アッティラの一生・生涯・人生
世界史に登場するアッティラの一生・生涯・人生
434年頃からフン族の王として活躍したアッティラは、西はアルプス山脈からバルト海、東はカスピ海付近までを支配したと伝えられています。 441年、アッティラは東ローマ帝国に高額の貢納金を求め、その不払いを理由にして戦闘を開始しました。ドナウ川周辺に進出したフン族の軍隊は、東ローマ帝国領内にも侵入していきます。 443年に東ローマ帝国と講和を結ぶと、南方へ進撃してギリシャに侵攻、続いて西ローマ帝国をめざしました。451年にライン川を渡り、オルレアンを攻囲しますが、「カタラウヌムの戦い」で西ローマ軍とゲルマン諸部族の連合軍に敗北してしまいます。その後のフン族はガリア地方を経由して北イタリアに入り、ベルガモ、ミラノ、ベローナなどの都市に襲いかかりました。ローマは莫大な貢納金を払ってアッティラと講和を結びます。しかしこの時のアッティラの軍隊には数多くの疫病が流行しており、ローマに攻め入ることなど不可能に近かったのです。 イタリアから撤退したアッティラは、王国の都に戻ると次の年にイルディコという名の美女を娶ります。 彼女は、アッティラにとっては数多くの妻の一人でした。結婚式の祝宴で飲みすぎた彼は初夜の床で激しく吐血し、自らの血液に溺れて窒息死してしまいます。従者が発見した時、息絶えたフン族の王のかたわらには、新妻のイルディコがベールで顔をおおいながら震えて泣いていました。 アッティラの死後、フン族の王国は解体します。468年にアッティラの王子デンゲシクが東ローマ帝国に侵入しますが、捕えられて斬首されてしまいました。彼の首はコンスタンチノープルの円形劇場でさらしものにされ、フン族の王国は滅亡、他の民族に吸収されたフン族は歴史から消え去ります。