ロバート・E・リーの一生・生涯・人生
ロバート・E・リーの一生・生涯・人生
バージニアの名門の生まれであるロバート・エドワード・リーは、貴族らしい気品と軍人としての勇敢さと共に、指導者としての責任感と冷静さを併せ持っていました。メキシコ戦争に従軍したリーは、道徳的な見地から奴隷制に反対しており、リンカーン大統領から北軍の総司令官に推されたにもかかわらず、故郷のバージニア州が1861年に連邦を脱退すると連邦軍を辞めて郷里に帰ってしまいます。数日後には南部連合の陸軍長官となったリーは、南軍を率いて南北戦争を戦うことになりました。 戦闘中のリーは戦況が不利になると持ち前の冷静さを失うことがあり、自ら先頭に立って無謀な突撃を指揮しようとすることもありました。「スポットシルベニアの戦い」では見かねた兵士たちが一斉に「リー将軍、 後へさがって下さい!」と叫んで彼の向う見ずな前進を止めさせたこともあります。 1863年の「ゲティスバーグの戦い」で北軍に破れたのちも2年間なんとか戦い続けましたが、南部には北部のような人的、金銭的、物質的な資源が無く、1865年の4月にアポマトックスで降伏することになります。北軍の司令官グラントが示した降伏条件は、南軍の将校と兵士がもう戦わないという誓約にサインすること、兵士の武器は放棄するが、将校は携帯武器と馬の保持を認めるという寛大なものでした。リーは、 農耕のために一般の兵士が馬を連れ帰るのを許して欲しいと頼み、グラントはこれを認めます。南北戦争後のアメリカ再建のためには教育が最も大切だと考えたリーは、バージニアのワシントン大学の学長に就任し、 教育活動に余生を捧げました。