アントニウスの一生・生涯・人生
世界史に登場するアントニウスの一生・生涯・人生
カエサルのガリア遠征に従軍したアントニウスは紀元前49年に護民官となり、ローマ内乱の際にはポンペイウスと対立するカエサルを支持します。カエサルがポンペイウスを追ってエジプトに渡ってからは、 騎兵長官としてイタリアでの軍団の指揮権を任されました。暗殺されたカエサルを追悼する演説でローマ市民の支持を集め、そのために暗殺者たちはローマから退去せねばなりませんでした。一時は不和であったオクタビアヌスと和解し、レピドゥスと組んで第2次三頭政治を行います。紀元前42年の「フィリッピの戦い」でカエサルの暗殺者たちの軍隊を破って翌年にはエジプトへ渡りました。エジプト女王クレオパトラと会見し、彼女と恋愛関係になったアントニウスは、一冬をエジプトのアレクサンドリアで過ごしてからイタリアへ帰還します。 東方の属州の支配権を得たアントニウスは、オクタビアヌスの姉オクタビアと政略結婚して三頭政治を強化しますが、エジプトを訪れると再びクレオパトラに魅了されてしまいました。妻オクタビアを実家に返し、アルメニアを征服すると東方の支配者気取りで振る舞って、クレオパトラにローマ属州の多くを勝手に譲ります。オクタビアヌスは元老院にはたらきかけて、姉と正式に離婚したアントニウスの権限を剥奪すると、エジプトのクレオパトラに宣戦しました。アントニウスとクレオパトラの連合艦隊は「アクチウムの海戦」でオクタビアヌスのローマ艦隊に敗れてしまい、自分の軍団にも逃げられたアントニウスは捕らえられ処刑されるのを恐れて、自らの剣で自殺します。