アレクサンダー大王の一生・生涯・人生
世界史に登場するアレクサンダー大王の一生・生涯・人生
ギリシャ北部にあるマケドニア国の王フィリッポス2世は、テーバイのエパメイノンダス将軍やペロピダス将軍から革命的な戦術観を学び、彼の後を継いだ息子アレクサンダーによって画期的な戦法が完成されました。紀元前336年に父王フィリッポスが暗殺されて、20才のアレクサンダーが即位すると、ギリシャ諸国はマケドニアの支配を逃れようと不穏な動きを見せます。 アレクサンダーはすかさず行動を起こしてギリシャ諸国を押さえ、反抗の気運を鎮圧するため東方と北方に遠征しました。遠征中、ギリシャに反乱が再発するとアレクサンダーはすぐにギリシャへ戻り、再び戦わずして大半のギリシャ人を降伏させます。しかしテーバイだけは抵抗を続けたので、この都市だけは徹底的に破壊してしまいます。 紀元前334年の春にアレクサンダー率いるギリシャ・マケドニア連合軍はダーダネルス海峡を越えて大遠征を開始しました。現在のトルコ北西端にあるグラニコス川でペルシャ軍と戦って勝利し、翌年にはイッソスで、ペルシャ王ダリウス3世が直接率いるペルシャ軍を再び破ります。 フェニキア(現在のレバノン)の沖合いの島にあるティルス城塞の攻略には7か月もかかり、紀元前332年にやっとティルス市を手にしたアレクサンダーは、8千名のティルス人男性を虐殺し、多くの女子供を生き残った男性とともに奴隷として売り払いました。エジプトをあっさりと降伏させて、その海岸にアレクサンドリア市を建設します。遠征軍はシリアからチグリス・ユーフラテス川を越えて、ダリウス3世の待つガウガメラに到着し、この地でペルシャ軍との大決戦に挑みました(BC331年)。「ガウガメラの戦い」でも勝利したアレクサンダーは、バビロン、スサ、ペルセポリスとペルシャ帝国の都市を次々に降伏させていき、ダリウス3世自身は裏切った側近に殺されてしまいます。 ペルシャを征服してもアレクサンダーはまだ満足しませんでした。さらに軍を進め紀元前327年の冬にはインダス川流域に進撃します。ここで200頭もの戦象を持つインド軍と戦い、遠征軍はかなりの損害を出しながらもなんとか勝利しました。しかし、部下の将兵はもうこれ以上進むのはご免だとアレクサンダーのインド征服を拒否します。アレクサンダーは信頼していた部下たちの協力が得られないことを知るとやむをえずバビロンへと引き返します。 2年後、アレクサンダーは病気で亡くなり、彼がせっかく作り上げた大帝国は部下の将軍たちによってバラバラに分割されてしまいました。