ヤークーブの一生・生涯・人生
世界史で活躍したヤークーブの一生・生涯・人生
ヤークーブー(在位1184年~1199年)
1130年、アブドゥル・ムーミンによって興されたムワッヒド朝は、北アフリカのモロッコを本拠地にする遊牧民によるイスラム国家でした。そのムワッヒド朝第2代目の君主に選ばれたアブー・ヤークーブは、浅黒くがっちりした体格の26歳で、勇敢で雄弁で太っ腹な人物と伝えられています。 以前の彼はかなりの道楽者だったのですが、カリフになったとたん、酒や音楽そして高価な衣装の他に甘味料さえも禁止しました。ヤークーブはこのような厳しい君主でしたが、海戦で捕えた50人のキリスト教徒の首をはねたりしたので民衆の評判はまずまずでした。 1171年、海を渡ってスペインに上陸したヤークーブの軍勢は、キリスト教徒に対する聖戦を開始し、当時、南進中であったキリスト教諸候国(レオン、カスティーリヤ)を停止させ、一時的に北方へ押し返します。1197年4月、カスティーリヤからの講和要請を拒否したヤークーブは、タラベーラ、マケーダ周辺を襲撃し、マドリードを包囲しました。この間にイスラム教徒軍はタラマンカをも攻撃し、城壁を破壊すると防衛軍の兵士を虐殺して女性を連れ去ります。 しばらくしてマドリードの包囲を中止したヤークーブは、数多くの町を略奪してまわり、8月にコルドバに戻りました。この頃、北アフリカ情勢が不穏になり、とりあえずカスティーリヤとは休戦することにします。 キリスト教徒との平和は1210年まで続きますが、1212年「ラス・ナバス・デ・トロサの決戦」でヤークーブの息子ムハンマドに率いられたイスラム教徒軍が、キリスト教徒連合軍(レオン、カスティーリヤ、ナバーラ、アラゴン)に大敗し、これをきっかけにしてムワッヒド朝は崩壊することになりました。