献帝の皇后達(董貴人・伏皇后・曹皇后) -三国志-
董貴人は董承の妹。
董承といえば曹操暗殺計画だ。
事は露見して一族皆殺しとなった。
このとき、董貴人は5ヶ月の身重であった。
伏皇后は「せめて、御子を生むまでは」
と許しを乞ったが、曹操は許すはずも無く、
哀れにも、董貴人くびりころされた。
お次は伏皇后、伏完の娘である。
李カク・郭シらの献帝争奪合戦の時から
献帝の共に行動してきた。
そして、伏皇后といえばやっぱり、曹操暗殺計画
(2回目)・・・(笑い)
穆順に父である、伏完への密書を持たせるが、事は
やはり、露見してしまった。
二重壁に隠れる伏皇后だったが、華キンらに髪の毛を
つかんで引きずり出されて曹操の前で棒でたたき殺されてしまう。
伏皇后の二人の皇子も毒殺されてしまった。
この後に皇后となったのが曹皇后である。
曹皇后は曹操の娘である。
曹操の死後曹丕が献帝に譲位を迫った。
曹皇后はこれを知って、曹丕の部下に激しくなじった。
しかし効果は無く、泣いて奥に入ってしまった。
献帝が山陽公になった後については不明。