オクタビアヌスの一生・生涯・人生
オクタビアヌスの一生・生涯・人生
カエサルの姪を母に持つオクタビアヌスは、紀元前45年にカエサルと共にスペインへ遠征し、翌年マケドニアでカエサルの死を知らされます。正式な遺言状でカエサルの後継者に指名されていましたが、執政官のアントニウスがこれを没収して自分こそがカエサルの相続者であると主張しました。オクタビアヌスは元老院の支持をうけながらも執政官にはなれなかったので、軍隊を使ってローマを占領すると強引に執政官の座につきます。共和保守派に対抗するため、一時は不和であったアントニウスと手を握るとカエサルの副官だったレピドゥスとも結んで第2回三頭政治を開始しました。紀元前42年「フィリッピの戦い」で共和派の軍隊を破り、紀元前36年にレピドゥスを追い出してアフリカの属州とイタリアの支配権を手に入れます。そのころエジプト女王クレオパトラに夢中になっていたアントニウスを激しく非難し、紀元前32年にアントニウスの遺言を捏造して元老院で発表しました。その内容が、ローマの東方領を全てクレオパトラに与えるというものだったため、怒った元老院はアントニウスの全ての権利を抹消するとオクタビアヌスにクレオパトラと戦う権限を与えます。翌年の「アクチウムの海戦」でアントニウス、クレオパトラ連合艦隊を破ったオクタビアヌスは、ローマの単独支配者となりました。紀元前27年、オクタビアヌスは共和政の復活を宣言し、自らの権限を元老院に返還します。元老院は彼に「アウグストゥス(尊厳な人)」という称号を与え、オクタビアヌスは事実上皇帝に等しい地位につきました。 オクタビアヌスは、旧制度の組織をそのまま残しつつ政務の実権は自分が握ることで、合憲的な政府づくりを始めます。元老院をはじめあらゆる関係筋から制約されることのない絶大な権力を持って、辺境地に多くの植民都市を建設し、乱れていた属州の再組織化も行いました。