プトレマイオスの一生・生涯・人生
世界史に登場するプトレマイオスの一生・生涯・人生
アレクサンダーの死後、エジプトの総督に任命されたプトレマイオスは、帝国のアジア地域を統治していたペルディッカスに攻撃されます(BC321年)。これによってマケドニアの将軍たちはアレクサンダー帝国の領土をめぐる激しい後継者戦争(ディアドコイ戦争)を開始しました。 ペルディッカスはナイル川の渡河作戦に失敗し、エジプトに侵入する前に配下の武将セレウコスなどによって謀殺されてしまいますが、もと大フリュギアの総督アンティゴノスとその息子デメトリオスは大兵力をもってプトレマイオスの領土に侵入します(BC315年)。 デメトリウスはシリアのガザでプトレマイオスと戦いますが、戦象に頼った戦術の失敗から敗北してしまいました(BC312年)。 しかし、紀元前306年にキプロス島を攻撃してきたデメトリオス艦隊との海戦に挑んだプトレマイオスは、壊滅的な打撃を受けて惨敗し、残ったわずか8隻の軍艦とともにエジプトに逃げ帰ります。紀元前301年の「イプソスの戦い」でアンティゴノス・デメトリオス父子の軍が敗北し、アレクサンダーの帝国は4つの王国(ヘレニズム帝国)に解体されました。プトレマイオスはエジプトの王となり、キプロス島を再占領して東地中海の制海権を獲得します。これによってエジプト王国はヘレニズム帝国中最大の富を誇る強国になりました。