モールバラの一生・生涯・人生
世界史で活躍したモールバラの一生・生涯・人生
モールバラ(1650年~1722年)
イングランドのデヴォンシアでジェントリーの家に生まれたモールバラは、後にジェームズ2世となるヨーク公に仕えて、1667年に近衛将校となりました。1670年には宮廷に出仕し、2年後の第3次蘭英戦争で活躍、1685年のジェームズ2世の即位とともに重用されます。ジェームズ2世の甥であるモンマス公が反乱を起こすと、国王軍の副司令官としてこれを鎮圧しました。しかしジェームズ2世のカトリック復興政策には賛成できず、1688年の名誉革命の際、国王軍の副司令官として出陣しますが、途中でウィリアム3世の陣営に寝返ります。革命後、伯爵の爵位を受け、枢密院議員となったモールバラは、1689年よりアウクスブルク同盟戦争に従軍、ネーデルラントとアイルランドでフランス軍と戦いました。1692年、前の国王ジェームズ2世と通じたという反逆罪の疑いで投獄されますが、すぐに釈放されます。1702年、アン女王が即位すると、モールバラはハーグ同盟軍の総司令官に任命され、スペイン継承戦争を遂行することになりました。まもなく公爵となったモールバラは、1704年「ブレニムの戦い」、1706年「ラミイの戦い」、1708年「ウーデナールデの戦い」、1709年「マルプラケの戦い」の全てでフランス軍を撃破することに成功します。国内ではホイッグ党のゴドルフィン首相のもとで事実上政権を担当しますが、1710年にトーリー党政府が成立すると翌年にはモールバラも失脚してしまいました。1712年から大陸に亡命していたモールバラは、2年後のジョージ1世の即位で召還されて帰国、イングランド軍総司令官に復帰しますが活躍の機会はもうありませんでした。