チェ・ゲバラとは
1967年ボリビアの山中にてチェ・ゲバラはボリビア政府軍に捕らわれ、裁判にかけられることもなく殺されました。あれから、実に40年の年月が過ぎたボリビアにて革命が始まりました。チェが生きていたときと決定的に違うのは武装闘争によって革命が始まったのではなく議会制民主主義に基づいたやり方であることです。40年前の南米諸国の少なくない国では、軍事独裁政権の圧制が行われていたので、貧困と搾取を本当になくそうとすれば武装闘争をせざるを得なかったことは一つの真実ではあります。
2005年12月18日の大統領選挙においてボリビアの先住民アイマラ族出身のエボ・モラレス氏は当選を果たしました。翌年の1月の大統領就任演説でエボ・モラレス氏はこぶしを高く上げて語ったのでした。
「この戦いはチェ・ゲバラに続くものだ」
「疎外され、さげすまれてきた我々の歴史を変える」
ボリビアは、天然資源に恵まれた国ではありましたが、対米従属政権のもとボリビアの資源が人民のために使われるのではなくもっぱらアメリカ資本に奉仕する状況でした。このために、ボリビアの人民の多くは貧しい生活を強いられていました。
南米諸国は、新自由主義政治がある意味日本以上にドラスティックに行われました。ジャーナリストである伊藤千尋さんがよくおっしゃることですが、日本の小泉純一郎前総理のような政治が南米大陸でとくに1990年代に行われていました。否、小泉純一郎前総理よりももっと徹底的に。
ボリビアとて例外ではありませんでした。ボリビアにおいてとくにひどかったのが水道局の民営化です。日本でも中曽根臨調行革以降、新自由主義政治のもとで公共部門の民営化、すなわち本来国が責任を持つべきことであり同時に市場原理になじまないものを市場経済の中に放り込むような政治が行われてきました。政権交代がなされた今でもこの傾向はなくなっていません。というのは、残念なことに民主党には新自由主義からの決別という明確な姿勢がないからです。それでも、日本では水道局の民営化が全国的に行われてきたわけではありません。東京都では東京都水道局が都内の水道に関して責任を持っているわけです。これは、やはり人々の命と健康にかかわることだからです。ところが、ボリビアではコチャバンバ市において公営水道局まで民営化が導入されました。1999年のことです。
公営水道局が民営化されるというのは、利潤追求第一主義がライフラインに持ち込まれるということです。ボリビアのコチャバンバ市では、米国の多国籍企業ベクテル社資本下にあるアグアス・デル・ツナリ社の運営の元で水道料金が2倍にも跳ね上がったのです。貧困世帯では水道料金が所得の2割から3割も占めるようになってしまいました。人間の体の6割は水でできています。生活するのに水は不可欠です。値段が高いから水を摂取しないとというわけにはいきません。当然、コチャバンバ市民は黙っているわけではなく激しい抗議活動を行いました(【参照ページ】http://www.news.janjan.jp/world/0611/0611295570/1.php)。
結局、人民の世論と運動により水道局は、公営に戻されていきました。この戦いは、「水戦争」と呼ばれています。
もうひとつ、現在のボリビアを語る上で欠かせないことがあります。それは、「コカ戦争」と呼ばれる出来事です。むしろ、これ抜きにエボ・モラレス大統領を語ることはできません。
コカはコカインの原料となる植物です。しかし、コカの葉を煎じて飲む分にはお茶です。コカの葉を化学精製してはじめてコカインが作られるのです。コカ茶はボリビア先住民にとって伝統的な飲み物です。コカ茶には高山病の症状を癒す作用があります。ボリビアや隣のペルーを訪れる観光客が高山病を予防するためにも飲まれているのがコカ茶です。日本人の観光客だって、ボリビアを訪問したときに高山病の予防などのためにコカ茶を飲みます。化学精製しなければコカ茶はまっとうな、ボリビア先住民の伝統的な飲み物です。日本で言えば、静岡のお茶畑で栽培されている日本茶みたいなものです。
ところが、アメリカは、コカの葉がコカインの原料になるという口実でボリビア政府に圧力をかけてコカ茶の畑を焼き払わせようとしました。そして、対米従属のボリビア政府はコカ茶のお茶畑に火炎放射器を使用して焼き払おうとしました。お茶畑は膨大なのでアメリカはじれったく思ったのか最終的には爆撃機でもってコカ茶のお茶畑にナパーム弾を撃ち込んでお茶畑を焼き払おうとまでしました。もし、静岡のお茶畑を自衛隊が火炎放射器で焼き払う、あるいは在日米軍が静岡のお茶畑にナパーム弾を撃ち込めば多くの国民は怒るかと思われます。実際に、コカ茶のお茶畑を焼かれたボリビアの農民は怒り猛烈な抗議を行いました。「コカ戦争」と呼ばれた抗議行動の先頭に立ったのが、コカ栽培農民組合代表のモラレスだったわけです。
「水戦争」、「コカ戦争」と呼ばれる出来事は、1990年代に入ってアメリカべったりの政府が新自由主義政策をとり、民営化省までつくって水道事業をアメリカに売り渡そうとするなど、国民のライフラインまでアメリカ系の資本に売り渡し、社会のあらゆる分野を資本の、アメリカ系資本のいけにえとし貧困と格差を拡大していったことに対するボリビア人民の怒りに根ざしていました。なお、「水戦争」は、IMFが債務返済の条件として水道事業の民営化をボリビア政府に要求したことを考えれば、「水戦争」はボリビア人民による、アメリカの経済覇権主義に対する闘争である、という真実を私たちは見据えておくべきです。
2003年にはボリビアにおける反政府、反米活動はいっそう強まりました。政府が財政赤字を減らすためという口実で所得税の増税を人民に負担させようとすると警察官が真っ先に反乱を起こし、事態は警察と軍隊との銃撃戦にまで至りました。
ボリビア政府が、天然ガスをアメリカに格安で輸出しようとしたときには、ボリビアのなけなしの天然資源がアメリカに根こそぎ搾り取られると全国規模での反対運動が盛り上がりました。この全国規模の反対運動を組織したのがモラレスでした。これは「ガス戦争」と呼ばれる出来事です。これがきっかけでボリビア全土は暴動状態となり大統領はアメリカへ亡命しました。
2005年の大統領選挙でエボ・モラレス氏は勝利し、翌年の大統領就任演説では左手のこぶしを振り上げ、
「疎外され、さげすまれてきたわれわれの歴史を変える。不公正と不平等を終わらせる」
と宣言しました。
2009年12月6日の大統領選挙でエボ・モラレス大統領は61%~63%の支持を得ました。モラレス大統領は、非識字の克服など国民生活向上を最優先にした改革を実施し、アメリカ言いなりを断固拒否しました。2009年12月6日のボリビアでの大統領選挙の結果は、貧困と格差を拡大する新自由主義および対米従属からの決別への決意の固さを示しました。
「エボ、エボ、エボ」と喜びを爆発させる大群衆の中で人民に希望を与える改革を、貧困を根絶するための革命推進をすることへの決意を表明しました。
転載元https://blog.goo.ne.jp/aleido_che_guevara/e/3499c227aeaed4578826f9979eb111ab