタイトルで1909年10月に論文を執筆している。
『朝鮮を併合しやうと云う空名のために四、五億の金を、朝鮮に注ぐと云うことは決して国家に忠なる政治家のするべきことではない。もしこの余裕があるならば余は十艘十五艘の大軍艦を造りたいと思ふ。
『当局の政治家もし真に日本帝国の安危存亡をもってその念慮とするならばよろしく朝鮮併合するの愚案を捨てて、我が国家の安全を守る大艦を造ることに力を注がねばならぬ。』
竹越の見通しにもし間違いが有ったとすれば、
朝鮮統治には『4~5億の金』で済まなかったということ、
35年間、毎年大赤字であったということ、
大艦を作るよりも、陸軍の大幅な強化と近代化こそが必要であったと主張すべきであったこと、
この三つくらいであったろう。
少なくとも、艦隊は維持費が馬鹿にならないが陸軍はそうではないし、
いくら便衣兵のような卑怯な戦法を多用する軍隊相手であったからって、支那兵如きに苦戦する陸軍では困る。
ちなみに、戦艦大和の建造費は約137,802,000円(1億3780万2千円)だったと言う。
日本の35年間の統治で朝鮮半島に投下された資金は、約15億~20億だったと言うから、大和級戦艦が15隻建造できた計算となる。
もしも大和型戦艦が15隻も有ったなら、日本は日米戦争に「圧勝した」とは言わないが、戦艦大和を温存して、空母の500キロ後方に逃げているような醜態は見せなかったのではないか?
他でやってくれ。
どこがスレ違いよ?
大東亜戦争に勝つには「朝鮮併合は必要なかった」と言うのも充分スレに関係する話だろ?
朝鮮併合35年間に支払った分を、日本の近代化、日本陸軍の近代化に充てておけば、
日米戦争でもうちょっとはやりようは有ったのではなかったか?
それを指摘しているのだが。
「ボルネオで飛行訓練していれば良かった」と言うのは許されて、
「朝鮮併合の代わりに大和型戦艦を15隻作っておけば良かった」と言うのは許せないとか意味不明な事を言い出して顰蹙買ったんじゃなかったっけ?
結局、ペリーの黒船来航の辺りから洗い直さなければならない。
そもそも【明治維新は必要だったのか】という問いも成り立つ。
江戸幕府とて、他の諸藩とて、ボーッとして惚けていたわけではなく、近代化への道を模索していた。
蘭学や京都中央情勢に遅れていたと言われがちな奥州諸藩ですらも、
実は蘭学研究は盛んであった。
ならば、戊辰戦争は必要だったのかという疑問が当然出てくる。
戊辰戦争で、少なからざる優秀な人材が殺されている。
彼らを活かして活用していれば、日本の近代化にどれだけ貢献したか計り知れない。
このように、明治維新と戊辰戦争は必要だったのかという事も、大東亜戦争を洗い直すには必要だと思うのだが。
牽強付会
[名](スル)道理に合わないことを、自分に都合のよいように無理にこじつけること。
本能寺の変の無いIFの世界、織田政権で国姓爺合戦の時代に大陸に容喙しておれば、とか。
面白い思考実験である事は認める。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-124-270×220.png
これは、どう逆立ちしても否定しようのないことだよね?
これは”昭和天皇一個人の好き嫌い”には関係がない
昭和天皇一個人が好きであれ嫌いであれ、
昭和天皇に敗戦責任が有るのは事実で否定できないでしょ
・ボルネオに生産拠点を移して現地生産
どちらもIFだと思いますが、どう違うの?
コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
大東亜スレでコリア問題をカキコしても意味ない。
↑
>>126にね。
追加。ボルネオは大東亜戦争の占領目標の一つだった。
>コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
冗談言ってもらっちゃ困る。
満州事変の原因の一つに、「万宝山事件」が関係してないわけないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(あくまでも「原因の一つ」だからな?)
日本が朝鮮を併合して、朝鮮人を「日本人」としていなければ、
そもそも万宝山事件など起こっていない
もしも朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件が起こったとしても、日本は何の関わりも持たなくていい
結果的に、「万宝山事件」もまた、満州事変勃発の一つの原因を占めている
そして、満州事変によって日本は満州国を建国した
塘沽停戦協定によって、中国は非公式ながらも満州国を黙認した
蒋介石は、万里の長城の北側の満州なんぞより、
共産党征伐や、同じ国民党同士の粛清、内乱の方が大事だったのだ
しかし、塘沽停戦協定の精神はたった3年で踏みにじられる
満・支国境地帯では、塘沽停戦協定締結後もいつまで待っても反日・反満運動が止まらないし、勝手に満州国に侵入したりするので、
冀東防共自治政府を作って、満州と支那の間に緩衝地帯を作ったりも試みている
これは関東軍の侵略と言うより、塘沽停戦協定や、
梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定を守らなかった支那側に原因があろう
そして色々在った末に支那事変、そして日米戦争となる
万宝山事件だけが満州事変の原因ではないが、
確実に原因の一端を占めていることだけは確かである
朝鮮併合も、長い目で見れば、支那事変や日米戦争に繋がっているのだ
>あくまでも原因の一つ
と自分で申しているのだから、私から付け加える必要は無いね。
歴史というのは、何が幸いするか災いするか解らないので、
”朝鮮を併合しなかったら”というifは十分成り立つし、現実的に有り得たと思う。
少なくとも万宝山事件は避け得たのだし、それが幸いして満州事変自体が起きなかったかも知れない。
何せ、朝鮮にかけていた分のお金を、全額日本のために使用できるのであるから、
東北地方の農村も、根本的に救われたかどうかは解らないが多少は救われていたであろう。
とすれば、3月事件や10月事件、515事件、226事件も起こったかどうか怪しくなる。
これらの事件は、『貧しい農民を救う』という大義を掲げていたはずだからだ。
なるほど。
一理ありますな。
大いに、その線で考察を深められ、ご指摘頂きたい。
勉強になります。
ただ、目下、私が(個人的ですが)追及しているのは満州事変前後以降のIF分岐。
すなわち、1931年より後ですな。
しかし、それは私の分析方針であって、貴君は貴君の歴史観に忠実で宜しいでしょう。
(当スレに於いても)どんどん、主張して下さい。
人それぞれ、立場がある。それでいいのでは?
それぞれの人間の精神の問題だから。
理解できてないっぽいのでもう一度聞くよ?
大日本帝国憲法の下で、
「統治権」を代表する、または統治権の「源泉」であった「天皇陛下」と、
「統帥権」を代表する、または統帥権の「源泉」であった「大元帥陛下」とは、
たとえ「同一人物」であっても、責任問題は「別」でしょ?
『敗戦に導いた責任』は、
「君臨すれども統治せず」の統治者である「天皇陛下」には無くても、
軍部を唯一取り締まる事が出来た存在であった「大元帥陛下」には有ったでしょ?
というか、大元帥陛下が軍部を取り締まろうとしなければ、
当時の日本で誰が軍部を取り締まって、ちゃんとした重罰を与えられたと言うのよ?
陸軍出身の田中義一でさえ、出身母体の陸軍と、及び政友会の猛反対に遭って、
河本大作高級参謀の処分を見送らざるを得なかったわけじゃん
陸軍出身首相ですら陸軍に厳しい処分を与えられない状況下、
大元帥陛下としての昭和天皇にしか、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾を厳罰に処することは不可能だったんだよ
1936年を境に「陸相は現役武官制」に戻った。山本権兵衛内閣以降、形式的にもせよ現役に復帰すれば、予備役でも陸相に就任可能となっていたが、元の現役武官制に復帰した訳だ。
これは事実上、陸軍の総意が無ければ、何人も陸相を任命出来ない、と言う事だ。その根拠が明治憲法の「天皇ハ陸海軍を統帥ス」の文言にある。
満州某重大事件の河本大作も、
満州事変の板垣征四郎や石原莞爾も、
軍部大臣現役武官制度復活の【前】の出来事ですが。
天皇が罰しようと思い、強力に命令すれば出来ないことはなかったはずですが。
それに現役武官制が有ったとしても、
米内光政が、首相になるために一旦予備役になり、
小磯内閣の時に現役復帰して海軍大臣になったような手法も取れたと思いますけどね。
>>135
その場合、天皇が、否、大元帥陛下が一喝して、陸軍大臣の統制に服するよう勅命を発する事も出来たはずですが。
大元帥陛下の権力を舐めてるんですか?
軍人勅諭にも書いてありますが、大元帥陛下は、直接軍に命令を下したって良いんですよ?
実際、226事件の時には、
『朕の馬を引け!近衛兵を率いて賊徒を討伐せん!』
と命令した事は有名ですよね?
その手法を多用しまくっていたのが桂太郎で、
『玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代え』
と、尾崎行雄が批判していましたよね?
ああいう批判は有りましたが、別にあれ以降、天皇の軍への命令が禁止になったわけではありません。
実際、田中義一内閣総辞職の際、西園寺公望は昭和天皇に対して、
『内閣総理大臣を、天皇陛下が直接叱責するのは良くない』
とは言いましたが、統帥権に関する軍部に関しては触れていなかったはずです。
え?
河本?
現在でも異説が提唱される事で、確たる証拠も無しに治罰出来ますか?
全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
少なくとも、当時はソ連の文献が公表されていなかったので、
田中義一総理も昭和天皇も西園寺公望も、
『関東軍の河本大作の仕業に間違いない』
と例外なしに断定していたのですが。
貴方、時代の前後、後先って解ってますか?
ソ連陰謀説が出てきたのは、ソ連が崩壊して機密資料が出てきてからですよ?
それに、河本大作自身、口が軽い、その上自慢話大好き男だったようで、
『張作霖は俺が殺ったんだ』
と酒の席などの自慢話で語っていたという情報も有りますが。
いずれにせよ、当時の人間が知るはずの無い知識をひけらかすのは勘弁ですね。
田中首相はともかく、陛下が断定していたとか、あり得ないわ。
しかし、陛下は実質、田中義一に切腹させた。
後悔されたと思う。西園寺公の諫言だけでなく、御自身、衝撃を受けられたのだ。
「有り得ない」と考えるのは、貴方の勝手な妄想。
昭和天皇は、侍従長や侍従武官、宮内大臣を使って、既に満州某重大事件の詳しい経緯も、
関東軍の河本大作が犯人らしい事も知っていた。
だから
「どうも残念ながら関東軍の者らしいです。厳しい処分を与えます」
そう言っていた田中義一首相を叱責して、結果的に内閣総辞職に追いやったのだ。
『厳しく処分します』と言っていた割には、
田中義一は陸軍や政友会の大反対に遭って河本大作を処罰できず、
単なる書類上の裁断で済ませようとしたからだ。
事情を詳しく聞いていた、報告を受けていた、と言う事と、どう判断されておられたかは別問題。
>>145で私は田中首相に実質的詰め腹を切らせた、とカキコしているが、限り無く黒に近い黒、とお考えだったのだろう。
しかし、毫一筋の留保の余地を残されておられたはずだ。
昭和天皇がソ連の陰謀説を疑っていたのであれば、その文献的証拠が必要になりますが?
実際には、田中義一を叱責して内閣総辞職に追いやったように、
一切疑う事無く、出身母体の陸軍も統制できない陸軍出身総理に腹を立てて叱責したというのが実状でしょう。
>>152
満州事変の評価ですが、確かに当時の世界情勢、そして日本の国内情勢から言って、
また、ポーツマス条約を無視した支那の、度を越えた抗日、反日、侮日運動の酷さから言って、
弁護の余地はいくらでも有ります。
し か し な が ら
昭和天皇も、当時の若槻内閣総理大臣も、幣原外務大臣も、南次郎陸軍大臣も、
【不拡大方針】であり、「満鉄付属地にすぐ帰るように」と命令している。
世界に向かっても、日本は満州に領土的野心は無いし、関東軍は満鉄付属地に引き上げつつあると発表している。
(その後に石原莞爾の錦州爆撃が起こるわけだが)
大元帥である天皇陛下の大御心も、
内閣の方針も、
陸軍中央の命令も無視して【独走した】のは否定できないでしょう?
しかも、この成功の結果、
『国を想うという純真な心さえ有れば何をやっても構わない』
と軍人たちに勘違いさせ、515事件や226事件の原因となり、
支那事変やノモンハン事件での「暴走」の前例となったのも事実でしょう?
支那事変に反対の陸軍作戦部長の石原莞爾が、
支那事変に大賛成の武藤章作戦課長を厳しく叱りつけた時、
『石原さん、貴方は何を怒ってるのですか?我々は満州事変での貴方のやり方を見習っただけですよ?』
とふてぶてしく言い放ち、天才、石原莞爾ですら一言も反論出来なかったという逸話も有りますね。
『現代でも異説が出てくる』んじゃないんですよ。
『ソ連の崩壊した現代 だ か ら こ そ 異説が出てくる』と正しく理解しなさい。
>全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
誰も『全てが天皇の責任だ』などとは言っていませんが?
軍部を統率する「大元帥陛下」として、ちょっと「怠慢」が過ぎたんじゃないですかと指摘しているのですが。
貴方はこちらの質問に一切答えていませんが、
「大元帥陛下」たる天皇陛下を抜きにして、
誰が「軍部」を抑えられたと言うのですか?
さっさと↑この↑重要重大な質問に答えてください。
陸軍出身の田中義一ですら抑えられなかったし、
国会議員の斎藤隆夫が「反軍演説」を行ったら、逆に国会議員を除名されたという時代です。
満州事変やノモンハン事件は、陸軍大臣や参謀総長、
つまり陸軍中央が大反対、不拡大方針を掲げていたというのに、
石原莞爾や辻政信はお構いなしに決行したではありませんか。
もう一度訊ねます。
【”大元帥陛下”たる昭和天皇以外に、一体誰ならば軍部の独走、暴走を抑えられたのですか?】
河本大佐を軍法会議にかけられなかった、真の理由が其処にあったと私は思うね。
ソ連と共謀だったのか、真相は闇の中だが、表に出せない何かがあったのだろう。
単純に「陸軍のメンツ」の問題でしょう。
河本大作の独走も止められなかった無能な組織と思われたくないので、軍法会議に反対した……
立憲政友会は、民政党の若槻内閣を倒すためだったら何でも利用するというとんでもない政党だったので、
統帥権干犯問題で軍部におもねったように、
この時も関東軍と陸軍におもねった……
そういう、日本人特有の反省すべき点が多々凝縮されているのが「張作霖爆殺事件」と、その後の河本大作の扱いでしょうね。
戦前の戦争を反省すると言うならば、戦後の日本人の態度にも通じるこの河本大作の扱いは、
なかなか示唆に富んだ話だと思いますが。
仮に、就任したとしても、組織的サボタージュとイジメで何も仕事が出来ないだろう。
心情的には荒しであると感じざるを得ないし、不愉快だが、公開掲示板だ。好きにせいや。
nOAさんが荒らしとか
このスレのpvの伸びはnOAさんのレスのおかげと思いますが。
昨日は「荒し」云々と言論封殺的に高圧的カキコをして申し訳ありません。
どうか、各位、存分に自説を主張なすって下さい。
>>131
いい事言ってくれましたね。
この動画の作者さんも述べているが、
日米戦争は1941年の時点ではもう「不可避」。
絶対に避けようが無かった状態であったと述べています。
この人の説では、日本の大失敗は次の四点に絞られます。
①「国民政府を相手とせず」声明(1938/1/15)
②日独伊三国同盟への参加(1940/9/27)
③南部仏印進駐(南進)決定(1941/6/25)
④真珠湾攻撃(1941/12/8)
特に④。
これさえ無ければ、①②③の失敗があっても挽回出来たのではないかというのが、
東方昭和伝作者の説ですね。
私は必ずしも同意していませんが。
1924年の排日移民法、1930年の関税法、1932年のオタワ会議、
この三つによって、日本が移民も輸出も出来なくて困り果てた結果が大陸進出だったのでしょうから。
1941の8月の時点では、(日米開戦は)不可避だと思いますね。
昭和の戦争の原因を【軍部の暴走】だけで説明するのは短絡的に過ぎるのは重々理解していますが、
実際に『軍部の暴走』と言えなくもない事件が、日本で多々起こっていた事は確かです。
大元帥陛下以外の、一体【誰】なら軍部の暴走を抑止出来たと言うのですか?
東方というゲームに興味が無くとも、
少なくとも歴史を語るなら、このシリーズだけは見ていただきたい。
昭和天皇は間違いなく張作霖爆殺事件について知っていたし、
関東軍の河本大作の仕業である事も知っていた。
その上で田中義一首相に「厳しく処分せよ」と仰せになってもいる。
(前述の田中義一総理の「厳しく処分します」という言葉に答えたもの)
以下のどれかが当てはまるだけで矛盾しないのですが。
1、河本大作はソ連のスパイだった可能性
(実際、河本の謀略に協力していた中国人や河本のよく止まっていた旅館の中国人は、ソ連との二重スパイを疑われている)
2、爆破事件は関東軍とソ連諜報機関によるものの二回有り、
(実際、爆破事件は二回起こっている)
直接張作霖を死に追いやったのはソ連側の方の爆破であるが、
河本大作は「失敗した無能な男」と思われたくなかったので『俺様が成功させた』と吹聴して歩いていた可能性
3、ソ連にとっても関東軍にとっても張作霖は邪魔だったので、お互いに手を組んだ可能性
暴走であっても、事後承諾の範疇の作戦である。
このスレの主旨から申せば、問題は以後の国際情勢、及び、対支政策の漂流にある。
満州事変、昭和6年(1931)の背景には、予算のパイを巡る軋轢があったと思う。アメリカにとって、1920年代(の少なくも前中盤迄)は経済の黄金時代だったのかも知れないが、我が国の20年代は不幸続きだった。
結果(挫折)に至った分岐点の考察である。
確かに、満州事変をこの考察から外す事は出来ない。
だが、支那事変の勃発1937とは6年の開きがある。
1936年12月の西安事件の半年後が盧溝橋事件である事実は、外国勢力の策動を示している。
同事件は分岐点の一つだと思う。
遅かれ早かれ、ドイツはソ連に目を転じるべきだったのは確かでは有ります。
何せ、ドイツに不足している資源の宝庫だったのですから。
むしろ、独ソ戦にこそ、ドイツ軍は真剣に作戦を検討した上で、長期戦になっても勝てる万全の体勢で臨んでほしかったものです。
独ソ戦に勝利すれば、インドを西からドイツが襲えますし、
1943年まで頑張っていた北アフリカ軍を、カフカス方面からイギリス軍の後方を突いて支援出来た事も確かです。
ついでに、大日本帝国海軍は、全力でインド洋の制海権を奪取する事に傾注し、
インド洋を行き交う連合軍船舶は、片っ端から沈めてくれていれば、
アメリカからのレンドリースを受け取れなくなったソ連軍は確実に敗北したでしょう。
独ソ戦に日本が参戦しなくとも、帝国海軍の9割をインド洋方面にぶち当てて、インド洋の制海権を維持しておくだけで良かったのです。
ロンメル将軍が苦戦したイギリスのシャーマン戦車だって、インド洋経由で輸送された物ですから、日本海軍がボッコボッコ、インド洋でイギリス海軍を沈めていれば、
到着するはずのなかった代物だったのですね。
日本もそうですがドイツも元々手持ちが少ないのにあちこち分散してそれぞれが個別に
戦争してたとこに問題があったと思います。
バトルオブブリテンも途中の焦りもあって中途半端な戦略変更などで結果なし得ずでしたからね。
この時にマレーとインドに戦火があったらイギリスもだいぶ事情が違ったと思います
ロンドン占領でなくても枢軸側優勢での対英講話でも戦略的勝利とおもいます。
元々ドイツはポーランド戦で「欧州大戦になる」なんて考えていませんでしたからねぇ。
ポーランド戦で英仏が宣戦布告してきたのは、ヒトラーにとっては大誤算で、ムッソリーニのイタリアが調停に乗り出すと、即座にその提案に同意しています。
ムッソリーニは第二のミュンヘン会議を開催を提案して、ドイツ、ポーランドの当事国はもちろん、フランスの同意まで取り付けたのですが、
肝心のイギリスが拒否ったので、外交による解決が実る事は有りませんでした。
こうして考えると、1939年の時点で、戦争したくてしたくてたまらなかったのはイギリスであって、ドイツではありません。
ドイツはいつでも退く用意が有ったのですから。
ポーランド戦自体、ポーランドが後先考えない無能を外務大臣に据えていたり、
徹底的にドイツを挑発したり、色々やらかしてましたからねぇ。
「欧州戦線は大東亜戦争とは無関係」って言われそうな流れね。
第二次”世界”大戦と言うように
それに、ただでさえ国力が乏しい国同士の連合である枢軸国は、
お互いに力を合わせて団結して戦わない限り、
圧倒的な物量を誇る米英ソには勝てない
日独の緻密な連携が取れてれば良かったんだが、
当時も今も、ドイツなんかと手を結んだのは日本の恥と考えるアホ日本人が居たからなぁ……
山本五十六とか米内光政、井上成美、そして昭和天皇も含めて……
米英が日本を拒否っている上に、
どんなに国際条約や国際法を律儀に遵守しようと、
日本人差別が止まらない米英の世界秩序に於いては、日本の生きる道など無かった
ヴェルサイユ条約に不満を抱えているドイツと組むしか無かったのが実状だ
ならば組むなら早ければ早いほど良かったし、
作戦の打ち合わせなども早い内に行っておくべきだった
結局、それすら出来なかったんだもんなぁ
全く同意
日独vs英
日独vs露
対米は介入させないかもしくは日露戦争式勝利ではなく、ベトナム戦争式勝利に持ち込むしかないかと思います。
革命中とはいえシベリア出兵時にはバイカル湖の東まで進んだ日本と第二次大戦時スターリングラードまで進んだドイツ。(カツカツだったけど)
これがもし東西同時であればロシアとて余裕なかったはず。
日独防共協定それ自体は間違ってなかったが、その後の連携がとれてなかったのが惜しかった。
独ソ戦に日本が直接介入する必要は無かったと思いますが?
それに瀬島龍三だったか、服部卓四郎だったか忘れましたが、
独ソ戦のドサクサに乗じて東から陸軍が攻撃を開始しても、
「バイカル湖到達は不可能」
と言っていたはずです
意外とそんなに独ソ戦の勃発によって、極東ソ連軍は減らなかったと
ならば、陸軍は全力を挙げて蒋介石政権と毛沢東政権を叩き潰す事を目指しておけば良かったと思うのですが
敗北間近の「大陸打通作戦」ですら、中国相手には連戦連勝の破竹の勢いで、
千キロも進んでしまった部隊も有ったくらいですから
関特演に動員した全ての部隊を延安と重慶にぶつけていたら、
蒋介石政権も毛沢東政権も呆気なく倒れたでしょう
さらに加えて、
先に述べた通り、海軍はインド洋の制海権維持を頑張っておけば、
援蒋ルートも遮断できますし、
北アフリカ戦線でロンメルの仇役を務めたモントゴメリーの補給路を奪う事だって可能だったはずです
さらに、アメリカによる、ソ連へのレンドリースも途絶えますから、
陸軍が直接バイカル湖に攻め込むよりも、よっぽど楽勝で、
しかもドイツ軍の勝利に貢献が出来る……
ドイツに対しては、
・歴史的日本の固有領土であった北樺太、カムチャッカの割譲
・ウラジオストクやハバロフスクなどを含む、外満州の満州国への割譲
・外蒙古は日本の属国である内蒙古自治政権と合併させること
この3点だけに絞っておけば、ドイツ軍も嫌とは言えないでしょう
インド洋を帝国海軍が完全封鎖してくれる代償としては安い物です
ミッドウェイで二段索敵で米空母を早期発見出来ていたら?
ガ島飛行場砲撃に霧島、比叡、大和で参加していたら?
など全てこちら有利に作用したとしても、ここで対米講和が結べなければ、昭和18年以降エセックス級空母と搭載機で米機動部隊が再編されて以降はもう覆しようがないでしょう。残念だが。
ロマンはあるけどもう架空戦記の中だけですね。
ミッドウェーでは、敵空母の所在を早くから把握していたんじゃないの?
空母の後方500キロ彼方の戦艦大和ですら、その情報を掴み、
「前線の南雲中将に回しましょうか?」
と訊ねられた際、
「いや、その必要は無かろう」
などと言って悠々と将棋を指していたのが、山本五十六
「空母の後方500キロ彼方の戦艦大和に情報が入るくらいなら、前線ではとっくに把握してると思ってた」
「無線封止を破って、敵にこちらの所在地を教えるのが嫌だった」
こういう意味不明な陳述を、山本五十六に成り代わって黒島亀人参謀が述べているが、
空母の後方500キロ彼方の戦艦の位置が割れたとて、敵に何が出来たと言うのか理解に苦しむ
当時のアメリカ軍のヨタヨタした爆撃機の遅さじゃ、
仮に爆撃しに来たとしても、戦艦や巡洋艦の対空砲の単なる的でしかなかったろう
そもそも500キロ彼方の戦艦大和に攻撃を仕掛けている間に、
自慢の南雲機動艦隊が、所在地を教えられたアメリカの空母を叩き潰していたはずなのだが
少なくとも南雲機動部隊では米空母の所在は把握していませんでした。
発見が遅れたのでもし米空母を発見した時用に艦船攻撃用の兵装で待機させていた二航戦の空母二隻の搭載機をミッドウェイ島攻撃用の陸用兵装に積み替えたところで米空母発見。同時にミッドウェイ島への第一次攻撃隊の収容。米陸上機の攻撃などなど。
そのまま陸用兵装でもイイから攻撃すればよかったのにここで艦船攻撃用にまた戻すという時間の浪費。
攻撃隊発艦準備整ったとこで米空母からの攻撃という
ガバガバ戦闘でした。
もし仮に島を占領して積んで行った6空のゼロ戦が展開したとしても、その後は維持しきれなかったでしょう。
そもそも昭和18年=1943年と言えば、
「カサブランカ会談」の年でも有りますね
(1943年1月)
ルーズベルトは強硬に「無条件降伏」を主張、
何とかして条件闘争の範囲に収めたかった日本もドイツも絶望に追いやり、
俄然抵抗を強めるに至った悪魔の国際条約です
のちに、欧州戦線を指揮していたアイゼンハワーが、
『カサブランカ会談の内容が発表されると、ヒトラーもドイツ軍首脳も怒り、憤激し、そして絶望した。
その後、彼らの抵抗は俄然強くなり、連合軍に多大な戦死者を出す羽目に陥った。
ルーズベルトがもっと寛大な和平案を提案する用意が有るとでも発表しておけば、
例えば第一次大戦の時のウィルソン案のような提案を行っておけば、ドイツ軍の抵抗は弱まり、もしかしたらヒトラー打倒のクーデターが起こっていたかも知れない』
とか言って批判してましたし、
日本は日本で、駐日大使を8年か9年勤めたグルーがカサブランカ会談を批判
『天皇の身の安全、地位の保証さえ認めれば、日本軍は今やハルノートの線までをも譲る用意が有ったであろう』
と述べていた
恐らく満州や朝鮮半島をも手放すことに同意していただろうとも
オーストリアの皇太子の暗殺が原因で日本が青島のドイツ軍を爆撃とか、もはや戦争目的不明だし。
同盟があるのに枢軸国が個別の戦争で消耗して各個に破れるのはやり方間違ってる。
対ソ戦、対英戦がなければ対中全力で良いとおもいます。
日ソ間には日ソ中立条約が有ったじゃないですか?
あれを平然と簡単に破っていたら、今時、ロシアやソ連の如く、
『日本は信用のならない国だ』
とさぞかし非難された事でしょう
元々、三国軍事同盟をドイツと結んだ時点で、
ドイツは日ソ間の調停をすら申し出ていたのです
日ソ間の同盟をけしかけたのは他ならぬドイツなのですから、
日本が、勝手に始められた独ソ戦に参戦する義務も謂われも有りません
しかしながら、アメリカやイギリスによる、ソ連支援のレンドリースをインド洋で食い止めるだけでも、
ドイツ軍の勝利に大きく貢献できますし、
ソ連に直接喧嘩を売っているわけではないので、何とでも言い逃れが出来るでしょう?
『我々はただ援蒋ルートを封鎖するためだけに、インド洋に艦隊を展開しているだけである』
『米英からの支援を望むのならば、北海ーームルマンスク経由でお願いしたい』
などとソ連の抗議にも応答出来ます
当然、北海とかノルウェー近海と言えば、ドイツ軍Uボートの餌食ですから、
無理を承知の言い逃れなのですが
『直接的にソ連に対する敵対行動に出ているのではなく、
あくまでも援蒋ルート封鎖が目的である』
と大義名分を掲げていれば、ソ連も文句の付けようが無いという訳です
英領マレー、ミャンマーに対しても1941年12月まで引っ張らずに前倒しでドイツと足並み揃えて同時にという考えですが、流石に対ソ、対英、対中を同時には日本の国力からして無理なので、そこは枢軸国内でまとめてから、という考えですが。
ドイツは東欧の資源が欲しいし、日本は東南アジアの油田が欲しいし、調整は難しそうですが。
ノモンハン事件で「大敗した」と日本政府当局や軍部が思いこんでしまったのが、
ドイツと手を組んで対ソ戦という戦略にストップをかけた要因でしょうね
あれでソ連軍を過大に評価、見積もるようになってしまった、と
元大本営参謀の言葉として瀬島龍三の、
『独ソ戦の隙に乗じても、日本軍はバイカル湖に到達できない』
という言葉を出しましたが、
瀬島は大本営参謀の時代から「ソ連のスパイ」という説も残る男なので、
その彼の証言は話半分に聞いておいた方が良いかも知れません
やらなきゃやられるとなればこうするしかないか?
という苦肉の索で書いてるのをご承知下さい。
個人的には、あの戦争は「運命だった」「避けようの無い戦争だった」と思っています
誰かが、白人至上主義の暴挙に対して立ち上がらねばならなかったのです
最近封切られた映画の『バンクーバーの朝日』『42~世界を変えた男~』、
どちらも野球映画ですが、如何に有色人種差別が酷かったか、これでもかとえぐり出してくれます
『42』の話の舞台は1947年、つまり戦後から始まるのですが、
それでも、アメリカでの有色人種差別がどれだけ酷かったかが解ります
日本が望まなくとも、近代化を達成した以上は、日本が有色人種代表として立ち上がるの他に無かったと考えます
言うなれば、幕末のペリーの来航以来、日本は日米百年戦争を戦っていたと捉えるべきではないでしょうか?
同意
仮に黒船にのってペリーが来なかったとしても、帝国主義の渦に日本は巻き込まれていたでしょう。
もしその出発が明治維新よりはるかのちであったなら日露戦争後の清のように欧米の食い物にされていたでしょうね。
アジア太平洋をめぐる日米100年戦争、最初の頃このスレで話した内容に戻ってしまいましたね。
加えて、白人たちには、被害妄想としか言いようの無い「黄禍論」が有りましたからね……
世界中に災いをもたらしているのは、欧米諸国の植民地化、帝国主義に在ったにも関わらず、
己の全責任を棚上げして、黄色人種差別に走った挙げ句、
日露戦争勝利後の日本に焦点を当てて勝手に脅えた挙げ句の果てに、
日本を追い詰めて戦争ですよ
本当に白人たち、または白人諸国たちの身勝手さには腹が立ちます
>>179
日本の情報戦略の弱さは、戦前も戦後も何も変わっていないという事ですね
張作霖爆殺事件でここのスレ主と議論になりましたが、
張作霖爆殺事件の真犯人はソ連の工作員だったかも知れないという情報を日本は掴めませんでした
昭和天皇、田中義一、西園寺公望などなど、
例外なしに、
『関東軍の河本大作高級参謀が犯人だ』
と信じて疑ってすらいなかった状態です
その頃から十年経っても、なお日本の情報戦略の乏しさは悲しいほどに惨めな水準だったわけですね
ちなみに、日本陸軍は、「西安事件」についても内情をよく掴めなかったとか
日本軍が蒋介石との講和に未練を残しまくっていたのも、
西安事件前の反共の蒋介石のイメージが強くて、
まさか中国共産党に逆らえない傀儡政権化していた事実を遂に掴めなかったからだとも言います
「支那通」と呼ばれる軍人や学者は、戦前から何人も何十人も、何百人も存在したのですが、
揃いも揃ってボンクラ揃いであったと言えます
もし、西安事件の詳細が日本に伝わっていたなら、蒋介石は絶対に日本と手を組む状況に無い事は悟ったはずで、
あんなに未練タラタラに和平提案を繰り返さず、
本腰を入れて、徹底的に蒋介石政権を叩き潰す手段を選んだはずです
こんな情報戦略であっても『外務省や海軍よりはマシ』と言えてしまうのが、日本の悲しい所です
外務省も海軍も、情報戦略という概念そのものが欠如しているのかと疑いたくなるほど杜撰でしたから
山本五十六が待ち伏せされて殺された時点で、
『暗号が読解されているのではないか?』
と海軍は疑っても良さそうなものでした
実際、陸軍は大本営政府連絡会議だったか、軍務局長間の会議にて、海軍にそういう忠告をしています
海軍側が、
『余計なお世話だ、海軍の暗号は完璧である』
とはねつけたのですが、実際には陸軍の指摘通りに、海軍暗号文は読解されていた、と
海軍甲事件(山本五十六の死亡事件)も失態なら、
海軍乙事件も失態としか言いようが無く、
福留繁は処罰した上で、海軍は暗号と作戦案を切り替える必要性が有ったはずなのですが、
構わず続行させてレイテ沖海戦の大敗に繋がったと言うのですから、
海軍には「情報戦略」とか「情報戦術」という概念が有ったのかどうかすら疑問です
敵性英語は使うべからず
と
敵を知るために積極的に日本語を研究
の差で考えの深さがわかりますね。
敵性語禁止運動は、日本国内が勝手に盛り上がっていただけで、
陸軍という組織として大々的に行った事は無かったのでは?
元々、米英ともに陸軍の眼中に無かったので、英語を選択する者が少なかったのは確かですが
日ソ不可侵条約にドイツが水を向けたのは独ソの関係緩和の意味があったようですが、その後の独ソ開戦に至った後はかえって裏目に出てますね。
それは「関東軍特殊演習」程度のことでも構わないのですか?
その程度ならば史実でも行いましたが、結局、
『バイカル湖にも到達できない』
と言わしめる程度にしか、ソ連に効果を与えていないようですが
『スターリンは関特演に脅威を感じており、ゾルゲは関特演で本当に日本はソ連に攻め込むつもりが有るのか否かを調べるために必死に諜報活動に精を出していた』
という説も有るには有りますが……
いえ、脅しではなくて侵攻と駐留です。
居座るのです。
あの段階で生半可な脅しは通じないとおもいます。
ありがとうございます。
とすると、日ソ中立条約がネックですね。
やはり、日ソ中立条約締結前に、いや、独ソ不可侵条約の締結前に、日本が決心を決めておくべきでした
ドイツは唐突に日本も裏切って独ソ不可侵条約を結んだわけではありません
大島浩駐ドイツ大使を通じて、何度も何度も独ソ不可侵条約締結の可能性を匂わせていました
駐イタリア大使の白鳥敏夫も、
『独ソ接近の可能性大』
と連絡しているのですが、
それらを「外交上のブラフに過ぎない」と切って捨てたのは、時の外務省の上層部です
当たり前ですが、見通しを間違った外務省上層部の役人は誰一人責任を取っていませんが
当時の日本は、まだまだアメリカとの和平、友好に未練を残していましたし、
イギリスとは将来的に戦争になるとしても、
『出来ればやりたくない』
と昭和天皇が思われるほど、未練を残していました
蒋介石相手にも未練タラタラだったのを見ても、
全然全く腰が据わっていなかった、覚悟が決まっていなかったとしか言いようがありません
最も悪いのは、どっちつかずの曖昧な態度で、どっちにも良い顔をしようとした歴代政権と外務省の無能に有ると思います
過小評価されがちな大島浩や松岡洋右の方こそが、無能とか売国奴ではなく、
早い内から日本の在るべき姿、外交戦略を打ち立てていた有能な人物だった事になります
現在の私たちの仕事においても決断の重要性は重要であり、さらに刻々と変化する情勢に先んじるスピードも重要ですが、これは当時の国政、軍部とて同じだったはずですが、責任負うのを避けるためか決めきれなかったため時期をのがした感あります。
ところでインド洋での日本海軍による通商破壊作戦、
かなり効果あったようですが、ソロモン戦以降、潜水艦での物資輸送などという不本意な使い方にて消耗してしまったのは残念です。
潜水艦での日本の通商破壊戦の参考はこちら
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-3_3.pdf
そうですね。
日本は1931年の満州事変から、1945年の敗戦までの間に、
若槻、犬養、斎藤、岡田、広田、林、近衛、平沼、阿部、米内、近衛(第二次・第三次)、東條、小磯、鈴木
14人もの首相が入れ替わり立ち替わり組閣しています。
1931~45年の期間が14年間ですから、
『一年に一度』内閣が変わっている計算となります。
(平均の話です)
これでは、到底「統一戦略」など打ち立てられませんね。
この14年の間、一貫して権力の地位に在ったのは昭和天皇だけですから、
【昭和天皇の戦争責任】を問う声が絶えないのだと思います。
インド洋での通商破壊戦ですが、
もっと積極的に行っていれば、1942年の内に、日本はインド洋の制海権を獲得し終わっていたでしょう。
ミッドウェーの敗戦も起こっていないので、空母4隻も保持したままですし。
当時のイギリスには、最早あれ以上軍艦をアジア方面につっこんでくる余裕など有りませんでしたから、
コロンボ空襲が成功裏に終わった時点で、後はワンサイドゲームになったはずだったのですね。
アメリカの工業力がフル活用されて週刊護衛空母と化してくるのは、1944年以降からですから、
それまでの間にソ連をまずレンドリースを完封して叩き潰しておき、
北方の脅威を除去した上で、援蒋ルートを断ち切られた蒋介石政権を倒し、
毛沢東政権も倒し、
制海権を持っているので、海軍護衛の下でインド上陸やセイロン上陸を行っておけば、
インパール作戦なんて大仰な上に、輸送も出来ない作戦に頼るよりも、
確実に安全に作戦を展開出来ます。
インド人の間で名高かったチャンドラ=ボースをインドに上陸させれば、
もうそれだけで何千万というインド人が味方に付いてイギリス軍を追い出したでしょう。
インドを失陥したイギリスは、さすがに斜陽を覆い隠す事も出来なくなります。
イイですね、
当然ドイツにもそれに呼応する形で動いてもらいます。
ABCD包囲陣や対日禁輸、ハルノートまでズルズル先送りにして後がなくなってから打ってでた有様は、大阪城の外堀を埋められてから戦を決意して敗れた豊臣秀頼を思い起こさせます。
そうなる前に腹くくって決断すべきこそが国のトップだとおもいます。
ついでに、アメリカは1941年=つまり日本が真珠湾攻撃を行った年まで、ドイツと交流が有りました。
サムナー=ウェルズ国務次官を団長とする、特別外交団が、この年の1月~2月にかけてドイツに送り込まれていたくらいです。
(この時点で明らかに有色人種相手の場合と、白人相手の場合と、扱いが違うのが解るのですが)
※サムナー=ウェルズWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B5%E3%A0%E3%8A%E3%BC%E3%BB%E3%A6%E3%A7%E3%AB%E3%BA
ナチスドイツの人種理論、反ユダヤ理論の多くは、アメリカ人の人種理論家のマディソン=グラントや、
同じくアメリカ人のヘンリー=フォードの『国際ユダヤ人』などに多くを負っています。
そもそもフォードやリンドバーグ、フーバーなどは、ナチス党に資金援助していたり、積極的に支持を煽っていた事すら指摘されています。
アメリカは決して最初からイギリス一辺倒だったわけではないし、
ドイツを嫌っていた訳でもありません。
だからこそ、当時の日本人は、アメリカ人の対応を読み間違えたのでしょう。
つまり、有色人種である自分たちにも同様の対応をしてくれるはずだと。
イギリスとアメリカは分けて捉える事が可能であり、
イギリスだけを敵にして、アメリカは敵に回さないで好意的中立を維持させる事が可能だと。
しかし、それは日本人の淡い期待でしかなく、
ドイツ相手には寛大だったアメリカですが、日本相手には冷淡極まる物でしかありませんでした。
例えば天津のイギリス租界で、親日派の中国人要人が暗殺されました。
日本は当然犯人の引き渡し要求を行いますが、イギリスは拒絶します。
ならばという糊塗で日本は報復措置として、天津のイギリス租界を封鎖するという挙に出たのですが、待っていたのは、
【日米通商航海条約の破棄】
という、アメリカからの通告でした。
つまりアメリカは、ドイツに対しては、
「英米可分論」(イギリスとアメリカとは分けて考える事が出来る)と装い、
日本に対しては、
「英米不可分論」(イギリスとアメリカの利害は一体である)
と装っていたのです。
当時の日本の外交官や軍部が、最後の最後までアメリカの行動パターンを読み切れず、
最後には、ハルノートにまで至ったのも、ドイツに対する友好姿勢のアメリカを見ていたからという部分も有ります。
原爆開発が現実味を増したのちの使用候補地選定の段階でもドイツに対して使用する考えは全くなかったようですね。
間に合わなかったというのではなく計画段階で欧州戦線は候補に入ってない。
そんなところからも日本とドイツの扱いの違いは大きかったとおもいます
シベリアの天然ガスも1940年代ではまだ知られてないから気でも狂ったかと言われそうですがあくまで牽制程度にて。です
エンジン=発動機
点火プラグ=発火栓
レバー=握柄
こんなことで勝ち負け関係ないのに。
海軍は生まれがイギリスなんで元々英語の装備品が多いのでそこまでなかったようですね。
先ほどの潜水艦資料、長いのですがザックリ言うとおっしゃる通りの内容です。
インド洋での通商破壊作戦にて援蒋ルートの妨害とアフリカ戦線の英軍へのレンドリースの妨害の有効性です。
【統帥権】の面から見た「大元帥陛下」としての側面からは、「責任は有る」と考えます。
ここのスレ主に何度質問しても答えてもらえませんでしたが、
大元帥陛下が統帥権をフル活用して、
河本大作や石原莞爾、牟田口廉也、富永恭次、石川信吾などの「問題児」たちを処罰しなければ、
一体誰ならば、彼らを処罰出来たと言うのでしょう?
陸軍出身の総理でも駄目、
陸軍大臣や参謀総長でも駄目、
自浄作用が存在しない組織に於いては、
大元帥陛下の権能に頼るしか無かったはずです。
『立憲君主の枠を越えた越権行為』
ではないでしょう。
イギリスなど、つい最近まで内閣の閣僚人事にすら口出ししていたような国です。
日本と同盟を結んでいたイタリアは王国でしたが、統帥権は当然イタリア国王、ヴィットリオ=エマヌエーレ3世に有りました。
(ムッソリーニが握っていたわけではない)
エマヌエーレ3世は、結構国政にも軍政にも口出しする人物であり、
ムッソリーニの方が国王に引きずられて戦争になったという面も有るわけです。
そういう他の王国の事を考えると、
さすがに、「君臨すれども統治せず」は許されますが、
「君臨すれども”統帥”せず」では困りますし、
それは大日本帝国憲法違反です。
『第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス』
返す返すも残念なのが、西園寺公望がデタラメな帝王学を残して世を去った事です。
つまり、
『日本は天皇が何でも好き勝手に振る舞える専制君主国家ではない。
天皇でさえ憲法の条規には従ってもらわないと困る。
内閣が一致して奏上した案件に関しては、如何に内心不満であっても裁可する。
”君臨すれども統治せず”が理想的な君主像である』
田中義一を叱責して倒閣に追いやった時、西園寺公望は、大略このように昭和天皇を諫めていますが、
西園寺公望が述べているのは、あくまでも「統治権」の部分だけに過ぎません。
昭和天皇は、どうもこれを「統帥権も含まれる」と勘違いしていたようなのですが、
どう考えても、大元帥陛下である昭和天皇を除いて、軍部を抑制出来る人間は日本に存在しませんでした。
西園寺の言葉は統帥権には関係なかったのではないか?
はたまた、西園寺が統帥権についても統治権と同様に準じると考えていたならば、それは西園寺こそが間違いだったのではないか?
それを強く感じますね。
全部「後世の知識」が有るから言える事であって、
当時の人間が知るはずないんだよな……
恐らく1941年の1月とかの時点で、
『今年中に米英と戦争になる!』
などと予言したら、馬鹿かキチガイ扱いされて、
警察に「人心を惑わす」とか言われて逮捕されて怒られるだろう。
1941年1月の時点でも、まだ、本格的な戦争準備を行わず、
実りの無い、進展の無い日米交渉に無駄に時間を費やしていたのがその証拠。
東條内閣成立も、世論の期待とは裏腹に、
「日米戦争を回避するために」
「陸軍を、他ならぬ陸軍大臣の東條英機自身に抑えさせるために」
出来上がったようなもんだし。
ただ、東條英機自身はそれなりに立派で、実務家としては優秀だったかも知れないが、
その人を見る目があまりにも曇り過ぎてたのが……
「三奸四愚」然り、富永恭次や牟田口廉也、佐藤賢良、服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三なんかを抜擢する、
揃いも揃って問題のある人物ばっかり……
まぁそれも、「後知恵」が有るから言える事なんだけど。
日露戦争の直後に、清国を恫喝して、関東州や満鉄付属地のみならず、
「満州全土」を要求して没収しておけば良かった。
と言うのは、清国は日露戦争では密かにロシア側に味方していたからだ(露清密約 1896年)
国際法上では「準敵国」に当たり、ロシアが負けた以上「準敗戦国」とも言える。
日本ではなくロシアに賭けた清国に、とやかく口を挟む権利など無いのだ。
日本の諜報機関が「露清密約」を探知していれば……と思うと残念でならない。
この時点で満州の地を制圧していたならば、満州事変も必要なかったし、
日米戦争(1941年)まで、35年もの猶予期間が有ったのだから、充分過ぎるほどに満州の開発を進められたかも知れない。
そして開発を進めていたならば、もしかしたら満州の地の油田、大慶油田を発見していたかも知れない。
石油さえ有れば、アメリカとの戦争など覚悟しなくても済んだのだ。
遅くとも、シベリア出兵(1918~1922)の頃までには、満州全土を制圧しておく必要が、
地政学的にも、純軍事的にも有った。
またこの頃までに満州を制圧しておけば、
「パリ不戦条約」や「九ヶ国条約」の締結前なので、
日本の行動は「既成事実」として認められたはずだった。
このように後知恵で考えると、色々思いつくが、当時の人間が全く思いつきもしなかったことが惜しまれる。
現在の目線で見ると9カ国条約はソ連が入ってない時点で日本にとって大きな足かせになってしまいましたね。
あれで好き勝手やられてしまった。失敗
理由をつけてシベリア出兵時での満州掌握に同意です
タイミング的にはWW1時の対華21カ条要求での山東省権益獲得を米英の懸念に応じ削除。
バーターで反対意見のなかった満州に関する条項を拡充して国際社会の承認を経て、満州を日本の勢力地帯とするべきだったかとおもいます。
譲歩 ??
山東省は後からでもなんとでもできるが満州の防共拠点としての整えには時間かかるので、そちら優先です
そんなあなたに映画「トラトラトラ」おすすめ。
要は反復攻撃をせずに帰還したことについて。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-206-490×200.png
併合されて半年はねーだろ
東郷平八郎がまだ若手船乗りだった頃に、
リリウオカラニ女王に対するクーデターが発生しているのだから
荒らしにマトモにとりあっちゃだめ。
それはそうとハワイ併合(1898)の話が出たのでいい機会なのでそのはなしを。
独立国だったハワイ王国をアメリカが併合するまでの手順が
土地の買い占め
↓
政治中枢への親米派の送り込み
↓
貧困層から選挙権剥奪
↓
親米派が新政府樹立
↓
アメリカが承認
明らかな内部侵略行為だった。
これじゃ日本のアジア侵略とか言わないわな。
いくら旧軍の悪口を言い立ててみたところで、大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍は消えない。
97式中戦車チハが弱小とのことなら、弱小なる97式中戦車チハでドツキまわされた中国人は更に惨めだ。
これで日本人の中国人に対する優越性は、確固たるものになった。中国人は日本人に劣っている、
徹底的に劣っている。優秀な日本人と劣等な中国人、これを証明したのが大陸打通作戦だった。
対独戦と比べて対日戦はマイナーという主張も聞いているが、その場合、対日戦オンリーでしかも
連戦連敗だった中国はゴミ扱いとなる。
大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を語り継ぎ、日本人の中国人に対する優越感をかみ締めていこう!
アメリカに日本の行動を「侵略だ」などとほざく資格は無いんだよな
なので東京裁判でも日本のアジアへの植民地支配の罪というのは一切触れておらず
あくまで紛争解決手段としての戦争を禁止したパリ不戦条約違反にあたる平和に対する罪としか訴追していない。
自分に返ってくるからね。
A級戦犯=平和に対する罪(戦争を始めた罪。植民地支配の罪ではない)
パール判事は戦勝国が事後法で敗戦国を一方的な解釈で裁く資格はないという法的見地からの主張。
これが通れば、勝てば正義になってしまうことへの警告だった。
日本に対して、第一次安倍政権の時に「性奴隷決議」を出したのなんか、その典型的な象徴。
日本の慰安婦制度を非難したのだが、
日米戦争の敗戦後、日本に進駐してきたアメリカ軍が真っ先に要求してきたのは「慰安婦」だった。
要するに「RAA」を要求したアメリカ人に、
日本の慰安婦制度を非難出来る資格が有るのか?
安倍晋三は馬鹿だから、こんな無茶苦茶な議決に対して、
【深く謝罪する(deeply sorry)】
などとほざいて、世界中に日本が「性”奴隷”」を持っていた事を認めてしまったのだが。
同じ頃、同じくアメリカの国会によって身勝手な議決を下されながらも、
毅然たる姿勢を取って逆にアメリカに謝罪させた、トルコ政府の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
100年以上前のオスマン・トルコ政府の時代に、アルメニア人大虐殺を行っているが、
その事についてアメリカの国会で、
『現トルコ政府は謝罪して賠償せよ』
などという一方的な議決が飛び出した訳だ。
トルコ政府は大統領も民衆も憤激して激怒。
「トルコ駐留アメリカ軍を追放する」と発表した上、
「お前らだってその頃は、インディアンの土地を奪って国土を広げた侵略者で虐殺魔じゃないか!」
と、アメリカ政府に向かって堂々と批判を行った。
トルコ政府は、すぐ隣が核大国で歴史上何度も相争ってきたロシアなので、
また、イスラエルという、非イスラム教国の核大国も近隣に有る事もあり、
アメリカ軍と「ニュークリア・シェアリング」を結んでいる間柄でもある。
そんなトルコ政府でさえ、言うべき時には毅然とした態度で堂々と自己主張しているのだ。
そして、結果的にアメリカから逆に謝罪と妥協を引き出している。
本当に、弱腰の安倍晋三には、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい態度だわ。
ハワイもフィリピンもプエルトリコも、
全部アメリカの植民地政策の痛ましい犠牲者ですが。
そもそも、つい最近行われたイラク戦争やアフガニスタン戦争も、
【アメリカの植民地政策の現れ】とは言えないの?
特にイラク戦争は、大義名分としていた「大量破壊兵器」は出てこなかった訳じゃん。
冤罪で濡れ衣を着せた上で、石油利権欲しさに侵略戦争したってのが本当の所でしょ。
「未だかつて、アメリカは一度も侵略戦争をした事が無い」
と堅く信じ込んでいる。
フランクリン・ルーズベルトが大統領だった時、
イギリスの大使と会見する事があり、話がたまたま世間話に飛んだ事が有った。
その時ルーズベルトはイギリスの大使に向かってこう言ったと言う。
『私はあまりイギリスに向かって批判がましい事は申したくないのだが、
1842年にイギリスが香港を手に入れられた時、それは平和的な手段で行われたのではなかった』
この会談の時点で、既に100年前近い話を批判されたイギリスの大使は、
呆れかえってこうやり返したと言う。
『大統領…、確か私の記憶が正しければ、その頃貴殿のお国では、”米墨戦争”の真っ最中ではありませんでしたか?』
国連の査察を拒否し続けた真の理由だ。国連査察→米に(機密情報)筒抜け→イスラエル政府にも筒抜け、であろう。
国連査察を受け入れると言う事は、国防に関する機密が丸裸になると言う、個人に喩える所の゛身体検査゛、゛ボディー・チェック゛を施されると同義だ。
゛身体検査゛され、米経由でイスラエル国家に国防機密情報を知り尽くされると言うのは、イスラエル侵攻を祈念していたサダムには受け容れ難い屈辱だったのだろう。
それ以前に、フセインはかなり積極的に国連査察を受け入れていたのだが。
大統領宮殿や別荘まで公開して見せている。
そしたら国連査察団の中にアメリカのスパイが居て、
その後その場所がピンポイントで爆撃を食らう羽目となった。
その後、フセインが国連査察に非協力的になったのは当たり前と言えば当たり前過ぎる話だ。
故に、アメリカの悪を数えるのは、大いに結構だし、止めないが、湾岸戦争だけは除外してほしい。
私はフセイン討伐を大いに賞賛する。
イラク戦争だって捨て置く訳にはいかない。
【無理難題を突きつけられて、戦争以外に道が無い所にまで追いやる】
これが、いつものアメリカの姿だからだ。
湾岸戦争だって、実はアメリカは勃発する事を知っていた。
あらかじめフセインから打診されており、
アメリカは、それについて良いとも悪いとも発言しなかった。
イラン・イラク戦争の時は、アメリカはフセイン政権を支持していたのだから、
きっと今回も支持してくれるだろうと、
アメリカの反応を見て確信したフセインが、クウェートにイラク軍を侵入させたのが湾岸戦争の発端だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/april-608e.html
囲碁で申せば、呉清源(大日本帝國)と市井の碁会所のアマチュア(イラク)を比較するような気もするが……
そういう事言ってるんじゃなくて、
日本もイラクも、アメリカに【騙されて】戦争に持ち込まれたと言ってるんだよ
まぁ日米戦争の場合は、ソ連のスターリンによる「雪作戦」の結果かも知れないので、
本当の責任者はソ連、コミンテルン、スターリンかも知れないが。
前に小室直樹氏と日下公人氏の対談を読んでいたら、当時の政府首脳の手元に上がっていた報告データは全然、内輪に見積り過ぎた不正確な数字だったそうで、戦後、判明した本当の量は政府首脳の信じていた数字の倍はあったとか。
これが真(まこと)なら、「あ号作戦」の規模や攻撃回数も全然、変わっていたのでは?
日米離間って……(呆れ)
戦前のアメリカは、果たしてそんな素晴らしい国だったんですかい?
・ワシントン条約
・九ヶ国条約
・排日移民法(有色人種差別)
・ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約
・ホーレー・スムート法(関税法)
・日米通商航海条約破棄
・屑鉄禁輸
・石油禁輸
・ハルノート
こんな事やって来た国と、一体どうやれば戦争しないで仲良く出来たとでも言うのだろうか?
「日米離間」とかアホみたいな事をほざく前に、
【当時のアメリカ】が、一体どのような悪徳国家であったか知っておくのが筋であろう。
(当然ながら、【今のアメリカ】も、ほとんど変わっていない悪徳国家なのだが)
常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
現在の我が国の敵はアメリカではない。国内である。最大のテーマは国内の反日マインドで、その識別子は日本国籍の有無ではない。
>常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
そんな物は存在しない。断言してやる。
【利用価値が有る限りに於いて】
日本に好意的であるかのように見せかけているだけに過ぎない。
実際、北朝鮮の拉致問題を事実上見捨てたのはアメリカだ。
しかも、比較的「親日的」と呼ばれる共和党のブッシュJr政権だったではないか。
「性奴隷決議」だって、ブッシュJr政権の時代の話である。
日本にとって最大最悪の敵である中国政府に、
「テロとの戦い」に共に参加するからという理由だけで、好意的に接した初の大統領もまた、
ブッシュJr政権だったではないか。
故・中川昭一議員が、
「核武装も検討した方が良いかも知れない」
と発言しただけで、
「知日派」と呼ばれるアーミテージやナイが緊急来日。
(どちらも共和党)
「アメリカの”核の傘”を信じろ」
と強要した事も有った。
その後中川昭一氏はローマで「酩酊記者会見」を起こし失脚。
その後急死している。
私は、中川昭一議員はアメリカによって失脚させられた上、暗殺されたのではないかとさえ疑っている。
父親の中川一郎議員もまた、不審な死を遂げている。
中川一郎議員の場合は、自殺という事になっているが、自殺に見せかけた他殺など、テレビドラマや映画の世界だけではない。
繰り返すが、アメリカ政府の、共和党・民主党問わず、まず第一の対日目的は、
【日本が、再びアメリカに逆らわないような弱い国で在り続けること】
である。
中国や韓国と仲違いしていればなおのこと宜しい。
そしてアメリカ政府は、北朝鮮の核武装や中国の核武装については何ら文句を付けなかったくせに、
日本に対してばかり、核武装を議論すらさせない。
西村真悟議員も、核武装を議論せよと発言しただけで失脚に追い込まれた。
結局、アメリカ政府は中国や韓国、北朝鮮、ロシアなんぞより、
かつての敗戦国である日本の方をこそ敵視しているのだ。
しかし、国内のディスカウント・ジャパン勢力に対抗するには、悪魔であるアメリカの中の親日勢力と結託するのも已むを得ぬ。
例え、残地諜者(工作員)として゛彼ら゛、ディスカウント・ジャパン勢力を養成したのが占領当時のアメリカであったにしても、だ。
反米が国内のディスカウント・ジャパン勢力、電通やマスコミに巣食う獅子身中の虫、共同体にとっての悪性新生物を除去するよりも優先するテーマであろうはずがない。
それはおかしい。
日本国内の反日勢力を支援しているのは、ほかならぬアメリカではないか!
アイヌ民族を「先住民族」扱いしたのは、国連の人権委員会か何かだし、
アメリカ下院の「性奴隷決議」のせいで、日本は、「性奴隷」などという恥ずべき存在を持っていた事になってしまった。
一応言っておくが、「slave=奴隷」という単語の意味合いには、
基本的に西洋白人諸国レベルの差別や奴隷制度など、
歴史上に存在しなかった日本人にとって理解できない程、凄まじい悪い意味合いが付随している。
日本は、かつての白人が、黒人奴隷を大量にアメリカ大陸に移入したかのような、
あのような蛮行を働いた事にされてしまったのだ!
あのクソふざけた下院決議のせいで、日本の名誉がどれだけ毀損されたか!
一方、反日勢力が、どれだけ勢い付いたか!
それを少しは考えてから、物をほざいてもらいたい。
(社会問題等々叙述技法の一つである所の)゛擬人化゛の手法中に陥穽し居(お)る罠にかかってはならぬ。
例え、ラスボスがアメリカであったとしても、決戦以前のクォーター・ファイナルで゛四天王゛や゛三人衆゛に不覚をとればゲームオーバーだよ。
国内(迷宮内ダンジョン)の使い魔たちを悉く撃破しなくては、ラビリンスの出口で待っているラスボス、゛赤き龍(たつ)゛に見(まみ)える事すら、叶わない。
ものには順序がある。まずは足元の整備だ。
電通やマスコミ、裁判所事務職、検察庁に巣食う腫瘍を摘出せずして、焉んぞゲーム攻略ならんや?
アメリカは一枚岩ではない。
それはそうだろう。
だが、アメリカ人の政治家の誰一人を取り上げてみても、
【アメリカの国益を損ねてまで、日本の面倒を見てくれる慈善事業家などは存在しない】。
これは別にアメリカ一国に限らず、日本でも中国でも韓国でもロシアでも、世界中どこでもそうだろうが、
自国の国益を無視してまで、外国の為に尽くすようなアホな国は、お人好しでエエカッコシイの日本くらいなものなのだ。
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
日本では「Lotte」と委託販売契約を結んでいる。
ロッテと言えば、言わずと知れた「韓国系企業」である。
果たしてこれは単なる「偶然」であろうか?
何をどう言い逃れしようとも、
アメリカが所謂「反日勢力」の背後に存在する事は否定出来ない事実である。
有名所ではこのdoll社とLotte社の結託以外にも、
尖閣諸島海域での、中国による地下資源吸い上げが例に挙げられる。
日中中間線の向こう側でやっているとは言っても、地下資源の世界には「国境」や「線引き」などは無い。
つまり、由緒正しい日本側の資源すらも、中国によって吸い上げられているのだ。
さて、ここで問題になる事が一つ有る。
中国は日本より技術が遅れた発展途上国のはずではないか。
海底地下資源の掘削、獲得技術と言えば、かなり高度な技術が必要となる。
中国如きが如何にしてその技術を手に入れたのか?
答えから言ってしまえば、
ア メ リ カ の 石 油 マ フ ィ ア が
中国に海底地下資源掘削技術を譲渡してしまったのだ。
これは陰謀論でも何でもない。
少し調べればすぐに誰でも解る話だ。
アメリカは、中国と争っている訳ではない。
日本と中国が争ったとしても、頼みになる同盟国であるかどうかは甚だしく疑問である。
むしろ、ハワイで中国の国家主席が、
「中国とアメリカは、共に手を携えて、日本軍国主義を叩き潰したのだ」
と演説すれば、ヤンヤの喝采を浴びる間柄なのである。
(そもそも、今の中国共産党政府と、第二次大戦中の蒋介石政府とは、全然違う政権である事もアメリカ人の大多数は知らない)
私は゛反米゛には反対だ。私は国内問題を最優先させるべきだと思う。
少なくも、現在、政治エネルギーを反米に湯尽させるべきではない。
例え、アメリカの基本スタイルが「アジアの分割統治」であり、日支を反目させる工作を裏面で進めている事実があるにしても、である。
それでも、尚且つ、我々は、国論を反米に誘導してはならぬ。何故なら、我々の実力は反米を推進させるには程遠いからである。
大日本帝國ですら、一敗地にまみれた相手だ。
ワスプ中の親日勢力と協調する外交はリアリズムそのものだ。
このマターに道徳倫理を介在させる少女趣味的感傷主義の関与可能の余地は毫も存在しない。
国内問題至上主義、残地諜者の殲滅、除去、これの成った時、初めて、我々はリターンマッチの土台を再構築した、と申せるだろう。
この土台なくして、゛政治資源゛(←゛世論圧力゛の謂いの文言)を反米に浪費するのは自殺行為だ。
親日勢力なんて存在が果たして居るのか?
強く疑問に思わざるを得ない。
何度も訊ねるが、
【アメリカにとって利用価値が有る間だけ、親日っぽく演技しているだけ】
ではないのだろうか?
現に、戦後70年、日本は、アメリカに尽くして尽くして尽くして尽くして尽くし続けてきたにも関わらず、
アメリカ人からすれば、
『そんなの当たり前』
と言わんばかりの対応ではないか。
国境線だけ入った世界地図の白地図を用意して、アメリカ人の大多数に、
「日本を指さしてください」
とお願いすると、ほとんどの人がまともに指させないと言う。
中国を指さしたり、韓国を指さしたり、酷いのになると、アフリカのどっかの国を指さしたり……。
所詮、日本にとってどんなにアメリカが大事で重要であっても、
アメリカ人にとっては、その程度の認識であり、扱いでしかないのが【日米関係】ではないか。
>>263
基本的にあなたの認識自体は正しい。
あなたは米のマキャベリズムを指摘している。
私は日本の政治闘争のエネルギーの使い途を論じている。
それぞれのxy方向の←→↑↓の向き以前に空間座標に於けるz軸上のパラメーターが異なる。
共通の認識は我々はCIAの工作を受けている、と言う点だろうね。
あなたはそれを濁流だと見ている。
私は清濁合わせ呑む帆船逆風利用的ジグザク走法を提唱している。
>>262
フリーザと悟空のナメック星でのバトルは核兵器のレベルじゃない。
核兵器は近未来、時代遅れとなるだろう。
カメハメ波とか元気玉はプラズマ火球だと思うよ。
CIAだかFBIだかフリーメーソンだか、
はたまたロックフェラーだか、ロスチャイルドだか知らないが、
日本の所謂「反日勢力」の背後には、確実に【アメリカ】が存在する。
「反日勢力」と戦うに当たって、「アメリカと戦う」事を抜きに物事は語れない。
例えば「九条信者」、「現憲法信者」と呼ばれる人たち。
元はと言えば、GHQが現憲法を押しつけなければ、
御用学者に、
「大日本帝国憲法と違って素晴らしい憲法ですよ~」
などと宣伝させなければ、あんな連中は生まれていなかったはずだ。
集団的自衛権解禁の問題も、日本の軍事力の問題、有事法制の問題もそうだ。
旧日本軍に多大の問題が有ったとは言っても、
GHQが旧日本軍を解体してしまい、軍法や軍律も廃止してしまった事こそが、
今のこの【韓国以下】という惨めな軍事力の根本原因となっている。
また、治安維持法を廃止して、内務省を無くしてしまい、特高警察も廃止した結果、
共産党員が野に放たれ、日本中で大暴れした事も有った。
これまた、元を糺せば、【アメリカの仕業】である。
繰り返しになるが、「反日勢力」と戦うに当たって、【アメリカ】との徹底闘争を抜きには物事は語れない。
少なくとも、アメリカが前非を悔いて、
空襲や原爆投下、捕虜虐待、誤審も甚だしく多かったABC級戦犯裁判、
そしてGHQによる日本破壊工作としか言いようが無い無茶苦茶な【改革】、
これらの過ちを認めない限り、アメリカは【敵】と見なすほかに無い。
そしてRPGを例に出して、アメリカは「ラスボス」だと言うが、
現実世界はゲームのように一直線で進むものではない。
「この順番で攻略していかなければクリア出来ない」
というのが現実世界ではない。
いきなりラスボスが目の前に現れる事だって有るのだ。
皮肉な事に護憲派左翼陣営の方も改憲派復古主義者の背後にアメリカの意志を見る
本来、復古主義者は反米でなければならばいのだが、彼らの世界戦略は明確に米財界の意向に沿ったものに見える
特に湾岸戦争以降だ もし日本が本当に反米になったら世界情勢はひっくり返るだろう
日本が敵に回ったらアメリカにはWASP圏(英加豪NZ)しか味方がなくなるから
今度は彼らが国連を脱退して枢軸国と呼ばれるかもな
当然、今の親米保守だの、親米右翼もまた、アメリカの意向に従っているのは明らかだ
自民党は、結党以来数年間、アメリカのCIAだかから金を受け取っていた事が既に判明している
『分割して統治せよ』
この原則はあなたもご存知だろう?
欧米諸国が、植民地に対して行った政策だ
植民地の現地人たちの間を二つに分け、対立を煽る
現地人たちがお互いに争っている間は、決して結束出来ないし、
その批判の目が、宗主国に向かう事は無い
アメリカも、日本に対して同じ事を仕掛けた訳だ
我々はハンニバル・バルカの轍を踏んではならぬ。今般は失敗は許されないのだ。
勿論、究極の目標はリターンマッチだ。
だが、ボリシェヴィキの如き少数民族に牛耳られた寡頭政権の現出を可能性として保留する今の情勢下でリターンマッチとは片腹痛いとCIAも笑うに違いない。
冗談ではなく、この遊星そのものの存立を脅かすような物理的破壊力を伴う超絶兵器(゛核゛ではない)を擁する二国間の闘争だ。
ま、我が国がその土俵に立つ前にCIAが工作して、日本の国論の分裂を図るだろうがね。
この時、モスクワは陥落寸前にまで追い詰められていた。
冬将軍の到来とシベリア軍の投入で何とかドイツ軍の侵攻を抑え込んだものの、
東から関東軍が攻め込んだら、関東軍がバイカル湖に到達出来たかどうかは別にして、
スターリンとしては卒倒するほどの衝撃だったろう。
スターリングラードの戦いやクルスクの戦いなどでドイツ軍が押し返される事も無かっただろう。
真珠湾攻撃が起こった時、確実にスターリンは喜んだであろう事は忘れてはならない。
脇道に誘導してしまった。
>>267
ナチスのボリシェヴィキへの敵愾心ってのは゛近親憎悪゛だろうね。
その支持者も同様。
この認識の有無がリトマス紙だよ。
大体正しい事を書いてるのに、
『判決を受け入れた』と信じ込んでいるんだな。
そこだけが残念だ。
今更指摘するのも愚かなのだが、
サンフランシスコ講和条約の正文は、
【英語】
【フランス語】
【スペイン語】
この三言語である。
(「日本語」が含まれていない事に注意!)
つまり、何か解釈論争が発生すれば、
英語・フランス語・スペイン語の三つの条文を照らし合わせて解釈するのが筋なのだ。
外務省の公開している「日本語訳」は、仮訳でしかなく、
そもそも「正文」ではないし、
何よりも、外務省という組織自体の問題として【誤訳】があまりにも多すぎる。
外務省は、組織ぐるみで誤訳を量産する為に在る省庁なのかと疑いたくなるくらいだ。
有名な所では、
「国際連合」とは、イコール”United Nations”の訳であり、
United Nationsとは、【第二次大戦の『連合国』】を指す言葉であるという点であるとか。
元々【枢軸国】だった日本が、
『連合国に加盟しました』
ではおかしいと思ったのか、外務省が【国際連合】という珍妙な訳語をひねり出して今に至っている。
サンフランシスコ講和条約の『裁判の判決を受け入れる』云々の話も、それと同じく、
外務省の滅茶苦茶な翻訳に過ぎない。
フランス語・スペイン語の正文を読んでも、
『sentencias』となっており、この言葉は「裁判」を絶対に意味しない。
英語で言う「sentence」と似たような意味で、
「条文」「判決文」とかいう意味程度しか無い。
自虐史観に毒された外務省官僚が、意図的に「誤訳」したのではないかと疑っている。
神仏「え?そんなん、巻き込むなよ。アメリカに引っ越して反米闘争せいや」
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
>ゴミ
って部分、「弱っちい」とか、「弱すぎ」とか、「無茶苦茶、弱い」とか、「アンストッパブルに弱い」に変えられんの?
>>281よ
しかしながら、それは、無理からぬ事ではある。
゛軍゛は゛軍゛であって、国家の統治が任ではない。
元々、付与されていない権限、役割だ。
では、そうした、統治権限を有さぬ゛軍゛が何故に国策に容喙出来たのか?
これこそが大日本帝國の根本的欠陥であったと思われる。
しかし、右の問題に関し、統帥権干犯云々の議論は方向違いであろう。
問題は高等文官が軍と同一の範疇に属していない、文武両頭体制にあるのであって、最初から、武断一頭支配であれば、統帥権問題は発生しなかったのである。
只し、任官に際し、文官職への辞令拝命を受けた゛武人゛は、軍服を脱ぎ、専任すべきであろう。
高等官23歳~46歳の標準的極官を課長=大佐と仮定すると、文武3年(6年)交代周期で一人の高等官は4回転、民政軍政間の人事異動を体験する事となる。
これでキャリア官僚の軍事能力と民政能力の統一が達成出来る。
それだと「軍事の専門家としての質」がガクッと下がらないか?
軍人は「軍事の専門家」として純粋培養させるという帝国陸軍の考えは間違いではなかったと思う。
ただ、日本軍の軍法や軍規、軍律などの中に、
「占領地の民をどう扱えば良いのか」とか、
「軍政統治はどうするべきか」などの規定が全く存在しなかった事が問題なのだと思う。
「戦陣訓」は戦後酷評されまくっているが、
上記の問題点に答えようと回答を示した時点で画期的であった。
むしろ、軍人勅諭などと同時期に制定、公布されるべき代物であったろう。
それは、私も非常に重要な問題だと思う。
陸士5年、海兵3年9ヵ月の教練履修歴の無い武官は考えられないし、法学、行政学の単位を有さぬ文官も同様だ。
しかし、発想は転換されるべきだ。
養成されるべきは全人的武人であって、体育会的猪武者ではない。
また、往古の鉄漿(おはぐろ)、長袖の有職故実専門家、共和政ローマのキケロの如き文弱も却下だ。
試験科目に軍事に関する教科を加え、中学から、カリキュラム化するべき。
専門分野への傾倒は是正されるべきで、将帥キャリアを目指す上でエネルギーの浪費であろう。
勿論、知識は必要だが、専門職(ノンキャリア)を監督、人材活用する立場のキャリアに知識偏重を求める誘惑自体、官僚機構に存する硬直化の陥穽だと思う。
養成すべきはカエサルであり、ハンニバルであり、アレクサンドロスであり、トラヤヌス、ハドリアヌス、カミルスのような将帥の中の将帥であろう。
ドイツ参謀本部みたいのはお呼びでないと?
まあ日本はドイツの参謀本部に範を求めておきながら、
「最低の参謀」しか作り出せなかったわけだが。
近代化が進めば進むほど、
「細分化」「専門家」への傾向は避けられないと思う。
日本軍の根本的な問題点は、
・技術力の向上を軽視して精神主義に傾倒したこと
・ヨーロッパ最新式の軍事学、兵学、兵法を軽視し、日露戦争時代の戦訓のままで戦っていたこと
・特に帝国海軍、その中でも山本五十六と南雲忠一、草鹿龍之介(南雲艦隊の参謀長)たちが、空母の運用方法や空母戦のイロハを知らずに戦争していたこと
などが挙げられるのではないか?
専門家には組織の指導部は勤まらぬと思う。
むしろ「専門家不在」の状況こそが、日本を誤らせ、
戦争指導を誤らせ、結果的に大敗へと導いたと思うのだが。
専門家は必要ないとは申しておらんよ。
海軍には機関学校もあった。それ(専門家集団)を活用出来なかったのは提督たちに原因があったのだろうよ。
ヒトラーの言葉だが、
「指導者は(学校教育などで)作られる物ではない。
そのように生まれつきなってしまう物なのだ」
という言葉がある。
ヒトラーの人種差別理論まで肯定しないが、
この言葉は正しいと思う。
指導者は、元々その素質が無ければ生まれ得ないのではないか?
武断政治を実現するには、当の将軍に文の教養が不可欠だ。
文治政治の果実を真に手に入れるには、当の行政責任者に尚武の精神が必須である。
全人こそが国策を遂行する資格者である、と確信する。
シビリアン・コントロールを機能させるのは、軍服を脱いだ武人だけであろう。
このラインも指導者選出には重要であり、議会の政党は、殆ど、軍歴の無い議員が占めるはずだ。
勿論、退役軍人にも被選挙権はあり、軍キャリアの議員も選出されるだろう。
だが、政党政治家(及び、産業界)からの戦争圧力を兼軍行政官たちは軍事の専門家の見地から、(安易な開戦要求を)却下してくれるはずだし、その権威、説得力は絶大であろう。
「精神主義の陸軍、技術の海軍」と美化されがちな海軍にも、
このように技術軽視の傾向は多分に有った。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/technology/muzan.htm
「炭素原子(C)を含まない水(H2O)から、ガソリンが出来る」と思ってもいた。
「昭和13年(1938)頃には電波探信儀の存在が知られ、研究会も開催されたが、こちらから電波を発するなど闇夜にカンテラ。居場所を知られるだけでなんらメリットなし。でチョン。」
「昭和15年(1940)に海軍技術研究所ではセンチ波に取り組んだが研究中止を命令された。」
このように、海軍の科学音痴にも相当酷い物があった。
だから、制度上、ノンキャリアなのだよ。
>専門家はジャッジメントには不向きだ
それは「既得権益があるから」とか、
「色々としがらみがあるから」とか、
そういう理由で?
視野狭窄に陥り易い。
専門外に関し、弱点が多い。
少なくとも「軍人」に限っては「視野狭窄」であって良いと思う。
むしろ、下手に政治に関心を持って「3月事件」や「10月事件」、
果ては5・15事件やら2・26事件のような大事件まで引き起こすのは困り者である。
軍人は兵法や軍事学、兵器や技術の研究に集中し、外部に目を向けるべきではないであろう。
「文武両道」が、ただ学校の影響も何も無いキャッチフレーズ、標語と化して久しい。
文武両道こそが在るべき人間の理想像という話は理解できる。
だが、時代が進歩すればするほど、物事はやはり細分化を余儀なくされるのではないか?
それと人間には「向き」「不向き」というのが有る。
青白い青瓢箪のインテリが、必死に武道の鍛錬を積んだ所で滑稽だし、
才能や持って生まれたガタイの良い人間に小指一本で打ちのめされるのがオチではないか?
別に青瓢箪は、空手や剣道、合気道などの武道に精通する必要など無いと思う。
その代わりに、自分にとって最も興味の有る分野に於いて、
民を広く救うような大発見をしてもらえば良い。
分業体制こそが、近代社会の特色なのではないか?
民間は、それでよい。
私は国家の指導部構成、官僚機構のあり方を論じている。
例えば財務省であれば、出来る限り「経済の専門家」を集めたい所だし、
文部科学省であれば、出来る限り「教育の専門家」多く集めたい所であろう。
経済産業省は経済界から、農林水産省は農業や林業、漁業の専門家を集めたい省庁である。
軍人の出る幕は無いのではないだろうか?
昔みたいに学校教育で軍事教練をやるとか、
徴兵制度を採用するつもりが有るなら話は別だが。
学校で教練、大賛成だよ。
それならば良いのだが(私も賛成だし、徴兵制も賛成だ)、
一般的な支持を得られないであろう。
それが難しい所だ。
ほとんどの日本人は、
「どうせアメリカ軍が守ってくれるんでしょ?ヘーキヘーキ」
と思い込んで、何ら国防や安全保障の問題について目を向けようとしない。
困ったものである。
帝国海軍の答えを聞きたい。
「日露戦争が大勝ちしすぎた」というのが大きいね。
陸軍も海軍も、あれによって日露戦争時代の戦訓を「金科玉条」とする軍隊になってしまった。
特に東郷平八郎の指揮した「日本海海戦」なんて、
日本側の被害はほぼ無傷。
ロシア側にのみ壊滅的な大打撃を与えたという事で、世界中の海軍軍人の憧れの的になったものだ。
日米戦争で対峙したアメリカのニミッツやハルゼイなんかも、
日本海海戦の夢よまた再びと意気込んで戦っていたようなものだ。
東郷平八郎は、晩年「老害」と化したとはよく言われるが、
「日本海海戦の大勝利」というとんでもない置き土産を残していったものである。
(勿論、あそこで勝たなければ日本は滅んでいたかも知れないので、勝ってくれて良かった事は確かなのだが)
なるほど。
スレ主って、もしかして『失敗の本質』を読んだ事が無い?
この本の中で、
「日本軍は(日露戦争という)環境に過度に適用しすぎた結果、近代戦である日米戦争に通用せず、それでも見直そうと一切せずに敗退した」
と書いてあるのだが。
つまり、昔の恐竜たちと同じで、今の気温から比べれば5度とか10度くらい暑かった環境に適用し過ぎていた恐竜たちは、
氷河期が訪れると絶滅の運命を強いられたのと同じ事が、日本軍という組織体の中で起こっていたわけですな。
有り難う。早速、図書館にgoですな。自分、ビンボーなもんで。
司馬遼太郎も似たような分析をしているみたいだが、武も文も政府自体、思い上がっていたのかも知れん。
まあ、無理も無い。帝国主義ビギナーだったし、無菌、無雑草、無害虫のハウス温室栽培の純血観葉植物の如し、だったからね。
失敗の本質は文庫版の方が完全版なのでそちらをオススメする。
あと思い上がりというのは必ずしも正しくはないと思う。
なるほど。
適切な表現を請います。
現今の主流は゛帝国主義゛自体を否定する風潮が占めている。
A、゛帝国主義゛は゛悪゛である、論。
B、それ(Aの是非)はともかく、保留するとして、大日本帝国の場合は無理ゲーだった、論。
私はA、Bの両方を根本的に否定したい、と言う動機で本スレを立てたのである。
ケツを蹴りとばしてやりたい。
それは仰せの通り。
日本は半人前国家だ。
独立国家ですらない。
まともな軍隊ですら持っていない。
自衛隊が有るじゃないかと言われても、
装備は優秀でも如何せん数がどうしようもなく少なすぎる。
兵器の数も人員も予算も。
もし、ガリア戦争の時、後詰めに全盛期のカルタゴが存在していたとすれば、カエサルは泥沼に嵌まってしまうか、返り討ちにあっていたに違いない。
ピュロス王のエペイロスやバルカ家のカルタゴ領スペイン、プトレマイオス一世統治下のエジプトが同時存在し、有機的連携、包囲する状況下であれば、カエサルのアルプス越えをローマ元老院は許可しなかっただろう。
所が、日露戦争の戦利品で南満州鉄道の経営権並びにその沿線警備目的の駐屯権を手にした日本は欧米列強の衆人環視の現実が目に入らなくなったようである。
対英米戦に於いてですら、である。勝機と申しても、開戦時期を数年遅らせる事も含めて、である。
戦争回避が可能だったかは、議論が分かれるであろう。
当然ながら、日本は回避を望む立場であるが、アングロサクソンの側は、真逆の動機に促され、外交展開して参った訳で、戦争回避は困難だったのではあるまいか。
なぜしなかった?もしくはできなかった?
撃ち殺せばいい落下傘の米兵を殺さなかった?
雷以外にもにも多くの駆逐艦が敵である米兵の船を沈めたあと
きゅうじょしt
ひとたび近代化しちゃった以上、
ガソリンとかのエネルギーや錫、ゴム、棉花、石炭、鉄鉱石などの原料は必要不可欠だろう。
制度は昔に戻せても、生活や文化は昔には戻れないんだよ。
特に公平公正な貿易が保証されないGATT体制の無い時代に鎖国なんか不可能。
それに、日本だけが引きこもっておとなしくしていれば、
欧米列強の植民地化、帝国主義、民族差別の大嵐は自動的に収まったのか?
到底そうは思えない。
ポーツマス条約でそうなったんだ。
これは侵略ではない。何故?だって、満州での権益を維持、管理する上での当然の措置、そのカテゴリーに含まれる行動であるからだ。
常設軍配備権、これは国際的には、実質的領土、って事で、沿線限定区域は日本のものなのだよ。
これを侵そうとした東北軍閥、張作霖の後釜の連中の日本を嘗めきった過信こそが問題。
満州軍閥の日本への背信の責任を放棄している時点で支那の満州領有権は消滅している。
よって、その後の日支事変とは、我が満州権益への蒋介石の侵略の野望を排除する為の自衛戦争だ。
317だけどgattがなん何か勉強不足でわからないけどその協定がないから公正な貿易が担保されてなかったでオケ?
例えばアジア全体で鎖国とか無理だったのかな?と。
少なくとも朝鮮半島とは普通に大日本帝国だし、アジアの開放を歌うなら普通に石油が手に入るしゴムなら生えてた気がするんだけど?
例えば大東亜鎖国圏?な感じでは無理だったのかなぁと。
GATTとは、今はもう無くなってしまったが、
戦前の日本に対して行われた経済封鎖みたいのを絶対に禁止して、
お金さえ出せば、どこの民族でも正当な対価で必要物資が購入出来るとした、国際経済協定。
当然、不労所得で先物市場を吊り上げるだけ吊り上げてボロ儲けするような不届きな輩は、このシステムからは出ない。
(全く存在しないと言うわけではないが、出にくかったのは確か)
日本経済やドイツ経済が焼け野原からあっという間に復興出来たのも、
「勤勉は必ずや報われる」
「もう二度と昔みたいに経済封鎖されない」
というGATT体制の信頼と安心感有ったお陰なんだよね。
ちなみに、GATT体制の産みの親は、経済学者で朝有名なケインズと、
日本を戦争に追いこんだハルノートの実の産みの親、ハリー・デクスター=ホワイト。
で、大東亜戦争開戦前は、アジア諸国のほとんどは欧米列強の植民地だったじゃん
フィリピン=アメリカの植民地
ベトナム・カンボジア・ラオス=フランス
インドネシア=オランダ
マレーシア・シンガポール・ビルマ・インド=イギリス
中国だってまともな独立国家とは言えなかったので、東南アジアで独立していたのは、
日本とタイだけだったんだよ。
タイは単なる英仏が領土を接しないようにするための緩衝地帯、
要するに「お情け」で生かされていただけに過ぎない。
南満州鉄道諸利権の内容についてkwsk
鉄道沿線の延長事業の権利、沿線警備の兵力常設権、競合的平行鉄道建設の禁止、沿線域の指定鉱山採掘権、大連、旅順の領有権、指定合意地域での森林伐採権、沿線域内での日本人居留地設定、etc.etc.
蒋介石は当時、支那の英雄だった。
唯一のカリスマ。国際レベルで認知されていた指導者。
切り札的存在で支那ナショナリズムの象徴になっていた。
毛沢東と争った結果追い出されたと聞いてるが?
おぉ!タイな、知ってるよ。
世界史で習ったぜ!
でもちょっと付け加えるとお情けではないな。
フランスとイギリスで取り合ったあげく緩衝地帯としてにらみ合いの結果、列強同士の遠慮のかたまり的に残っただけだ。
たしかエチオピアだかスーダンだか忘れたけど、アフリカにもそういう地域はあったはずだ。
イギリスの縦の進行とフランスの横の侵略の結果な。
それはおいておいて、結局武力に裏打ちされた経済力の途方もないインフレの結果、果てしない植民地需要が生まれたのは確かだと思われる。
これって今の若者への搾取と構造は一緒だ。
当時、自国の膨張のため西洋諸国がカニバリズム的に武力の劣る異国を食い物にしていったわけだ。
同じ白人国家であるドイツ、イタリアさえも食い物にされていたよな。
「日本軍は20万人の慰安婦を囲っていた」だの、
「いやいや、40万人だったんだ」だの、
もう、日本の国内では完全に論破された、馬鹿馬鹿しい嘘・デマが世界中に広まってしまったな。
そやのうて、「大東亜戦争」を洗い直すんやで。
洗い直しても無駄ってことになってしまったってこと
喝!!
結局、日韓合意は呆気なく韓国人に破棄された訳だが、
安倍晋三はなぜ責任を取らんのだ?
嘘をついて日本人の名誉を毀損したのだから、
加えて、支払う必要の一切無い十億円という大金を差し出すという愚行を行ったのだから、
責任取って今すぐ辞任すべきであろうに。
自動車王、ヘンリー・フォード一世の表現に倣うならば〝国際秘密力〝と定義すべき金融資本、すなわち、グローバル銀行トラストは必然的に〝戦争〝を欲するからな。
その理由は以下の如しや。↓
〝資本の自己増殖〝とは〝銀行複利の幾何級数鼠算的人口爆発〝の別義に他ならない。
通常(平和時の)工場ライン稼働→市場→消費と言うフローチャートに於けるルーチンの繰り返しでは決して達成出来ない。
消費者は満腹(自足)すればそれ以上、購買活動をしないで済むが、工場ライン=産業資本家に資本投下する側、すなわち、銀行の後背地に控える約定的配当受給権利者、すなわち、預金者、転換社債購入者、株主等々のいわゆる、出資者たちは半期決算ごと、元本に比例する利息を要求するからだ。
先進国の経済成長率は3%台なら、出来すぎ君であり、通常なら、1~2%台を刻むのが精一杯だろう。
銀行家は逆鞘とシェア縮小を解消する手段として定期的人為的確信犯的に経済恐慌(バブル誘因、助長→破裂)とカタストロフとしての世界大戦を引き起こし、背任の証拠の隠滅を図らざるを得ないのである。
日本の歴史をねじ曲げて世界中に不名誉な嘘を垂れ流した嘘つき安倍晋三はさっさと退陣しろ!
Mr.斬魔刀「推参也!」
スレ違いなんや。
いや、安倍晋三が結んだ日韓合意ってのは、
日本の歴史をねじ曲げるインチキな内容の代物だよ?
安倍談話だって、村山談話の否定どころか、一層酷い日本悪玉論の内容…
このスレでは何度も指摘されたけど、
「日本だけが悪だった」
では片づけられないほど歴史というのは複雑な理由が絡み合っている
なのに、「日本だけが悪うございました」とか世界に宣言する馬鹿首相を批判するのは当たり前じゃないの?
いくら学術論争で日本の良い点が指摘されても、
「国の公式史観と違う」
という一言で黙らせる、暗黒社会が拡大したんだよ?
1945年8月15日以降の話題は要らん。
スレ穢すな。
スレ違いの異物混入やで。
おいおい、日韓合意の内容は「それ以前」の内容だぞ?
安倍談話についても「先の戦争」についての内容なんだから「無関係」じゃないだろ…
むしろ、ここでどんなに吠えた所で、馬鹿首相の馬鹿な歴史観のせいで無駄になる事を批判してんだよ
旧約聖書のエピソードに喩えるなら、アマレク人の助命を恣意的に図ったサウル王が該当する。
スレ立て人は我が昭和大帝は決してそうではなかったと信じている。
故に、(大東亜戦争の)敗北の原因は我々国民自身に求められるべきだ。
賢明な日本国民はその事を十分に心得ている。
しかしながら、再び申し上げる。如何に善良で賢い日本人民と謂えども、仁弱かつリベラルな啓蒙君主を戴いては共同体を維持する事は極めて困難である。
その理由を求めらく、本来、〝皇帝〝とは、大権、インペラートル、すなわち、大元帥と同義であるからだ。
〝仁弱な〝インペラートルなど矛盾も甚だしい。
〝皇帝大権〝を我らが君民共治の理想境、扶桑聳える敷島の大倭(やまと)の國の不磨の大典(のり)として復活させたい。
「日本は正しかった」
「日本は決して悪の国ではなかった」
と主張したら、
「国の公式史観と違う」
とかいう意味不明な理由でクビにされた
田母神個人が問題発言を繰り返す問題人間であったとしても、言論の自由は有るはずだ
なのに言論の自由を一切認めず国の公定歴史観だけを奉じねばならないというのはおかしいのではないか?
まして総理や政治家は「歴史の専門家」ではないのだ
歴史の専門家でも何でもない、むしろ一介の歴史ファンにすら知識量では劣るであろう無知な人間が、
勝手に歴史解釈を定めて、それに反する歴史観はケシカランと圧殺しようとしているのが今であり、
それが問題だと言っているのだが?
悪意の書き込みにしか見えん。
単なる現政権批判じゃなく、現政権が余計な「歴史認識」を振りまいているから批判の対象となるのだが?
お前は、歴史の専門家でも何でもない政府が、
勝手に韓国や中国の気持ちを「忖度」して歴史をねじ曲げている事について、
「批判するな!」とでも言い出すつもりか?
だったら一体何の為に「大東亜戦争を洗い直す」必要が有るんだ?
お前は歴史なんか一切勉強する事無く、政府がこうと決めた公定歴史観をひたすら奉戴していれば良いではないか。
ここは歴史板やぞ。
板違い、スレ違いを指摘されてる事に対し、屁理屈こねるな。
政府批判ではなく、政府の「歴史観批判」は板違いでもなければスレ違いでも何でもない。
むしろ政治板でこそ板違いなのだが、この馬鹿はそれは何とも思わないらしいw
お前には「大東亜戦争を洗い直す」権利など無い。
政府が中国や韓国に気兼ねした挙げ句に「こうだ」と公認した歴史観だけをひたすら崇め奉っていれば良かろう。
所詮そんな物は「政治的妥協の産物」でしかなく、「真の歴史」とは程遠いくだらない代物でしかないのだが、
「政府の歴史解釈を批判するのは、歴史板では板違い」
などと言い出す馬鹿キチガイは、黙って政府の歴史観をそっくりそのまま受け入れて疑う必要も無かろう。
何で「洗い直す」必要が有ろうか?
「ボルネオ島で飛行訓練してれば良かった」
という歴史ifが許されるのに、
「朝鮮併合などせず、朝鮮併合にかかった全額を大和型戦艦の量産に充てていれば良かった」
というifが許されないのは何でだ?
二つ目。
日本政府のデタラメな公認歴史観への批判を許さないのに、何故、
「疑問点の数々をここで挙げて頂き、今一度、同戦争を洗い直して」
みる必要など在るのだろうか?
「日本政府がこう述べている」というデタラメ歴史を、そっくりそのまんま信奉していれば良いのだから、何らの疑問も存在しないし、洗い直す必要も無いではないか?
三つ目。
政府への批判ではなく、政府のデタラメな「歴史解釈への批判」だと言うのに、なぜこれが「板違い」で「スレ違い」なのか?
「歴史解釈への批判」は「政治板でやるべき」とはどういう事か?
政治板の方が歴史板よりも専門家が集っているとでも言いたいのか?
四つ目。
日本政府のデタラメな、そしてあまりに自国と自国の先人たちを冒涜する歴史観を批判すると、何故、
「中核派」
なのか?
勝手なレッテル貼りではなく、確固とした理論的根拠を教えて頂きたい。
それこそ、安倍晋三が好んで持ち出す文句を引き合いに出すのなら、
「印象操作はやめて頂きたい」
柴山昌彦首相補佐官は、日本人にとって非常に大事な皇室の事について、
「そんなもの」と言い放った。
この柴山議員の不敬極まる言動を批判する事も、
「中核派」で「ただの反安倍主義者」で「板違いでスレ違い」なのであろうか?
日本の歴史と、皇室の歴史や存在とは切っても切り離せない関係に在る。
「そんなもの」呼ばわりなんぞもってのほかであろう。
こんな人間が、安倍総理のお気に入りで「首相補佐官」などという要職に就いている事は厳しく糾弾されなければならない。
当然の事ながら、こんな人間を首相補佐官に任命した安倍晋三の「任命責任」も問われるだろう。
思想的に自分に近いから「首相補佐官」に選んだのであろうし、
皇室について「そんなもの」呼ばわりした柴山議員の姿勢は、安倍晋三の姿勢と同一であると見なしても差し支え無いだろう。
つまり、安倍晋三その人も、皇室の事を「そんなもの」と見下げているのである。
日本人にとって最も重要と言っても過言ではない皇室問題についてすら「そんなもの」呼ばわり出来るのであれば、
大東亜戦争や歴史解釈の問題なんぞ「それ以下」の扱いでしかなかろう。
大東亜戦争は悪だった、侵略だった、日本が永遠に背負い込まなければならない十字架だ
みたいな河野談話、村山談話、安倍談話みたいな、
政治家の勝手な思いこみと、近隣諸国への勝手な配慮と歴史捏造を批判する事もスレ違いなのかね?
重ね重ね指摘する事になるが、
「日本だけが悪だった」
という解釈では歴史という物は理解出来ない。
政治家の発する談話は、そこの所がさっぱり理解出来ていない。
ただ、ただ、近隣諸国との間の摩擦を避けよう、避けようとしているだけで精一杯の、歴史の捏造ではないか。
大東亜戦争を洗い直すのであれば、当然、現行日本政府の政府解釈についても異議申し立てを行わなければならなくなる。
日本だけが一方的に悪だったなどという歴史解釈を、断じて認める訳には行かない。
そもそも、歴史というのはそんな単純バカな物ではない。
片方だけが一方的な悪だったなどという事は、仮説であっても有り得ないのだ。
まして、大東亜戦争の評価については、GHQや近隣諸国が決めるなどというのは言語道断であろう。
そんな存在に「配慮」して、歴史をねじ曲げるなど、先人に対する無礼も甚だしい。
米国は支那大陸の経済的利権と日本に対する警戒心で本来の敵を間違えてしまった。
建国の精神から言えば、資本主義、自由主義が基本の筈。それなのにソ連という共産主義、支那の共産化と戦っていた日本を敵に回してしまった。
むしろ、日本と共に共産主義に立ち向かうべきだった。
しかも朝鮮戦争の中途半端な終わり方で、いま北朝鮮問題で右往左往している状況。
そうすれば、広大な植民地を失うこともなく、今のような貧乏国になることもなかった。
イギリス経済は、ケインズの分析によれば、既に植民地大国であった時点で斜陽に傾いていたようですけどね
何しろ、イギリス経済は、第一次大戦終結から世界大恐慌を挟んで延々ずっと大不況だったらしいので
その間の大蔵大臣に適任者を得なかったのが最大の原因
(中には日本人の大好きなチャーチルも居るが、そのあまりの無能さにケインズはボロクソに批判して一書奉っている)
第一次大戦の復興期である1920年代に用意してしまった事。
チャーチルは日本人が思ってるような「反共の闘士」などではない。
「己の信念」に基づいて「ブレない」政治を行っていた訳でもない。
その場その場の立場に合わせて自分の政治的主張を切り替えてきたカメレオン的人物なのだ。
例えば、第一次大戦で海軍大臣を務めたチャーチルは、第一次大戦終結後に大蔵大臣を拝命した。
世間は当然今までのチャーチルの主張から見て、軍拡を主張するのだと考えていた。
しかし、チャーチルは世論に迎合して大幅に軍備を縮小してしまった。
植民地の防衛はおろか、イギリス本土の防衛すら不可能な程に大鉈を振るった事で世間は拍手喝采したが、
後々このせいで、イギリスはナチスドイツの軍拡に対応出来なくなる。
ボールドウィンやチェンバレンの「融和外交」が酷評されるが、
(しかも、チャーチルその人ですら批判していたが)
その原因を作ったのは、他の誰でもない、チャーチルなのだ。
しかも、戦後復興期で大量に資金需要が有った時に、逆行するかのような資金の流れを止めるデフレ政策を行い、
加えて、ヴィクトリア朝の絶頂期の頃の金本位制に復帰するなどというとんでもない愚行を犯した事で、
イギリスは、1929年の世界大恐慌前から万年不況に喘ぐとんでもない国家になっていた。
チャーチル大蔵大臣の無能さは、まさしく万死に値する。
南満州鉄道諸権益に内在される所の如何にもロシア風な虎狼の精神によってシステマナイズされた侵略的能動性を日本は国策に移植させちまったんだ。
なにやら熱い論戦になってきましたね
大東亜戦争、どうすればよかったか?で言い始めるとどこまでも遡ってしまいきりがなくなってしまうのですが、
ルーズベルトが日本を潰すまで戦争をやる意思がある限りその国力、戦力からみて太平洋の個別の戦闘で史実以上に勝利を収めたとしても
敗戦の時期が多少ずれ込むだけで総合的な結果は変わらなかったと考察します。
そういった意味で、朝鮮併合せずという選択肢は私も同感です。
朝鮮半島が併合とはいえ直接日本の領土となったためにロシアと日本が陸続きとなり防共の緩衝地帯として満州の維持が必要となった点を
考えると、いっそのこと朝鮮を併合せず防共のフロントラインを日本海まで下げて朝鮮併合によるインフラ整備に使った持ち出し分を
1907年の帝国国防方針で計画した八八艦隊へでも予算つけて速攻作ったほうがその後の対英、対米、対露への抑止になったのではないかと思います。
ワシントン海軍軍縮条約よりはるか前に。(大和級戦艦15隻はいいですね、さぞ壮観でしょう。模型メーカー大儲けですね)
ちなみに2015年現在米軍が朝鮮半島から兵力を減らしつつあり朝鮮戦争の国連軍司令部も横田基地へ後退させ、対共のフロントラインを日本海に移しつつある点をみても戦略的に意義ありと思います
そうなると当然、半島には露、独、仏、米、など他国の進出があるはずだが軍備拡大した日本に海を越えての上陸侵攻をするとも思えず、半島や満州をめぐる
この後の外圧もだいぶ様相が変わってくるのではないかと思います。(だってないんだから)
もっとも日清、日露で莫大な苦労をして手に入れた半島利権、国内の反対も強いとは思うけど。
そうなると後はだいぶ史実と変わってくるはずだが、とにかくアメリカを戦争に首突っ込ませない方向で持っていくしかないと思います。
アメリカは他国の戦争に関与しないとした「モンロードクトリン(1823)」を目一杯逆手に取り、 義和団の乱、WW1,シベリア出兵など多額の戦費と
人命を掛けて何も得られなかった過去をアメリカ世論にアピールしてルーズベルトの支持を揺さぶる方法をとりつつ、日独連携してとにかくイギリスを先に潰す。
これしかない。
アメリカに助けを求める間も無く潰す。
ドイツはロシアに気を移さず体力のあるうちにイギリス本土へ猛攻上陸。
日本もマレー、ビルマ、インドとアメリカをスルーしつつとにかく英、(蘭、仏は本国もう占領されてるけど)、インパール作戦でインド独立に火をつけるのももっと早いほうがいい。
主さんの広げたい方向と違うかもしれませんが。こういう方向しかないかと考察します。
ミッドウェー島占領やガ島奪回できたくらいではとてもとても…
個々の戦術的勝利は、大戦略の勝利には結びつかないと言う主張には同意です。
日露戦争に勝利した日本は、国際社会に徹底的に訴えて、
『朝鮮半島をスイスのような永世中立国としてほしい』
と働きかければ良かったのではないかと考えます。
まず、当時の「日の沈まない国」イギリスが日本の同盟国ですから、一も二も無く同意するでしょうし、
日露戦争で敗退したロシアもまた、朝鮮半島が日本との緩衝地帯となるなら…と大歓迎するでしょう。
1899年から1900年に渡って、アメリカはジョン=ヘイ国務長官が、「門戸開放」「機会均等」を訴える、いわゆる「門戸開放宣言」を行っていますから、
『朝鮮半島を諸外国の緩衝地帯とし、門戸開放・機会均等の理想の地としましょう』
と呼びかければ、アメリカとて「NO」とは言えなかったのではないでしょうか?
だって、自分で言った事なのですから。
朝鮮は独立国家ではありますが、本来なら植民地にされても文句が言えない立場なので、
日本提案による、『諸外国の緩衝地帯』『東アジアの永世中立国』という提案は、案外多くの国々の賛同を得られると思われます。
それでもロシアの捲土重来が心配ならば、関東州と満鉄付属地は、ポーツマス条約で日本の物と決められたのですから、
徹底的に関東州と満鉄付属地を要塞化、駐屯している関東軍も徹底的に近代化した上で、ロシアの南下に備えれば良いのです。
当然、ノモンハンも張鼓峰も国境を接していないので、もしもこれでロシアないしソ連と衝突するような事件が有れば、
それは日本の侵略ではなく、間違いなくロシア(ソ連)の侵略によるものです。
国際的にも大義名分が立ちます。
先述の通り、第一次五カ年計画を成功させ、第二次五カ年計画に踏み切った1935年~36年の辺りまで、
極東方面のロシア(ソ連)軍の戦力なんぞタカの知れた程度でした。
関東軍が関東州と満鉄付属地をソ連の侵略から守っている間に、帝国海軍がウラジオストクやハバロフスク、北樺太、カムチャッカ半島を占領してしまっていたでしょう。
ソ連が国際条約を守らず、朝鮮半島に侵入したらどうか?
これまた、国際条約違反を責め立てて、米英仏にも協力を仰いだ上で、ソ連征伐に乗り出す事が可能だったでしょう。
朝鮮半島は大陸との「緩衝地帯」に留めておくのが最良だったと言えます。
>>231の開戦前の国内石油備蓄量の件以下のサイトに詳細が出ていますのでご参考にどうぞ。
戦争と石油
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/662/200603_071a.pdf
かいつまんでいうと、開戦前の国内石油備蓄は陸海軍に民間備蓄をあわせて計およそ800万キロリットル。これは禁輸前に仮想敵国から購入して確保した分。
対して戦時の国内消費量がおよそ600万キロリットル。なので単純計算で1年と4ヶ月分のストックがあったことになります。
一方開戦後占領した南方油田での石油産出量は日本国内の1年分を十分にまかなえる量(昭和18年・788万キロリットル)を終戦時まで維持し続けました。
(連合軍もこの油田施設は自分たちの資産でもあるので空襲による破壊は行いません。終戦後すぐに稼働させます)
日本軍の制空、制海権の後退と共に国内への輸送量も激減し(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万リットル)、南方油田で大量の備蓄を抱えつつ
国内に持ち込めず、なおかつ空襲による国内精油施設の被害により持ち込んだ石油の精製もできず最後は国内在庫が底をつき行動不能という結果になりました。
本スレ>>12はこの状況を簡潔に表現しています。
猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」にでてくる擬似内閣と軍をつくり日米戦のシュミレーションを行い敗戦を予測した総力戦研究所でも、
当時の国内在庫量は正確な数字がつかめなかったということです。それが >>231の内輪の不正確な数字の由来だと考察しますが、
もし仮に開戦時の備蓄が2年分(12000キロリットル)あったとしても戦局の推移に大きな影響はなかったと思います。
占領した南方油田の管轄は、
陸軍が占領した油田(全体の85%)の石油は陸軍の物、海軍の占領した油田(15%)の石油は海軍の物
という区分で政府は不介入というのも問題あり。一応融通するための連絡協議会はあったらしいが。
これじゃ軍艦動かんわ…
正(昭和18年・230万キロリットル、昭和19年・79万キロリットル)
ちなみに昭和20年には途絶した模様。
「何故、我が大日本帝国はマレー作戦完了後、生産拠点をボルネオに移転させなかったのか?」
1942年4-5月の2ヶ月で、プログラムの設計ーーー構想の青写真と具体的手順を作成し、6月に現地調査兼人員、建設機械等の輸送、7月着工ーーー2年後の44年6月には相当の進展が見込めるだろう。
トラック環礁にはボルネオからの方が呉や横須賀、佐世保よりも近いはずだ。
朝鮮半島併合初期の様なライフラインの整備から始めないと立ち上がらないんじゃないかと。
もっとも英仏蘭の進出があったので朝鮮半島よりは条件がいいとは思うが。
生産拠点を前線に近いところに置くのは危険。あくまでサービスデポ程度が適当じゃないでしょうか
なるほど、ボルネオには現地のゲリラ等がいて、戦闘地域であり、生産どころの話ではなかった、と言う事ですか。
残念ですな。
(それも大変だけど2014年でやっと製鉄所できたのに)各地に物流、生産の拠点を広げていくのは現実的なプランだ。
しかし戦時の真っ只中で新規に外地に鉄鋼、造船、航空、ほかマテリアルの生産工場建設と稼働はしたくても無理と思います
石油とアルミニウムのある東南アジアに帝国は生産拠点を移すべきではなかろうか?
「太平洋戦争の関ヶ原」、マリアナ沖海戦は44年の7月だ。マレー作戦完了は42年初頭であるから、同年3月から起算しても丸2年プラス4ヵ月ある。
パイロットの訓練飛行に消費されるガソリンも訓練飛行場がボルネオなら、湯水の如く、使えるはずだ。
輸送は駆逐艦艦隊で防御出来るはずだ。
人員輸送は97式飛行艇、2式大艇で実行、一式陸攻と入れ替わる旧型の攻撃機、96式陸攻も人員輸送に転用させる。
ガソリンはボルネオが拠点なら無尽蔵のはず。
実際に昭和19年6月のサイパン島をめぐる海空戦であるあ号作戦直前には海軍機動部隊や
航空部隊は燃料豊富なブルネイで訓練と戦力の集結を行っています。現在においても東南アジア各国間の物資輸送の主力は海上交通であり
その船の大動脈シーレーンが確保できないことには生産拠点の移転もままならないと思います。
現地ゲリラは防諜面で問題あるものの大した障害ではなく、米軍の潜水艦に我が方の水雷戦隊が手も足も出ない上に輸送船もないというのが問題だ。
それであれば機数も少ないうえに搭載能力も少ない九七式飛行艇や二式大艇を輸送に使うよりは戦前の1926年に理論が確立されていた
八木アンテナの研究を進めて実用化し機上レーダーを飛行艇に搭載し早期警戒機として管制迎撃網を
整えた方が有効だと思います。あとだしの理想論ですが
ガダルカナルなんざ、湯水の如く、陸上攻撃機で空爆しておけば、米軍を殲滅出来たのでは?それが出来なかったのはガソリンのみならず、爆薬の製造も全然、前線の需要と乖離していたと思われる。
支那大陸用の軍事物資を回す以外にニューギニアの戦線を維持する方法は無かったとすれば、それを実行すべきだった。
ソロモン航空戦に初動対応した海軍三沢航空隊(1式陸上攻撃機)の定数が24機
一回の出撃での損耗率が40パーセント。3回の出撃で全滅という戦況で湯水のごとく空爆は無理です
むしろ湯水のごとく空爆してきたのは米軍機です。
その陸攻機ですが、山本司令長官の遭難時の搭乗機もその機種だったそうですな。
あ号作戦もそうですが、山本司令長官はよほど、海軍陸攻機に信を置いていたのでしょう。
航続距離に惚れておられたのかな。
当時の海軍には旧式の96陸攻と主力の1式陸攻の二択しかないうえにラバウルには1式陸攻しかなかったので仕方ありません。
ソロモン航空戦のときはまだ月光の前身の2式陸上偵察機の状態でしたね。
このラバウルの夜間空襲の戦訓から生まれたのが後の月光なので登場までもう少し待たないとですね。
「南方資源も確保、我が帝国は難攻不落の自給自足の生産体制を築く事に成功せり」と随分、威勢がよかった。
あれは(当時の)国民向けのジョークだった訳ですな。
銀行口座に100万ドル預金があっても凍結されてたらないのと一緒ですね
これはわかるし賢明な選択だと思う
大体、こんな流れ↑だろう。
奥地(重慶)に逃げ込んだ蒋介石へのビルマ、雲南方面からの英米の援助。
英領マレーを攻略する理由は援蒋ルートの遮蔽が一つ。
後の理由は、オランダ領ボルネオの石油基地を接収する為に軍事的障害となるマレー半島のイギリス軍を無力化させなければならなかった。
所が、ボルネオの石油は即効性のある資源とも言えなかった訳ですな。
矛盾してるよね。
使え無い資源(ボルネオ)の為に真珠湾の米軍の横っ面を張り倒したんじゃよね?
アホ過ぎませんか?大日本帝国。
蘭印パレンバン精油施設など東南アジアの油田地帯をほぼ無傷で占拠したものの国内への輸送は
あまり具体的な計画はなかったようですね。
最後は外地の豊富な油田地帯を確保したまま物資不足で終戦ですから。
>蒋介石の国民党政府との戦争→長期化→戦争経済(GDPだけは高度成長)→政府財政は逼迫→輸入増大&世界経済のブロック化で外貨獲得手段(輸出)困難→じり貧
なんか、スレ主の歴史認識は順序がデタラメだぞ?
まず、満州事変が起こる一年前、すなわち1930年には、アメリカで【ホーレー・スムート法】(関税法)が制定されている。
「万里の長城」と揶揄されたこの高関税の山のせいで、日本はアメリカ市場を失った。
日本の農村の作っていた絹織物、生糸などは、アメリカが最大の顧客だったがために、
農村はとてつもない損害を受けた。
515事件や226事件などの原因は、この疲弊した農村の救済も目的として在った。
つまり、日本の大陸進出なんぞ関係なしに、すでにアメリカは日本に対して門戸を閉ざしていた。
自分たちは日本に対して「満州の門戸を開け」「支那の門戸を開け」などと要求していたくせに。
ついで、満州事変の1年後、とは言っても、日本が未だ国際連盟を脱退していない1932年には、
大英帝国が「オタワ会議」を開催、イギリス本国と植民地とのみだけ貿易するという、
いわゆる「ブロック経済」に移行した。フランスもすぐにそれに続いた。
加えて、海外植民地無しで世界最大の面積を誇っていたソ連は市場閉鎖措置を取っており、日本の輸出品が売れるはずもなかった。
まして、ソ連は日本の天皇制を32年テーゼで全否定し、「天皇制を打倒せよ」などという指示を与えている。
いくら経済のためとはいえ、ソ連などと仲良くしたら、日本の国体がどうなるか解らない。
アメリカ市場には輸出できない、英仏とその植民地にも輸出できない……
ソ連も市場を閉鎖している……
控えめに見ても「全世界の半分」が、いや「4分の3」が、日本に対して門戸を閉ざしていたのである。
何度も言うが、これは「支那事変」は関係ないし、「満州事変」も関係ない。
このままでは農村は死ぬしか無いし、都市の工場労働者も大量にクビ切りされて、路頭に迷うほかに無い。
何せ、米英仏ソの四大国と言えば、どれもこれも日本以上の工業大国であり、品質の良い商品を大量に作って、世界中に輸出出来る国々なのだから。
当時はまだ粗悪品だった日本製品と、米英仏ソの国々の商品と、どっちを買うかと言われれば、日本製品は選ばれなかったであろう。
物が売れなければ企業は倒産する、倒産しなくても大量にクビ切りされる。
労働基準法も、労働組合法も存在しない時代であるのだからなおさらだ。
アメリカ市場以外、また英仏とその植民地以外の地域に平和的に輸出しようとしても、
米英仏ソもまた、日本と同じ考えであった以上、衝突するほかに無かった。
米英仏ソの四大国たちは、自分たちがブロック経済で外国の商品を買わない代わりに、
輸出を自粛しようなどという殊勝な考えなんぞ持っていなかった。
ブロック経済で自分たちの利益は確保した上で、さらに自分たちのテリトリーではない地域にまで手を伸ばそうと企んでいたわけだ。
ガチニキ登場や
詳しい解説ありがとうやで
2です。
黒船以来の太平洋をめぐる日米100年戦争のことは承知しています。
だが、現状日本自力のみでの国土防衛は厳しいかと。将来的にはそうありたいですが。
外国軍を当てにするの国防が他力本願なのは承知してます。
犬のように従えばいいとも思ってませんのでそのへんは理解していますが、
あなたがというのではなく離間を狙う勢力もあるのでそこはかれらの思うツボにならないようにしないといけないと思います。
冷静な返信ありがとうございます。
すぐに喧嘩腰になる人と比べれば、貴方のような立派な人は希有と呼べるでしょう。
(お世辞ではありません)
しかしながら、最低でも【戦前の】アメリカは、【ろくでもない国】であった事は確かです。
映画『42~世界を変えた男~』や、『バンクーバーの朝日』を見れば解りますが、
1960年代の「公民権運動」が起こるまでのアメリカは、
【ナチスドイツに勝るとも劣らない超・差別国家】
であった事を忘れて貰っては困ります。
そもそもナチスドイツの人種理論や反ユダヤ主義理論の多くは、
【アメリカ人】のマディソン・グラントや、
ヘンリー・フォードなどがネタを提供した物である事も忘れてはなりません。
ヒトラーはフォードの肖像画をフリードリヒ大王に並べて掲げていたとか。
『日本人の大脳の灰白質は、白色人種よりも白い。深い思考能力が出来ず、発明能力や学習能力は劣る』
当時のアメリカの人種学者の「日本人」の説明と言えば、このような物でした。
『ヒトラーのテーブルトーク』という本の中には、
『日本人は、三半規管がイカレてるから飛行機の操縦は出来ない』
という当時の白色人種間で広まっていた噂話が出てきます。
ヒトラーの邪推では、日本人がわざと白色人種の差別意識に便乗して、この俗説を補強して垂れ流した、
『素晴らしい謀略活動』
であった事になるのですが、日本人にそんな高等テクニックの謀略は出来ないでしょうから、単なるヒトラーの「邪推」でしょう。
でも実際に、真珠湾攻撃を聞いたアメリカ人の多くは、
『日本人如きに航空機の操縦など出来るはずがない!これは日本人に協力していたドイツ人が敢行したのだ!』
と真っ先に広まったのを見ても、アメリカ人による日本人差別は、病膏肓に入っている水準だった事が解ります。
私は【戦後の】「GHQ改革」や「年次改革要望書」、
「TPP」などを押しつけてくるアメリカも大嫌いですが、
【戦前の】アメリカは、もっと嫌いです。
あんな国が相手では、遅かれ早かれ戦争は避けられなかったでしょう。
他国の戦争に不介入という公約で当選しておいて、それでも利権理由に日独との戦争に参加したいあまりに、
自国民を欺いてまで戦争へと日本を誘い込んだルーズベルトなどその嫌悪の最たるものでしょう。
戦後、アメリカが行ったWGIPによる自虐史観の植え付けなどで気付かぬうちに洗脳されている人もまだまだ多いですので、
戦前・戦中・戦後のアメリカによる闇の部分も周知していかないといけませんね。これは同感です。
国家安康・臣君豊来の鐘のときの徳川と開戦前の対日禁輸とハルノートのアメリカは似たような状態で、
譲歩なんてものが意味なさなかったのでしょうね。
アメリカの「闇の部分」を指摘すると、
『日米離間だ!』
『中国・韓国のスパイだ!』
と言い出す人が多いので、本当に嫌になります。
日本を戦争に追い込んだのもアメリカなら、
敗戦後、GHQ改革で日本を滅茶苦茶に破壊したのもアメリカでしょうに。
こんな事、例えば大日本帝国憲法を作り替えるなどとは、ポツダム宣言にすら書いていない事な上、戦時国際法に違反しています。
おまけに、仰る通り、WGIP、
【劣った劣等民族の日本と日本人が全て悪うございました】
と洗脳したのだから、もう許し難い暴挙です。
先の「安倍談話」も、
・アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった
などとふざけた嘘八百を並べ立て、
・ケネディ「観光大使」のような外交のド素人を日本に送り込んできたオバマ政権に対して、聞いてて恥ずかしくなるような
『民主主義のチャンピオンを送ってくださった』
などとベタ褒めし、
・日露戦争まではまともだったのに、その後は魔法にかかったかのように狂って、慢心して駄目になった。
そして敗戦の結果、アメリカ様のお陰で、日本は何とかまともな国に立ち返る事が出来ました
めでたしめでたし
こんな歴史観を、「保守政党」の「タカ派」の「一国を代表する総理」が得々と披露するような状況になってしまった……
全く酷いもんですよ。
ニューギニア戦線の初期には配備されていなかった。開発完成が間に合わなかったのだろう。
惜しまれる。
一方、海軍には「月光」、「紫電改」と言う爆装可能な陸上戦闘機がある。
陸軍と海軍が別々に開発する事は問題だった。生産ラインの乱造。アルミとニッケルの無駄使いではなかったか?
陸海軍で用途が違うものもあるので一概には言えないが、同じような目的の兵器はなるべく共通の方が生産・補給面で有利ですね。
陸海軍で同じ20ミリ口径の機銃弾でも規格が違って共用できない日本よりもアメリカのように陸海空及び海兵隊全軍共通弾薬としたほうが
合理的ですね。
中島飛行機製作所、小泉・半田工場増設
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima-saito/saito2/naka40-41.html
輸出先のほとんどを失った日本は大陸進出を決行、ドイツではナチス政権が成立してソ連と東欧諸国への進出を決行。
元々「イギリスのスパイ」と政敵から非難されていたムッソリーニのイタリアですらも、
海外市場を開拓しようとして、イギリスと対立してまでもエチオピア戦争を行っている。
ちなみにムッソリーニ政権は、最初は外交的に英仏の市場に食い込む事を目指しており、日独よりも2年も長く堪え忍んだ。
つまり、エチオピア戦争は1935年に始まったが、ムッソリーニ政権は世界大恐慌からの5年間の間に、失業者のほとんどを吸収する事には一応成功していた。
公共事業の大幅な促進と、企業の国営化をセットにした統制経済の断行によるものであったが。
従って、エチオピア戦争は、失業者救済がメインというよりも、エチオピアの資源目当て、
それと話し合いに応じない無礼なエチオピアを『膺懲する』のがメインであった。
【排日移民法】(1924年)
これも重大な問題だからね?
輸出も出来ない、移民も出来ない、
そんな日本人が生きていくためには、中国大陸に進出していくしかなかった
中国大陸がほぼ唯一の日本の生命線だった
中南米諸国は「アメリカの裏庭」みたいなもので、
アメリカが圧力をかければ容易に日本人移民の受け入れを拒絶させることができた時代だし
いわゆる、1929年10月のブラック・サーズデー(米ウォール街)の翌月、濱口内閣は大蔵省令で金本位(輸出解禁)を公布し、実施日を1930年1月としたが、これはタイミング的に最悪であり、国内経済大デフレを招き、倒産の嵐となった。間に満州事変の若槻礼二内閣を挟み、結局、犬養
木堂の政友会内閣が成立すると、蔵相、高橋是清によって、1931年、再び、金解禁から離脱となった。
世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これもおかしいと思う。
1932年のオタワ会議開催時点では、日本の景気は回復していない。
首相である浜口雄幸こそは暗殺されたものの、
蔵相は当然、万死に値する無能の井上準之助のままである。
高橋是清が登板したのは、政友会の犬養内閣が成立してからであり、
その高橋積極財政の効果が出始めたのは1934年辺りからだ。
現に、イギリス領インドへの綿製品輸出を巡って、イギリスとこの頃から対立が始まっている。
かつては日英同盟を結んでいた間柄だった日英が、なにゆえ対立関係となり、最後には戦争に至ったか?
それは、ワシントンや海軍の軍縮条約も勿論原因の一つとして有るが、
1934年辺りからのインドへの綿製品輸出問題が発端となっていると言っても過言ではない。
浜口雄幸と井上準之助にもし唯一評価すべき点が一つでも有ったとしたら、
不良品を作ってる不良企業を軒並み倒産、もしくは合併させて、優良商品を作れる企業に生まれ変わらせた事だけであろう。
(と言っても、それを実際に行ったのは民間の経営努力であり、
井上準之助たちの行動は「怪我の功名」「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな物でしかなかったのだが)
1930年の頃の日本企業と、1934年の頃の日本企業とでは、わずか4年とは言っても全然その中身は違っていた。
これは高度経済成長時代を連想すれば解りやすいだろう。
高度経済成長時代と言えば、わずか4年でも、企業が全然まるで異なるくらいに収益を挙げており、給料も大幅に増額されていた時代だった。
1930年の日本企業と1934年の日本企業とでは、
高度経済成長時代のように収益や給料が上がったかどうかは別にして、全く別の、
米英仏ソと争っても優位に立てるくらい、企業が見違えるように改善されていた。
井上準之助の唯一の功績だろう。
しかし、「経済の神様」高橋是清が、ここで大チョンボを始める。
「インフレを懸念したため」という理由で、1935年には早くも積極財政に歯止めをかけ始めたのだ。
真っ先にやり玉に挙げられたのが軍事費である。
これが226事件で、高橋是清が暗殺された原因である。
満州事変の軍需景気と、高橋積極財政によって、確かに都市部の景気は良くなった。
しかし、農村部にまでは、その好景気は波及していなかった。
陸軍の兵隊たちは、その農村部から送られた次男、三男以下の男たちを主軸としている。
軍事費の一部として、彼らに支払われる「給料」「人件費」は、
農村への「仕送り」として、慢性不況に苦しむ農村の唯一の資金源であった。
高橋是清は、その農村にとっての唯一の資金源を止めた。
兵隊たちの事を我が子、弟のように見なしていた青年将校たちが激怒したのは言うまでも無い。
226事件で決起した青年将校たちは、例外なく兵隊たちの故郷の窮状に心を痛め、農村を救わんがために決起したのだ。
高橋是清の死後、高橋が心配していたインフレ懸念など全く存在しなかった事が判明している。
高橋是清は「経済の神様」だったかも知らんが、絶対に間違いを犯さない全知全能ではなかったという事だ。
プア・ホワイトが叫んでいたのだろう。貧しい白人=後発移民。
アイルランド系が中心だったのではないかな。
富裕層が日系移民と競合する職種分野は無い訳で、ブルーカラー職となると、後発移民のアイルランドと言う事になる。
大帝陛下の独白録に移民排斥は言及があった。
ちなみに、オレゴン州と言えば、今、ポテトチップスに使われているジャガイモのほとんどがオレゴン産であり、
また、対米強硬外交を主張した、松岡洋右の故郷でもある。
松岡洋右の持論では、
『アメリカ人というのは、徹底的に殴り合わなければ、日本人の価値を認めない』
と言うのがあった。
もっと詳しく言うと、
たとえば、畑のあぜ道、人が一人通れれば良いような狭いあぜ道が有ったとする。
そこに日本人が一人、向こうからはアメリカ人が一人歩いてきた。
当然、譲り合うスペースは存在しない。
そんな場合どうするかというのが松岡洋右の謎かけである。
アメリカ体験者、松岡の答えは至極簡単、
『不意打ちでも良いから殴りかかれ』
というものだった。
『もしも日本人が臆して、または配慮を効かせて、あぜ道から落っこちるくらい道を寄せたとしても、
アメリカ人は感謝するどころか、より一層日本人の事を小馬鹿にするだけだからである』
松岡洋右の事を戦争狂とあざ笑うなかれ。
戦後の日米関係を見れば、日本がどんなにアメリカに譲歩しようとも、
アメリカ人にとっては、「そんな事は当たり前」であり、感謝のかの字も無い。
そして要求はますますエスカレートしている一方である。
松岡洋右の主張は、何も戦争狂のタワゴトでも何でもなく、アメリカ人の生態を鋭く突いて洞察した慧眼であったのだ。
支那事変が勃発している。
当然ながら軍事費はうなぎ登りに上がったが、高橋是清の心配していた、制御不可能なインフレなど起こっていない。
日本で、高橋是清が心配していた「制御不可能なほどのインフレ」が発生したのは、
敗戦時の焼け野原状態の時、大蔵省や企画庁、軍需省、特高警察などの統制が効かなくなってからである。
昭和20年の敗戦の年まで、日本の統制経済はうまく行っており、農村の経済状況も見違えるほど改善されていた。
農村地主の経済力も奪われ、小作人の多くが地主以上に儲かるように仕組みを変えられたのも、
実に戦時中の農林省による統制経済の賜物である。
「農地解放」と言えば、GHQの戦後改革の目玉の一つだが、
すでにその路線は、戦時下の日本によってあらかじめ準備、お膳立てされていたものであった。
むしろ、1935年からの高橋是清による軍事費削減は馬鹿げた政策であり、
226事件で彼が殺されなかったとしたら、
ルーズベルトのニューディール政策と同じく失敗に終わっていたであろう。
慢性不況に苦しむ農村を無視して、真の景気回復など不可能だからだ。
また、先ほども言ったように、226事件の一年半後には支那事変が勃発している。
支那兵が便衣兵とか卑怯な戦法を多様していた事は百も承知だが、
支那兵如きに苦戦する日本軍では困る。
「支那大陸は広い」と言うが、モンゴル民族や満州民族など、
日本軍より少ない人数で支那を支配した民族も歴史上には存在したのだ。
彼らに出来て、日本軍に出来ないはずがなかった。
歴史の後知恵となる事は百も承知だが、高橋是清がやるべき事は、軍事費の大幅な増額と、
都市部の好景気の恩恵がなかなか回ってこない農村の救済であったろう。
しかし、統制経済反対、自由経済万歳の高橋是清には、どだい無理だったと言える。
ワシントン海軍軍縮条約は当時天井知らずになっていたお互いの軍事費を抑止するための物なので理解できる。
しかし1930年代に日本が行った軍事費大幅削減期間は艦船や航空機など特に予算を食う海軍にとっては少数精鋭にせざるを得ず、その層の薄さはのちの太平洋の戦局にも尾を引く結果になったのでやはり時代を読み違えたと思います。
ことが起こってから慌てて増やしても間に合わないのは戦局が証明している。
ワシントン海軍軍縮条約が有ったからこそ、
ロンドンの海軍軍縮条約が有ったような物だし、
『前回譲歩したんだから、今回も譲歩したって良いだろ』
と米英にツッコミを与える要因となった。
その意味で悪しき前例を与えたと言える。
また、ワシントン海軍軍縮条約の際には、アメリカの太平洋艦隊なんぞタカが知れた程度しか存在しておらず、
ほとんどのアメリカ海軍は大西洋方面に集中していた。
ワシントン海軍軍縮条約は、アメリカの太平洋艦隊を強化させたという結果論では最悪の愚手だった。
もしも当時の人間にナチスドイツの台頭や、ファシスト=イタリアの興隆が解っていたら、
ワシントン海軍軍縮条約で、
「全加盟国を対等な条件(10:10:10:10:10)とするか、もしくは0にするか、二つに一つ、どっちか選べ」
と日本側は声を大にして主張出来たであろう。
恐らく米英の世論にも訴えかければ、0を選択するのが分かり切ってるので、
ドイツのUボート攻勢や、ロンドン海軍軍縮条約に加盟しなかったイタリア海軍の攻勢にイギリスが耐えきれるわけが無かったからだ。
仰る通り、ロンドン海軍軍縮条約の頃は、日本があんな物を受諾したせいで、
国内的には「統帥権干犯問題」を惹起し、
対外的には「層の薄さ」を路程、たった一度のミッドウェーの敗戦で、ベテランパイロットの多くを喪失し、
以降敗戦続きという結果を招来するに至ったので大失敗の政策だったと思われる。
片翼帰還の樫村機やな
ロンドン海軍軍縮条約(日本側補助艦艇、対米比0・69)
どっちも日本海軍の意向というよりも軍部の台頭や軍事費を抑えたいという
政治・財政面での考えで先導された面はありましたね。
もっとも同一比率にして保有し切れたかは別だけど。
当時、新天地への進出は周囲に有無を言わさぬ軍事力があってのもの。
それを削ったら二匹目のドジョウねらいの勢力に付け込まれるのは当然だわな。
>これもおかしいと
え?
私の文章の何処にも嘘は書いていない。
金の輸出再禁止は1931年の12月だ。
その意味は文字通り、金の兌換紙幣を止める布告、通達があった言う事で、その部分のセンテンス内の節としての内容はそれ以上でもそれ以下でも無い。
引用された拙文の何処をどう解釈しても、31年12月頃に景気が回復した、などとの主張を私がしている、などとの文章解釈にはならないはずだ。
私の主旨は欧米の囲い混み(ブロック)経済圏移行政策の標的は日本の輸出工業品目にあった、と言う事だ。
もう一度引用しておくよ?
>世界経済のブロック化と言う趨勢には、高橋蔵相の金本位制からの離脱、円安、為替相場アドヴァンテージを背景にした輸出促進(日本企業の独り勝ち)政策への欧米植民地帝国列強のカウンター ・アタック(予防措置)と言う面があったのである。
これはおかしい。
高橋蔵相の登板も、日本の景気回復も輸出攻勢もほとんど無関係に、
アメリカもイギリスもブロック経済化しているではないか。
それを指摘している。
私は是清翁じゃないのだよ。
何故なら、私はブロック化の原因は全て、日本の輸出にある、などと主張していない。
あなたは、私が主張していない事実を以て、おかしい、と仰せだ。
私も繰り返そう。私はブロック化の原因が、悉く、日本の輸出にある、などとは一言も申していない。
米英仏のブロック経済化は、日本の輸出攻勢への、
『カウンターアタック』(予防措置)
だったはずではないのだろうか?
(しかも、1932年時点では蔵相ではなかったし、未だ景気回復もしていなかったし、輸出攻勢も始まっていなかったのに「高橋是清」の名前まで持ち出して)
『ブロック化の原因は日本の輸出攻勢にことごとくあると書いたわけではない』
と仰るが、上記の文章ではそうとしか読めないし、
それ以前に高橋是清とか日本の輸出攻勢は、時期的にほぼ「全く無関係」の話であろう。
イギリスがオタワ会議を開催してブロック経済化を図ったのは、1932年の7月~8月である。
高橋是清が大蔵大臣に就任したのは1931年の12月だが、
まさかたった半年で高橋財政が奏功し、慌ててイギリスがブロック経済化に走ったわけではあるまい。
アメリカの関税法に至っては、高橋是清は大蔵大臣でも何でもなかった。
そもそも与党議員ですらなかった。
アメリカやイギリスは、日本の満州事変も国際連盟脱退も関係なく、
(むろん、高橋是清も日本の輸出攻勢も全く関係なく)
自分勝手にブロック化して、日本やドイツを苦しめて、「軍国化させた」としか言えないはずであろう。
スレ立て人としては、穏やかに進行させたいのだが、論争がお好きなのですかな。
k2Tニキの解説はアホなワイにもわかりやすくて良いと思うで。
主さん、あの戦争で他に疑問に思ってるところは?
別に論争の意思は無い。
ただ、米英仏のブロック経済化は、日本の情勢なんぞ全く無関係に行われた、言わば「既定路線」だったと思うだけだ。
満州事変ですら、イギリスのオタワ会議に全く影響を与えていないのに、
高橋是清が大蔵大臣になって輸出攻勢が始まったから『カウンターアタック(予防措置)』としてブロック経済化を行ったなどと書くのは、
あまりに日本という国を過大評価し過ぎていると感じる。
過小評価するのも問題だが、世界は日本中心に回っていたとする歴史観も問題があるのではないかと感じるだけだ。
しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
私は(陸軍首脳の)本土決戦の真意を知りたい。
と、申しても、私は阿南大臣を批判している訳ではない。心情的には陸軍に傾いている。
だから、余計に知りたい。
>しかし、石油も鉄鉱石もアルミもゴムも入手不可能な状況で何の成算があっての本土決戦だったのだろう?
そもそもこの頃イタリアはすでに連合国に降伏していたのだが、
連合国はイタリアとの降伏条件を破っており、イタリアは内戦状態に陥っていた。
北部に設置されたドイツに味方する、ムッソリーニのイタリア社会共和国と、
南部に避難した、連合国の属国としてのイタリア王国の二つである。
イタリアは降伏するに当たって様々な条件を付したのだが、連合国がその条件を守ることはなかった。
結果、イタリア半島の多くはドイツ軍が支配する所となっている。
阿南陸軍大臣が強調したのは、イタリアが約束違反されて酷い目に遭っているという点だった。
連合軍は、戦争犯罪人の処罰、日本軍の武装解除、保障占領までも要求していたのだが、
特に受け入れがたかったのが、「武装解除」の問題であった。
また、天皇の身の安全、地位の保障が一字一句書いていない事も、阿南陸軍大臣の不安を誘う要因であった。
「天皇も戦争犯罪人である」とされて処罰されてしまっては、あの世で天皇陛下のためにと亡くなった将兵たちに会わせる顔がなかったろう。
そのためにも、天皇の身の安全と地位の保障、「国体護持」が確証できるまで、武装は解除できないと言うのが阿南陸軍大臣の主張だった。
『もしも武装解除してしまったあと、連合軍が無茶苦茶なことをやり始めたら、
それでは約束が違うといくら口先で抗議しても全く無力である。
イタリアの先例もあるゆえ、その轍を踏んではいけない』
これが阿南陸相の主張だった。
そして、実際に阿南陸軍大臣の懸念は大当たりに当たったと言える。
戦後、日本に進駐してきたGHQは、憲法から教育勅語から民法・刑法の改革、
そして治安維持法の廃止や共産党員の出獄、特高警察の廃止、農地解放、財閥解体などなど、
好き勝手に日本の弱体化政策を推し進めた。
こんなこと、ポツダム宣言にすら書いていなかったことである。
阿南陸軍大臣の心配は杞憂どころか、大いに当たったことになるし、
GHQのこの改革のせいで、21世紀の今になっても日本は苦しめられているとも言える。
阿南陸相は実はソ連シンパであり、戦争を長引かせる事によってソ連による日本占領を成功させたかったという説が有るのだとか
阿南陸相に限らず、当時の陸軍や高級官僚の間では、ソ連シンパはかなり多かった
自身社会主義者であった近衛文麿ですら、右翼とか革新官僚と呼ばれる連中の中にすら極左のソ連シンパが紛れ込んでいた事を指摘していた
これが成立したのは南ベトナムの国境は当然ながら、北ベトナムに接しており、ハノイのホー・チ・ミン政権からの後詰めが期待出来たからだ。
そうして、ベトコン・ゲリラの実質オーナーであるハノイの北ベトナム政府にはソ連と共産党・中国の支援があった。
だから、米軍はサイゴン政権を支え切る事が出来なかった。
或いは朝鮮動乱に於ける北朝鮮の後詰めにも中国とソ連が控えていた。
ところが、1945年8月15日の我が大日本帝國には誰もいないのである。
どんな、目標でゲリラ戦を続けるつもりだったのだろう?
日本の綿製品の競争力が動機の根底に無かった、とは立証出来ない。
よく、調べてみなさい。
もちろん、「無かった」とは言えない。
が、ほとんど考慮の対象外であり、イギリスは、今の日本が25年間不景気であるのと同じように、
第一次世界大戦が終わってから、大蔵大臣に適任者を得ず、ずっと不景気続きだったのだ。
ちなみに、20年代には、「戦争狂」チャーチルも大蔵大臣を勤めて、大々的な軍縮に取り組んでいる。
第二次大戦でイギリスがドイツに苦戦を強いられたのは、チャーチルの軍縮のせいである。
経済学者のケインズが、チャーチル”大蔵大臣”の無能さを批判したのは有名。
つまり、イギリスは日本の事を云々言う以前に、世界大恐慌以前からずっと不況が続いていた。
それを考慮に入れておかねばならない。
インドではなく、インドネシアの間違いではなかろうか?
また『1932年』の話ではなく、『1933年』の話では?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog486.html
詳しくはここに書いてある。
え?
ありがとー。
初見ですな。
1933でした。同年、日印通商条約の破棄を通告されている。
申し訳ない。1932にダンピング云々の指摘があり、インドが動いたのが33年。
だが、ここは大東亜戦争を論じるスレである。
文章の主語に仮に、擬人化された「日本」とか「日本政府」と言う文言が使われる場合、主観的叙述になる場合もある。
だからといって、日本を中心に世界が回っている、と考えている訳ではない。
あれ(20年代の投資熱)はバブルだったの?
バブルですね。
しかも商工業だけの。
アメリカの農村は、すでに1920年代の後半から不況が見え隠れしていましたから。
当時輸出を伸ばしつつあった日本が割を食った状態になり大打撃をうけた。
特に当時イギリスに代わり伸びの多かった綿製品が打撃をうけた。
そして日本は対ソの防波堤として整えつつあった満州から中国にその伸び代を求めた。
という理解でOK?
大東亜(太平洋)戦争の開戦理由を探求するとき、いきなり南仏印進駐とハルノートから話が始まる方が多いなか
世界恐慌後の経済政策から順序立てて考察するこのスレは評価します。
その理解が正しいと思います。
日本の満州事変も支那事変も関係なく、すでに日本は世界市場を失っていました。
アメリカもイギリスもフランスもソ連も保護貿易、市場閉鎖に走っており、日本は輸出先を失っていたのです。
ドイツもヒトラー政権の成立関係無しに、同じく世界との貿易市場を失っていました。
結果、日本は満州や中国市場に進出していくようになり、ドイツは東欧諸国とソ連に生存権を求めたという訳です。
戦後、これらの反省を踏まえて、ケインズやホワイト(ハルノートの本物の生みの親)が作ったのが「GATT」です。
GATT体制により、日本は心配なく海外と輸出入できるようになったのです。
もしもGATT体制が1929年の世界大恐慌の頃に存在していたら、日本の大陸進出も、ナチスドイツの成立も、第二次大戦も起こらなかったかも知れません。
「ああ見せて実は講話派だった」
「いややはり徹底抗戦派だった」など諸説色々で実際のところは本人自決の為分からないままなのですが、
どう考えても昭和20年夏の時点の戦局が本土決戦で巻き返せるようなものではないことは当然理解していたでしょう。
現在の感覚からするとサイパン島が維持できなかった時点でもう講話をしないと手遅れだろ、と私ならおもうのですが
日清、日露、WW1と勝って来た当時の日本軍でなかなかそうはできなかったのだろうと思います。
ソ連を仲介役に講話をという動きも日本側にはあったようですが、情勢が見えてなかったんでしょうね。
この会談でルーズベルト大統領は「無条件降伏」に固執して、チャーチルを困らせた。
この会談のせいで、ヒトラーやドイツ軍参謀たちは絶望、反ヒトラーの将軍たちも絶望し、
俄然ドイツ軍の抵抗が強まって、連合軍の被害者が増えたことを、のちに大統領にもなったアイゼンハワーが批判している。
日本側もカサブランカ会談の結果には失望し、抵抗が強まったことは、長年駐日大使を勤めていたグルーが批判している。
「無条件降伏」なんて受諾したら、国民の全てが奴隷となっても文句が言えない。
そんな条件を受諾出来るはずがない。
はっきり言って、ルーズベルトは狂人だった。
しかもスターリンに恋する乙女の。
日独を叩き潰すことによって、彼は世界中に共産主義思想をまき散らすことに貢献した。
ルーズベルト政権の周囲には、共産主義者ばっかりだったことは、のちのマッカーシーの赤狩りの際に判明している。
ルーズベルト自身も、スターリンに心酔し、スターリンの五カ年計画に影響を受けてニューディール政策を行うほどのスターリン狂だった。
そんな狂人がアメリカ大統領を勤めていたのが、人類史上の不幸と言って良い。
ルーズベルトが死んでトルーマンが新アメリカ大統領になったときを好機として
講話に利用できなかったんでしょうか?
まず、ルーズベルトが生きている間のトルーマンと言えば、
非常に「陰の薄い人」で、「近所の薬局屋のオヤジ」と陰口を叩かれていたような人物でした。
そもそもルーズベルトはトルーマンに大して強い期待を持ってなかったようで、
マンハッタン計画(原爆開発計画)ですらも、トルーマンには内緒にしていたそうです。
そんなトルーマンは、
『俺様は薬局屋のオヤジなんかじゃない!』
『俺様は強いオトコなんだ!』
と是が非でも示さなければならず、
「原爆投下するまで、日本を降伏させるな」
と指示を下したくらいです。
元々あなたが仰った通り、サイパン島が落ちて「絶対国防圏」が破られた時点で日本の敗戦は確定的であり、
駐日大使を長く勤めたグルーなどは、
『天皇の身の安全と地位の保証をすれば、日本は一も二も無くすぐ降伏するだろう』
と再三再四警告していました。
「無条件降伏」に固執していたルーズベルトには受け入れられませんでしたし、
ポツダム宣言の草案の中にはグルーの忠告通り天皇の身の安全と地位の保証が盛り込まれていたのですが、
トルーマンは原爆投下を敢行するために敢えて削除したと言います。
『高い金を払って作った原爆を、人体実験もしないで戦争を終わらせるのはもったいない』
『ついでに、俺様は薬局屋のつまらないオヤジじゃない!強いオトコなのだ!』
この二つの意図があって、ウラン製とプルトニウム製両方の原爆投下が終了するまで、
日本の降伏を受諾するつもりは毛頭無かったと
詳しい解説ありがとうございます。
チャイナをうまいこと使って日本を疲弊する戦争に誘い込み太平洋ミクロネシア以北の
権益を手に入れたアメリカがそんなに甘いわけないですね。
仮に原爆投下前にポツダム宣言受諾していても黙殺されたかもしれませんね。
国連憲章の53条の1項、敵国条項はチャイナが悪用しようとしているようですね。
ちなみに原爆投下命令は、ポツダム宣言発表の一日前に下されています。
ポツダム宣言を無視したから原爆投下されたのではなく、元々原爆投下は既定路線だったのです。
「条件闘争」のつもりで戦争に臨んでいた。
条件が折り合えば講和も当然有り得た。
現にヒトラーは何度もイギリスに講和の打診をしている。
日本もシンガポールの陥落以降から、スイスやスウェーデンなどを介して和平工作は何度か試みている。
対中国の蒋介石政権相手には、大小合わせて300回もの和平提案を行ったことが、蒋介石の回顧録に書いてある。
これは蒋介石が把握している限りの数字であり、現地軍同士での手打ちや一時的停戦協定などを加えればもっと数が増すだろう。
その「条件闘争」の可能性を奪い去ったのが、1943年のカサブランカ会談だった。
日本とドイツにとっては、カサブランカ会談とルーズベルトは、憎んでも憎み足りないほどである。
で言及されている枢軸国側からの講話への動きがほとんど知らされることなく、
「暴走した枢軸国軍部は無謀な戦いへと突き進んだ」的に語られる報道には違和感を感じます。
戦勝国の歴史観では、日独は「永遠の巨悪」じゃないとならないので……
自分たちが追い詰めに追い詰めた結果だったと解ってしまったら、自分たちの正義が揺らぎます
国際連合が、常任理事国を見ても戦勝国クラブであるように、戦後の世界秩序は、
「連合国=善」「枢軸国=悪」
というものですので
未だに国際連合には「敗戦国条項」というのがあって、日独は差別されています
そもそも「国際連合」という訳語が大間違いの誤訳と言っても良いくらいです
国際連合の英訳はUnited Nationsですが、実はこれ、
第二次世界大戦中の「連合国」を指す言葉なのです
元々枢軸国だったはずの日本が「連合国に加盟します」じゃ体裁が悪かったのか、
外務省が「国際連合」などという「誤訳」をして今に至るというわけです
外務省は、ちょくちょくこういう「誤訳」をしてみせます
日本の歴史教科書では国際連盟と国際連合と言うように表記を区別して別組織として指導していますが、
英文表記ではどちらも同じUnited Nationsなのですか?それとも組織自体同じものという扱いなのですか?
国際連盟と国際連合は組織自体違いますよ。
国際連盟の英語訳はLeague of Nations。
国際連合の英語訳はUnited Nations。
で、このUnited Nationsという表記は、第二次世界大戦の時には「連合国」の意味合いで用いられていました。
常任理事国の五大国を見ても、第二次世界大戦の戦勝国がズラリ並んでおります。
おまけに「敗戦国条項」の存在です。
そういえばそうですね。
じぶんでも国連憲章のこと言っときながら失礼しました。
戦後の世界秩序を担う戦勝5大国でしたね
「大東亜共栄圏」構想と言うが、その真実は「東洋制覇」であると思う。
だって、多国間秩序を維持するには、戦国大名の領国経営と同じで、支城(国境ボーダーの砦)と大名居城(後詰め支援の供給元)のような安全保障のシステムの確立が不可欠だ。
抵抗する諸勢力を排除し、ユーラシアの一画に複数の民族、国家群を包含する政治・経済・軍事の共同体を構築するとは、ユーラシアに於けるその地域の制覇業に他ならない。
これは紛れも無く「征服事業」である。
良い事か悪い事かは、別にして、だよ。
ブラックホールと申すか、巨大な低気圧の渦の中心と言うか、ユーラシアに於けるその一画の力の空洞は、隣接する我が国の帝国主義(高気圧)によって、埋められ、不均衡が相殺されるのは自然科学的、物理学的法則性に適合する現象であったと思う。
チンギス・ハーンやヌルハチに率いられた遊牧民が歴史上、支那の力の空洞を埋めたのと同じ必然性があった、言う謂いだよ。
しかし、ユーラシア鳥瞰的見地に立てば、日本の東洋制覇業に対する排他主義に他ならない。
民族の坩堝内で渦巻く葛藤の様こそが支那の常態ではあるまいか?
現状の支那の世論形成は20世紀特有の時代精神(国民国家のナショナリズムの熱狂)によって拡大鏡を当てられ、等身大以上に存在権を主張する流行トレンドとなったのであり、歴史俯瞰的に思い返せば、伝統的な支那の感受性とは思われないのである。
日本が莫大な資金を費やして対共の緩衝地帯として満州国を整え維持していたのを第二次大戦終結によって中国に組み込んだ結果、
それまで日本が北東アジアで担っていたロシアへの防波堤役を現在に至るまでアメリカ自ら朝鮮半島で行なうあり様になったわけですが、
こうなることをあのしたたかなアメリカが予見できなかったのでしょうか?
第二次大戦中も中露には散々武器支援等していたのにそれが後々自分に向かってくる様は、
反政府ゲリラに武器支援してたら巡り巡ってアメリカに攻撃してくるようになった現在の状態にも似ていますね。
よろしくお願いします
予見できたアメリカ人も当然いましたが、
国家権力を握っていたアメリカ人、
例えばルーズベルト(大統領)とか、
コーデル・ハル(国務長官)
ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)
ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)
などなどの権力者たちが、こぞって予見出来ない人間ばかりだったのです。
例えば、ルーズベルトの前の大統領、フーバー元大統領などはこう言っています。
『もしもアメリカが、イギリスの口車に乗せられて日独を叩き潰してしまったら、ソ連の共産主義が世界中に波及する羽目となるであろう』
(ちなみに、フーバーは経済面以外では、戦前のアメリカ歴代大統領の中ではかなりマトモで先見性のある政治家でした。
とりたてて反日という訳でもありませんでしたし)
結果的に、フーバーの予言通り、共産主義の防波堤を叩き壊してしまった結果、
世界中にソ連の共産主義を広める結果となります。
満州事変の頃、中国に滞在していたジョン・マクマリーも、満州事変の原因を完璧に洞察して、アメリカ本国に報告しています。
つまり、満州事変は『中国が悪い』のであり、
日本に対する、あまりにもしつこい、そしてポーツマス条約違反の排日・侮日・抗日運動に対して、関東軍が立ち上がったのが満州事変であったと。
そして、排日・侮日・抗日運動に参加している中国人以外の人々にとっては、
関東軍のこの決起は拍手喝采で迎えられたことであるということもマクマリーは報告しています。
元々満州には分離独立を望む勢力が強く存在しており、
また、中国大陸の内乱に巻き込まれたくないと考える勢力も強く居りました。
さらに、中国人の軍閥は重税に次ぐ重税を課してくるのに対して、
日本の治める関東州と満鉄付属地だけは、税金は安く、一年に一度だけ納めれば良く、
治安も安定していて、戦乱続きの中国大陸の中では桃源郷の如く安定していたことも記載してあります。
元々中国人は、万里の長城の北側に位置する満州など無視して顧みていなかったにも関わらず、
日本の努力によって近代化し始めると、途端に条約を破って『満州を返せ』と言い出したことも書いてあります。
結局マクマリーの結論としては、
「日本の行動は侵略ではない」
「中国人が自ら求めた災いだ」
「アメリカは日本に経済制裁を科したりして追い詰めてはいけない」
「むしろ、日本の目を永遠に北に向けさせ続け、ソ連と衝突するように工夫しなければならない」
そういう物でした。
当然のように、アメリカ本国の国務省は聞く耳を持たなかったのですが。
読みやすくてわかりやすいので参考になります。
ところで
もし桂ハリマン覚書が締結されてアメリカ資本が満州に入っていたらその後の大陸での動きや後々の戦争などどうなったとみますか?
多分、日米の資本力・工業力の差から言って、
強引に日本は利権を奪われていたと思われます。
小村寿太郎が危惧した通りですね。
現に、アメリカには危惧させる要素が山ほど有りました。
アメリカはこの頃、コロンビア領土のパナマ地峡を強引に切り離し独立宣言させました(1903年)
そしてそこに運河を建設し、パナマ政府から租借するという形で強引に奪ってしまったのです(1914年完成、パナマ政府に返還されたのは1999年!)
米西戦争(1898年)も、スペインがアメリカの強要に屈して、妥協しようとしたのですが、
アメリカは強引に戦争に持って行き、キューバやフィリピンなどのスペイン植民地を奪ってしまいました。
小村寿太郎の心配は、決して杞憂ではなかったのです。
また、この当時のアメリカは、イギリスを嫌っており、日英同盟を結んでいる日本も、
「敵の片割れ」くらいの扱いでした。
だからこそ、「オレンジ計画」みたいな対日本戦略プランを立てられたのですね。
当時の日本に、アメリカを敵に回せる国力など無かったのですけどね。
大陸での史実程日本が勢力を拡大出来ないという方向で幸か不幸か後々の日中戦争からの大東亜戦争も発生しないかもしれませんが、代わりに大陸内で米、露、日本の紛争が起きたかもしれませんね。
WW1のアジア戦線にも米軍が参加してドイツと戦ったらアジア太平洋の日本の権益は史実程伸びなかったでしょうね。
昭和の初頭の首相を勤めた、陸軍出身の田中義一総理が、昭和天皇に対して上奏したという体裁で、
『世界征服こそが明治天皇の遺訓であり、世界征服の手始めとして支那大陸征服があり、その前段階として満州征服がある』
とかいう内容の文書です。
すでに亡くなっている「山縣有朋」の名前が、さも生きているかのように出てきたり、
存命中の人物であっても役職が違っていたり、そもそも日本にそんな名前の役職が存在しなかったり、
日本人が読めば一瞬で「偽書」と判定できる内容の与太話なのですが、
世界の人々は、この恐らく中国人が適当にでっち上げた与太話を信じました。
中でも堅く信じ込んだのが、アメリカ大統領のフランクリン=ルーズベルトだったというのですから、人類史上の不幸としか言いようが有りません。
アメリカのマスコミ、特に、マスコミ王と呼ばれたウィリアム=ハーストもまた、この与太話を真剣に信じ込み、
連日のように、「田中上奏文」を流し、日本人が世界征服を狙っていると大宣伝しました。
そもそもハーストは最低のゲス男で、
『新聞の売り上げ向上のためだったら国家を戦争にだって導く』
と言い放った人物なのですが、ハースト系新聞社がアメリカ人に与えた影響力は甚大でした。
田中上奏文は、ユダヤ人を迫害するために、ロシアの憲兵か何かがでっち上げたという、
『シオン長老の議定書』と同じくらい、日本人に害悪を与えた文書です。
ひどいですね、支那大陸制覇ですか。
日中戦争時の日本軍を中国全土侵略への止まらぬ暴走のようにに評する方もおられますが、当時の軍部が自国の国力を鑑みた時に、大陸内全土を支配地域として掌握するのは無理だということは理解出来ていたと思います。
なればこその早期南京攻略、停戦交渉だったとおもいますが。
その辺を歪曲されて報道されているおかげでかなり無謀なイメージを持たれていますね。
日独が無条件降伏するまで徹底的に戦うと米英で取り決めたとのことですが、
もともとの国力の大きい上に戦争による軍需物資の好景気やレンドリース法による貸与売却益で巨額の利益が出るアメリカは良いとしても、
すでに斜陽となっていたイギリスやすでに国土を占領されているフランス、オランダなどは戦争が長引けば長引くほど仮に勝利したとしても
経済的には疲弊してしまうのではないでしょうか?
それともイギリスをおとしめて結果、大戦の一人勝ちこそがアメリカの狙いでもあったのでしょうか?
そもそも、イギリスのチャーチルは「アホだった」事をご理解頂かねばなりません。
チャーチルと言えば、大戦回顧録でノーベル文学賞を受賞した人物ですが、政治家としては「無能」です。
ハッキリ言えば「売国奴」であり、ただの「戦争狂」です。
「政治は結果責任」ということわざが有りますね?
その結果責任という言葉が正しければ、チャーチルの評価はそのように最低の物としかなりません。
続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
ナチスドイツを叩き潰すために「悪魔=ソ連」と手を結んだくらいですから。
ルーズベルトの提案に反対するはずも有りません。
チャーチルは反共産主義で、ソ連やレーニン、スターリンも大嫌いでしたが、
ナチスドイツとヒトラーはそれ以上に大嫌いでした。
少なくとも、ヒトラーからの和平提案を何十回も拒絶するほどには。
そして、アメリカですが、ルーズベルト一個人はただの阿呆なのでそこまで深謀遠慮を働かせていたかは疑問なのですが、
(何せ、ルーズベルトは
「スターリンの望む物を与え、こちらから何も要求しなければ、彼はこちらの思い通りになるだろう」
とか考えてた、共産主義に対する無警戒人間だったので)
「大戦の一人勝ち」を狙っていたのは確かです。
前の大戦、すなわち第一次世界大戦の時、
アメリカのウィルソン大統領は、ただ口綺麗な理想をぶち上げただけで、
何の領土の切れ端も、植民地も獲得出来ませんでした。
死傷者を出しただけで何らの国益も手に出来なかった事にアメリカ人は激怒し、
以降「ヨーロッパの揉め事に口を出すな」という孤立主義が盛んになったのは有名な話です。
ルーズベルト政権の閣僚たちはウィルソンの失敗をよく知ってます(同じアメリカ民主党)から、
ウィルソンの失敗の轍を踏まないように、アメリカ一人勝ちの戦略を練ったというわけです。
しかし、政権はともかくとして、ルーズベルトが根本的に共産主義贔屓で馬鹿だったので、
結局「一人勝ち」したのは、アメリカではなく、東欧と中国を共産化したソ連でした。
チャーチルの阿呆さと売国奴っぷりは、この本に詳しいです。
日本人がよく知らない、【アメリカから見た欧州大戦】の視点を与えてくれます。
筆者はパトリック・ブキャナン。
共和党の大統領候補にもなりかけた、アメリカを代表する「保守派」の論客です。
そしてイラク戦争を主導したネオコンを痛烈に批判。
ネオコンとは、neo conservative(新保守主義)の意味を持ちますが、
真のアメリカの保守を自認するブキャナンから見れば、ネオコンとはトロツキーの世界同時革命の焼き直しにしか見えなかったのですね。
「中東民主化ドミノ理論」とか、トロツキーの世界同時革命の焼き直しに過ぎません。
そして、そんなネオコンが賛美するのがチャーチルだったので、必然的にチャーチル批判の書に仕上がっています。
図書館に置いてあると思いますので御一読をお勧めします。
>続いて、チャーチル自身もまた、ナチスドイツに限っては、
>「徹底的に叩き潰す」ことをポリシーにしていたのです。
■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater Dead %
Africa 16.066 0,3 ←アフリカ戦線ww
Balkans 103.693 1,9
North 30.165 0,6
West 339.957 6,4
Italy 150.660 2,8
Eastern Front
(- Dec 1944) 2.742.909 51,6 ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045 23,1 ←頼もしいよなぁ♪
Various 245.561 4,6
Total 4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
ソビエト赤軍の死傷者が突出しているのは、
何もソ連軍が勇猛果敢な戦いぶりを見せたからじゃないですから。
冬戦争や独ソ戦初期の頃は、スターリンの無茶苦茶な戦略指導によって大勢の捕虜や裏切り者を出し、
後半も後半で、大事な局面に限って余計な口を挟みまくったお陰で、
勝てる戦いを逸した事が何度有った事か……
そもそも、イギリス軍やアメリカ軍による「レンド・リース」が無ければ、戦争の続行すら出来なかったスターリンとソ連には、
偉そうな口を叩く資格は無いですね。
第一次大戦後、日本が中華民国に対して提示した「対華21か条要求」(1914年)というのがありますが、
第1から第4項は戦勝国として認められたものの、
これの第五項「中華民国内の官権、軍、産業の中枢に日本人顧問を据えさせ兵器等は日本から購入」は
直接の交戦国ではない中華民国に対していささか強気に過ぎ、かえって欧米の日本に対する警戒感を引き上げてしまう結果になり
勇み足だったと思うのですが、この点どのように考察されますか?
第一次大戦後 ×
欧州ではまだ戦争継続中でしたね(WW1・1914~1918)失礼しました
第五項目はまず「希望条項」であり、拒絶されても日本としては別に困る内容でなかったことをご理解頂かねばなりません。
第一条から第四条までの「要求条項」とは異なるのです。
実際、第五項目は後に日本政府自身によって、公式に撤回されています。
次に、この対華二十一箇条要求(以下「要求」で統一します)そのものについて、です。
この「要求」ですが、実は日本政府から希望した物ではなく、袁世凱政府が希望した物であることが最近の研究で解っています。
まず、袁世凱は清国皇帝に取って代わって、支那大陸の「皇帝」になりたかった野心を抱いていました。
その為にも、己の即位を邪魔されないように、諸外国に媚びを売っておく必要が有ったのです。
対華二十一箇条要求も、日本に対する媚びへつらいみたいな物です。
そして「要求」という表現。
これまた、日本側がそのような文言にしたのではなく、袁世凱の側が「そうしてください」と頼んだというのが実態のようです。
『私は反対したのだが、日本側に力によって詰め寄られたので仕方なく締結した』
という体裁にしたかったのですね。
日本側は、それを中国側が望むのならという理由で易々と「要求」という文言に取り替えてしまったようです。
こんな日本に不利な物に易々と日本側が同意してしまったのは、大金が動いて賄賂が贈られたからだとも言われます。
一方で、袁世凱政府は、中国国内、及び世界中に向かって、
『日本が侵略欲、帝国主義の野望をむき出しにして我が国をイジメている!』
と大宣伝したと。
袁世凱謀略説に基づく考察はこちら
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100929/1285712786
一方、孫文黒幕説もあります。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1911-20/1915_taika_21.html
孫文と言うと、日本人はなぜか立派で素晴らしい人間かのように思いがちですが、
実際には、共産主義に警戒感のない「口先詐欺師」でした。
対華二十一箇条要求の内、実に16カ条の「要求」は、孫文が案を起草しています。
まず、孫文と袁世凱は対立しており、
袁世凱政府がいくら困ろうとも、孫文としては痛くもかゆくもなかったこと。
次いで、孫文は中華民国の首都北京に居らず、
当然ながら満州も北京周辺も支配していないので、
いくら北京周辺や満州を切り売りしても、これまた孫文の懐は一切痛まないわけです。
山縣有朋や頭山満、北一輝などが、
「孫文は詐欺師だ」と警戒し、支援を打ち切ったのも、もっともな話です。
あまりに「空手形」を濫発しまくったせいで日本人の支援と信頼を失った孫文は、
成立したばかりのソ連と中国共産党に抱きつくというとんでもない暴挙に出ます。
孫文とは、革命さえできれば誰とでも組むし、どんな空手形も濫発するし、
どんな売国的なことを行っても一向に構わなかった最低の節操なしの男だったと言えます。
いつもながら丁寧な解説ありがとうございます。
おっしゃる様に日本側もこの第5項は流石に盛り込みすぎというのを承知していて、
欧米との事前すり合わせにも出していなかった様ですね。中華民国側にバラされてしまいますが。
取り下げになったとはいえ、やはり日本に大陸進出の明確な意思ありと諸外国に思わせるには
十分な内容だったと思います。
己が支配のために外敵である日本をも利用するところなどさすが中国4千年、謀略と粛清の国という感ありますね。
傀儡のスカスカ国家になってしまうのに分からないんでしょうね。
戦後70年、黒船来航から162年。
太平洋をめぐる日米の戦いは形こそ違えど現在も継続中だということを忘れてはいけませんね。
軍事的には同盟国ですが、経済面での攻防など気は抜けません。
軍事的にも、アメリカは信用できるかどうか……
何せ、
『在日米軍は日本を守るために存在しているのではない。日本が再び軍事大国化しないために”瓶の蓋”として存在しているのだ』
とアメリカ側は言っているくらいですから。
沖縄の海兵隊司令官だったヘンリー・スタックポールとか、キッシンジャー元国務長官とか。
1999年にアメリカでアンケートが行われたそうですが、
「日米安保の存在意義」について、実にアメリカ人の49%が、
【日本封じ込めのため】
と答えています。
「日本防衛」と答えたのは【12%】という時点で、アメリカ人の本音が解ります。
1999年と言えば、すでに中国が軍事力増強に力を入れ始めて、毎年二桁増の軍事費を繰り返していた頃なのですが、
中国よりも、すでに十年近く不景気に苦しんでいた日本の方が、警戒に値すると考えられていたのでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%A8%E3%A2%E3%A1%E3%AA%E3%AB%E5%88%E8%A1%E5%9B%BD%E3%A8%E3%AE%E9%93%E3%AE%E7%9B%B8%E4%BA%E5%8D%E5%8A%9B%E5%8F%8A%E3%B3%E5%AE%E5%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84
そう言えば今日、安倍晋三が「安倍談話」を出しましたね?
あんなに破棄を期待されていたのに、河野談話と村山談話の踏襲をしたような談話でした。
なぜか?
http://toyokeizai.net/articles/-/12157
答えは2年半ほど前の安倍政権成立の時、すでにアメリカのマイケル・グリーンが語っています。
マイケル・グリーンとは、前のブッシュJr政権で「日本・朝鮮部長」を勤めた知日派アメリカ人です。
その彼が言うには、
・尖閣諸島への自衛隊配備
・河野談話の見直し
・(前二者よりは優先順位は下がるが)靖国神社参拝
この三つを行うと、日本は中国や韓国の信頼を失い、仲が悪くなるのは当然として、
【アメリカやオーストラリアとの仲も悪化する】
とマイケル・グリーンは述べています。
そして、安倍政権の行動は、マイケル・グリーンの忠告(恫喝?)を忠実に守っています。
つまり日本は、尖閣諸島を守るために自衛隊を配備することも許されていないし、
河野談話の見直しや、靖国神社で英霊の方々の顕彰や奉献を行うことも許されていないのですね。
「同盟国」という名前で、がんじがらめに日本を縛りつけているのがアメリカと言えます。
アメリカの腹心、当然いろいろあるとは思いますが現状日本の敵対勢力への強力な抑止力でもあり、
はしご外されない様に注意しつつやっていくしかないかと思います。
ところで主さん、そろそろあったまってきたところでこのスレの方向性というか運営の舵取りみたいなのを提示して欲しいのですが。
例えば
① 大東亜戦争こうすれば勝てた
② 大東亜戦争どうしてこうなった
③ 大東亜戦争こいつがわるかった
など、どんな方向でやっていきたいのかまだ定まってないので。
ココは主さんのスレなのでなるべく意向に沿った方向で進めようかと思います。
①②③全てオーケーです。
敢えて、数レス前に私は③に該当するカキコを連レスしましたが、>>95–>>103は少し、過激なもの言いだったと反省しています。
①②③どの角度からでも、御自由に議論なさって下さい。私は個人的には①が好きなんですが、それに特に拘泥するつもりはありません。
ついでに君はこれを書いた同一人物かね?
歴史板で政治に触れるのは「板違い」で「スレ違い」だと言うのなら、これをも批判しなければ辻褄が合わないぞ?
ついでに俺は、この君の書き込みに全面的な賛意を示したそのスレの>>94でもある。
歴史問題と政治の問題とは切っても切り離せない関係に在る。
日本国憲法成立の歴史について触れれば、
必然的に現憲法批判か、現憲法擁護のどっちかにしかならないのを見れば自明ではないか。
これはGHQの統治時代や、南京大虐殺問題を語るに当たって、
「法律や条約について語るのは板違い」
などと言い出してるのと同じなのだが。
戦時国際法や、ポツダム宣言などの国家間条約を根拠にしなければGHQの統治を肯定も否定も出来ないし、
南京大虐殺論争についても肯定も否定も出来ないではないか。
これはもう富岡製糸工場あたりから考察しないとなのか?
あかん、スレタイからどんどん遠くなっていく…
大東亜戦争を考察するには、
実際『ペリーの黒船』から考察しなければ、見えてきませんからねぇ。
「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長、西尾幹二などは、
【日米百年戦争】
という言葉を用いています。
ペリーは、日本にやってきた際、江戸幕府の役人が、
「長崎に回航してくれ」
と要求したのを無視。
悠々と江戸湾に侵入した上、幕府の役人に、
『戦うつもりなら相手になってやる』
と発言、そして白旗を差し出して、
『もし戦う意欲を無くしたらコイツを振れば砲撃を止めてやる』
と語ったという話が有ります。
アメリカは、日本との出会いの最初から高圧的だったと。
安倍晋三が、アメリカの議会で、
『民主主義のチャンピオン』だの、
『アメリカとの出会いは民主主義との出会いだった』だの、
好き勝手放題言ってましたけど、あんなの嘘ですよ。
日本はペリーと出会った事で、否応なしに「帝国主義」の火の中に放り込まれたのです。
だから正確に言うなら、
『アメリカとの出会いは、帝国主義と侵略主義との出会いでした』
と言わねばならないはずですね。
ともに客観的な視座の政府の自己総括がなされていない、と言う点も共通している。
為政者と申すものは敗戦を客観的に分析し、公に言質を与えた場合、統治力の源泉が致命的に毀損される、と言う事が本能的に分かるのだろうね。
人口に膾炙している如くの「戦争責任」ではなく、「敗北に関する責任」である。
誰に対してか?勿論、國民だ。
極東軍事法廷は右の「敗北責任」の「仮想・國民法廷」とは全く、原告と罪状が異なる。
國家公務員を裁く模擬・國民裁判と言う思考実験、シミュレーションである。
主に被告は海軍であろうか?
或いは外務省であろうか?
私は後者が相当に罪が重いように思う。
『敗戦に至った結果への責任論』
と言えば、昭和天皇はどうなの?
1931年の満州事変から、1945年の終戦まで、
一貫して続いていた権力者と言えば、昭和天皇しか存在しないのだけど。
大日本帝国憲法では、全ての権力は、または権力の源泉は天皇に在るかのように定められていた。
大きく二分して、統治権も統帥権も天皇が握っていることになっていた。
昭和天皇の戦争責任、敗戦に導いた責任は、決して小さい物ではないのでは?
次いで、その統治権と統帥権の双方を握っているはずの昭和天皇に、
イギリス式の、
「君臨すれども統治せず」
の統治方法をレクチャーした、元老の西園寺公望。
西園寺公望は軍人上がりの元老ではない。
従って統帥権の理解に対して浅い、浅薄な所が有ったのではないか?
「統治権」の遂行者としての【天皇陛下】としてならば、
「君臨すれども統治せず」
は正しいかも知れない。
しかし、「統帥権」の遂行者としての【大元帥陛下】としては、
「君臨すれども統治せず」
は間違いだったのではないか?
少なくとも、統帥権の源泉である昭和天皇が軍部を叱り飛ばさないで、
一体日本人の中で誰が軍部を抑制出来たと言うのだろう?
もし仮に現在の自衛隊が自衛戦争で戦い負けたとしても天皇の戦争責任は無くて当然と思いますが、大日本帝国憲法下においては
これは日本国ならびに日本軍のトップですからその責任を問う問わぬは別として戦争責任はあると思います。
それはおかしい。
大臣、総長、総監の人事的三長官合意を陛下が覆(くつがえ)すのは、余程の例外的干渉であって、恣意的に介入出来るなら、陛下の御心痛もどれ程、緩和された事だろう。
御在位中、一度あるか無いかの危急存亡の御親政の実例を以て、もっとやらんか、とはあまりにも畏れ多い言い草じゃよ。
その非常の大権は抜かざるの伝家の宝刀であればこそ、立憲君主制が維持出来るし、組織としての軍も機能出来る。
乱発されたら、組織人事は壊滅的混乱に陥る。
例えは乱暴だが
「これ通したら会社潰すなあー。でも専務やみんながせっかくやってくれたんだから社長決済可にしとこ」
これはあかんでしょ
御上「成算はあるのか?」
重臣「あります」(キリッ)
御上「(なんか、法螺臭いのう)」
重臣「さ、さ、御決済を」
クーデターの気運さえ漂う興奮状態。ヴェトーを行使する余地は無かったと思われる。
「部下の虚偽報告が原因で、私はそうとはしらなかった。責任はない。」
は通じない。
もっとも昭和天皇がそういうことをおっしゃる方ではないということは理解しています。
そもそも現実の天皇陛下・大元帥陛下の意向を無視して、
都合が悪ければ、226事件や宮城事件のようなクーデターを起こしても良いんだという発想こそが問題なのではないだろうか?
元を糺せば、この思想、「皇国史観」が原因と言えるし、
もっとさかのぼれば「南朝正統論」が原因と言えるし(現皇室は北朝系なので)、
さらにさかのぼれば「後期水戸学」の問題とも言える。
長州藩が、平然と躊躇い無く禁門の変で大砲を京都御所にぶっ放したように、
「ぼくのかんがえたてんのう」と異なるようなら、ぶっ殺しても構わないんだという発想に至ったのは、明らかに後期水戸学の悪影響だろう。
平泉澄の皇国史観は、後期水戸学の影響がかなり強いので、当然同じ結論に至る。
宮城事件で、昭和天皇の終戦の思し召しを無視して宮内省や宮城に殴り込んだ青年将校の多くは、平泉澄の門下生であった。
「統治権の遂行者、源泉であった天皇陛下」と、
「統帥権の遂行者、源泉であった大元帥陛下」とでは、
自ずから立ち居振る舞いが違ってきても当然なのでは?
例えば「満州某重大事件」(張作霖爆殺事件)の河本大作や、
「満州事変」の板垣征四郎、石原莞爾を、自主的に処罰出来なかったという事が、
結果的に、
【国の為を想ってやったと言えば何でも許される!】
【軍部の仲間、同志たちも弁護してくれる!】
と軍部全体に勘違いを与えたのは否定しようの無い事実でしょう?
無論、最近になって、満州某重大事件の真犯人はソ連工作員だったとか、張学良だったという新説が出てきているのは知っているし、
(ソ連工作員説はともかく、張学良黒幕説は私はかなりその可能性は強いと思っているが)
満州事変は、ポーツマス条約も守らずに、排日・抗日・侮日運動を繰り返していた中国側に大きな責任が有り、
「自衛戦争だった」と言える側面も有った事は確かな事実。
だが、時の政府は「不拡大方針」であり、
また、天皇陛下の大御心としても戦争を望んでおらず、平和的解決を始終お望みであったはずだ。
ならば、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾が、
そのまま野放しで何の処罰も与えられなかったに等しいのは問題が有るのではないか?
まず、当時の大日本帝国憲法の規定から言って、内閣総理大臣に
「河本大作を処罰せよ」
と命令出来る権限は無い。
そんな事をしたら、
「統帥権の独立を何と心得るか!」
などと猛反発を買うのが必定。
ならば天皇陛下、否、ここでは「統帥権の源泉である大元帥陛下」が、
「河本大作を処罰せよ」
「板垣・石原を処罰せよ」
と命令するしか無かったのではないか?
ちなみに、明治天皇は大日本帝国憲法制定前も、以後も、結構政治や軍政に口出しをしまくっていた。
無論それには、統治権を補佐する元老として、
伊藤博文、松方正義、井上馨などが存在していた事が大きいし、
一方、統帥権を補佐する元老としては、西郷従道や山縣有朋、桂太郎などの軍人上がりの元老が存在した事が大きいかも知れない。
(伊藤や松方、井上馨自身、幕末の頃は武士であり、白刃の下をくぐり抜けてきた軍人的素養を持った連中であった)
しかし、いざ統治権と統帥権とが対立した時は、
伊藤博文と山縣有朋との「俺・お前会談」で、大抵が蹴りがついたし、
それでも両者相譲らなかった場合、明治天皇が己の意思を表明して決断した事が一度ならず何度も存在した。
例えば、明治天皇は晩年に至っても立憲君主とは程遠く、
一例として挙げれば朝鮮合併に反対で、
『朝鮮合併の御詔勅』に御名御璽を捺印する事を拒絶しようとした事さえ在った。
御名御璽の存在しない「御詔勅」など有り得ないから、
このまま軍部が朝鮮合併を強行すれば、それは「不忠の臣」、「逆賊」という事になってしまう。
明治天皇が朝鮮合併に難色を示した理由は、
それが【日本の国益】と全く関係が無かったからである。
まず当時の国際情勢を振り返れば、
世界一の植民地大国のイギリスとは「同盟国」、
ロシアについては、日露戦争で叩き潰した結果、以降30年ほどは、ロシアは極東方面の戦力を回復出来なかった。
ロシア=ソ連が軍事力を復活させて、再び日本の脅威として立ちはだかったのは、
実に第一次五カ年計画を成功させて、第二次五カ年計画を開始した1935~1936年頃になってからである。
(そういう意味でも、この年から軍事費を削減し始めた高橋是清大蔵大臣は無能、見る目が無かったとしか言いようがない)
今さら、故人を叩いてもせんない事だ。
しかし、組織は別だ。同じ体質の公務員組織は健在だ。
当時、官界、財界、報道機関のベテラン、老人たちがパージされているが、それらの組織全体から申せば、蜥蜴の尻尾切りに過ぎない。
組織論的に責任を追及するべきであろう。
これら不逞の役員(国家公務員上級職)たちは株主=國民に對し、゛損失゛を計上した詳細な理由を説明する義務がある。
だが、私には右の「」内の部分は見事に欠落してゐるやうに思はれる。
戦後は特にさうだ。
『昭和動乱の原因はいくつか挙げられるが、一つには西園寺元老の教えた統治学が、イギリス流立憲君主を念頭に置いたものであったことが原因である。
”君臨すれども統治せず”は、理念としては立派であるが、イギリスと違って民主主義の歴史が浅い日本では、イギリス流立憲君主制度は適さなかったのではないか。
第二に、西園寺元老は軍部出身の元老ではないことであり、その統治権に対する教えはともかく、統帥権に対する教えについては現実に即していなかったことである。
(河本大作や板垣征四郎、石原莞爾のような問題児が現れた時)”君臨すれども統治せず”のやり方では、到底厳しい処分を望むことは難しいのであって、
実際、彼らに厳しい処分が与えられることは無く、国のためと称せば何でも許される状態になり果ててしまった。
統帥権を握っているのは、大日本帝国憲法下では、ただ一人、天皇陛下のみであったにも関わらず、その天皇陛下が統帥権を発動する事無く、”君臨すれども統治せず”の姿勢に凝り固まっていたことは、
まるで強盗や火付け強盗に、警察や消防の仕事を任せるに等しい行為であり、厳しい処分など出来得るはずもなかったのである。
第三に、天皇機関説論争から始まる天皇の神格化の問題である。
それ以前は比較的自由に陛下は御自身の意見を周囲に漏らされたりされていたようではあるが、
天皇機関説問題とその後の国体明徴運動の結果、天皇は憲法上も実際上も祭り上げられて発言権を無くしてしまった。
統治権と統帥権の源泉である天皇陛下を黙らせることが出来れば、日本を好き勝手な方向に動かしたい野心家にとっては都合の良い解釈で日本を動かすことができ、
天皇は神格化されたとは言いながら、実際政治に何らの影響力も持たない存在となってしまったのである。
これは憲法の死文化の問題である』
云々と。
ちょっと順番は違うかも知れないが、大体このような事を重光葵は述べている。
「敗戦に導いた責任」という意味では、
どうしても昭和天皇と西園寺公望は除けないのではないだろうか?
【ロシアの脅威】もしくは【諸外国の脅威】などとは書いていない。
http://www.geocities.jp/kunitama2664/heigou_syoutyoku.html
>(朝鮮の)公共の安寧を維持し、(朝鮮)民衆の福利を増進
させるために併合したとハッキリと理由が書いてある。
要するに、
「朝鮮人は旧態依然たる劣等民族であり、自力で近代化できる能力がないから、優秀民族である日本人が代わって近代化してやろう」
というお節介な話なのである。
明治天皇が、こんな理由で朝鮮併合されてはたまったものじゃないとばかりに、
御名御璽の捺印を拒絶しようとしたのも当然であろう。
天皇陛下は、まず何をさておいても【日本人の天皇】【日本民族の天皇】でなければならない。
異民族に押しつけるべき代物ではないのだ。
また、なにゆえ、「劣等民族」朝鮮人に成り代わって、「優秀民族」日本人が朝鮮の近代化を「代行」してやらねばならないのか?
しかも「日本人の税金」で。
日本人の税金で朝鮮を近代化させる事に、一体どのような「国益」が存在すると言うのか?
明治天皇ならずとも、冷静に考えれば誰しも疑問に思う事であろう。
例えば、政治家にして歴史学者、日本史国定教科書が策定されるまで教科書代わりに使用されていた『日本二千五百年史』を著した竹越與三郎は、
「朝鮮よりもドレッドノオト艦を要す。」というタイトルで1909年10月に論文を執筆している。
『朝鮮を併合しやうと云う空名のために四、五億の金を、朝鮮に注ぐと云うことは決して国家に忠なる政治家のするべきことではない。もしこの余裕があるならば余は十艘十五艘の大軍艦を造りたいと思ふ。
『当局の政治家もし真に日本帝国の安危存亡をもってその念慮とするならばよろしく朝鮮併合するの愚案を捨てて、我が国家の安全を守る大艦を造ることに力を注がねばならぬ。』
竹越の見通しにもし間違いが有ったとすれば、
朝鮮統治には『4~5億の金』で済まなかったということ、
35年間、毎年大赤字であったということ、
大艦を作るよりも、陸軍の大幅な強化と近代化こそが必要であったと主張すべきであったこと、
この三つくらいであったろう。
少なくとも、艦隊は維持費が馬鹿にならないが陸軍はそうではないし、
いくら便衣兵のような卑怯な戦法を多用する軍隊相手であったからって、支那兵如きに苦戦する陸軍では困る。
ちなみに、戦艦大和の建造費は約137,802,000円(1億3780万2千円)だったと言う。
日本の35年間の統治で朝鮮半島に投下された資金は、約15億~20億だったと言うから、大和級戦艦が15隻建造できた計算となる。
もしも大和型戦艦が15隻も有ったなら、日本は日米戦争に「圧勝した」とは言わないが、戦艦大和を温存して、空母の500キロ後方に逃げているような醜態は見せなかったのではないか?
他でやってくれ。
どこがスレ違いよ?
大東亜戦争に勝つには「朝鮮併合は必要なかった」と言うのも充分スレに関係する話だろ?
朝鮮併合35年間に支払った分を、日本の近代化、日本陸軍の近代化に充てておけば、
日米戦争でもうちょっとはやりようは有ったのではなかったか?
それを指摘しているのだが。
「ボルネオで飛行訓練していれば良かった」と言うのは許されて、
「朝鮮併合の代わりに大和型戦艦を15隻作っておけば良かった」と言うのは許せないとか意味不明な事を言い出して顰蹙買ったんじゃなかったっけ?
結局、ペリーの黒船来航の辺りから洗い直さなければならない。
そもそも【明治維新は必要だったのか】という問いも成り立つ。
江戸幕府とて、他の諸藩とて、ボーッとして惚けていたわけではなく、近代化への道を模索していた。
蘭学や京都中央情勢に遅れていたと言われがちな奥州諸藩ですらも、
実は蘭学研究は盛んであった。
ならば、戊辰戦争は必要だったのかという疑問が当然出てくる。
戊辰戦争で、少なからざる優秀な人材が殺されている。
彼らを活かして活用していれば、日本の近代化にどれだけ貢献したか計り知れない。
このように、明治維新と戊辰戦争は必要だったのかという事も、大東亜戦争を洗い直すには必要だと思うのだが。
牽強付会
[名](スル)道理に合わないことを、自分に都合のよいように無理にこじつけること。
本能寺の変の無いIFの世界、織田政権で国姓爺合戦の時代に大陸に容喙しておれば、とか。
面白い思考実験である事は認める。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-124-270×220.png
これは、どう逆立ちしても否定しようのないことだよね?
これは”昭和天皇一個人の好き嫌い”には関係がない
昭和天皇一個人が好きであれ嫌いであれ、
昭和天皇に敗戦責任が有るのは事実で否定できないでしょ
・ボルネオに生産拠点を移して現地生産
どちらもIFだと思いますが、どう違うの?
コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
大東亜スレでコリア問題をカキコしても意味ない。
↑
>>126にね。
追加。ボルネオは大東亜戦争の占領目標の一つだった。
>コリアは日支、日米の外交問題の案件でない。
冗談言ってもらっちゃ困る。
満州事変の原因の一つに、「万宝山事件」が関係してないわけないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(あくまでも「原因の一つ」だからな?)
日本が朝鮮を併合して、朝鮮人を「日本人」としていなければ、
そもそも万宝山事件など起こっていない
もしも朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件が起こったとしても、日本は何の関わりも持たなくていい
結果的に、「万宝山事件」もまた、満州事変勃発の一つの原因を占めている
そして、満州事変によって日本は満州国を建国した
塘沽停戦協定によって、中国は非公式ながらも満州国を黙認した
蒋介石は、万里の長城の北側の満州なんぞより、
共産党征伐や、同じ国民党同士の粛清、内乱の方が大事だったのだ
しかし、塘沽停戦協定の精神はたった3年で踏みにじられる
満・支国境地帯では、塘沽停戦協定締結後もいつまで待っても反日・反満運動が止まらないし、勝手に満州国に侵入したりするので、
冀東防共自治政府を作って、満州と支那の間に緩衝地帯を作ったりも試みている
これは関東軍の侵略と言うより、塘沽停戦協定や、
梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定を守らなかった支那側に原因があろう
そして色々在った末に支那事変、そして日米戦争となる
万宝山事件だけが満州事変の原因ではないが、
確実に原因の一端を占めていることだけは確かである
朝鮮併合も、長い目で見れば、支那事変や日米戦争に繋がっているのだ
>あくまでも原因の一つ
と自分で申しているのだから、私から付け加える必要は無いね。
歴史というのは、何が幸いするか災いするか解らないので、
”朝鮮を併合しなかったら”というifは十分成り立つし、現実的に有り得たと思う。
少なくとも万宝山事件は避け得たのだし、それが幸いして満州事変自体が起きなかったかも知れない。
何せ、朝鮮にかけていた分のお金を、全額日本のために使用できるのであるから、
東北地方の農村も、根本的に救われたかどうかは解らないが多少は救われていたであろう。
とすれば、3月事件や10月事件、515事件、226事件も起こったかどうか怪しくなる。
これらの事件は、『貧しい農民を救う』という大義を掲げていたはずだからだ。
なるほど。
一理ありますな。
大いに、その線で考察を深められ、ご指摘頂きたい。
勉強になります。
ただ、目下、私が(個人的ですが)追及しているのは満州事変前後以降のIF分岐。
すなわち、1931年より後ですな。
しかし、それは私の分析方針であって、貴君は貴君の歴史観に忠実で宜しいでしょう。
(当スレに於いても)どんどん、主張して下さい。
人それぞれ、立場がある。それでいいのでは?
それぞれの人間の精神の問題だから。
理解できてないっぽいのでもう一度聞くよ?
大日本帝国憲法の下で、
「統治権」を代表する、または統治権の「源泉」であった「天皇陛下」と、
「統帥権」を代表する、または統帥権の「源泉」であった「大元帥陛下」とは、
たとえ「同一人物」であっても、責任問題は「別」でしょ?
『敗戦に導いた責任』は、
「君臨すれども統治せず」の統治者である「天皇陛下」には無くても、
軍部を唯一取り締まる事が出来た存在であった「大元帥陛下」には有ったでしょ?
というか、大元帥陛下が軍部を取り締まろうとしなければ、
当時の日本で誰が軍部を取り締まって、ちゃんとした重罰を与えられたと言うのよ?
陸軍出身の田中義一でさえ、出身母体の陸軍と、及び政友会の猛反対に遭って、
河本大作高級参謀の処分を見送らざるを得なかったわけじゃん
陸軍出身首相ですら陸軍に厳しい処分を与えられない状況下、
大元帥陛下としての昭和天皇にしか、河本大作や板垣征四郎、石原莞爾を厳罰に処することは不可能だったんだよ
1936年を境に「陸相は現役武官制」に戻った。山本権兵衛内閣以降、形式的にもせよ現役に復帰すれば、予備役でも陸相に就任可能となっていたが、元の現役武官制に復帰した訳だ。
これは事実上、陸軍の総意が無ければ、何人も陸相を任命出来ない、と言う事だ。その根拠が明治憲法の「天皇ハ陸海軍を統帥ス」の文言にある。
満州某重大事件の河本大作も、
満州事変の板垣征四郎や石原莞爾も、
軍部大臣現役武官制度復活の【前】の出来事ですが。
天皇が罰しようと思い、強力に命令すれば出来ないことはなかったはずですが。
それに現役武官制が有ったとしても、
米内光政が、首相になるために一旦予備役になり、
小磯内閣の時に現役復帰して海軍大臣になったような手法も取れたと思いますけどね。
>>135
その場合、天皇が、否、大元帥陛下が一喝して、陸軍大臣の統制に服するよう勅命を発する事も出来たはずですが。
大元帥陛下の権力を舐めてるんですか?
軍人勅諭にも書いてありますが、大元帥陛下は、直接軍に命令を下したって良いんですよ?
実際、226事件の時には、
『朕の馬を引け!近衛兵を率いて賊徒を討伐せん!』
と命令した事は有名ですよね?
その手法を多用しまくっていたのが桂太郎で、
『玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代え』
と、尾崎行雄が批判していましたよね?
ああいう批判は有りましたが、別にあれ以降、天皇の軍への命令が禁止になったわけではありません。
実際、田中義一内閣総辞職の際、西園寺公望は昭和天皇に対して、
『内閣総理大臣を、天皇陛下が直接叱責するのは良くない』
とは言いましたが、統帥権に関する軍部に関しては触れていなかったはずです。
え?
河本?
現在でも異説が提唱される事で、確たる証拠も無しに治罰出来ますか?
全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
少なくとも、当時はソ連の文献が公表されていなかったので、
田中義一総理も昭和天皇も西園寺公望も、
『関東軍の河本大作の仕業に間違いない』
と例外なしに断定していたのですが。
貴方、時代の前後、後先って解ってますか?
ソ連陰謀説が出てきたのは、ソ連が崩壊して機密資料が出てきてからですよ?
それに、河本大作自身、口が軽い、その上自慢話大好き男だったようで、
『張作霖は俺が殺ったんだ』
と酒の席などの自慢話で語っていたという情報も有りますが。
いずれにせよ、当時の人間が知るはずの無い知識をひけらかすのは勘弁ですね。
田中首相はともかく、陛下が断定していたとか、あり得ないわ。
しかし、陛下は実質、田中義一に切腹させた。
後悔されたと思う。西園寺公の諫言だけでなく、御自身、衝撃を受けられたのだ。
「有り得ない」と考えるのは、貴方の勝手な妄想。
昭和天皇は、侍従長や侍従武官、宮内大臣を使って、既に満州某重大事件の詳しい経緯も、
関東軍の河本大作が犯人らしい事も知っていた。
だから
「どうも残念ながら関東軍の者らしいです。厳しい処分を与えます」
そう言っていた田中義一首相を叱責して、結果的に内閣総辞職に追いやったのだ。
『厳しく処分します』と言っていた割には、
田中義一は陸軍や政友会の大反対に遭って河本大作を処罰できず、
単なる書類上の裁断で済ませようとしたからだ。
事情を詳しく聞いていた、報告を受けていた、と言う事と、どう判断されておられたかは別問題。
>>145で私は田中首相に実質的詰め腹を切らせた、とカキコしているが、限り無く黒に近い黒、とお考えだったのだろう。
しかし、毫一筋の留保の余地を残されておられたはずだ。
昭和天皇がソ連の陰謀説を疑っていたのであれば、その文献的証拠が必要になりますが?
実際には、田中義一を叱責して内閣総辞職に追いやったように、
一切疑う事無く、出身母体の陸軍も統制できない陸軍出身総理に腹を立てて叱責したというのが実状でしょう。
>>152
満州事変の評価ですが、確かに当時の世界情勢、そして日本の国内情勢から言って、
また、ポーツマス条約を無視した支那の、度を越えた抗日、反日、侮日運動の酷さから言って、
弁護の余地はいくらでも有ります。
し か し な が ら
昭和天皇も、当時の若槻内閣総理大臣も、幣原外務大臣も、南次郎陸軍大臣も、
【不拡大方針】であり、「満鉄付属地にすぐ帰るように」と命令している。
世界に向かっても、日本は満州に領土的野心は無いし、関東軍は満鉄付属地に引き上げつつあると発表している。
(その後に石原莞爾の錦州爆撃が起こるわけだが)
大元帥である天皇陛下の大御心も、
内閣の方針も、
陸軍中央の命令も無視して【独走した】のは否定できないでしょう?
しかも、この成功の結果、
『国を想うという純真な心さえ有れば何をやっても構わない』
と軍人たちに勘違いさせ、515事件や226事件の原因となり、
支那事変やノモンハン事件での「暴走」の前例となったのも事実でしょう?
支那事変に反対の陸軍作戦部長の石原莞爾が、
支那事変に大賛成の武藤章作戦課長を厳しく叱りつけた時、
『石原さん、貴方は何を怒ってるのですか?我々は満州事変での貴方のやり方を見習っただけですよ?』
とふてぶてしく言い放ち、天才、石原莞爾ですら一言も反論出来なかったという逸話も有りますね。
『現代でも異説が出てくる』んじゃないんですよ。
『ソ連の崩壊した現代 だ か ら こ そ 異説が出てくる』と正しく理解しなさい。
>全てを陛下の責任に押し付けるとか、匹夫やモブ大衆の中でも相当恥じ知らずの言う事ですよ。
誰も『全てが天皇の責任だ』などとは言っていませんが?
軍部を統率する「大元帥陛下」として、ちょっと「怠慢」が過ぎたんじゃないですかと指摘しているのですが。
貴方はこちらの質問に一切答えていませんが、
「大元帥陛下」たる天皇陛下を抜きにして、
誰が「軍部」を抑えられたと言うのですか?
さっさと↑この↑重要重大な質問に答えてください。
陸軍出身の田中義一ですら抑えられなかったし、
国会議員の斎藤隆夫が「反軍演説」を行ったら、逆に国会議員を除名されたという時代です。
満州事変やノモンハン事件は、陸軍大臣や参謀総長、
つまり陸軍中央が大反対、不拡大方針を掲げていたというのに、
石原莞爾や辻政信はお構いなしに決行したではありませんか。
もう一度訊ねます。
【”大元帥陛下”たる昭和天皇以外に、一体誰ならば軍部の独走、暴走を抑えられたのですか?】
河本大佐を軍法会議にかけられなかった、真の理由が其処にあったと私は思うね。
ソ連と共謀だったのか、真相は闇の中だが、表に出せない何かがあったのだろう。
単純に「陸軍のメンツ」の問題でしょう。
河本大作の独走も止められなかった無能な組織と思われたくないので、軍法会議に反対した……
立憲政友会は、民政党の若槻内閣を倒すためだったら何でも利用するというとんでもない政党だったので、
統帥権干犯問題で軍部におもねったように、
この時も関東軍と陸軍におもねった……
そういう、日本人特有の反省すべき点が多々凝縮されているのが「張作霖爆殺事件」と、その後の河本大作の扱いでしょうね。
戦前の戦争を反省すると言うならば、戦後の日本人の態度にも通じるこの河本大作の扱いは、
なかなか示唆に富んだ話だと思いますが。
仮に、就任したとしても、組織的サボタージュとイジメで何も仕事が出来ないだろう。
心情的には荒しであると感じざるを得ないし、不愉快だが、公開掲示板だ。好きにせいや。
nOAさんが荒らしとか
このスレのpvの伸びはnOAさんのレスのおかげと思いますが。
昨日は「荒し」云々と言論封殺的に高圧的カキコをして申し訳ありません。
どうか、各位、存分に自説を主張なすって下さい。
>>131
いい事言ってくれましたね。
この動画の作者さんも述べているが、
日米戦争は1941年の時点ではもう「不可避」。
絶対に避けようが無かった状態であったと述べています。
この人の説では、日本の大失敗は次の四点に絞られます。
①「国民政府を相手とせず」声明(1938/1/15)
②日独伊三国同盟への参加(1940/9/27)
③南部仏印進駐(南進)決定(1941/6/25)
④真珠湾攻撃(1941/12/8)
特に④。
これさえ無ければ、①②③の失敗があっても挽回出来たのではないかというのが、
東方昭和伝作者の説ですね。
私は必ずしも同意していませんが。
1924年の排日移民法、1930年の関税法、1932年のオタワ会議、
この三つによって、日本が移民も輸出も出来なくて困り果てた結果が大陸進出だったのでしょうから。
1941の8月の時点では、(日米開戦は)不可避だと思いますね。
昭和の戦争の原因を【軍部の暴走】だけで説明するのは短絡的に過ぎるのは重々理解していますが、
実際に『軍部の暴走』と言えなくもない事件が、日本で多々起こっていた事は確かです。
大元帥陛下以外の、一体【誰】なら軍部の暴走を抑止出来たと言うのですか?
東方というゲームに興味が無くとも、
少なくとも歴史を語るなら、このシリーズだけは見ていただきたい。
昭和天皇は間違いなく張作霖爆殺事件について知っていたし、
関東軍の河本大作の仕業である事も知っていた。
その上で田中義一首相に「厳しく処分せよ」と仰せになってもいる。
(前述の田中義一総理の「厳しく処分します」という言葉に答えたもの)
以下のどれかが当てはまるだけで矛盾しないのですが。
1、河本大作はソ連のスパイだった可能性
(実際、河本の謀略に協力していた中国人や河本のよく止まっていた旅館の中国人は、ソ連との二重スパイを疑われている)
2、爆破事件は関東軍とソ連諜報機関によるものの二回有り、
(実際、爆破事件は二回起こっている)
直接張作霖を死に追いやったのはソ連側の方の爆破であるが、
河本大作は「失敗した無能な男」と思われたくなかったので『俺様が成功させた』と吹聴して歩いていた可能性
3、ソ連にとっても関東軍にとっても張作霖は邪魔だったので、お互いに手を組んだ可能性
暴走であっても、事後承諾の範疇の作戦である。
このスレの主旨から申せば、問題は以後の国際情勢、及び、対支政策の漂流にある。
満州事変、昭和6年(1931)の背景には、予算のパイを巡る軋轢があったと思う。アメリカにとって、1920年代(の少なくも前中盤迄)は経済の黄金時代だったのかも知れないが、我が国の20年代は不幸続きだった。
結果(挫折)に至った分岐点の考察である。
確かに、満州事変をこの考察から外す事は出来ない。
だが、支那事変の勃発1937とは6年の開きがある。
1936年12月の西安事件の半年後が盧溝橋事件である事実は、外国勢力の策動を示している。
同事件は分岐点の一つだと思う。
遅かれ早かれ、ドイツはソ連に目を転じるべきだったのは確かでは有ります。
何せ、ドイツに不足している資源の宝庫だったのですから。
むしろ、独ソ戦にこそ、ドイツ軍は真剣に作戦を検討した上で、長期戦になっても勝てる万全の体勢で臨んでほしかったものです。
独ソ戦に勝利すれば、インドを西からドイツが襲えますし、
1943年まで頑張っていた北アフリカ軍を、カフカス方面からイギリス軍の後方を突いて支援出来た事も確かです。
ついでに、大日本帝国海軍は、全力でインド洋の制海権を奪取する事に傾注し、
インド洋を行き交う連合軍船舶は、片っ端から沈めてくれていれば、
アメリカからのレンドリースを受け取れなくなったソ連軍は確実に敗北したでしょう。
独ソ戦に日本が参戦しなくとも、帝国海軍の9割をインド洋方面にぶち当てて、インド洋の制海権を維持しておくだけで良かったのです。
ロンメル将軍が苦戦したイギリスのシャーマン戦車だって、インド洋経由で輸送された物ですから、日本海軍がボッコボッコ、インド洋でイギリス海軍を沈めていれば、
到着するはずのなかった代物だったのですね。
日本もそうですがドイツも元々手持ちが少ないのにあちこち分散してそれぞれが個別に
戦争してたとこに問題があったと思います。
バトルオブブリテンも途中の焦りもあって中途半端な戦略変更などで結果なし得ずでしたからね。
この時にマレーとインドに戦火があったらイギリスもだいぶ事情が違ったと思います
ロンドン占領でなくても枢軸側優勢での対英講話でも戦略的勝利とおもいます。
元々ドイツはポーランド戦で「欧州大戦になる」なんて考えていませんでしたからねぇ。
ポーランド戦で英仏が宣戦布告してきたのは、ヒトラーにとっては大誤算で、ムッソリーニのイタリアが調停に乗り出すと、即座にその提案に同意しています。
ムッソリーニは第二のミュンヘン会議を開催を提案して、ドイツ、ポーランドの当事国はもちろん、フランスの同意まで取り付けたのですが、
肝心のイギリスが拒否ったので、外交による解決が実る事は有りませんでした。
こうして考えると、1939年の時点で、戦争したくてしたくてたまらなかったのはイギリスであって、ドイツではありません。
ドイツはいつでも退く用意が有ったのですから。
ポーランド戦自体、ポーランドが後先考えない無能を外務大臣に据えていたり、
徹底的にドイツを挑発したり、色々やらかしてましたからねぇ。
「欧州戦線は大東亜戦争とは無関係」って言われそうな流れね。
第二次”世界”大戦と言うように
それに、ただでさえ国力が乏しい国同士の連合である枢軸国は、
お互いに力を合わせて団結して戦わない限り、
圧倒的な物量を誇る米英ソには勝てない
日独の緻密な連携が取れてれば良かったんだが、
当時も今も、ドイツなんかと手を結んだのは日本の恥と考えるアホ日本人が居たからなぁ……
山本五十六とか米内光政、井上成美、そして昭和天皇も含めて……
米英が日本を拒否っている上に、
どんなに国際条約や国際法を律儀に遵守しようと、
日本人差別が止まらない米英の世界秩序に於いては、日本の生きる道など無かった
ヴェルサイユ条約に不満を抱えているドイツと組むしか無かったのが実状だ
ならば組むなら早ければ早いほど良かったし、
作戦の打ち合わせなども早い内に行っておくべきだった
結局、それすら出来なかったんだもんなぁ
全く同意
日独vs英
日独vs露
対米は介入させないかもしくは日露戦争式勝利ではなく、ベトナム戦争式勝利に持ち込むしかないかと思います。
革命中とはいえシベリア出兵時にはバイカル湖の東まで進んだ日本と第二次大戦時スターリングラードまで進んだドイツ。(カツカツだったけど)
これがもし東西同時であればロシアとて余裕なかったはず。
日独防共協定それ自体は間違ってなかったが、その後の連携がとれてなかったのが惜しかった。
独ソ戦に日本が直接介入する必要は無かったと思いますが?
それに瀬島龍三だったか、服部卓四郎だったか忘れましたが、
独ソ戦のドサクサに乗じて東から陸軍が攻撃を開始しても、
「バイカル湖到達は不可能」
と言っていたはずです
意外とそんなに独ソ戦の勃発によって、極東ソ連軍は減らなかったと
ならば、陸軍は全力を挙げて蒋介石政権と毛沢東政権を叩き潰す事を目指しておけば良かったと思うのですが
敗北間近の「大陸打通作戦」ですら、中国相手には連戦連勝の破竹の勢いで、
千キロも進んでしまった部隊も有ったくらいですから
関特演に動員した全ての部隊を延安と重慶にぶつけていたら、
蒋介石政権も毛沢東政権も呆気なく倒れたでしょう
さらに加えて、
先に述べた通り、海軍はインド洋の制海権維持を頑張っておけば、
援蒋ルートも遮断できますし、
北アフリカ戦線でロンメルの仇役を務めたモントゴメリーの補給路を奪う事だって可能だったはずです
さらに、アメリカによる、ソ連へのレンドリースも途絶えますから、
陸軍が直接バイカル湖に攻め込むよりも、よっぽど楽勝で、
しかもドイツ軍の勝利に貢献が出来る……
ドイツに対しては、
・歴史的日本の固有領土であった北樺太、カムチャッカの割譲
・ウラジオストクやハバロフスクなどを含む、外満州の満州国への割譲
・外蒙古は日本の属国である内蒙古自治政権と合併させること
この3点だけに絞っておけば、ドイツ軍も嫌とは言えないでしょう
インド洋を帝国海軍が完全封鎖してくれる代償としては安い物です
ミッドウェイで二段索敵で米空母を早期発見出来ていたら?
ガ島飛行場砲撃に霧島、比叡、大和で参加していたら?
など全てこちら有利に作用したとしても、ここで対米講和が結べなければ、昭和18年以降エセックス級空母と搭載機で米機動部隊が再編されて以降はもう覆しようがないでしょう。残念だが。
ロマンはあるけどもう架空戦記の中だけですね。
ミッドウェーでは、敵空母の所在を早くから把握していたんじゃないの?
空母の後方500キロ彼方の戦艦大和ですら、その情報を掴み、
「前線の南雲中将に回しましょうか?」
と訊ねられた際、
「いや、その必要は無かろう」
などと言って悠々と将棋を指していたのが、山本五十六
「空母の後方500キロ彼方の戦艦大和に情報が入るくらいなら、前線ではとっくに把握してると思ってた」
「無線封止を破って、敵にこちらの所在地を教えるのが嫌だった」
こういう意味不明な陳述を、山本五十六に成り代わって黒島亀人参謀が述べているが、
空母の後方500キロ彼方の戦艦の位置が割れたとて、敵に何が出来たと言うのか理解に苦しむ
当時のアメリカ軍のヨタヨタした爆撃機の遅さじゃ、
仮に爆撃しに来たとしても、戦艦や巡洋艦の対空砲の単なる的でしかなかったろう
そもそも500キロ彼方の戦艦大和に攻撃を仕掛けている間に、
自慢の南雲機動艦隊が、所在地を教えられたアメリカの空母を叩き潰していたはずなのだが
少なくとも南雲機動部隊では米空母の所在は把握していませんでした。
発見が遅れたのでもし米空母を発見した時用に艦船攻撃用の兵装で待機させていた二航戦の空母二隻の搭載機をミッドウェイ島攻撃用の陸用兵装に積み替えたところで米空母発見。同時にミッドウェイ島への第一次攻撃隊の収容。米陸上機の攻撃などなど。
そのまま陸用兵装でもイイから攻撃すればよかったのにここで艦船攻撃用にまた戻すという時間の浪費。
攻撃隊発艦準備整ったとこで米空母からの攻撃という
ガバガバ戦闘でした。
もし仮に島を占領して積んで行った6空のゼロ戦が展開したとしても、その後は維持しきれなかったでしょう。
そもそも昭和18年=1943年と言えば、
「カサブランカ会談」の年でも有りますね
(1943年1月)
ルーズベルトは強硬に「無条件降伏」を主張、
何とかして条件闘争の範囲に収めたかった日本もドイツも絶望に追いやり、
俄然抵抗を強めるに至った悪魔の国際条約です
のちに、欧州戦線を指揮していたアイゼンハワーが、
『カサブランカ会談の内容が発表されると、ヒトラーもドイツ軍首脳も怒り、憤激し、そして絶望した。
その後、彼らの抵抗は俄然強くなり、連合軍に多大な戦死者を出す羽目に陥った。
ルーズベルトがもっと寛大な和平案を提案する用意が有るとでも発表しておけば、
例えば第一次大戦の時のウィルソン案のような提案を行っておけば、ドイツ軍の抵抗は弱まり、もしかしたらヒトラー打倒のクーデターが起こっていたかも知れない』
とか言って批判してましたし、
日本は日本で、駐日大使を8年か9年勤めたグルーがカサブランカ会談を批判
『天皇の身の安全、地位の保証さえ認めれば、日本軍は今やハルノートの線までをも譲る用意が有ったであろう』
と述べていた
恐らく満州や朝鮮半島をも手放すことに同意していただろうとも
オーストリアの皇太子の暗殺が原因で日本が青島のドイツ軍を爆撃とか、もはや戦争目的不明だし。
同盟があるのに枢軸国が個別の戦争で消耗して各個に破れるのはやり方間違ってる。
対ソ戦、対英戦がなければ対中全力で良いとおもいます。
日ソ間には日ソ中立条約が有ったじゃないですか?
あれを平然と簡単に破っていたら、今時、ロシアやソ連の如く、
『日本は信用のならない国だ』
とさぞかし非難された事でしょう
元々、三国軍事同盟をドイツと結んだ時点で、
ドイツは日ソ間の調停をすら申し出ていたのです
日ソ間の同盟をけしかけたのは他ならぬドイツなのですから、
日本が、勝手に始められた独ソ戦に参戦する義務も謂われも有りません
しかしながら、アメリカやイギリスによる、ソ連支援のレンドリースをインド洋で食い止めるだけでも、
ドイツ軍の勝利に大きく貢献できますし、
ソ連に直接喧嘩を売っているわけではないので、何とでも言い逃れが出来るでしょう?
『我々はただ援蒋ルートを封鎖するためだけに、インド洋に艦隊を展開しているだけである』
『米英からの支援を望むのならば、北海ーームルマンスク経由でお願いしたい』
などとソ連の抗議にも応答出来ます
当然、北海とかノルウェー近海と言えば、ドイツ軍Uボートの餌食ですから、
無理を承知の言い逃れなのですが
『直接的にソ連に対する敵対行動に出ているのではなく、
あくまでも援蒋ルート封鎖が目的である』
と大義名分を掲げていれば、ソ連も文句の付けようが無いという訳です
英領マレー、ミャンマーに対しても1941年12月まで引っ張らずに前倒しでドイツと足並み揃えて同時にという考えですが、流石に対ソ、対英、対中を同時には日本の国力からして無理なので、そこは枢軸国内でまとめてから、という考えですが。
ドイツは東欧の資源が欲しいし、日本は東南アジアの油田が欲しいし、調整は難しそうですが。
ノモンハン事件で「大敗した」と日本政府当局や軍部が思いこんでしまったのが、
ドイツと手を組んで対ソ戦という戦略にストップをかけた要因でしょうね
あれでソ連軍を過大に評価、見積もるようになってしまった、と
元大本営参謀の言葉として瀬島龍三の、
『独ソ戦の隙に乗じても、日本軍はバイカル湖に到達できない』
という言葉を出しましたが、
瀬島は大本営参謀の時代から「ソ連のスパイ」という説も残る男なので、
その彼の証言は話半分に聞いておいた方が良いかも知れません
やらなきゃやられるとなればこうするしかないか?
という苦肉の索で書いてるのをご承知下さい。
個人的には、あの戦争は「運命だった」「避けようの無い戦争だった」と思っています
誰かが、白人至上主義の暴挙に対して立ち上がらねばならなかったのです
最近封切られた映画の『バンクーバーの朝日』『42~世界を変えた男~』、
どちらも野球映画ですが、如何に有色人種差別が酷かったか、これでもかとえぐり出してくれます
『42』の話の舞台は1947年、つまり戦後から始まるのですが、
それでも、アメリカでの有色人種差別がどれだけ酷かったかが解ります
日本が望まなくとも、近代化を達成した以上は、日本が有色人種代表として立ち上がるの他に無かったと考えます
言うなれば、幕末のペリーの来航以来、日本は日米百年戦争を戦っていたと捉えるべきではないでしょうか?
同意
仮に黒船にのってペリーが来なかったとしても、帝国主義の渦に日本は巻き込まれていたでしょう。
もしその出発が明治維新よりはるかのちであったなら日露戦争後の清のように欧米の食い物にされていたでしょうね。
アジア太平洋をめぐる日米100年戦争、最初の頃このスレで話した内容に戻ってしまいましたね。
加えて、白人たちには、被害妄想としか言いようの無い「黄禍論」が有りましたからね……
世界中に災いをもたらしているのは、欧米諸国の植民地化、帝国主義に在ったにも関わらず、
己の全責任を棚上げして、黄色人種差別に走った挙げ句、
日露戦争勝利後の日本に焦点を当てて勝手に脅えた挙げ句の果てに、
日本を追い詰めて戦争ですよ
本当に白人たち、または白人諸国たちの身勝手さには腹が立ちます
>>179
日本の情報戦略の弱さは、戦前も戦後も何も変わっていないという事ですね
張作霖爆殺事件でここのスレ主と議論になりましたが、
張作霖爆殺事件の真犯人はソ連の工作員だったかも知れないという情報を日本は掴めませんでした
昭和天皇、田中義一、西園寺公望などなど、
例外なしに、
『関東軍の河本大作高級参謀が犯人だ』
と信じて疑ってすらいなかった状態です
その頃から十年経っても、なお日本の情報戦略の乏しさは悲しいほどに惨めな水準だったわけですね
ちなみに、日本陸軍は、「西安事件」についても内情をよく掴めなかったとか
日本軍が蒋介石との講和に未練を残しまくっていたのも、
西安事件前の反共の蒋介石のイメージが強くて、
まさか中国共産党に逆らえない傀儡政権化していた事実を遂に掴めなかったからだとも言います
「支那通」と呼ばれる軍人や学者は、戦前から何人も何十人も、何百人も存在したのですが、
揃いも揃ってボンクラ揃いであったと言えます
もし、西安事件の詳細が日本に伝わっていたなら、蒋介石は絶対に日本と手を組む状況に無い事は悟ったはずで、
あんなに未練タラタラに和平提案を繰り返さず、
本腰を入れて、徹底的に蒋介石政権を叩き潰す手段を選んだはずです
こんな情報戦略であっても『外務省や海軍よりはマシ』と言えてしまうのが、日本の悲しい所です
外務省も海軍も、情報戦略という概念そのものが欠如しているのかと疑いたくなるほど杜撰でしたから
山本五十六が待ち伏せされて殺された時点で、
『暗号が読解されているのではないか?』
と海軍は疑っても良さそうなものでした
実際、陸軍は大本営政府連絡会議だったか、軍務局長間の会議にて、海軍にそういう忠告をしています
海軍側が、
『余計なお世話だ、海軍の暗号は完璧である』
とはねつけたのですが、実際には陸軍の指摘通りに、海軍暗号文は読解されていた、と
海軍甲事件(山本五十六の死亡事件)も失態なら、
海軍乙事件も失態としか言いようが無く、
福留繁は処罰した上で、海軍は暗号と作戦案を切り替える必要性が有ったはずなのですが、
構わず続行させてレイテ沖海戦の大敗に繋がったと言うのですから、
海軍には「情報戦略」とか「情報戦術」という概念が有ったのかどうかすら疑問です
敵性英語は使うべからず
と
敵を知るために積極的に日本語を研究
の差で考えの深さがわかりますね。
敵性語禁止運動は、日本国内が勝手に盛り上がっていただけで、
陸軍という組織として大々的に行った事は無かったのでは?
元々、米英ともに陸軍の眼中に無かったので、英語を選択する者が少なかったのは確かですが
日ソ不可侵条約にドイツが水を向けたのは独ソの関係緩和の意味があったようですが、その後の独ソ開戦に至った後はかえって裏目に出てますね。
それは「関東軍特殊演習」程度のことでも構わないのですか?
その程度ならば史実でも行いましたが、結局、
『バイカル湖にも到達できない』
と言わしめる程度にしか、ソ連に効果を与えていないようですが
『スターリンは関特演に脅威を感じており、ゾルゲは関特演で本当に日本はソ連に攻め込むつもりが有るのか否かを調べるために必死に諜報活動に精を出していた』
という説も有るには有りますが……
いえ、脅しではなくて侵攻と駐留です。
居座るのです。
あの段階で生半可な脅しは通じないとおもいます。
ありがとうございます。
とすると、日ソ中立条約がネックですね。
やはり、日ソ中立条約締結前に、いや、独ソ不可侵条約の締結前に、日本が決心を決めておくべきでした
ドイツは唐突に日本も裏切って独ソ不可侵条約を結んだわけではありません
大島浩駐ドイツ大使を通じて、何度も何度も独ソ不可侵条約締結の可能性を匂わせていました
駐イタリア大使の白鳥敏夫も、
『独ソ接近の可能性大』
と連絡しているのですが、
それらを「外交上のブラフに過ぎない」と切って捨てたのは、時の外務省の上層部です
当たり前ですが、見通しを間違った外務省上層部の役人は誰一人責任を取っていませんが
当時の日本は、まだまだアメリカとの和平、友好に未練を残していましたし、
イギリスとは将来的に戦争になるとしても、
『出来ればやりたくない』
と昭和天皇が思われるほど、未練を残していました
蒋介石相手にも未練タラタラだったのを見ても、
全然全く腰が据わっていなかった、覚悟が決まっていなかったとしか言いようがありません
最も悪いのは、どっちつかずの曖昧な態度で、どっちにも良い顔をしようとした歴代政権と外務省の無能に有ると思います
過小評価されがちな大島浩や松岡洋右の方こそが、無能とか売国奴ではなく、
早い内から日本の在るべき姿、外交戦略を打ち立てていた有能な人物だった事になります
現在の私たちの仕事においても決断の重要性は重要であり、さらに刻々と変化する情勢に先んじるスピードも重要ですが、これは当時の国政、軍部とて同じだったはずですが、責任負うのを避けるためか決めきれなかったため時期をのがした感あります。
ところでインド洋での日本海軍による通商破壊作戦、
かなり効果あったようですが、ソロモン戦以降、潜水艦での物資輸送などという不本意な使い方にて消耗してしまったのは残念です。
潜水艦での日本の通商破壊戦の参考はこちら
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-3_3.pdf
そうですね。
日本は1931年の満州事変から、1945年の敗戦までの間に、
若槻、犬養、斎藤、岡田、広田、林、近衛、平沼、阿部、米内、近衛(第二次・第三次)、東條、小磯、鈴木
14人もの首相が入れ替わり立ち替わり組閣しています。
1931~45年の期間が14年間ですから、
『一年に一度』内閣が変わっている計算となります。
(平均の話です)
これでは、到底「統一戦略」など打ち立てられませんね。
この14年の間、一貫して権力の地位に在ったのは昭和天皇だけですから、
【昭和天皇の戦争責任】を問う声が絶えないのだと思います。
インド洋での通商破壊戦ですが、
もっと積極的に行っていれば、1942年の内に、日本はインド洋の制海権を獲得し終わっていたでしょう。
ミッドウェーの敗戦も起こっていないので、空母4隻も保持したままですし。
当時のイギリスには、最早あれ以上軍艦をアジア方面につっこんでくる余裕など有りませんでしたから、
コロンボ空襲が成功裏に終わった時点で、後はワンサイドゲームになったはずだったのですね。
アメリカの工業力がフル活用されて週刊護衛空母と化してくるのは、1944年以降からですから、
それまでの間にソ連をまずレンドリースを完封して叩き潰しておき、
北方の脅威を除去した上で、援蒋ルートを断ち切られた蒋介石政権を倒し、
毛沢東政権も倒し、
制海権を持っているので、海軍護衛の下でインド上陸やセイロン上陸を行っておけば、
インパール作戦なんて大仰な上に、輸送も出来ない作戦に頼るよりも、
確実に安全に作戦を展開出来ます。
インド人の間で名高かったチャンドラ=ボースをインドに上陸させれば、
もうそれだけで何千万というインド人が味方に付いてイギリス軍を追い出したでしょう。
インドを失陥したイギリスは、さすがに斜陽を覆い隠す事も出来なくなります。
イイですね、
当然ドイツにもそれに呼応する形で動いてもらいます。
ABCD包囲陣や対日禁輸、ハルノートまでズルズル先送りにして後がなくなってから打ってでた有様は、大阪城の外堀を埋められてから戦を決意して敗れた豊臣秀頼を思い起こさせます。
そうなる前に腹くくって決断すべきこそが国のトップだとおもいます。
ついでに、アメリカは1941年=つまり日本が真珠湾攻撃を行った年まで、ドイツと交流が有りました。
サムナー=ウェルズ国務次官を団長とする、特別外交団が、この年の1月~2月にかけてドイツに送り込まれていたくらいです。
(この時点で明らかに有色人種相手の場合と、白人相手の場合と、扱いが違うのが解るのですが)
※サムナー=ウェルズWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B5%E3%A0%E3%8A%E3%BC%E3%BB%E3%A6%E3%A7%E3%AB%E3%BA
ナチスドイツの人種理論、反ユダヤ理論の多くは、アメリカ人の人種理論家のマディソン=グラントや、
同じくアメリカ人のヘンリー=フォードの『国際ユダヤ人』などに多くを負っています。
そもそもフォードやリンドバーグ、フーバーなどは、ナチス党に資金援助していたり、積極的に支持を煽っていた事すら指摘されています。
アメリカは決して最初からイギリス一辺倒だったわけではないし、
ドイツを嫌っていた訳でもありません。
だからこそ、当時の日本人は、アメリカ人の対応を読み間違えたのでしょう。
つまり、有色人種である自分たちにも同様の対応をしてくれるはずだと。
イギリスとアメリカは分けて捉える事が可能であり、
イギリスだけを敵にして、アメリカは敵に回さないで好意的中立を維持させる事が可能だと。
しかし、それは日本人の淡い期待でしかなく、
ドイツ相手には寛大だったアメリカですが、日本相手には冷淡極まる物でしかありませんでした。
例えば天津のイギリス租界で、親日派の中国人要人が暗殺されました。
日本は当然犯人の引き渡し要求を行いますが、イギリスは拒絶します。
ならばという糊塗で日本は報復措置として、天津のイギリス租界を封鎖するという挙に出たのですが、待っていたのは、
【日米通商航海条約の破棄】
という、アメリカからの通告でした。
つまりアメリカは、ドイツに対しては、
「英米可分論」(イギリスとアメリカとは分けて考える事が出来る)と装い、
日本に対しては、
「英米不可分論」(イギリスとアメリカの利害は一体である)
と装っていたのです。
当時の日本の外交官や軍部が、最後の最後までアメリカの行動パターンを読み切れず、
最後には、ハルノートにまで至ったのも、ドイツに対する友好姿勢のアメリカを見ていたからという部分も有ります。
原爆開発が現実味を増したのちの使用候補地選定の段階でもドイツに対して使用する考えは全くなかったようですね。
間に合わなかったというのではなく計画段階で欧州戦線は候補に入ってない。
そんなところからも日本とドイツの扱いの違いは大きかったとおもいます
シベリアの天然ガスも1940年代ではまだ知られてないから気でも狂ったかと言われそうですがあくまで牽制程度にて。です
エンジン=発動機
点火プラグ=発火栓
レバー=握柄
こんなことで勝ち負け関係ないのに。
海軍は生まれがイギリスなんで元々英語の装備品が多いのでそこまでなかったようですね。
先ほどの潜水艦資料、長いのですがザックリ言うとおっしゃる通りの内容です。
インド洋での通商破壊作戦にて援蒋ルートの妨害とアフリカ戦線の英軍へのレンドリースの妨害の有効性です。
【統帥権】の面から見た「大元帥陛下」としての側面からは、「責任は有る」と考えます。
ここのスレ主に何度質問しても答えてもらえませんでしたが、
大元帥陛下が統帥権をフル活用して、
河本大作や石原莞爾、牟田口廉也、富永恭次、石川信吾などの「問題児」たちを処罰しなければ、
一体誰ならば、彼らを処罰出来たと言うのでしょう?
陸軍出身の総理でも駄目、
陸軍大臣や参謀総長でも駄目、
自浄作用が存在しない組織に於いては、
大元帥陛下の権能に頼るしか無かったはずです。
『立憲君主の枠を越えた越権行為』
ではないでしょう。
イギリスなど、つい最近まで内閣の閣僚人事にすら口出ししていたような国です。
日本と同盟を結んでいたイタリアは王国でしたが、統帥権は当然イタリア国王、ヴィットリオ=エマヌエーレ3世に有りました。
(ムッソリーニが握っていたわけではない)
エマヌエーレ3世は、結構国政にも軍政にも口出しする人物であり、
ムッソリーニの方が国王に引きずられて戦争になったという面も有るわけです。
そういう他の王国の事を考えると、
さすがに、「君臨すれども統治せず」は許されますが、
「君臨すれども”統帥”せず」では困りますし、
それは大日本帝国憲法違反です。
『第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス』
返す返すも残念なのが、西園寺公望がデタラメな帝王学を残して世を去った事です。
つまり、
『日本は天皇が何でも好き勝手に振る舞える専制君主国家ではない。
天皇でさえ憲法の条規には従ってもらわないと困る。
内閣が一致して奏上した案件に関しては、如何に内心不満であっても裁可する。
”君臨すれども統治せず”が理想的な君主像である』
田中義一を叱責して倒閣に追いやった時、西園寺公望は、大略このように昭和天皇を諫めていますが、
西園寺公望が述べているのは、あくまでも「統治権」の部分だけに過ぎません。
昭和天皇は、どうもこれを「統帥権も含まれる」と勘違いしていたようなのですが、
どう考えても、大元帥陛下である昭和天皇を除いて、軍部を抑制出来る人間は日本に存在しませんでした。
西園寺の言葉は統帥権には関係なかったのではないか?
はたまた、西園寺が統帥権についても統治権と同様に準じると考えていたならば、それは西園寺こそが間違いだったのではないか?
それを強く感じますね。
全部「後世の知識」が有るから言える事であって、
当時の人間が知るはずないんだよな……
恐らく1941年の1月とかの時点で、
『今年中に米英と戦争になる!』
などと予言したら、馬鹿かキチガイ扱いされて、
警察に「人心を惑わす」とか言われて逮捕されて怒られるだろう。
1941年1月の時点でも、まだ、本格的な戦争準備を行わず、
実りの無い、進展の無い日米交渉に無駄に時間を費やしていたのがその証拠。
東條内閣成立も、世論の期待とは裏腹に、
「日米戦争を回避するために」
「陸軍を、他ならぬ陸軍大臣の東條英機自身に抑えさせるために」
出来上がったようなもんだし。
ただ、東條英機自身はそれなりに立派で、実務家としては優秀だったかも知れないが、
その人を見る目があまりにも曇り過ぎてたのが……
「三奸四愚」然り、富永恭次や牟田口廉也、佐藤賢良、服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三なんかを抜擢する、
揃いも揃って問題のある人物ばっかり……
まぁそれも、「後知恵」が有るから言える事なんだけど。
日露戦争の直後に、清国を恫喝して、関東州や満鉄付属地のみならず、
「満州全土」を要求して没収しておけば良かった。
と言うのは、清国は日露戦争では密かにロシア側に味方していたからだ(露清密約 1896年)
国際法上では「準敵国」に当たり、ロシアが負けた以上「準敗戦国」とも言える。
日本ではなくロシアに賭けた清国に、とやかく口を挟む権利など無いのだ。
日本の諜報機関が「露清密約」を探知していれば……と思うと残念でならない。
この時点で満州の地を制圧していたならば、満州事変も必要なかったし、
日米戦争(1941年)まで、35年もの猶予期間が有ったのだから、充分過ぎるほどに満州の開発を進められたかも知れない。
そして開発を進めていたならば、もしかしたら満州の地の油田、大慶油田を発見していたかも知れない。
石油さえ有れば、アメリカとの戦争など覚悟しなくても済んだのだ。
遅くとも、シベリア出兵(1918~1922)の頃までには、満州全土を制圧しておく必要が、
地政学的にも、純軍事的にも有った。
またこの頃までに満州を制圧しておけば、
「パリ不戦条約」や「九ヶ国条約」の締結前なので、
日本の行動は「既成事実」として認められたはずだった。
このように後知恵で考えると、色々思いつくが、当時の人間が全く思いつきもしなかったことが惜しまれる。
現在の目線で見ると9カ国条約はソ連が入ってない時点で日本にとって大きな足かせになってしまいましたね。
あれで好き勝手やられてしまった。失敗
理由をつけてシベリア出兵時での満州掌握に同意です
タイミング的にはWW1時の対華21カ条要求での山東省権益獲得を米英の懸念に応じ削除。
バーターで反対意見のなかった満州に関する条項を拡充して国際社会の承認を経て、満州を日本の勢力地帯とするべきだったかとおもいます。
譲歩 ??
山東省は後からでもなんとでもできるが満州の防共拠点としての整えには時間かかるので、そちら優先です
そんなあなたに映画「トラトラトラ」おすすめ。
要は反復攻撃をせずに帰還したことについて。
http://open2ch.net/p/whis-1439200763-206-490×200.png
併合されて半年はねーだろ
東郷平八郎がまだ若手船乗りだった頃に、
リリウオカラニ女王に対するクーデターが発生しているのだから
荒らしにマトモにとりあっちゃだめ。
それはそうとハワイ併合(1898)の話が出たのでいい機会なのでそのはなしを。
独立国だったハワイ王国をアメリカが併合するまでの手順が
土地の買い占め
↓
政治中枢への親米派の送り込み
↓
貧困層から選挙権剥奪
↓
親米派が新政府樹立
↓
アメリカが承認
明らかな内部侵略行為だった。
これじゃ日本のアジア侵略とか言わないわな。
いくら旧軍の悪口を言い立ててみたところで、大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍は消えない。
97式中戦車チハが弱小とのことなら、弱小なる97式中戦車チハでドツキまわされた中国人は更に惨めだ。
これで日本人の中国人に対する優越性は、確固たるものになった。中国人は日本人に劣っている、
徹底的に劣っている。優秀な日本人と劣等な中国人、これを証明したのが大陸打通作戦だった。
対独戦と比べて対日戦はマイナーという主張も聞いているが、その場合、対日戦オンリーでしかも
連戦連敗だった中国はゴミ扱いとなる。
大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を語り継ぎ、日本人の中国人に対する優越感をかみ締めていこう!
アメリカに日本の行動を「侵略だ」などとほざく資格は無いんだよな
なので東京裁判でも日本のアジアへの植民地支配の罪というのは一切触れておらず
あくまで紛争解決手段としての戦争を禁止したパリ不戦条約違反にあたる平和に対する罪としか訴追していない。
自分に返ってくるからね。
A級戦犯=平和に対する罪(戦争を始めた罪。植民地支配の罪ではない)
パール判事は戦勝国が事後法で敗戦国を一方的な解釈で裁く資格はないという法的見地からの主張。
これが通れば、勝てば正義になってしまうことへの警告だった。
日本に対して、第一次安倍政権の時に「性奴隷決議」を出したのなんか、その典型的な象徴。
日本の慰安婦制度を非難したのだが、
日米戦争の敗戦後、日本に進駐してきたアメリカ軍が真っ先に要求してきたのは「慰安婦」だった。
要するに「RAA」を要求したアメリカ人に、
日本の慰安婦制度を非難出来る資格が有るのか?
安倍晋三は馬鹿だから、こんな無茶苦茶な議決に対して、
【深く謝罪する(deeply sorry)】
などとほざいて、世界中に日本が「性”奴隷”」を持っていた事を認めてしまったのだが。
同じ頃、同じくアメリカの国会によって身勝手な議決を下されながらも、
毅然たる姿勢を取って逆にアメリカに謝罪させた、トルコ政府の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
100年以上前のオスマン・トルコ政府の時代に、アルメニア人大虐殺を行っているが、
その事についてアメリカの国会で、
『現トルコ政府は謝罪して賠償せよ』
などという一方的な議決が飛び出した訳だ。
トルコ政府は大統領も民衆も憤激して激怒。
「トルコ駐留アメリカ軍を追放する」と発表した上、
「お前らだってその頃は、インディアンの土地を奪って国土を広げた侵略者で虐殺魔じゃないか!」
と、アメリカ政府に向かって堂々と批判を行った。
トルコ政府は、すぐ隣が核大国で歴史上何度も相争ってきたロシアなので、
また、イスラエルという、非イスラム教国の核大国も近隣に有る事もあり、
アメリカ軍と「ニュークリア・シェアリング」を結んでいる間柄でもある。
そんなトルコ政府でさえ、言うべき時には毅然とした態度で堂々と自己主張しているのだ。
そして、結果的にアメリカから逆に謝罪と妥協を引き出している。
本当に、弱腰の安倍晋三には、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい態度だわ。
ハワイもフィリピンもプエルトリコも、
全部アメリカの植民地政策の痛ましい犠牲者ですが。
そもそも、つい最近行われたイラク戦争やアフガニスタン戦争も、
【アメリカの植民地政策の現れ】とは言えないの?
特にイラク戦争は、大義名分としていた「大量破壊兵器」は出てこなかった訳じゃん。
冤罪で濡れ衣を着せた上で、石油利権欲しさに侵略戦争したってのが本当の所でしょ。
「未だかつて、アメリカは一度も侵略戦争をした事が無い」
と堅く信じ込んでいる。
フランクリン・ルーズベルトが大統領だった時、
イギリスの大使と会見する事があり、話がたまたま世間話に飛んだ事が有った。
その時ルーズベルトはイギリスの大使に向かってこう言ったと言う。
『私はあまりイギリスに向かって批判がましい事は申したくないのだが、
1842年にイギリスが香港を手に入れられた時、それは平和的な手段で行われたのではなかった』
この会談の時点で、既に100年前近い話を批判されたイギリスの大使は、
呆れかえってこうやり返したと言う。
『大統領…、確か私の記憶が正しければ、その頃貴殿のお国では、”米墨戦争”の真っ最中ではありませんでしたか?』
国連の査察を拒否し続けた真の理由だ。国連査察→米に(機密情報)筒抜け→イスラエル政府にも筒抜け、であろう。
国連査察を受け入れると言う事は、国防に関する機密が丸裸になると言う、個人に喩える所の゛身体検査゛、゛ボディー・チェック゛を施されると同義だ。
゛身体検査゛され、米経由でイスラエル国家に国防機密情報を知り尽くされると言うのは、イスラエル侵攻を祈念していたサダムには受け容れ難い屈辱だったのだろう。
それ以前に、フセインはかなり積極的に国連査察を受け入れていたのだが。
大統領宮殿や別荘まで公開して見せている。
そしたら国連査察団の中にアメリカのスパイが居て、
その後その場所がピンポイントで爆撃を食らう羽目となった。
その後、フセインが国連査察に非協力的になったのは当たり前と言えば当たり前過ぎる話だ。
故に、アメリカの悪を数えるのは、大いに結構だし、止めないが、湾岸戦争だけは除外してほしい。
私はフセイン討伐を大いに賞賛する。
イラク戦争だって捨て置く訳にはいかない。
【無理難題を突きつけられて、戦争以外に道が無い所にまで追いやる】
これが、いつものアメリカの姿だからだ。
湾岸戦争だって、実はアメリカは勃発する事を知っていた。
あらかじめフセインから打診されており、
アメリカは、それについて良いとも悪いとも発言しなかった。
イラン・イラク戦争の時は、アメリカはフセイン政権を支持していたのだから、
きっと今回も支持してくれるだろうと、
アメリカの反応を見て確信したフセインが、クウェートにイラク軍を侵入させたのが湾岸戦争の発端だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/april-608e.html
囲碁で申せば、呉清源(大日本帝國)と市井の碁会所のアマチュア(イラク)を比較するような気もするが……
そういう事言ってるんじゃなくて、
日本もイラクも、アメリカに【騙されて】戦争に持ち込まれたと言ってるんだよ
まぁ日米戦争の場合は、ソ連のスターリンによる「雪作戦」の結果かも知れないので、
本当の責任者はソ連、コミンテルン、スターリンかも知れないが。
前に小室直樹氏と日下公人氏の対談を読んでいたら、当時の政府首脳の手元に上がっていた報告データは全然、内輪に見積り過ぎた不正確な数字だったそうで、戦後、判明した本当の量は政府首脳の信じていた数字の倍はあったとか。
これが真(まこと)なら、「あ号作戦」の規模や攻撃回数も全然、変わっていたのでは?
日米離間って……(呆れ)
戦前のアメリカは、果たしてそんな素晴らしい国だったんですかい?
・ワシントン条約
・九ヶ国条約
・排日移民法(有色人種差別)
・ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約
・ホーレー・スムート法(関税法)
・日米通商航海条約破棄
・屑鉄禁輸
・石油禁輸
・ハルノート
こんな事やって来た国と、一体どうやれば戦争しないで仲良く出来たとでも言うのだろうか?
「日米離間」とかアホみたいな事をほざく前に、
【当時のアメリカ】が、一体どのような悪徳国家であったか知っておくのが筋であろう。
(当然ながら、【今のアメリカ】も、ほとんど変わっていない悪徳国家なのだが)
常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
現在の我が国の敵はアメリカではない。国内である。最大のテーマは国内の反日マインドで、その識別子は日本国籍の有無ではない。
>常態のアメリカには日本への友好の情も親和的政策も存在する。
そんな物は存在しない。断言してやる。
【利用価値が有る限りに於いて】
日本に好意的であるかのように見せかけているだけに過ぎない。
実際、北朝鮮の拉致問題を事実上見捨てたのはアメリカだ。
しかも、比較的「親日的」と呼ばれる共和党のブッシュJr政権だったではないか。
「性奴隷決議」だって、ブッシュJr政権の時代の話である。
日本にとって最大最悪の敵である中国政府に、
「テロとの戦い」に共に参加するからという理由だけで、好意的に接した初の大統領もまた、
ブッシュJr政権だったではないか。
故・中川昭一議員が、
「核武装も検討した方が良いかも知れない」
と発言しただけで、
「知日派」と呼ばれるアーミテージやナイが緊急来日。
(どちらも共和党)
「アメリカの”核の傘”を信じろ」
と強要した事も有った。
その後中川昭一氏はローマで「酩酊記者会見」を起こし失脚。
その後急死している。
私は、中川昭一議員はアメリカによって失脚させられた上、暗殺されたのではないかとさえ疑っている。
父親の中川一郎議員もまた、不審な死を遂げている。
中川一郎議員の場合は、自殺という事になっているが、自殺に見せかけた他殺など、テレビドラマや映画の世界だけではない。
繰り返すが、アメリカ政府の、共和党・民主党問わず、まず第一の対日目的は、
【日本が、再びアメリカに逆らわないような弱い国で在り続けること】
である。
中国や韓国と仲違いしていればなおのこと宜しい。
そしてアメリカ政府は、北朝鮮の核武装や中国の核武装については何ら文句を付けなかったくせに、
日本に対してばかり、核武装を議論すらさせない。
西村真悟議員も、核武装を議論せよと発言しただけで失脚に追い込まれた。
結局、アメリカ政府は中国や韓国、北朝鮮、ロシアなんぞより、
かつての敗戦国である日本の方をこそ敵視しているのだ。
しかし、国内のディスカウント・ジャパン勢力に対抗するには、悪魔であるアメリカの中の親日勢力と結託するのも已むを得ぬ。
例え、残地諜者(工作員)として゛彼ら゛、ディスカウント・ジャパン勢力を養成したのが占領当時のアメリカであったにしても、だ。
反米が国内のディスカウント・ジャパン勢力、電通やマスコミに巣食う獅子身中の虫、共同体にとっての悪性新生物を除去するよりも優先するテーマであろうはずがない。
それはおかしい。
日本国内の反日勢力を支援しているのは、ほかならぬアメリカではないか!
アイヌ民族を「先住民族」扱いしたのは、国連の人権委員会か何かだし、
アメリカ下院の「性奴隷決議」のせいで、日本は、「性奴隷」などという恥ずべき存在を持っていた事になってしまった。
一応言っておくが、「slave=奴隷」という単語の意味合いには、
基本的に西洋白人諸国レベルの差別や奴隷制度など、
歴史上に存在しなかった日本人にとって理解できない程、凄まじい悪い意味合いが付随している。
日本は、かつての白人が、黒人奴隷を大量にアメリカ大陸に移入したかのような、
あのような蛮行を働いた事にされてしまったのだ!
あのクソふざけた下院決議のせいで、日本の名誉がどれだけ毀損されたか!
一方、反日勢力が、どれだけ勢い付いたか!
それを少しは考えてから、物をほざいてもらいたい。
(社会問題等々叙述技法の一つである所の)゛擬人化゛の手法中に陥穽し居(お)る罠にかかってはならぬ。
例え、ラスボスがアメリカであったとしても、決戦以前のクォーター・ファイナルで゛四天王゛や゛三人衆゛に不覚をとればゲームオーバーだよ。
国内(迷宮内ダンジョン)の使い魔たちを悉く撃破しなくては、ラビリンスの出口で待っているラスボス、゛赤き龍(たつ)゛に見(まみ)える事すら、叶わない。
ものには順序がある。まずは足元の整備だ。
電通やマスコミ、裁判所事務職、検察庁に巣食う腫瘍を摘出せずして、焉んぞゲーム攻略ならんや?
アメリカは一枚岩ではない。
それはそうだろう。
だが、アメリカ人の政治家の誰一人を取り上げてみても、
【アメリカの国益を損ねてまで、日本の面倒を見てくれる慈善事業家などは存在しない】。
これは別にアメリカ一国に限らず、日本でも中国でも韓国でもロシアでも、世界中どこでもそうだろうが、
自国の国益を無視してまで、外国の為に尽くすようなアホな国は、お人好しでエエカッコシイの日本くらいなものなのだ。
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
日本では「Lotte」と委託販売契約を結んでいる。
ロッテと言えば、言わずと知れた「韓国系企業」である。
果たしてこれは単なる「偶然」であろうか?
何をどう言い逃れしようとも、
アメリカが所謂「反日勢力」の背後に存在する事は否定出来ない事実である。
有名所ではこのdoll社とLotte社の結託以外にも、
尖閣諸島海域での、中国による地下資源吸い上げが例に挙げられる。
日中中間線の向こう側でやっているとは言っても、地下資源の世界には「国境」や「線引き」などは無い。
つまり、由緒正しい日本側の資源すらも、中国によって吸い上げられているのだ。
さて、ここで問題になる事が一つ有る。
中国は日本より技術が遅れた発展途上国のはずではないか。
海底地下資源の掘削、獲得技術と言えば、かなり高度な技術が必要となる。
中国如きが如何にしてその技術を手に入れたのか?
答えから言ってしまえば、
ア メ リ カ の 石 油 マ フ ィ ア が
中国に海底地下資源掘削技術を譲渡してしまったのだ。
これは陰謀論でも何でもない。
少し調べればすぐに誰でも解る話だ。
アメリカは、中国と争っている訳ではない。
日本と中国が争ったとしても、頼みになる同盟国であるかどうかは甚だしく疑問である。
むしろ、ハワイで中国の国家主席が、
「中国とアメリカは、共に手を携えて、日本軍国主義を叩き潰したのだ」
と演説すれば、ヤンヤの喝采を浴びる間柄なのである。
(そもそも、今の中国共産党政府と、第二次大戦中の蒋介石政府とは、全然違う政権である事もアメリカ人の大多数は知らない)
私は゛反米゛には反対だ。私は国内問題を最優先させるべきだと思う。
少なくも、現在、政治エネルギーを反米に湯尽させるべきではない。
例え、アメリカの基本スタイルが「アジアの分割統治」であり、日支を反目させる工作を裏面で進めている事実があるにしても、である。
それでも、尚且つ、我々は、国論を反米に誘導してはならぬ。何故なら、我々の実力は反米を推進させるには程遠いからである。
大日本帝國ですら、一敗地にまみれた相手だ。
ワスプ中の親日勢力と協調する外交はリアリズムそのものだ。
このマターに道徳倫理を介在させる少女趣味的感傷主義の関与可能の余地は毫も存在しない。
国内問題至上主義、残地諜者の殲滅、除去、これの成った時、初めて、我々はリターンマッチの土台を再構築した、と申せるだろう。
この土台なくして、゛政治資源゛(←゛世論圧力゛の謂いの文言)を反米に浪費するのは自殺行為だ。
親日勢力なんて存在が果たして居るのか?
強く疑問に思わざるを得ない。
何度も訊ねるが、
【アメリカにとって利用価値が有る間だけ、親日っぽく演技しているだけ】
ではないのだろうか?
現に、戦後70年、日本は、アメリカに尽くして尽くして尽くして尽くして尽くし続けてきたにも関わらず、
アメリカ人からすれば、
『そんなの当たり前』
と言わんばかりの対応ではないか。
国境線だけ入った世界地図の白地図を用意して、アメリカ人の大多数に、
「日本を指さしてください」
とお願いすると、ほとんどの人がまともに指させないと言う。
中国を指さしたり、韓国を指さしたり、酷いのになると、アフリカのどっかの国を指さしたり……。
所詮、日本にとってどんなにアメリカが大事で重要であっても、
アメリカ人にとっては、その程度の認識であり、扱いでしかないのが【日米関係】ではないか。
>>263
基本的にあなたの認識自体は正しい。
あなたは米のマキャベリズムを指摘している。
私は日本の政治闘争のエネルギーの使い途を論じている。
それぞれのxy方向の←→↑↓の向き以前に空間座標に於けるz軸上のパラメーターが異なる。
共通の認識は我々はCIAの工作を受けている、と言う点だろうね。
あなたはそれを濁流だと見ている。
私は清濁合わせ呑む帆船逆風利用的ジグザク走法を提唱している。
>>262
フリーザと悟空のナメック星でのバトルは核兵器のレベルじゃない。
核兵器は近未来、時代遅れとなるだろう。
カメハメ波とか元気玉はプラズマ火球だと思うよ。
CIAだかFBIだかフリーメーソンだか、
はたまたロックフェラーだか、ロスチャイルドだか知らないが、
日本の所謂「反日勢力」の背後には、確実に【アメリカ】が存在する。
「反日勢力」と戦うに当たって、「アメリカと戦う」事を抜きに物事は語れない。
例えば「九条信者」、「現憲法信者」と呼ばれる人たち。
元はと言えば、GHQが現憲法を押しつけなければ、
御用学者に、
「大日本帝国憲法と違って素晴らしい憲法ですよ~」
などと宣伝させなければ、あんな連中は生まれていなかったはずだ。
集団的自衛権解禁の問題も、日本の軍事力の問題、有事法制の問題もそうだ。
旧日本軍に多大の問題が有ったとは言っても、
GHQが旧日本軍を解体してしまい、軍法や軍律も廃止してしまった事こそが、
今のこの【韓国以下】という惨めな軍事力の根本原因となっている。
また、治安維持法を廃止して、内務省を無くしてしまい、特高警察も廃止した結果、
共産党員が野に放たれ、日本中で大暴れした事も有った。
これまた、元を糺せば、【アメリカの仕業】である。
繰り返しになるが、「反日勢力」と戦うに当たって、【アメリカ】との徹底闘争を抜きには物事は語れない。
少なくとも、アメリカが前非を悔いて、
空襲や原爆投下、捕虜虐待、誤審も甚だしく多かったABC級戦犯裁判、
そしてGHQによる日本破壊工作としか言いようが無い無茶苦茶な【改革】、
これらの過ちを認めない限り、アメリカは【敵】と見なすほかに無い。
そしてRPGを例に出して、アメリカは「ラスボス」だと言うが、
現実世界はゲームのように一直線で進むものではない。
「この順番で攻略していかなければクリア出来ない」
というのが現実世界ではない。
いきなりラスボスが目の前に現れる事だって有るのだ。
皮肉な事に護憲派左翼陣営の方も改憲派復古主義者の背後にアメリカの意志を見る
本来、復古主義者は反米でなければならばいのだが、彼らの世界戦略は明確に米財界の意向に沿ったものに見える
特に湾岸戦争以降だ もし日本が本当に反米になったら世界情勢はひっくり返るだろう
日本が敵に回ったらアメリカにはWASP圏(英加豪NZ)しか味方がなくなるから
今度は彼らが国連を脱退して枢軸国と呼ばれるかもな
当然、今の親米保守だの、親米右翼もまた、アメリカの意向に従っているのは明らかだ
自民党は、結党以来数年間、アメリカのCIAだかから金を受け取っていた事が既に判明している
『分割して統治せよ』
この原則はあなたもご存知だろう?
欧米諸国が、植民地に対して行った政策だ
植民地の現地人たちの間を二つに分け、対立を煽る
現地人たちがお互いに争っている間は、決して結束出来ないし、
その批判の目が、宗主国に向かう事は無い
アメリカも、日本に対して同じ事を仕掛けた訳だ
我々はハンニバル・バルカの轍を踏んではならぬ。今般は失敗は許されないのだ。
勿論、究極の目標はリターンマッチだ。
だが、ボリシェヴィキの如き少数民族に牛耳られた寡頭政権の現出を可能性として保留する今の情勢下でリターンマッチとは片腹痛いとCIAも笑うに違いない。
冗談ではなく、この遊星そのものの存立を脅かすような物理的破壊力を伴う超絶兵器(゛核゛ではない)を擁する二国間の闘争だ。
ま、我が国がその土俵に立つ前にCIAが工作して、日本の国論の分裂を図るだろうがね。
この時、モスクワは陥落寸前にまで追い詰められていた。
冬将軍の到来とシベリア軍の投入で何とかドイツ軍の侵攻を抑え込んだものの、
東から関東軍が攻め込んだら、関東軍がバイカル湖に到達出来たかどうかは別にして、
スターリンとしては卒倒するほどの衝撃だったろう。
スターリングラードの戦いやクルスクの戦いなどでドイツ軍が押し返される事も無かっただろう。
真珠湾攻撃が起こった時、確実にスターリンは喜んだであろう事は忘れてはならない。
脇道に誘導してしまった。
>>267
ナチスのボリシェヴィキへの敵愾心ってのは゛近親憎悪゛だろうね。
その支持者も同様。
この認識の有無がリトマス紙だよ。
大体正しい事を書いてるのに、
『判決を受け入れた』と信じ込んでいるんだな。
そこだけが残念だ。
今更指摘するのも愚かなのだが、
サンフランシスコ講和条約の正文は、
【英語】
【フランス語】
【スペイン語】
この三言語である。
(「日本語」が含まれていない事に注意!)
つまり、何か解釈論争が発生すれば、
英語・フランス語・スペイン語の三つの条文を照らし合わせて解釈するのが筋なのだ。
外務省の公開している「日本語訳」は、仮訳でしかなく、
そもそも「正文」ではないし、
何よりも、外務省という組織自体の問題として【誤訳】があまりにも多すぎる。
外務省は、組織ぐるみで誤訳を量産する為に在る省庁なのかと疑いたくなるくらいだ。
有名な所では、
「国際連合」とは、イコール”United Nations”の訳であり、
United Nationsとは、【第二次大戦の『連合国』】を指す言葉であるという点であるとか。
元々【枢軸国】だった日本が、
『連合国に加盟しました』
ではおかしいと思ったのか、外務省が【国際連合】という珍妙な訳語をひねり出して今に至っている。
サンフランシスコ講和条約の『裁判の判決を受け入れる』云々の話も、それと同じく、
外務省の滅茶苦茶な翻訳に過ぎない。
フランス語・スペイン語の正文を読んでも、
『sentencias』となっており、この言葉は「裁判」を絶対に意味しない。
英語で言う「sentence」と似たような意味で、
「条文」「判決文」とかいう意味程度しか無い。
自虐史観に毒された外務省官僚が、意図的に「誤訳」したのではないかと疑っている。
神仏「え?そんなん、巻き込むなよ。アメリカに引っ越して反米闘争せいや」
中 国 人 は ゴ ミ
終戦時でも支那派遣軍百万の精鋭健在、つまり中華民国は「戦力外のゴミ」で決まり。何の戦力にもならないばかりか、
援助をたかるだけたかって返還の「へ」の字も無し。この点はレンドリース代金を完済したイギリスとも異なる。
中国は米国を必要とし米国の援助に頼りきりだが、米国は中国を必要とせず中国は無価値なゴミでしかなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
もともと米英にとっての主戦場はアジアではなくヨーロッパ、加えて中国軍は日本軍に終戦まで連戦連敗の役立たず。
「日本はアジアで孤立」ではなく「中国は連合国内で孤立」。それから敗戦国の日本からみても、中国と中国人は終戦
まで敗戦国日本の支配下で隷属していた存在で、まだその下があるではないかという優越感に浸ることもできる。
敗戦国日本に支配される中国人の惨めさと比べれば、日本人は中国人よりは優秀だと胸を張ることもできる。
中 国 人 は ゴ ミ
中国と中国人、それはこの地球上で最も惨めなゴミだった。この地球上から消滅しても誰も困らないゴミだった。
ソ連邦大祖国戦争は、ヨーロッパが主戦場とする米英にとってはナチスドイツ撃破に大きな役割を果たした存在だが、
中国抗日戦争はただでさえ重要度の低いアジアの戦場でかつ連戦連敗で、米英から見てもゴミそのもの。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミはゴミ、これは悪口ではなくて事実。もしゴミではないとすれば、米英はノルマンディ上陸作戦を中止にして、
皇軍に虐殺される中国人の人命を救済しなくてはならなかった。
中 国 人 は ゴ ミ
ゴミがゴミと、米英からもそう認識されるようになったのが、まさしく皇軍の大陸打通作戦がきっかけだった。
>ゴミ
って部分、「弱っちい」とか、「弱すぎ」とか、「無茶苦茶、弱い」とか、「アンストッパブルに弱い」に変えられんの?
>>281よ
しかしながら、それは、無理からぬ事ではある。
゛軍゛は゛軍゛であって、国家の統治が任ではない。
元々、付与されていない権限、役割だ。
では、そうした、統治権限を有さぬ゛軍゛が何故に国策に容喙出来たのか?
これこそが大日本帝國の根本的欠陥であったと思われる。
しかし、右の問題に関し、統帥権干犯云々の議論は方向違いであろう。
問題は高等文官が軍と同一の範疇に属していない、文武両頭体制にあるのであって、最初から、武断一頭支配であれば、統帥権問題は発生しなかったのである。
只し、任官に際し、文官職への辞令拝命を受けた゛武人゛は、軍服を脱ぎ、専任すべきであろう。
高等官23歳~46歳の標準的極官を課長=大佐と仮定すると、文武3年(6年)交代周期で一人の高等官は4回転、民政軍政間の人事異動を体験する事となる。
これでキャリア官僚の軍事能力と民政能力の統一が達成出来る。
それだと「軍事の専門家としての質」がガクッと下がらないか?
軍人は「軍事の専門家」として純粋培養させるという帝国陸軍の考えは間違いではなかったと思う。
ただ、日本軍の軍法や軍規、軍律などの中に、
「占領地の民をどう扱えば良いのか」とか、
「軍政統治はどうするべきか」などの規定が全く存在しなかった事が問題なのだと思う。
「戦陣訓」は戦後酷評されまくっているが、
上記の問題点に答えようと回答を示した時点で画期的であった。
むしろ、軍人勅諭などと同時期に制定、公布されるべき代物であったろう。
それは、私も非常に重要な問題だと思う。
陸士5年、海兵3年9ヵ月の教練履修歴の無い武官は考えられないし、法学、行政学の単位を有さぬ文官も同様だ。
しかし、発想は転換されるべきだ。
養成されるべきは全人的武人であって、体育会的猪武者ではない。
また、往古の鉄漿(おはぐろ)、長袖の有職故実専門家、共和政ローマのキケロの如き文弱も却下だ。
試験科目に軍事に関する教科を加え、中学から、カリキュラム化するべき。
専門分野への傾倒は是正されるべきで、将帥キャリアを目指す上でエネルギーの浪費であろう。
勿論、知識は必要だが、専門職(ノンキャリア)を監督、人材活用する立場のキャリアに知識偏重を求める誘惑自体、官僚機構に存する硬直化の陥穽だと思う。
養成すべきはカエサルであり、ハンニバルであり、アレクサンドロスであり、トラヤヌス、ハドリアヌス、カミルスのような将帥の中の将帥であろう。
ドイツ参謀本部みたいのはお呼びでないと?
まあ日本はドイツの参謀本部に範を求めておきながら、
「最低の参謀」しか作り出せなかったわけだが。
近代化が進めば進むほど、
「細分化」「専門家」への傾向は避けられないと思う。
日本軍の根本的な問題点は、
・技術力の向上を軽視して精神主義に傾倒したこと
・ヨーロッパ最新式の軍事学、兵学、兵法を軽視し、日露戦争時代の戦訓のままで戦っていたこと
・特に帝国海軍、その中でも山本五十六と南雲忠一、草鹿龍之介(南雲艦隊の参謀長)たちが、空母の運用方法や空母戦のイロハを知らずに戦争していたこと
などが挙げられるのではないか?
専門家には組織の指導部は勤まらぬと思う。
むしろ「専門家不在」の状況こそが、日本を誤らせ、
戦争指導を誤らせ、結果的に大敗へと導いたと思うのだが。
専門家は必要ないとは申しておらんよ。
海軍には機関学校もあった。それ(専門家集団)を活用出来なかったのは提督たちに原因があったのだろうよ。
ヒトラーの言葉だが、
「指導者は(学校教育などで)作られる物ではない。
そのように生まれつきなってしまう物なのだ」
という言葉がある。
ヒトラーの人種差別理論まで肯定しないが、
この言葉は正しいと思う。
指導者は、元々その素質が無ければ生まれ得ないのではないか?
武断政治を実現するには、当の将軍に文の教養が不可欠だ。
文治政治の果実を真に手に入れるには、当の行政責任者に尚武の精神が必須である。
全人こそが国策を遂行する資格者である、と確信する。
シビリアン・コントロールを機能させるのは、軍服を脱いだ武人だけであろう。
このラインも指導者選出には重要であり、議会の政党は、殆ど、軍歴の無い議員が占めるはずだ。
勿論、退役軍人にも被選挙権はあり、軍キャリアの議員も選出されるだろう。
だが、政党政治家(及び、産業界)からの戦争圧力を兼軍行政官たちは軍事の専門家の見地から、(安易な開戦要求を)却下してくれるはずだし、その権威、説得力は絶大であろう。
「精神主義の陸軍、技術の海軍」と美化されがちな海軍にも、
このように技術軽視の傾向は多分に有った。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/technology/muzan.htm
「炭素原子(C)を含まない水(H2O)から、ガソリンが出来る」と思ってもいた。
「昭和13年(1938)頃には電波探信儀の存在が知られ、研究会も開催されたが、こちらから電波を発するなど闇夜にカンテラ。居場所を知られるだけでなんらメリットなし。でチョン。」
「昭和15年(1940)に海軍技術研究所ではセンチ波に取り組んだが研究中止を命令された。」
このように、海軍の科学音痴にも相当酷い物があった。
だから、制度上、ノンキャリアなのだよ。
>専門家はジャッジメントには不向きだ
それは「既得権益があるから」とか、
「色々としがらみがあるから」とか、
そういう理由で?
視野狭窄に陥り易い。
専門外に関し、弱点が多い。
少なくとも「軍人」に限っては「視野狭窄」であって良いと思う。
むしろ、下手に政治に関心を持って「3月事件」や「10月事件」、
果ては5・15事件やら2・26事件のような大事件まで引き起こすのは困り者である。
軍人は兵法や軍事学、兵器や技術の研究に集中し、外部に目を向けるべきではないであろう。
「文武両道」が、ただ学校の影響も何も無いキャッチフレーズ、標語と化して久しい。
文武両道こそが在るべき人間の理想像という話は理解できる。
だが、時代が進歩すればするほど、物事はやはり細分化を余儀なくされるのではないか?
それと人間には「向き」「不向き」というのが有る。
青白い青瓢箪のインテリが、必死に武道の鍛錬を積んだ所で滑稽だし、
才能や持って生まれたガタイの良い人間に小指一本で打ちのめされるのがオチではないか?
別に青瓢箪は、空手や剣道、合気道などの武道に精通する必要など無いと思う。
その代わりに、自分にとって最も興味の有る分野に於いて、
民を広く救うような大発見をしてもらえば良い。
分業体制こそが、近代社会の特色なのではないか?
民間は、それでよい。
私は国家の指導部構成、官僚機構のあり方を論じている。
例えば財務省であれば、出来る限り「経済の専門家」を集めたい所だし、
文部科学省であれば、出来る限り「教育の専門家」多く集めたい所であろう。
経済産業省は経済界から、農林水産省は農業や林業、漁業の専門家を集めたい省庁である。
軍人の出る幕は無いのではないだろうか?
昔みたいに学校教育で軍事教練をやるとか、
徴兵制度を採用するつもりが有るなら話は別だが。
学校で教練、大賛成だよ。
それならば良いのだが(私も賛成だし、徴兵制も賛成だ)、
一般的な支持を得られないであろう。
それが難しい所だ。
ほとんどの日本人は、
「どうせアメリカ軍が守ってくれるんでしょ?ヘーキヘーキ」
と思い込んで、何ら国防や安全保障の問題について目を向けようとしない。
困ったものである。
帝国海軍の答えを聞きたい。
「日露戦争が大勝ちしすぎた」というのが大きいね。
陸軍も海軍も、あれによって日露戦争時代の戦訓を「金科玉条」とする軍隊になってしまった。
特に東郷平八郎の指揮した「日本海海戦」なんて、
日本側の被害はほぼ無傷。
ロシア側にのみ壊滅的な大打撃を与えたという事で、世界中の海軍軍人の憧れの的になったものだ。
日米戦争で対峙したアメリカのニミッツやハルゼイなんかも、
日本海海戦の夢よまた再びと意気込んで戦っていたようなものだ。
東郷平八郎は、晩年「老害」と化したとはよく言われるが、
「日本海海戦の大勝利」というとんでもない置き土産を残していったものである。
(勿論、あそこで勝たなければ日本は滅んでいたかも知れないので、勝ってくれて良かった事は確かなのだが)
なるほど。
スレ主って、もしかして『失敗の本質』を読んだ事が無い?
この本の中で、
「日本軍は(日露戦争という)環境に過度に適用しすぎた結果、近代戦である日米戦争に通用せず、それでも見直そうと一切せずに敗退した」
と書いてあるのだが。
つまり、昔の恐竜たちと同じで、今の気温から比べれば5度とか10度くらい暑かった環境に適用し過ぎていた恐竜たちは、
氷河期が訪れると絶滅の運命を強いられたのと同じ事が、日本軍という組織体の中で起こっていたわけですな。
有り難う。早速、図書館にgoですな。自分、ビンボーなもんで。
司馬遼太郎も似たような分析をしているみたいだが、武も文も政府自体、思い上がっていたのかも知れん。
まあ、無理も無い。帝国主義ビギナーだったし、無菌、無雑草、無害虫のハウス温室栽培の純血観葉植物の如し、だったからね。
失敗の本質は文庫版の方が完全版なのでそちらをオススメする。
あと思い上がりというのは必ずしも正しくはないと思う。
なるほど。
適切な表現を請います。
現今の主流は゛帝国主義゛自体を否定する風潮が占めている。
A、゛帝国主義゛は゛悪゛である、論。
B、それ(Aの是非)はともかく、保留するとして、大日本帝国の場合は無理ゲーだった、論。
私はA、Bの両方を根本的に否定したい、と言う動機で本スレを立てたのである。
ケツを蹴りとばしてやりたい。
それは仰せの通り。
日本は半人前国家だ。
独立国家ですらない。
まともな軍隊ですら持っていない。
自衛隊が有るじゃないかと言われても、
装備は優秀でも如何せん数がどうしようもなく少なすぎる。
兵器の数も人員も予算も。
もし、ガリア戦争の時、後詰めに全盛期のカルタゴが存在していたとすれば、カエサルは泥沼に嵌まってしまうか、返り討ちにあっていたに違いない。
ピュロス王のエペイロスやバルカ家のカルタゴ領スペイン、プトレマイオス一世統治下のエジプトが同時存在し、有機的連携、包囲する状況下であれば、カエサルのアルプス越えをローマ元老院は許可しなかっただろう。
所が、日露戦争の戦利品で南満州鉄道の経営権並びにその沿線警備目的の駐屯権を手にした日本は欧米列強の衆人環視の現実が目に入らなくなったようである。
対英米戦に於いてですら、である。勝機と申しても、開戦時期を数年遅らせる事も含めて、である。
戦争回避が可能だったかは、議論が分かれるであろう。
当然ながら、日本は回避を望む立場であるが、アングロサクソンの側は、真逆の動機に促され、外交展開して参った訳で、戦争回避は困難だったのではあるまいか。
なぜしなかった?もしくはできなかった?
撃ち殺せばいい落下傘の米兵を殺さなかった?
雷以外にもにも多くの駆逐艦が敵である米兵の船を沈めたあと
きゅうじょしt
ひとたび近代化しちゃった以上、
ガソリンとかのエネルギーや錫、ゴム、棉花、石炭、鉄鉱石などの原料は必要不可欠だろう。
制度は昔に戻せても、生活や文化は昔には戻れないんだよ。
特に公平公正な貿易が保証されないGATT体制の無い時代に鎖国なんか不可能。
それに、日本だけが引きこもっておとなしくしていれば、
欧米列強の植民地化、帝国主義、民族差別の大嵐は自動的に収まったのか?
到底そうは思えない。
ポーツマス条約でそうなったんだ。
これは侵略ではない。何故?だって、満州での権益を維持、管理する上での当然の措置、そのカテゴリーに含まれる行動であるからだ。
常設軍配備権、これは国際的には、実質的領土、って事で、沿線限定区域は日本のものなのだよ。
これを侵そうとした東北軍閥、張作霖の後釜の連中の日本を嘗めきった過信こそが問題。
満州軍閥の日本への背信の責任を放棄している時点で支那の満州領有権は消滅している。
よって、その後の日支事変とは、我が満州権益への蒋介石の侵略の野望を排除する為の自衛戦争だ。
317だけどgattがなん何か勉強不足でわからないけどその協定がないから公正な貿易が担保されてなかったでオケ?
例えばアジア全体で鎖国とか無理だったのかな?と。
少なくとも朝鮮半島とは普通に大日本帝国だし、アジアの開放を歌うなら普通に石油が手に入るしゴムなら生えてた気がするんだけど?
例えば大東亜鎖国圏?な感じでは無理だったのかなぁと。
GATTとは、今はもう無くなってしまったが、
戦前の日本に対して行われた経済封鎖みたいのを絶対に禁止して、
お金さえ出せば、どこの民族でも正当な対価で必要物資が購入出来るとした、国際経済協定。
当然、不労所得で先物市場を吊り上げるだけ吊り上げてボロ儲けするような不届きな輩は、このシステムからは出ない。
(全く存在しないと言うわけではないが、出にくかったのは確か)
日本経済やドイツ経済が焼け野原からあっという間に復興出来たのも、
「勤勉は必ずや報われる」
「もう二度と昔みたいに経済封鎖されない」
というGATT体制の信頼と安心感有ったお陰なんだよね。
ちなみに、GATT体制の産みの親は、経済学者で朝有名なケインズと、
日本を戦争に追いこんだハルノートの実の産みの親、ハリー・デクスター=ホワイト。
で、大東亜戦争開戦前は、アジア諸国のほとんどは欧米列強の植民地だったじゃん
フィリピン=アメリカの植民地
ベトナム・カンボジア・ラオス=フランス
インドネシア=オランダ
マレーシア・シンガポール・ビルマ・インド=イギリス
中国だってまともな独立国家とは言えなかったので、東南アジアで独立していたのは、
日本とタイだけだったんだよ。
タイは単なる英仏が領土を接しないようにするための緩衝地帯、
要するに「お情け」で生かされていただけに過ぎない。
南満州鉄道諸利権の内容についてkwsk
鉄道沿線の延長事業の権利、沿線警備の兵力常設権、競合的平行鉄道建設の禁止、沿線域の指定鉱山採掘権、大連、旅順の領有権、指定合意地域での森林伐採権、沿線域内での日本人居留地設定、etc.etc.
蒋介石は当時、支那の英雄だった。
唯一のカリスマ。国際レベルで認知されていた指導者。
切り札的存在で支那ナショナリズムの象徴になっていた。
毛沢東と争った結果追い出されたと聞いてるが?
おぉ!タイな、知ってるよ。
世界史で習ったぜ!
でもちょっと付け加えるとお情けではないな。
フランスとイギリスで取り合ったあげく緩衝地帯としてにらみ合いの結果、列強同士の遠慮のかたまり的に残っただけだ。
たしかエチオピアだかスーダンだか忘れたけど、アフリカにもそういう地域はあったはずだ。
イギリスの縦の進行とフランスの横の侵略の結果な。
それはおいておいて、結局武力に裏打ちされた経済力の途方もないインフレの結果、果てしない植民地需要が生まれたのは確かだと思われる。
これって今の若者への搾取と構造は一緒だ。
当時、自国の膨張のため西洋諸国がカニバリズム的に武力の劣る異国を食い物にしていったわけだ。
同じ白人国家であるドイツ、イタリアさえも食い物にされていたよな。
「日本軍は20万人の慰安婦を囲っていた」だの、
「いやいや、40万人だったんだ」だの、
もう、日本の国内では完全に論破された、馬鹿馬鹿しい嘘・デマが世界中に広まってしまったな。
そやのうて、「大東亜戦争」を洗い直すんやで。
洗い直しても無駄ってことになってしまったってこと
喝!!
結局、日韓合意は呆気なく韓国人に破棄された訳だが、
安倍晋三はなぜ責任を取らんのだ?
嘘をついて日本人の名誉を毀損したのだから、
加えて、支払う必要の一切無い十億円という大金を差し出すという愚行を行ったのだから、
責任取って今すぐ辞任すべきであろうに。
自動車王、ヘンリー・フォード一世の表現に倣うならば〝国際秘密力〝と定義すべき金融資本、すなわち、グローバル銀行トラストは必然的に〝戦争〝を欲するからな。
その理由は以下の如しや。↓
〝資本の自己増殖〝とは〝銀行複利の幾何級数鼠算的人口爆発〝の別義に他ならない。
通常(平和時の)工場ライン稼働→市場→消費と言うフローチャートに於けるルーチンの繰り返しでは決して達成出来ない。
消費者は満腹(自足)すればそれ以上、購買活動をしないで済むが、工場ライン=産業資本家に資本投下する側、すなわち、銀行の後背地に控える約定的配当受給権利者、すなわち、預金者、転換社債購入者、株主等々のいわゆる、出資者たちは半期決算ごと、元本に比例する利息を要求するからだ。
先進国の経済成長率は3%台なら、出来すぎ君であり、通常なら、1~2%台を刻むのが精一杯だろう。
銀行家は逆鞘とシェア縮小を解消する手段として定期的人為的確信犯的に経済恐慌(バブル誘因、助長→破裂)とカタストロフとしての世界大戦を引き起こし、背任の証拠の隠滅を図らざるを得ないのである。
日本の歴史をねじ曲げて世界中に不名誉な嘘を垂れ流した嘘つき安倍晋三はさっさと退陣しろ!
Mr.斬魔刀「推参也!」
スレ違いなんや。
いや、安倍晋三が結んだ日韓合意ってのは、
日本の歴史をねじ曲げるインチキな内容の代物だよ?
安倍談話だって、村山談話の否定どころか、一層酷い日本悪玉論の内容…
このスレでは何度も指摘されたけど、
「日本だけが悪だった」
では片づけられないほど歴史というのは複雑な理由が絡み合っている
なのに、「日本だけが悪うございました」とか世界に宣言する馬鹿首相を批判するのは当たり前じゃないの?
いくら学術論争で日本の良い点が指摘されても、
「国の公式史観と違う」
という一言で黙らせる、暗黒社会が拡大したんだよ?
1945年8月15日以降の話題は要らん。
スレ穢すな。
スレ違いの異物混入やで。
おいおい、日韓合意の内容は「それ以前」の内容だぞ?
安倍談話についても「先の戦争」についての内容なんだから「無関係」じゃないだろ…
むしろ、ここでどんなに吠えた所で、馬鹿首相の馬鹿な歴史観のせいで無駄になる事を批判してんだよ
旧約聖書のエピソードに喩えるなら、アマレク人の助命を恣意的に図ったサウル王が該当する。
スレ立て人は我が昭和大帝は決してそうではなかったと信じている。
故に、(大東亜戦争の)敗北の原因は我々国民自身に求められるべきだ。
賢明な日本国民はその事を十分に心得ている。
しかしながら、再び申し上げる。如何に善良で賢い日本人民と謂えども、仁弱かつリベラルな啓蒙君主を戴いては共同体を維持する事は極めて困難である。
その理由を求めらく、本来、〝皇帝〝とは、大権、インペラートル、すなわち、大元帥と同義であるからだ。
〝仁弱な〝インペラートルなど矛盾も甚だしい。
〝皇帝大権〝を我らが君民共治の理想境、扶桑聳える敷島の大倭(やまと)の國の不磨の大典(のり)として復活させたい。
「日本は正しかった」
「日本は決して悪の国ではなかった」
と主張したら、
「国の公式史観と違う」
とかいう意味不明な理由でクビにされた
田母神個人が問題発言を繰り返す問題人間であったとしても、言論の自由は有るはずだ
なのに言論の自由を一切認めず国の公定歴史観だけを奉じねばならないというのはおかしいのではないか?
まして総理や政治家は「歴史の専門家」ではないのだ
歴史の専門家でも何でもない、むしろ一介の歴史ファンにすら知識量では劣るであろう無知な人間が、
勝手に歴史解釈を定めて、それに反する歴史観はケシカランと圧殺しようとしているのが今であり、
それが問題だと言っているのだが?
悪意の書き込みにしか見えん。
単なる現政権批判じゃなく、現政権が余計な「歴史認識」を振りまいているから批判の対象となるのだが?
お前は、歴史の専門家でも何でもない政府が、
勝手に韓国や中国の気持ちを「忖度」して歴史をねじ曲げている事について、
「批判するな!」とでも言い出すつもりか?
だったら一体何の為に「大東亜戦争を洗い直す」必要が有るんだ?
お前は歴史なんか一切勉強する事無く、政府がこうと決めた公定歴史観をひたすら奉戴していれば良いではないか。
ここは歴史板やぞ。
板違い、スレ違いを指摘されてる事に対し、屁理屈こねるな。
政府批判ではなく、政府の「歴史観批判」は板違いでもなければスレ違いでも何でもない。
むしろ政治板でこそ板違いなのだが、この馬鹿はそれは何とも思わないらしいw
お前には「大東亜戦争を洗い直す」権利など無い。
政府が中国や韓国に気兼ねした挙げ句に「こうだ」と公認した歴史観だけをひたすら崇め奉っていれば良かろう。
所詮そんな物は「政治的妥協の産物」でしかなく、「真の歴史」とは程遠いくだらない代物でしかないのだが、
「政府の歴史解釈を批判するのは、歴史板では板違い」
などと言い出す馬鹿キチガイは、黙って政府の歴史観をそっくりそのまま受け入れて疑う必要も無かろう。
何で「洗い直す」必要が有ろうか?
「ボルネオ島で飛行訓練してれば良かった」
という歴史ifが許されるのに、
「朝鮮併合などせず、朝鮮併合にかかった全額を大和型戦艦の量産に充てていれば良かった」
というifが許されないのは何でだ?
二つ目。
日本政府のデタラメな公認歴史観への批判を許さないのに、何故、
「疑問点の数々をここで挙げて頂き、今一度、同戦争を洗い直して」
みる必要など在るのだろうか?
「日本政府がこう述べている」というデタラメ歴史を、そっくりそのまんま信奉していれば良いのだから、何らの疑問も存在しないし、洗い直す必要も無いではないか?
三つ目。
政府への批判ではなく、政府のデタラメな「歴史解釈への批判」だと言うのに、なぜこれが「板違い」で「スレ違い」なのか?
「歴史解釈への批判」は「政治板でやるべき」とはどういう事か?
政治板の方が歴史板よりも専門家が集っているとでも言いたいのか?
四つ目。
日本政府のデタラメな、そしてあまりに自国と自国の先人たちを冒涜する歴史観を批判すると、何故、
「中核派」
なのか?
勝手なレッテル貼りではなく、確固とした理論的根拠を教えて頂きたい。
それこそ、安倍晋三が好んで持ち出す文句を引き合いに出すのなら、
「印象操作はやめて頂きたい」
柴山昌彦首相補佐官は、日本人にとって非常に大事な皇室の事について、
「そんなもの」と言い放った。
この柴山議員の不敬極まる言動を批判する事も、
「中核派」で「ただの反安倍主義者」で「板違いでスレ違い」なのであろうか?
日本の歴史と、皇室の歴史や存在とは切っても切り離せない関係に在る。
「そんなもの」呼ばわりなんぞもってのほかであろう。
こんな人間が、安倍総理のお気に入りで「首相補佐官」などという要職に就いている事は厳しく糾弾されなければならない。
当然の事ながら、こんな人間を首相補佐官に任命した安倍晋三の「任命責任」も問われるだろう。
思想的に自分に近いから「首相補佐官」に選んだのであろうし、
皇室について「そんなもの」呼ばわりした柴山議員の姿勢は、安倍晋三の姿勢と同一であると見なしても差し支え無いだろう。
つまり、安倍晋三その人も、皇室の事を「そんなもの」と見下げているのである。
日本人にとって最も重要と言っても過言ではない皇室問題についてすら「そんなもの」呼ばわり出来るのであれば、
大東亜戦争や歴史解釈の問題なんぞ「それ以下」の扱いでしかなかろう。
大東亜戦争は悪だった、侵略だった、日本が永遠に背負い込まなければならない十字架だ
みたいな河野談話、村山談話、安倍談話みたいな、
政治家の勝手な思いこみと、近隣諸国への勝手な配慮と歴史捏造を批判する事もスレ違いなのかね?
重ね重ね指摘する事になるが、
「日本だけが悪だった」
という解釈では歴史という物は理解出来ない。
政治家の発する談話は、そこの所がさっぱり理解出来ていない。
ただ、ただ、近隣諸国との間の摩擦を避けよう、避けようとしているだけで精一杯の、歴史の捏造ではないか。
大東亜戦争を洗い直すのであれば、当然、現行日本政府の政府解釈についても異議申し立てを行わなければならなくなる。
日本だけが一方的に悪だったなどという歴史解釈を、断じて認める訳には行かない。
そもそも、歴史というのはそんな単純バカな物ではない。
片方だけが一方的な悪だったなどという事は、仮説であっても有り得ないのだ。
まして、大東亜戦争の評価については、GHQや近隣諸国が決めるなどというのは言語道断であろう。
そんな存在に「配慮」して、歴史をねじ曲げるなど、先人に対する無礼も甚だしい。
米国は支那大陸の経済的利権と日本に対する警戒心で本来の敵を間違えてしまった。
建国の精神から言えば、資本主義、自由主義が基本の筈。それなのにソ連という共産主義、支那の共産化と戦っていた日本を敵に回してしまった。
むしろ、日本と共に共産主義に立ち向かうべきだった。
しかも朝鮮戦争の中途半端な終わり方で、いま北朝鮮問題で右往左往している状況。
そうすれば、広大な植民地を失うこともなく、今のような貧乏国になることもなかった。
イギリス経済は、ケインズの分析によれば、既に植民地大国であった時点で斜陽に傾いていたようですけどね
何しろ、イギリス経済は、第一次大戦終結から世界大恐慌を挟んで延々ずっと大不況だったらしいので
その間の大蔵大臣に適任者を得なかったのが最大の原因
(中には日本人の大好きなチャーチルも居るが、そのあまりの無能さにケインズはボロクソに批判して一書奉っている)
第一次大戦の復興期である1920年代に用意してしまった事。
チャーチルは日本人が思ってるような「反共の闘士」などではない。
「己の信念」に基づいて「ブレない」政治を行っていた訳でもない。
その場その場の立場に合わせて自分の政治的主張を切り替えてきたカメレオン的人物なのだ。
例えば、第一次大戦で海軍大臣を務めたチャーチルは、第一次大戦終結後に大蔵大臣を拝命した。
世間は当然今までのチャーチルの主張から見て、軍拡を主張するのだと考えていた。
しかし、チャーチルは世論に迎合して大幅に軍備を縮小してしまった。
植民地の防衛はおろか、イギリス本土の防衛すら不可能な程に大鉈を振るった事で世間は拍手喝采したが、
後々このせいで、イギリスはナチスドイツの軍拡に対応出来なくなる。
ボールドウィンやチェンバレンの「融和外交」が酷評されるが、
(しかも、チャーチルその人ですら批判していたが)
その原因を作ったのは、他の誰でもない、チャーチルなのだ。
しかも、戦後復興期で大量に資金需要が有った時に、逆行するかのような資金の流れを止めるデフレ政策を行い、
加えて、ヴィクトリア朝の絶頂期の頃の金本位制に復帰するなどというとんでもない愚行を犯した事で、
イギリスは、1929年の世界大恐慌前から万年不況に喘ぐとんでもない国家になっていた。
チャーチル大蔵大臣の無能さは、まさしく万死に値する。