【戦車】旧日本軍装甲車両スレwww
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1513262373/
■過去スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド
http://echo.5ch.net/test/read.cgi/army/1463822751/
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/
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【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1521181588/
要塞・重火砲について語るスレⅡ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合4式小銃【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1513231727/
スレが荒れている時には次スレを立てることがあったら>>1の一行目に
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と入力して下さい
こっこれは乙じゃなくて八九式中戦車のヂーゼルエンジン型なんだからね!
ワッチョイかー
小文字に効かないんじゃなかったっけ…まあすぐ分かるし同じか
その中で対空銃架や車載重機についてもちょっとだけ書かれてるねえ。
何故だろう?
チハの設計の影響が大なのは事実なんだけど
・統制一〇〇式積むけどこの際未洗練なところを一からいろいろ手直ししようぜ、ですっきりしたのがチヘ
そしてつぎはぎだらけのキメラみたいになってもチハでいいんじゃねというのが>>6の意見だと思うんだが
>>8のレス内容は(>>6じゃないよな?アンカーミスだよな?)
「最低限のところだけ増加装甲でなんとかしよー」なのか
「要部50mm装甲として改設計品ですませようや」なのかはっきりせんから何ともねえ
取り敢えずあなたとおいらの着眼点が違ってるのはわかったからOK
・実際に一部部隊で行われたような最低限の前面装甲追加(50mmでなく25+25mm)
・エンジン換装のため後部だけハコ延長というか拡大
・部品、図面等の流用のため、とにかく変更点は最低限に留める!
という趣向ならそれで間違ってないしいいんでない
工数が実際どれだけ変わるかとか疑問もあるけどそこは置いといて
ちなみにシャーマンは車体については工場毎にジグも図面も別々みたいだから
ほぼ単一工場で作ってた時期の国軍戦車の事例にはあんまし参考に成らないと思うの
まー改設計をなるべく少なくしたい!!なにがなんでもしたいんだい!!という話らしいからいいんでない
多分>>18の話のキモは図面や新規部品を最低限に留めるということなんだよ
素朴な疑問なんだが
よくラインて言うけど実際はどうだったの下丸子の製造現場
実はよく知らない(汗
チハの後期型相当の車体を統制発動機搭載に合わせて設計し直したようなものでは
本来のチヘは没になって簡易と言うか急造と言うか代替品のその車体に
チハ改砲塔の装甲増版みたいなものをのっけたのがチヘの生産車輌だから
>>8の考えは実地で行われたと言ってしまってもいいと思うの
レイアウトの変わったエンジンルームで
結局車体延長と転輪配置変更が求められるので実質チヘになるんじゃ
じゃあ影も形もないんじゃ
治具やらなんやら、生産ラインの変更がより面倒になるぞい
ただし統制一〇〇式発動機は縦に長いんで、どのみちチハに積もうと思ったら車体後部の誘導輪後ろまでエンジン室を拡大せにゃならず中身はかなりいじらないと無理だな
装甲厚変更する時点で、複雑な前面形状の変更はやらにゃならん改正になると思うし
それやったらジグはどのみち全更新になるだろう
(操縦手や前面機銃周りの装甲厚は変えない、という話であれば、また別だが)
工数(≒取得価額)自体もチヘ車体とほぼ変わらんことになると思うけどなー
どうなんだろね
まあ、下丸子は終戦まで手数・材料ともに余っていたらしいから、どっちみちあんまし意味のない論なのかもしれん
所謂チヘあるいはホイ車体は、もとは新世代洗車として開発されていたものから油圧サーボやシンクロメッシュ引いたものだから、チハの派生型という考えは根っからなかったように思える
そもそもチハは暫定的なであり、チヘが登場44年と遅れたせいで半端な存在になったとはいえ計画通り本命たるチヘ車体への移行を図るのは必然なことではあるんだけどね
車体(シャーシ)とは別なんで、装甲が局面か直線かなんて些細な差だろ
シャーマン戦車見ろよって話な
できたらやっとるだろあんな形状
治具から何までそうとっかえよ
型によりエンジンも違うから、それぞれ工場ごとの別ラインで作られる
M3リーとの混流生産までやってるので、ジグが違うとか図面が違うなんてのは別に大した話でもない
国軍でもチハとハ号、ハ号と89式、更には各種装甲車や牽引車を同一工場で作ってたりする
前面装甲部の形状が異なるなら、そこだけ枝分かれして作業になるだけじゃね?
/ ☆ ヽ || ● |
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/ ヘ (__人__) |<皆様、乙であります
/ヽノ彡,,.. .|∪| /
/ 丿,, /\ヽノ/ゝ 丶
(  ̄jヽ,/_l ヽ
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ヽ、,,_, {—} }。 {—} j
まず日本近隣満州まではインフラ整備都合で十分な道路舗装と石油インフラがせいびされてなかった
そもそも当時では狭い西欧やドイツーモスクワ間2000km?ですら道路足りてないのに
ここで日本ー満州ー中国ーアジアに道路を整備するのは当時のアメリカ、ソ連の工業力でも困難で10-15年で実現できない
都合道路のないアジアで故障なく広域移動し整備も手軽=軽戦車、豆戦車しか運用できない
レッカーあっても運用困難なんさ。これはソ連軍でも満州のほうがインフラだめでモスクワーベルリん間の戦車移動より無理やでと
なので原理的に軽戦車、豆戦車主力じゃないと機動戦自体が成立しない
流石にリベットはやめようぜってレベルの話ではあるけど
そして豆戦車に求められてたのはようは装甲ハンビーの性能で
日本軍は装甲ハンビー、無反動砲、迫撃砲手兵が良かったよと
けして当時の工業量でも無反動砲、迫撃砲、5000両規模の装甲ジープ、豆戦車などの整備
ってのは実現できない範疇でもなかった
日本軍は最初から近代化歩兵こそが欲しかったし、小規模の自動化近代化歩兵があればよく
それも物量で作れなかったわけじゃなかった
日本軍は戦車を工業会都合もあって先に戦車インフラありきで生産
火砲自動化も優先とやった
けど最大的に先に作るべきなのは自動化軽量化師団だった
結局シナ戦線の戦訓から戦車と自動車は敵の銃撃が集中しやすく
自動車は戦闘していなくても壊れるからやめろという話が過去スレで話題になってたけど
何スレ目だったか忘れた
「支那事変兵器蒐録」と「経験回顧録」の内容かな?
北満試験までやった後でボツったが
しかし九四式六輪自動貨車搭乗後のいすゞ車のもの以外ロクに使えたもんじゃなく、それ以前の熱河作戦では海外トラックに反し国産トラックはよく故障脱落してクレームになってる
国産(民生品)の方は信頼性はないわ馬力は低いわで散々な評判だったらしい
やっと性能上がってきたところで太平洋戦線開戦というタイミングの悪さもある
戦時急造トラックはもう言うまでもなく…
九四式は元々牽引車の代用になるように設計されたお高い品物なんで同列に扱えないっぽい
たぶん年間に供給される陸海軍の飛行機の数より少ないぐらいだ
自動車需要そのものは年3~4万台あるから、それだけ輸入してたわけだな
35年に1181台しか無かったんだからどんだけ規模も資本も小さいかわかるよね
40年45年に世界一流の自動車国の各種車両に質と量で対抗するのは無理
2.4トン以上の八八式高射砲牽引してたり、日本車らしからぬ耐久性持ってたり、民間仕様の三倍の値段かかってたり
日本はマスプロ苦手でこういう一品モノの少数生産になる
量はともかく、質の面ではいすゞ、日野重工がなんとか頑張ってたと思う
ヴィッカース・クロスレイ装甲車より飛躍的に性能向上した装甲装輪車は石川島ではなくこの二強に託していれば、国産でもっと良いのが出来ただろうね
ただそうした装輪装甲車より陸軍の興味は一式シリーズなどの装甲兵員輸送車の方に向いていたけど、いざ海外から入ってきた英軍ダイムラー装甲車の情報とかノモンハンで接敵したソ連軍BA-6装甲車などに触発されたらそれなりのものは仕上げてきそうな期待はある
武装は47mm戦車砲、九七式車載重機とかで装甲は12mm程度の。
ああ、夏休みだとか笑ってもらって結構よ…
そんな簡単なものじゃ無いのは分かってる
でも戦車よりはハードル低いわけで、戦車に振り向けるリソースの一部でも変えてりゃ、そんなに荒唐無稽とは思わない
陸軍はそもそも(半)装軌兵員輸送車とかを考えていたので、強行偵察や直接の機動戦を行う純然たる装輪戦闘車は戦車と比べ半端なものとみなしていたみたい。
主戦場が錯綜した地形の多い中国内陸部や太平洋戦域に移り変わったというのもあるがね
米英の装甲車って4ないし6輪で5~15トン級だぞ。我が国の戦車と同じ規模だ
4ないし6輪で、この重量を支えるという意味だぞ
これは戦車の転輪数より少ない数、つまり非常に強力なバネを作れないと駄目なのな
ついでにいうと装輪の利点である速度を求めると、サスペンション負担は更に引き上がる
更にはその大重量大馬力に耐えられるユニバーサルジョイント(作れるわけねえだろ)や
複数のデファレンシャルギヤも要求される(クラッチブレーキな装軌のほうがデフも無くて楽だぞ)
ろくな自動車作れないってのはこういう部分も厳しいってことなのよ
92式重装甲車や97式軽装甲車で十分に間に合ってるんだから、ここにIFなんかねえんだよ
3.5トンの九四式六輪自動貨車が1.5トン積載したら5トンになるのでよ
15トン強の重量物が装軌で動かしているチハを動かすよりも遥かに足回りは楽なのよ
ロクな自動車作れないというのは、トヨタとかでしょ
日野やいすゞにやれないときっぱり言って欲しいね
あの重量からくる中戦車の足回りやエンジンの故障や変速・偏向の難しさは知られていると思うが
ハ号と違うのは、既に15トン級で手に負えなくなってきたチハは故障が多く、特にそれを動かすエンジンは池貝渦流式よりマトモとされた三菱ザウラー式でさえ故障頻発してるんだなこれが
大馬力のディーゼルって難しいのよ
そして
・チハの15トン強の重量を支えるのは12個の転輪
・5トンの重量を支える6個のタイヤ
チハ改の実用化が可能な技術水準であれば、和製BA-6(10)的な5トン級の47mm砲搭載のモノはそこまで不可能と躍起に否定しにかかるほど高い水準ではないと思う
また一式六輪自動貨車では4.5トンで85馬力空冷ディーゼルとワンランク大掛かりになって3トンの積載量になる
こうした技術水準で、当時の日本はろくな自動車が作れないから云々というよりはまだ需要が無いとか言われた方が納得できるのではないかと思う
俺はチハ改の方がよほど重くて、当時の技術水準を考えれば背伸びしたものでよくやってのけたとさえ思うよ
良い技術はだいたい全部陸軍経由で他社に行くんだし
丁寧に手作業で作って高品質なんてのを装輪装甲車に適用したら
それぐらいなら戦車作るわってなるんじゃねえかな
そもそもBA6を例にしてるけど
あれはトラックベースのBA-Iの重武装化のBA-3の改良型で
これが完成するまでにBA-Iから4年かかってて
その多くは、トラックベースのシャシ、サス、変速機の問題への対応だ
トラックがあるから装甲車作れるねってのは、まさにBAシリーズの苦闘の道の再体験であり
ソ連以上に工業力の劣る我が国で
同等以上の完成度と時間短縮が可能だと思える根拠は何処にもない
そこまでしてもBA6は小火器で抜かれる装甲()しか持たないしね
97式軽装甲車で十分じゃんてオチになっちゃうのよ
更新してなかった
ソ連もまた苦難の道であり
日本もまた苦難の道の末に一式六輪自動貨車を製造したわけだ
あと九七式も最大12mmの装甲厚で、当然側面や後面は危ないよ
同程度の防御力の九七式で、っていう根拠にはならないと思うよ
BA-10では多少厚くなるしね
出来ない出来ないといっても、出来ちまったもん(九四式六輪自動貨車、一式六輪自動貨車)はしょうがねぇべ
それが活躍した事実を抹消できない
チハだってできたのだから、それより安価な装甲車が出来ないとは考えにくいのよね
良いトラックがあるからそれでBA作れるかというと、何回も作り直さないと出来ないし、それで作れるのはBAに満たないもの
そして一式トラックの4年前に97式装甲車はもうあるのね
速度も防御もBAに比して劣るわけではない装甲車はもうあるんだ。
BAもどきを1式トラックから作っても、それは97式より5~10年あとで
94式から作って1式なみの強化されたものを導入しても完成するのは一式のタイミングだべ?
もう97式があるのに、それに劣るとも勝らない装甲車を作る意義は?
47mm砲だって登場は結構遅いし、装甲車に乗る47mm砲塔が作れるなら軽戦車や軽装甲車に乗せればよくね?
諸外国の例を見るに装輪だから軽くかつ低馬力でも高速出せて纏められるんであって既存の軽戦車にポン付けしたら5トンどころか9トン超過ぐらいは必然という気がする
そしてそもそも見て貰えば分かるけど九七式軽装甲車には乗る余地がないぞ
装軌で47mm軽装甲車というなら馬力も大きくしないと速力が出ないし、そして必然的に重くなるよ
そのままだと恐らく馬力荷重の面で履帯でも不整地能力を活かせない
ならまだチハ改の方がいいんじゃね
そもそも九七式軽装甲車のコンパクトな車体に収まりが付く根拠とは?
軽装甲車ってデカイのを新規開発するってことなら、多分軽戦車の枠に入るね
はて、軽装甲車は37mm砲乗ってる戦車もどきだぞ。
あれに47mmが載せられないなら、載せられる装輪装甲車はどんだけでかい車なんだ?
97式軽装甲車や95式軽戦車よりも大きな武器が乗る大きな車体で
軽戦車や軽装甲車よりも重武装で同等ぐらいの防御があって、軽い?
え?
それがね、九七式軽装甲車に乗せられないのは、砲搭がもう操縦席のところまで来てるんですよ
ちなみに45mm砲搭載のBA-6はどれだけ大きいかというと全長で1mほど長く、搭乗員は4人、内部容積は比べ物にならない程広く、それでいて重量はそこまで変わらんのです。
ちなみにチハと某所で比較に挙げられるSd Kfz 234はですね
11.74トンで5センチ砲搭載、側面は薄いですが正面は30mm、航続距離は数倍の900~1000kmとあるわけ
装輪装甲車の車体と軽装甲車の車体はそもそも別と考えた方がいい
45mm砲搭載「戦車」と45mm砲搭載「装輪装甲車」では全然違ってくる
これでいて九七式軽装甲車より高火力
BA-6が45mm砲の戦車の代替として使われ、同じ様に大損害を受けたわけだから、47mmのプラットフォームとして比較対象はチハ改と見ている
チハ改と比較するなら遥かに軽量安価で整地機動力が高く棲み分け出来るんだよね
そもそもチハ新砲塔が昭和17年配備だから
同時期に高速軽量対戦車車両を作ると考えても
すでにある軽装甲車や軽戦車の車体にまずは乗せるでしょ
97式軽装甲車の計画時に装輪車という案があっても、それで完成するのは37mm砲車だ
全部白紙でBA6という完成品を丸コピするなら、まあ作れるかもしれないが
原型45mmよりも高初速な1式47mmの反動で困るだろう
そしてそれが97式軽装甲車や95式軽戦車に47mm積んだものに勝る要素はない
路上機動性?
40km出れば変わらんよ。
ハイウェイならまだしも、未舗装路を走るのに大して速度出せないからね
装輪車の利点は簡単に安く作れるとこで、性能じゃなく、路上性能すら優位ってわけでもない
94式6輪のように丁寧に高コストで作って高性能とかじゃ優位点が無くなっちゃう
そして安く簡単に作るとトヨタや日産でやらかしたようになる
我が国で装輪装甲車がぱっとしないのはちゃんと理由があるのだ
まずトラックの車体と軽装甲車の車体は全然大きさが違うのですよ・・・
重量の割に1mとか1.何メートルとか長いんですわ
トラックベースのBA-6とか見ても同じよ
大事なのは砲塔リングのサイズで、まず最初に隘路になるのは車体幅なの
そして車体幅はトラックでも装甲車でも軽戦車でもほぼ同じ
装輪車に47mmが乗る砲塔を装着できるなら
その砲塔は車体補強してリング拡大すれば軽戦車や軽装甲車にも乗せられるのだ
実際に95式戦車のリング拡大してチハ旧砲塔載せてるでしょ。あのぐらいまでは行ける
なおリング径が砲反動吸収能力なんで、47mmをチハ新砲塔より小さくする技術は日本だとかなり難しい
ソ連はスターリン重戦車のサイズに122mm積んじゃう国だ。日本とは隔絶してる
そして彼らの45mm砲は我が国の47mmより低初速なのだよ
世界最高レベルの装甲戦闘車両開発能力のある国で出来たからって
日本でより強い砲を使って真似しようとしても、そりゃ無理って話に終止するわな
そもそもT26戦車に45mm積めちゃう国だからね。全然凄いんだよ
だから、側面を広げてリング径を拡大しようにも、側面はそれでなっても前後は、後ろにはエンジン前にはもう寸前まで操縦席があるんでしようにも出来ないんよ
少し考えれば分かると思うけど
だから軽戦車にはつめても軽装甲車には無理なんよ
んで、そのクラスを積んだ軽戦車の重量がどうなるかは判断してるよね?
何ら「これで代替がきく」ものでもなければ重量も何もかも全くの別物にしかならない
T-34でわかるように、運転席やエンジンルームの上にリングが来てもリングの機能は問題ないよ?
出入りが不便だろうけど、運転席をもっと前に出すとか前にハッチつけるでも対処は可能だ
どこにも難しいほどの要素はないと思うが?
被った
運転席を前にするには後輪駆動にしないと無理じゃ無い?
九七式軽装甲車に47mm砲塔が積めるほどの技術力と本気で考えているなら47mm砲搭載のそれなりの装輪装甲車を実用化出来ると思うけどね
Sdkfz234ってモノコックだからね
装軌と装輪の差じゃなくて、フレームシャシに骨組み付けて装甲板を貼るのと、モノコックで作るのの差が加わるんだよ
歪みのない厚板を歪み無く組み付ける技術があって初めて可能な高度な自動車製造技術の反映で
たとえドイツから設計図貰ってきても日本では作れない
この一例を見ても、高性能装輪装甲車を可能にする技術というものが日本にはないのが良く分かるね
残念ながら高性能戦車を可能にする技術というものが日本には無いわけだけどね
軽装甲車に積もうなら車体延長は確実だね
もちろん車体上部は八九式みたいに履帯上に車体上部戦闘室が張り出し、その上に砲塔が乗る歪なスタイルになるね
もちろん縦も伸ばさんといけんから、エンジンをもっと後ろに下がるか、操縦室を前進させるしかないね(でもこの場合でも変速機で前が無いから車体前方は延長…)でいよいよ軽戦車と分からなくなるね
歩兵、砲兵を置き去りにして装甲車隊だけ先行しまくってもあんまり意味がないよね
そして最大の問題は、他の軍用自動車と製造リソースの奪い合いになっちゃうという点か
低品質でもいいから輸送用トラックを一台でも多く前線に流し込む方がよほど全体の底上げになりそう
47mm装備らしき五式軽戦車とかが数年前倒しになる方があり得るかもしれない
ケホ車が数年前に実用化できる技術力があったら
チホ車かチヘ車原案が素直に実用化できてた気がしないでもない
何するにしてもエンジンと操向装置がね…
どうしても47mmに拘るなら、Da47/32みたいな軽量で低初速の47mm砲が欲しくなると思うけど
それなら37mmの初速上げたやつでいいじゃんというごく当たり前な結論になってしまう
結局、昭和15年以前に装輪装軌問わず小型車輌に載せられる戦車砲としては37mm級までだったと思うよ
ケホ車が載せる予定だったのは四七粍の短砲身型だから、それを数年前に実用化するとなるとその前段階の一式四七粍の開発も早くしなければならず…
まあ火砲は例えば一式47mmと並行で開発を進めれば
47mm短と類似のスペックのをデッチ上げるのは不可能ではないだろうけど
エンジン技術の方はどうしようもないというね…
分割して板を製造して溶接で貼り合わせて製造したりしたからな
Sdkfz234みたいに面積の小さい板を使って多角で構成するのは
1枚板の面積の大きな防弾鋼板が作れない企業でも納入できるメリットがある
デメリットは溶接工程が増えることだな
ミスったDurchbruchswagen 2じゃなくてDurchbruchswagen 1の頃だった
初速は10m/s差で似たような物だし
聞いたことないんだが、ディーゼル機関を選択した
という事から派生する、大重量・大容積というのであれば
なっとくもするが、低出力をいうのであれば空冷ディーゼル
を選択した時点で仕方のない事だが、そこそこ頑張ってるんじゃないの
航空・車両・はもちろん、船舶ですら重量当たりの出力が劣っているのが・・・
同じ出力なら日本の方が缶室等の面積がでかくなる
この手のは基本精度と末端まで積み重なったノウハウの問題になってくるので
設計や製造の工夫だけではどうにもならん
基本的に発動機関連は常に劣勢だった・・製造能力もね
陸でも空でも発動機の能力で日本が上回るってのは基本無い
陸・空で言えば、燃料の質(→主に空)
燃料の量(→主に陸)が問題なのであって
冷却方法が主に空冷である事が問題の本質では?
液冷という事では、エチレングリコールそのものの
在庫という事かな。
ハ40発動機が原形の液冷→水冷になった様に。
液冷だから100%良策と言い切れるものでもないようだし。
あの馬力(150乃至170馬力)から412馬力(排気量21,220→約36,000CC)
まで引き上げたのだし、低評価を下す必要は、ないのでないかな。
只、一般に高出力の発動機を開発するには、排熱が大きな要素になることは、
必然と思います。
統制型発動機の場合は、空冷・水冷とも同出力という事は、機械的な安全率を大きく
見積もっていたという事だと思います。
航空機の発動機については、開発陣からハイオクタン燃料の供給を前提にとの念押し
を軍部が無視した結果、水エタノール噴射という余計に難しい技術を導入した上に
馬力制限を掛けたと本で読んだ気がす。
>>72
発動機というものは、最初からオクタン価に対応した設計を前提とするのですよ。
これは、現在の自動車でも同じ。
だったらドイツは必死こいてMW50なんて開発しないわけで。
的外れなこと言わないほうがいい
排熱の都合といえばそうなんだけど
牽引車は瞬間高負荷なので、一時だけ吸熱してゆっくり放熱できれば良いので水冷
戦車は常時高負荷なので、大量の冷却気を常時送り込むので、だったら空冷で良いって判断な
現代のようにギリギリの性能なわけでもないので、冷却気の所要量とその配置からの選択なのな
あと日本がやったのは水メタノールでエタじゃないし、水メタの関係で苦労したかというとそうでもないぞ。
ドイツや米国も水噴射してて、これはごく一般的なオクタン価向上機能だ
オクタン価や生産性の高いハイオクガソリンは、気化蒸留特性が悪くなりがちで
多気筒エンジンでは気筒ごとの燃料分配が悪くなる。これに日本のエンジンもアメリカのエンジンも苦労した
飛行中に棚落ちするとかバルブが詰まるとかプラグがよごれるとか、米国の飛行機でも散々やってて
運転制限や頻繁なエンジン交換、相次ぐ気化器の変更から低圧燃料噴射や高圧燃料噴射の導入と
まるでどっかの誉エンジンみたいなことをV-1710や1650やR2800や3350でやってる
それでも戦争に勝てたのは対応力(生産数、技術力、性能余裕)の差なのよ
空冷だから液冷だからって話にはあんましならない
日本戦車は空冷にも水冷にも出来る統制100式の中から
あえて空冷を戦車向きという理由で選んでる
単純な部分で、普通のレシプロエンジンは実用できる気筒数が大体決まってて
出力は大凡気筒の大きさx気筒数に縛られ
日本のエンジンは飛行機用もだけど、気筒が小さいのばかり
だから日本では同じような回転数やブースト圧じゃ到達できる馬力が小さい
同等出力にするには無理が必要で、これが信頼性を損ねる
日本だったら2500馬力出せるエンジンを2000馬力にして、いざって時の緊急出力を2500馬力にするのが米軍
ギリギリなんとか2000馬力、ちょっと条件が悪いと馬力制限か故障かというのが日本
同じカタログ2000馬力でもこういう差があり、これに工作精度とか燃料の品質といった要因が加わる
かといって大きいエンジンにすると当然大きく重くなる(船舶のはこの流れだ。多少の大きさは許容できるからね)
ディーゼルエンジンで勝ってるかというと勝ってないけど、それなりに動いてはいる
でも小型で低出力なシリンダなので、その先がなくて詰んでるというのが日本の戦車である
あの馬力でV12とかやったら、そりゃねえ・・・
まあそののストックは20年の空爆で全て吹っ飛んでしまった
チハのは後の統制型に匹敵する120×160の小さいものを使う様にしたんだけど、それまでは130×180の大きいものを使っていた
ハ号までのシリンダーのエンジンだと6気筒で650kg程度だから、確かに12気筒で1.2トンのチハ機より僅かに重量面で不利、容積ではかなり不利、という関係性であるから軽量化との兼ね合いなんだろうね
そこから120×160の小さな排気量のシリンダーでも統制型でそれなりの性能が出せる様になるんだけど
流石に各国中戦車級を求められるとなると、統制型のシリンダーでは小さ過ぎ、チトで改めて大きなシリンダーのエンジンに先祖返りした事を鑑みれば、そこらへんの関係性は難しいよね
大馬力のネックはやはりシリンダー数よりシリンダー一個あたりの馬力性能で、安易に12気筒より多くする事は技術的にもハードル高く難しいし、戦車搭載を考えれば長過ぎて実用性に乏しくなってしまうからね
チトのエンジンのシリンダーはもっとでかい
統制型とリッターあたりの馬力は拮抗しており、リッターが増えた分に比例して馬力も統制型に対してそれに見合った大きなものになっている
チトやら統制発動機の話になってしまっているけど
元々の話題は(装輪装甲車とか軽戦車とか幾つかあるけど、時期的には全部)それらが出てくる以前の話だからね
どれもこれも、計画開始が国策でディーゼルに研究予算をつけた効果がやっと現れ始める時期になってしまうから
チト機やらケホ車採用の発動機みたいな品物はおろか、統制発動機すら選択肢に上げようがないことをお忘れなきよう
要は、手持ちのリソースがちょっと思いつきで考えるより更に貧弱ということ…
チハ機を作るときに200馬力でなく150馬力を目処でV8で作っていたら
でかくて重くて無駄に部品が多いチハ機より、もうちょっと小さくて軽量で整備性の良いものになっていたかもしれない
……その辺のifまで踏み込まないと、47mm搭載トラックだの軽戦車だのは実現できないのではと
トラックのものはありたけデカく試みてもV6の120馬力でええんじゃない?
チハ機をこうすれば、という論なら俺も容積を妥協して重量の軽量な方を取るべきだったと思う
ハ号までの様な、180×130のボアストロークの大きな気筒で8気筒にすれば史実のチハ機より軽量簡素で空冷V8の150馬力が確保できたと思うよ(むしろ全長は短くなるね)
それでチハが上手く行くかは別として
そもそも三菱はトラック関連企業とはあまり縁がないんだよね
ここらへん、いすゞ、日野、スミダ、東京瓦斯電気工業とかが戦車以外の、ガソリンエンジンや自動車用発動機にかかりきっているんで
開発能力に関しては水冷か空冷か、自動車用か戦車用か牽引車用かで結構先進度合いが違う
九八式六トン牽引車ロケの水冷とかはかなり先行しているんで、むしろもうちょっとノウハウの共有やエンジンの他社開発(池貝のはアレだったが)とかの路線があってもよかったわじゃないかと思う
会社ごとに開発の得意不得意があるからね
んなわけで各社エンジン開発能力には大きくバラついていた事を考える必要があると思うよ
良いところは全部盗られるから日本なら均一だろなんて単純なものじゃなくてね
それで製造能力はどうにかなっても、開発能力ってのは長年のノウハウの積み重ねとセンスに依るところが大きい
どう設計するかよりも「どこの社が設計するか」というのも必要だったと思うよ
然るべきところはそれなりに優れたエンジンを開発する
三菱よりエンジン開発能力が上の企業は確かにあって、にも関わらず彼らは割り当ての関係上トラックや牽引車の開発にとどまっていたから三菱(や池貝)が開発をやらざるを得なかった事がチハ機最大の原因だと思う
三菱が開発しようとしたところで、やれない事はないと思うが、九四式六輪自動貨車や九八式六トン牽引車などで成果を収めた彼らの方が良い結果を出せたのは疑いの余地はない(実際に後に統制エンジンを開発しているのは彼らであるから)
一番優れた開発陣を集めて、優れたエンジンをまとめて開発しちゃって普及出来ればそれに越した事はないのよ
各社設計部のメンツ・利権の関係上、チハ機の頃にそれが出来てりゃ苦労はないって話ではあるんだけど
それを取捨選択した結果として統制に進む過程だからね
乱暴にいえば三菱のは駄目だねって結果が出ることも成果の一つなんだよな
「重速射砲搭載装甲自動貨車」というかもっと簡略に貨車重速射砲を作るにしても
計画時点でそういう戦術的要求がないとダメなのだけど
例えばノモンハン時点で何かがきっかけで中戦車も軽戦車もNG、今後は騎兵戦車だー!!となったとしても
現実と同じ程度の開発速度だと結果が出るのは昭和17年度以降となってしまうのは明白
ということでお題に沿って考える場合、それ以前に何かがあったはずなのだけど
そのきっかけは何で、いつ生起したのだろうね
戦車の代わりとしての装輪車なんだから
なんかの間違いでクリスティー戦車の導入に成功したとか
ソ連と仲良くなってBA6とT26を沢山もらったとかじゃねえの
ベーラー社の売り込みが成功してDa47/32の改良版を歩兵砲として採用する世界線を考えたことはある
その辺妄想兵器スレに書いた覚えが…
となると砲列転換や撤収を素早く出来る様にしたいから乗せようってなり
火砲ですら防盾付いてるし前は小銃弾ぐらい防げる様に、って程度の軽装甲が付く
ってならんかなぁ
この流れじゃ砲塔は微妙だけど
貨車山砲は現地部隊のテクニカル的な装備かと思ってたら、火砲過去スレによるとちゃんと山砲の車上射撃法として研究されたものらしい
正規のマニュアルまで作成されて、現地部隊が土嚢・角材・鋼索などを使用してしっかり固定する方法や、ブレーキを踏めば命中精度は車上射撃でも殆ど変わらないという結果が確認されていて割と真剣に作られたものらしいし
フィリピンでM3と貨車山砲で対戦車戦した台湾歩兵第2連隊とかの戦訓からテクニカルの有用性が認められ、そこから↑みたいな流れなら割と制式化まで数ヶ月とかでやってのけない事もないんじゃないか?
アーチャー対戦車自走砲みたいな歪なものに仕上がり、言っていた様なBA-6などの影も形もないが…
日本軍は末期はテクニカル化したかったができなかった
いや下手したら日本軍は1930年代からテクニカル願望持ってたかもしれないよ
けどテクニカルの即応展開のためにはじどうしゃが足りないのと→専門の戦車機甲団はテクニカル歩兵より強く兵站合理的って誤った勘違いを起こした
もうひとつはテクニカル部隊は万全の砲兵の支援ありきだが、日本軍は砲兵が薄い軽砲兵だった
これは火砲部隊の戦闘用弾薬割合を500発標準とした場合、弾丸重量は20-25トンであり、弾丸費が戦車2両分やんけという
「鉄の供給不足」「鉄と弾薬が高く消耗する」都合日本軍は自動化→砲兵重視の戦術にできなかっt
原理は37mm戦車砲×山砲×歩兵砲のミックスで挑みこれで物資消耗×コストをおさえて徒歩傾向もできます山岳師団
のままであり、ここに中途半端な機甲と火砲が加わって変な中途半端軍団になった
火砲の負担、鉄と消耗が激しいからこそ、火砲重視と歩兵の自走かができなかった
火砲の完全化には戦車2000-3000の整備の倍の鉄と3倍の費用がかかった
完全に1500門の自動化150mm榴弾、1000門の105mm榴弾整備するやん。
それ弾丸だけで鉄10万トン、弾丸代5-10億
前線に弾丸50万発を送るのに、戦車1000両を前線に送るより負担やで
こういう都合で日本軍は全然戦車と火砲を前線に送れない。
日本軍は満州、フィリピンに十分な火砲と弾丸を輸送することすらろくにできないんよ
それこそ本気で日本軍が戦うのならば、弾丸×物資輸送で前線の1軍団の物資を常に輸送艦50隻で集積輸送できないと行けなかった
でシーレーン防衛とか以前にそこまで輸送艦集積することすらできない有様だった
で結果巡航戦車チハのコスパと輸送性、展開性(満州鉄道と自走で無限軌道展開)のほうが上やんけ
で巡航戦車チハが優先される
巡航戦車故にチハ重量化も後回し
「何にしてもちょっとif要素入れたくらいじゃ装輪戦車も前倒しケホ車も無理」って結論でいいんじゃないかな
装輪装甲車+47mm砲で一番実現性が高そうなのって
陸戦隊が「チハ車より安上がりになりそうだから外国から買った」とか
「陸軍から買えたチハの数が予想以上に足りなかったから館山の指示で呉と室蘭で作ってみた」かもしれない
もちろん搭載砲は山内式五糎砲だ!(笑)
相当数が使用されたし
日露戦争後
「つかえるスーパー山砲が目一杯ないと近代戦無理やで」→スーパー山砲41式山砲の整備
ww1から1920年代
「ww1で戦車やじどうしゃや重榴弾が標準化したで、研究したろ、配備は経済恐慌で後回しな」
1930年代
「レイプ国民党はぶっころすで、けど近代化は後回しでええわ。相手雑魚やし」
1940年代ー対戦前
「ソ連半端なくやばいやんけ、強すぎて近代化不可避や、まじで大戦とか云々以前にソ連怖すぎ病だから武器変え
それが本気だしたら旧式軍10師団いても平然と溶けるぞ。陸軍近代化を」
→「ソ連赤軍野外きょうれいによると火砲重要やけど、火砲おもすぎて物資運べないし、高すぎるから巡航戦車チハで展開力重視でいくわ」
大戦前半
「軽歩兵機動戦略は無敵や」
大戦後半
「軽歩兵ゴミすぎだけど、シーレーン封鎖以前に火砲重くて全然におけないわ。
けどパワー不可避やから迫撃ー山砲ー無反動砲ー対戦車砲ー旧式臼砲ー重榴弾で師団弾薬量をいままでの3倍にしたるわ」→沖縄戦で損耗比較のみでは米軍と互角の成果をだす
戦後
「やっぱ絶対火砲足りん勝ったんや。赤軍野外きょうれい、ナチスの実戦、アメリカ軍の常識で弾丸目一杯いるわ」
1960年代
「やっとWW2戦記全部の研究が終わったわ。やっぱパワー、とくに火砲ないと詰むわ。火砲目一杯買って」
→1970年代FH70採用と155mm榴弾標準化で初期自衛隊×4倍かつ旧日本軍2-3倍の榴弾物量確定
1990年代
「155mm榴弾つよいけど、重くて弾薬高いわ。もっとアクティブで強くて訓練台いらない砲台くれ
あと装甲車はまじで後回しでいいから先にミサイルと大砲優先しろ。じゃないと死ぬで」→120mmRT標準化
こういう流れで日本は火砲近代化、強化に挑んできたな
あとこういう対戦教訓と「巡航戦車チハはうんこやけど沖縄戦の歩兵装備やくにたつやん」
これが現在まで装甲車整備がクソ糞遅れた遠因でもある
戦後自衛隊は「戦車よりもなによりも火砲、迫撃、歩兵ミサイル目一杯ないと死ぬ」って恐怖症に陥るんよな
昭和18年度の取得予定の自動貨車のうち、期待の星の1式6輪は500台だ
従来の延長のものは工場の規模や資本の関係で大増産してもこのレベル
(牽引車や各種補助車両の生産もあるからトラックだけ作ってられない)
なおトヨタと日産合わせて5000台以上
年産500台で、当然高性能自動貨車としての需要もある6輪貨車をテクニカル化する余力はないんだな
どっちかというと数だけは腐るほどある日産のゴミ車を使う方向で考えるほうが現実的だろうね
貨車山砲はそのニッサン80型だよ
車重がそこそこあって85馬力だからね
辛抱強く相手してくれた>>95氏その他に感謝したほうがいいね
そんな代物まで使って編成できるほど戦車連隊自体が作れなかったという点はどーすんですかい
ffe7-VX8E氏は資料はいろいろ読んでるようだが、結局やりたいことはなんなの
なんかね、自分の思いついた兵器が技術的に開発可能かどうかってことだけに興味が向いてるのかなと
それはそれで楽しい思考実験ってのはわかるけど
だったらその兵器が何故研究されなかったか、どうして史実みたいな形になったのか
そしてそのお気に入り兵器が作られたときに本当に活躍できたのかまで考えた方が面白くないかな
そういうのが嫌いで「こんな兵器があったら良かったのに」を楽しみたいだけだったら妄想兵器スレに書きこむなり
いっそ架空戦記でも書いた方が楽しいと思うよ
向こうが「できるはずがない」というスタンスだからまずそれに答えたまでだよ。
なんでそうならなかったかなんて腐るほどあるんで、それこそ「面倒だった」すら選択肢に入るよ。
当事者に聞かないとどうしようもない話をどうこうしてもあまり面白い話かな?
君がこうしろというならするけど続く気がしないよ。
そして戦車連隊の枠、というのは何か違和感ない?
あくまで自動車隊なんだから操員は機動砲の牽引自動車の操縦者と砲手たちなはずだけど、戦車隊から捻出する必要がある?
実際に活躍したかってのは言ったら言ったでそれこそ君みたいな人からよそ行けと言われそうで一番言うのを警戒していたんだけど。
まあ活躍したかを求められた(実現性より語ったほうがいいんじゃない?、というのをまず活躍できたのかアテは考えているか?という意味で捉えるね)怖いけど言うよ。
ルソン島の海岸域の対戦車戦闘ね。
史実に機甲部隊が配置されたリンガエン湾周辺域は平野が多くい。
東洋の中じゃ随一の発展をしていたフィリピンでは国道を巡る戦闘が頻発したわけだけども
そうした戦闘において活躍(一方的な戦力差の対連合軍でどう活躍したかの提起っていうあたりちょっとズルく感じたんだけども)や史実より良い結果が期待できたんではないかなと思う。
待ち伏せ戦闘にせよ駐鍬設置や砲車接続の時間のあるなしでだいぶ結果は変わってくるはずだよ
そこに異論があるとかどのみち壊滅する論とかというならまた俺とは別の考えとしてありだと思う。
実際たかがその程度で負け戦は覆らない
俺は善策として装甲装輪車(47mm)を提示しただけで、敵をちぎっては投げの活躍も期待できないと思う。
もうちょっと余裕があればソダに載せた和製マルダーができたんじゃね?
そもそも対戦車砲の布置が大変だっていうなら
遥かに巨大な装甲車を隠蔽する陣地の準備はもっと大変だべ・・・
あれはな、少なくとも日本のディーゼルエンジンはクッッソ煩くて
戦車の隠匿性も何もないから、履帯の駆動音とエンジンのカン高い音でモロバレするのよね
初期のマレー作戦では日本軍の大部隊が来やがったと勘違いして英印軍が逃げたりとか
戦車の夜襲が上手く行ったケースを見るとノモンハンもマレーもスコールと雷鳴を上手く突いただけってオチがついたり
ホロ車みたいにエンジン切ってやり過ごすしかないという
もちろん一撃離脱戦闘など夢のまた夢
ソト車の場合は支那事変に送られた試製車4両が全て戦闘以外で失われている(うち1両は炎上 C14010843000 20-21P)から、まずはそれを防ぐような制度を事前に決めておかなきゃならんね…
熾烈を極める対米英戦線ではチハ改でやっとM3軽戦車にまともに対抗し得る程度で
榴弾破片程度しか防げない装甲車がノコノコ出て行っても車載機関銃で瞬殺されるだけ
自走砲路線で行くか?
しかし日本の自動貨車とて2トン弱くらい牽引してのけるので無理に載せずに牽引すれば機動九○式野砲というもっと大きな火砲を持ってこれる事を考えたら…
九七式とか九八式とかだったら許されるけど一式47mm速射砲の時期からいって二式とか三式となると戦力としてお寒いよね
この時期になると史実でなされていない小手先の凡ゆる手が大概無駄に終わるという件
>>105
ジュラルミン製の冷却ファンのせいで作動音が大きくまるでサイレンを付けているかのようで、数キロ先までもこの騒音が届いて、作戦に支障がでた…
戦車マガジン 1980年10月号 元戦車設計技師大高繁雄
技術が云々というより空冷ディーゼルが「特に」って感じがした
等の戦車兵達がぼやきまくってる
もっとも「他人の庭の芝は青く」見える点があるのも事実だけどさ
当時の軍用車両の排気系ってどの程度に消音されていたのだろう?
航空機は直管だよな
バリバリ凄まじい爆音だし覆帯の構造はソ連戦車など他の国と変わらないのに
旧軍戦車の空冷ディーゼルや覆帯の音だけが突出して五月蝿いとかな
よくある一部の回想から決め付ける戦後の根拠の薄い俗説といわれても仕方がない
とするとチハの騒音の酷さはエンジンそのものの問題か
NPO法人 防衛技術博物館を創る会「九五式軽戦車里帰り計画」
という目標額1億円寄付を募っていたよ
株式会社カマドが中心にやってるけど以前くろがね四起でも似たようなことやってたね
私はあえてどちらであってもほとんど変わらない説を推したい
これは完全に想像でしかないけども、同形状の車体に中戦車用のは油圧サーボ搭載、砲戦車用は従来式という配分だったのではないか
後者は保険も兼ねていて、結局チヘ段階ではそれが活きた形のように思う
チヘ車はケトのような前面をかなり絞った形状で機銃無しのデザインもあったという
だが、これはチヘの原形というよりチホ砲塔のように47mm砲双連が採用された場合のデザインだと思う
主力戦車に前面機銃無しというのはあり得ないので
結局陸軍にとって戦闘車両における20t級車体はあの形しかなかったんじゃないかというのが私の主張です
自分としてはチホ車体がそうだったように油圧式・遊星式の2案がチヘ車試製時にも存在していた説を唱えたい
結局は砲塔と砲が違うだけの車輌なのに別々の構造で作ってた、というのは車体共用化の路線に反する気がしてならないんだよ
てか四七粍双連+前面機銃なしって組み合わせはまんまBTだな…
車体銃なんて要らないよねで登場したパンターがやっぱ居るわで機銃搭載に戻ってるし
主砲だけだとどっちに火器が向いてるって丸わかりだしで
せめて一番脅威の前方になにかあったほうが気休めにはなるからな
戦車に乗ってたって四方八方から撃たれたら怖いんだから、応射できるだけでも違うと思うよ
テケ37mm砲塔って実質ハ号から簪と車体銃抜いた様なもんやし
>>124
パンターに至ってはあの大型の高初速75mm砲の同軸機銃で素早く照準合わせろって無理ゲー過ぎたんだと思う
時間かかって、チビチビ動く対戦車歩兵を捕捉できるとは思えないし
そういやチトも同軸じゃないよね
当時の日本軍が同軸が有効と見做していたのは開発史からして37mmと47mmぐらいな気がする
パンターD型とA初期型の段階では、装甲厚80mmに対応したボールマウント式銃架が間に合って無かっただけだっつーの
それらにも前方ピストルポートは空けてあったわけだし
日本由来の発想じゃないんで参照元が別の戦車だったら違う結果になってたろうか
同軸はスペース的に不利だったからやまれず簪にしたとか肩当てじゃ反対側に揺られるとか聞くけど
機関銃のレシーバーって割と細身だからそんなに幅取らない様に思えるし、むしろ一見すると簪の方が窮屈に見える
諸外国の肩当て戦車は普通に同軸機銃つめちゃってるし
やはり行進射とか考えてのものだろうかね
そこら辺何を考えていたか当事者の考えが残ってないんだよね
以下は全部推論だけど
カンザシ式はドイツが大型砲塔の有用性を示すまではそれなりに良いアイデアだったんじゃないかと。
戦間期のほとんどは砲塔がオフセットされている。これは逆側のスペースに乗降ハッチを設けるため。
そしてこの利点を潰さないため&砲塔は弱点になり得るので可能な限り小型化、しかし機関銃は欲しい→カンザシ式ということじゃないかな。
あれだけ小型のハ号砲塔に付いてるの考えてみてもね。
それと平時は砲を後方に向けているから、即応しなければならん時は後方に機銃がある方が場合によっては有利かも。
ソ連重戦車の後方機銃もなぜ付けたのか言及した資料は残っていないらしいけど恐らく同じ理由だったんじゃないかな。
あ、更新してなかった
ソ連重戦車の後方機銃は戦車砲の同軸としては遅いからボールマウントの素早さを取ったんだと思う
日本のは確かに、不意の即応性とかなら利点として認識されたのかも
パンターが特段遅いというのではなく、大型砲塔の戦車はどうしても軽戦車のそれより遅れるから必要なのかな、って
37mm砲塔戦車は同軸機銃さえあれば車体銃と簪銃二丁分の働きに相当すると評価されたからケニはああいうスタイルになったんだろうかね
すると47mm砲と37mm砲の中間くらいの57mm砲塔(八九式など)では同軸機銃も一考の余地があった様には思えるが
戦車や対戦車砲とだけ戦うわけでもないもんな
砲塔後部の対空銃架はM4シャーマンみたいにキューポラ内からではなく車体外から撃つものだろうし
前方には す べ て 同軸機銃があるから日本の事情とは全く異なるっつの
主砲の隣にあったのは、45ミリ砲だった。
主砲の操作に邪魔だってんで、7.62ミリの機銃に変えられたけど。
WOTのにわか知識か?
冬戦争に投入してみたら使い難いってんで、7.62ミリに変わった。
45mmと76mmで、車体前方機銃も無いんだな
反対側というのが76mm砲を挟んでという事なら、それ直接照準器用の穴やで
それはともかく、砲塔正面から見て45mmのちょい右上あたりに普通のKV-1には無い穴があるように見える
穴サイズ的には同軸機銃っぽい気もするけど、収まるのか?
そりゃ各国で殆どウケてなきゃその実用性も推して知るべし…なのか
あと日本戦車の対空機銃は戦後のキューポラ機関銃みたいに車外に出なくても使えるのかな?
調べたところ可動式らしいからあれをもっと前方に持ってくる事はできないのかね
当時も有効だったと思うが
イスラエルが装備したM48やM60の銃塔も同様の結果に
まあ一般的に戦車の馬力の数割は冷却ファンに食われるって言われているから、相当強力なものなんで、そこの音響とかはやっぱり厳しくいかないと駄目なんだろうな