ガストン・ド・フワの一生・生涯・人生
世界史で活躍したガストン・ド・フワの一生・生涯・人生
ガストン・ド・フワ(1491年~1512年)
スペイン王の義理の弟であるガストンは、同時にフランス王ルイ12世の甥でもありました。 1511年、彼は21歳の若さでフランス軍の司令官となり、ローマ教皇ユリウス2世の「神聖同盟」軍に立ち向かうことになります。フランス軍は北イタリアにおいて、ベネチアの軍勢からなる教皇軍を駆逐すると、戦略拠点ラヴェンナに向かって進撃を開始しました。ラヴェンナを押さえられるとベネチアは、フランスに従わざるを得なくなり、ローマ教皇は本拠地ローマをフランス軍に直撃されるかもしれないのです。 1512年4月、ガストンはラヴェンナを包囲して攻撃を開始しました。数日後、スペイン軍を主力とする教皇軍がラヴェンナの救援に駆けつけたことを知ったガストンは、スペイン軍の司令官レイモンド・カルドナあてに挑戦状を送り、4月11日の朝に戦闘を開始することにします。砲撃で始まった戦闘は激烈を極め、 フランス軍の騎兵隊の効果的な突撃は、カルドナのスペイン軍に退却を余儀なくさせました。自らも馬にまたがり追撃に夢中になっていたガストンの前方にスペイン軍の槍兵が立ち塞がります。かまわず突撃していくガストンの脇腹に鋭く長い槍が突き刺さり、落馬した彼の体には、周りから集まってきたスペイン槍兵によって無数の槍が打ち込まれました。 「ラヴェンナの戦い」でフランス軍は司令官を失いましたが、戦闘ではなんとか勝利します。しかしながらフランス王ルイ12世は、なぜかそれ以上の進撃を命じませんでした。このチャンスにローマ教皇は、急遽、 公会議を開催して自らの権威をアピールすることに成功します。その結果、勝利したはずのフランス軍は撤兵するしかなくなりました。