ウイリアム1世の一生・生涯・人生
ウイリアム1世の一生・生涯・人生
フランスのノルマンディ公ウイリアムは混乱していた領地内の治安回復に努力し、教会の支持を得てやっとこれに成功しました。1051年には、父ロベールの従兄弟にあたるイングランド王エドワード(懺悔王)から後継者としての地位を約束されたといわれています。1066年、エドワード懺悔王が死去するとハロルド2世がイングランド王に即位しますが、ウイリアムは自分こそが正統なイングランド王であると主張します。ウイリアムは軍隊を率いてドーバー海峡を渡り、イングランドの南岸、サセックスのペヴェンシーに上陸しました。この時にウイリアムはうっかりして砂浜で転んでしまい、部下から「上陸そうそうにつまずくとは、縁起が悪いですな!」と愚痴られてしまいます。ウイリアムは両手いっぱいに砂を掴むと「勇気を出せ、これは縁起のいいことなのだ。見ろ!わしは両手でここの土地を掴んでおるのだぞ!!」と言って立ち上がりました。「ヘースティングスの戦い」でハロルド軍を破ってイングランドの王位についた征服王ウイリアムは各地の反乱を鎮圧し、デーン人の侵入を退けて、イングランドの統一に成功します(1070年)。 ノルマン王朝のイングランドでは、支配階級であるノルマン人はフランス語を使い、庶民のサクソン人は英語(アングロ・サクソン語)を使い続けて、互いに「サクソンの百姓野郎!」とか「ノルマンの豚!」などと呼び合っていました。