ジャンヌダルクの一生・生涯・人生
ジャンヌダルクの一生・生涯・人生
ジャンヌダルクの一生
百年戦争では数々の英雄がその名を残しましたが、その中で最も有名なのが、16歳か17歳という若さでフランスの軍を率いて勝利をもたらした少女ジャンヌ・ダルクでしょう。当時は、“La Pucelle”という風に呼ばれていたそうです。今でこそ、“乙女”と訳されるようですが、当時のニュアンスではせいぜい“娘さん”という程度のものだったみたいですね。彼女が、救国の聖女だったのか、田舎出の女傭兵にすぎなかったのかは意見の分かれるところですが、決着はつかないでしょう。19世紀にナポレオンが救国の殉教者として大々的にPRし、19世紀半ば以降、詳細な研究が表に出るようになり多くの伝記作家によってジャンヌ・ダルクが描かれました。それまでは、開放したオルレアンや生地ドンレミの村の近くで語り継がれる伝説として残っているだけの存在だったのです。
1412年にロレーヌ地方のドンレミという小さな村で生まれたジャンヌは、信仰心の厚い両親に育てられ、信仰心厚く育ちました。13歳のときに初めて神の言葉を聴き、フランスを救えという声に従い王太子シャルルに会うためにヴォークールの街の守備隊長に王太子が居住するシノンまでの道中の便宜を図ってもらうために会いに行きました。当然のごとく却下されてしまいますが、辛抱強く請願を続けた効果があったのか、6人の護衛をつけてもらうごとができました。なぜ、それが叶ったのかは、さまざまな推論が立てられ、王太子の義母ヨラルド・ダラゴンの陰謀説や、ジャンヌ・ダルクの王族御落胤説などまで、さまざまな説が出てきています。
シノンで王太子に謁見を許されたジャンヌは、そこでひとつの奇跡を起こします。王太子シャルルはジャンヌを試すために王のいすには他人を座らせ自分は臣下と同じ格好で臣下とともに立っていましたが、彼女は迷うことなくシャルルを見つけ出したのです。その後、2人きりで何事かを話すと、シャルルはすっかり彼女を信じました。この時、何が語られたのかは分かっていません。
戦場へ赴いたジャンヌでしたが、王太子派の高位貴族や将軍たちは彼女をただの田舎娘と軽んじ、軍議にも参加させません。しかし、戦闘を続け、勝利を重ねると、彼女の情熱に心酔する兵は増えていきました。そして、ついに包囲されていたオルレアンの開放に成功するのです。そして、フランス国王と認められるために絶対にしなくてはならないランスでの戴冠式を成功させます。この頃が彼女の絶頂でしたが、やがて彼女の運命は下り坂を迎えます。パリを奪還することを強く主張するジャンヌは、イングランドやイングランドに与するフランス人勢力(ブルゴーニュ派)と、戦争ではなく和解によって平和を実現したいと考える宮廷と対立するようになります。交戦を主張するジャンヌは宮廷にとって邪魔者になり始めていました。それでも、ジャンヌにパリ攻撃をさせますが、それに失敗すると軍を解散させます。戦友たちと別れたジャンヌはそれでも少人数の兵士を引き連れ交戦を続け、ついにブルゴーニュ軍の捕虜となります。
シャルル7世は無情にも彼女を見捨てました。そして、イングランドへと引き渡され、1431年の初頭からルーアンで宗教裁判にかけられました。シャルル7世の正当性を否定するために、彼女を異端として葬ることは決まっていました。ジャンヌが異端として処刑されれば、異端の力を借りて王位についたシャルル7世の王位の正当性も否定できます。一度は見せかけの温情を示して彼女に悔い改めの誓いを立てさせた審問官は、次に彼女を陥れ異端のレッテルを貼り付けます。そして、5月30日に火刑は執行されました。直接の死因は窒息死でした。ジャンヌが絶命したことを群衆に示し、それから全身を焼き尽くされました。灰は聖遺物として利用されることを恐れてセーヌ川に流されました。
ジャンヌの死後5年ほどして、メッツに25歳になったジャンヌが現れるという事件がおきました。ルーランで死んだのは、イングランドが用意した偽者で、自分が本物のジャンヌだと証言する少女が現れたのです。この時、ジャンヌの兄弟までもが、本物であると証言しました。魔女として哀れな最後を遂げてしまった彼女に、どうしても生きていてもらいたい。同じ時代を生きた人たちの願いが生んだ幻のように思える事件です。
ジャンヌ・ダルクの復権裁判は25年がたってから行われ、有罪判決は無効という判決が下されました。そして1920年に、聖人として列せられたのです。
ジャンヌ・ダルクは同時代の貴族たちから軽視されていました。同時代を知る第一級とされる史料の中にもジャンヌの名前すら出てこないものが多いそうです。容貌ひとつにしても、従軍した将のわずかな記述があるだけなのだそうです。そのことがジャンヌの実像をベールの中に包ませています。ただの気違いと考えるにはその功績はあまりにも大きく、とても魅力にあふれた利口な女性でした。現代において、フランスのナショナリズムの体現者のように扱われてしまっている部分もあります。
現代の自分の扱われ方を見たら、彼女はどう言うのでしょうか。ジャンヌ・ダルクのイメージはある程度出来上がっているような気はしますが、今後も、新たな切り口でジャンヌの実像に迫ろうという作品は作られるだろうと期待しています。
http://www.turning-point.info/jinmeiJ1.htmlより